その日、夢を見た。
 僕はランドセルを背負い、狭い通学路を歩いている。東の空に太陽が昇り、清々しい一日のはじまりだと感じだ。
 周りを見回すと──僕の隣にはサヤカがいた。ニコニコしながらこちらを見ている。
 どうして彼女が。
 疑問に思うが、これはただの作り物の世界だ。サヤカのことが気になるあまり、僕は彼女から聞いた話を無意識に「夢」という形で再現しているに違いない。

 そう納得しようとしたとき、ひとつの見知らぬ陰が現れた。サヤカの隣に、制服姿の少女が立っている。見た目からして、中学生くらいの女の子だ。
 彼女は中学鞄と共に、肩から黒い楽器ケースを掛けている。『CLAMPON』というメーカーロゴが刻まれている。大きさ形を見る限り、中にはクラリネットが入っているんだろう。
 中学生の彼女は、サヤカと親しげに話している。誰なんだろう。顔がぼやけていて、はっきり認識できない。
 所詮、創造の世界なので気にしていても仕方がないが。

『ショウくん』

 ふと、中学生の君が、僕に微笑みかけた。

『高校生になって、すごく大きくなったね。見違えたよ』

 そう言われ、僕の目尻は熱くなった。

 ──そうだよ。僕はもう、高校生になったんだ。

『高校生活は楽しい?』

 楽しいかどうか問われると……正直まだわからない。クラスメイトとはそれとなく関わっているし、ユウトとはクラスは離れてしまったが、なんだかんだつるんでいるし。ただ、ひとつだけ、サヤカに関しては気がかりなんだ。

 僕が返答に困っていると、夢の中のサヤカがしんみりとした口調で言葉を向ける。

『ねえ、ショウくん。無理しないでね』

 ──無理しないって? なにが?

『過去を思い出さないでほしいの』

 そう言うサヤカの表情は、とても切なそうだった。
 瞬間、僕の心臓がギュッと掴まれるような感覚がした。

 中学生の彼女は、サヤカの隣で頷いた。

『自分自身を大事にしてね。全てを思い出したら、ショウくんにとってよくないことが起きるから』

 なに? なにを言っているんだ、君たちは。よくないことって……?

 目の前の二人は、単なる幻影なはずなのに。僕はムキになってしまう。

 君たちになにを言われても、自分のやりたいようにやるさ。僕は必ず思い出してみせるから。サヤカのことを。高校生活初日に、知り合いのように声を掛けられて、このまま事実を知らないわけにはいかないだろ?

 そう答えようとした瞬間──目の前の景色が、突如として失われた。中学生の君の姿が見えなくなり、サヤカの声も聞こえなくなった。
 残ったのは、僕の中に残る虚しさだけ。
 なんで。どうして。君は、君たちは僕に『思い出すな』と言ったの? まるで、警告しているみたいじゃないか。


 ──そこでハッと目を覚ます。
 心臓がドキドキして、息が上がっていた。それに、枕が濡れている……
 え。嘘だろ。まさか、夢を見て泣いていたのか。信じられない。
 おもむろに頬に触れてみると──間違いなく涙が流れた跡があるんだ。
 ずんと気分が沈む。
 たったいま見た光景を思い出すと、胸の奥がチクチク痛くなる。
 あのサヤカと中学生の女の子は、僕の脳内で無意識に作り出された嘘だ。夢ってそういうもんだろ? 気にしていても仕方ないじゃないか。
 僕は自分に言い聞かせた。
 夢の内容は全部忘れろ、と。
 思い出すべきことは、サヤカとの思い出なのだから、と。