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昨日のコンクールでの東高校の演奏は、本当に素晴らしかった。
三上くんや、吹奏楽部のみんなが懸命に演奏する姿を見ていたら、私までドキドキしたの。
海をイメージした曲──『吹奏楽の海の歌』。
それは、アサカお姉ちゃんが過去に演奏していたものだ。
口癖のようにコンクールで金賞を取りたいと言って、毎日練習していたお姉ちゃん。
その夢は叶うことなく、この世を去ることになってしまった。
私はお姉ちゃんの無念を晴らしたくて、中学生になってからクラリネットを吹き始めた。けれど……どんなに練習しても上手くいかなかった。
連符がとても苦手だったし、なによりもお姉ちゃんみたいに綺麗な音色を出すことができなかった。
コンクールだって、毎年結果を出せない。
私は、どうしても金賞を取りたかった。
自信がなくても、その想いだけで部活を続けた。
中学三年生になってすぐのこと。私の努力を認めてくれたのか、顧問が私をコンサートミストレスに選出してくれた。嬉しいよりも、プレッシャーの方が勝っていた。
だけど、最後のチャンスだとも思った。私は姉の想いを抱き、中学三年の夏、コンクールに挑んだ。
自由曲は『吹奏楽の海の歌』。
お姉ちゃんと同じように、ソロが吹けるように必死に練習した。
だけど──結果は惨敗。銅賞となり、中学生の私の夏は終わった。
私はコンクール本番で、ソロ中にリードミスをしてしまった。静かなパートで鳴り響く、高い音。外した音は、あまりにも耳障りだった。
コンクールの評価でリードミスは減点にならないと噂があるが、それでも自分の責任だと感じてしまった。
顧問も部員たちも「サヤカのせいじゃない」と慰めてくれたけれど、悔しさはいつまでもなくならない。
これがきっかけで、私は音楽を諦めた。
東高の演奏を聴いた限り、相当レベルが高い。後から知った話なんだけれど、東高は関東大会常連校らしく、練習は休みなく行われている。
そんなところに私が入っても足手まといになるだけだ。
なのに──
「サヤカちゃん。コンクールが終わったら、ショウジと一緒に吹部に入らないか?」
昨日の帰り道、三上くんにそんなことを言われた。私は驚き、返す言葉を見つけられなかった。
隣にいたショウくんも同じ気持ちだったみたい。
「また突拍子もないことを言うんだな、ユウトは」
「いいじゃねえか。うちの吹部、ガチで練習三昧だけど楽しいぜ」
正直、三上くんが私たちを部活に勧誘するなんて意外だった。
私とショウくんは奇病を患っている。忘れてしまった記憶を思い出すと瞳の色が薄くなっていき、白色になると最後は死に至る。とても悲しい病。
ショウくんは私たちとの過去を思い出すと死んでしまう。治療法が見つからない限り、一生奇病と戦っていくことになる。私とショウくんがそばにいることは、リスクなのだ。
だから一時期、三上くんに叱られた。「ショウジに近づくな」って。「あいつのことを想うなら離れてくれ」って。
三上くんの言う通りだよ。私は、自分のわがままでショウくんに過去を思い出してほしいと思ってしまった。最期にそばにいてほしいって思ってしまった。
三上くんにも怒られたし、それにショウくんのお母さんに注意された。いかに自分の考えが浅はかだったのか気づいて、人生で初めて学校をずる休みした。
離れなきゃって思った。それで、ショウくんから逃げるように避けた。
それなのに──ショウくんは余計に過去を思い出そうとしてしまった。瞳の色が紫から水色に変わり、死に近づいた。
隠そうとすればするほど、それは逆効果だった。
でも……ショウくんはとても強い人だ。生きる道を選んだ彼は、再び私との過去を心にしまいこんだ。
だからいまは、リスクはなにもない。
私の考えはスタート地点に戻った。私は私自身の人生を、後悔させたくない。彼と過ごしたい。
三上くんに私の想いを伝えたら、頷いてくれたの。
でもね──私は自分の時間がどれほど残されているのか、三上くんに言えなかった。口に出すのが怖かったから、余命だけは伝えられなかった。三上くんは、私の寿命がどれどけ短いかなんて知らない。三上くんだけじゃない、友だちも、クラスメイトも、先生も。それにショウくんだって。家族以外、私の余命を知らないの。
だからこそ、三上くんは私とショウくんを部活に誘ってくれたんだと思う。
それはもう、叶わぬ夢なんて知らずに。
──八月になった。今日は、ショウくんと海を見に行く約束をした日。
おめかししようと思って、可愛い服を選んだ。白色のシャツに青のロングスカート。
お化粧はあんまり得意じゃないけど、ちょっとだけ目の周りをアイシャドウでなぞってみた。髪の毛もきちんと整えて……。
家を出る前に、鏡の前で身なりをしっかりチェックした。
「あっ」
大事なことを忘れていた。
「カラーコンタクト入れなきゃ……」
これだけは、絶対に忘れちゃいけない。
私の瞳は薄い【水色】だから──
「みゃお」
私がパープルカラーのコンタクトで瞳の色を変えていると、ろこが足もとにすり寄ってきた。
人なつこくて、お利口で、とっても可愛い子。拾ったときはどうなることかと思ったけど、すくすくと育ってくれてる。
私はろこを抱き上げ、頭を優しく撫でた。ろこは喉をゴロゴロ鳴らして嬉しそうだ。
そんな姿を見て愛おしいと思うと同時に、やるせない気持ちになった。
「ごめんね、ろこ」
ぽつりと口にした謝罪の言葉は、私の耳にしか届かない。
「拾ったのが私で、ごめんね」
私に懐いてくれるろこを見れば見るほど、罪悪感が募る。
私は、最期までろこを育ててあげることができないから。
「そのとき」が来たら、お父さんがろこを育ててくれるって約束をしてくれた。動物好きで、子どもの頃に猫を飼っていたことがあるお父さんなら安心して任せられる。この前お父さんが家にきたときも、ろこはお父さんにすぐ懐いていたし心配はいらない。
ただ、最後まで責任を取れない自分がもどかしくて。
「ろこ。大好きだよ」
私が頭を撫でると、ろこは甘えた声で「みゃお」と答えてくれた。
お父さんに、甘えてばかりだった。私が彼のそばにいられたのは、お父さんの理解があったおかげ。最初はもちろん反対された。「高校生で一人暮らしなんてダメだ」って。
でも、私に残された時間はもうないから……。
何度も話し合いをした結果、お父さんは涙ながらに「サヤカの好きなように最期を生きろ」って言ってくれたの。
もう、悲しんでる場合じゃないよ。「いま」を生きるって決めたんだから。
家を出る時間になった。荷物を手に持ち、靴を履く。
お見送りしてくれるろこに「いい子にお留守番していてね」と声をかけ、私はショウくんとの待ち合わせ場所へと向かった。
今日は青い空が広がっていた。太陽の光が眩しくて、暑くて、溶けてしまいそうだ。
それでも、私の心は弾んでいる。
「お待たせ」
アパートの前で待っていてくれた彼に声をかけ、私は大きく手を振った。
どこか照れくさそうに、彼ははにかんだ。
「あ……おはよ、サヤカ」
「さっそく行こっか。海の旅に!」
「そうだな」
頬を赤らめる彼の手を握り、私は歩き出した。
最期のときが来るまで、私は彼に真実を言うつもりはない。
本当はずっと過去を覚えているの。お姉ちゃんのことも、ショウくんのことも忘れていない。忘れられるわけがないよ。
思い出を選んだ私は、あと半年もしないうちにこの世を去る。悲しみに時間を費やすくらいなら、楽しいひとときを大切にしたい。
だから私は、今日もあなたに嘘をつく。なんにも悩んでいないふりをして、全部忘れたふりをして、たくさん笑って。
ごめんね、ショウくん。わがままで、自分勝手な私でごめんなさい。
生まれて初めて見た海は、壮大で美しく、そして儚い夢そのものだった。
【了】