「ごめん、アサカ」
情けないほどに、声が揺れた。
僕は彼女に、たくさん謝らなければいけないんだ。
「本当に、本当にごめん。僕は、君の気持ちをこれっぽっちもわかっていなかった」
「いいんだよ、謝らないで。平気だよ」
アサカは僕の頭をそっと撫でた。
感触も温度も感じないはずなのに、彼女の優しさが伝わってくる。
「やめろよ……僕を子供扱いするな」
「ふふ。ショウくんはいつまで経っても、わたしにとって可愛い弟みたいなものだよ」
「僕はもう高校生なんだぞ。からかうな」
「残念。もしわたしが生きてたら、いまごろ大学生になってるか、社会人としてバリバリ働いてるお年頃なんですよー」
舌をベッと出し、アサカはいたずらっぽく笑う。見た目は中学生で僕よりも年下に見えるのに、変な感じだ。
「あ……ということは」
彼女のいまの姿は、事故で亡くなったときと変わらないということだ。
アサカが身にまとっている、この見慣れない制服。
……そうだ、思い出したぞ。コハルが中学生のとき着ていた制服と同じものだ。グレーのスカートは、引っ越す前にコハルが穿いていたもの。そして、アサカが身につけていたものでもある。
アサカの姿を改めて見ると、ちょっと切なくなった。
「そうか。君は、いつまでも時が止まったまま思い出の中にいるんだよな」
「うーん。それは、どうかな?」
「だって、いつの間にか僕の方が年上になったんだぞ」
「時が止まってるというよりも、事故の日から私がいないだけ。成長して、大人になったわたしは存在しないんだよ」
「おい、やめてくれ……」
悲しいことを平気で口にするアサカの言葉は、僕の精神衛生上とてもよくない。
僕が怪訝な顔を向けると、アサカは声を漏らして笑った。
「あっ、ごめんね! もう、暗い話はやめにしよっか。そろそろショウくんも目を覚まさないといけないし」
「えっ。目を覚ますって?」
「ん? 忘れちゃったの? ショウくん、また事故に遭って気を失っちゃったじゃない?」
ああ、そういえば……そうだった。
病院に行く途中、母さんの運転する車に乗っていたんだ。母さんがすごく動揺していて、高速道路の遮音壁にぶつかったんだっけ。
「いつまでも眠ってたら、そのうち起きられなくなっちゃうよ。生きてほしいってわたし言ったけど、ずっと寝てるままなのはさすがにやめてほしいなあ」
「なっ。当たり前だろ。寝たきりだなんて、家族も心配するし」
事故発生直後の、母さんの顔を思い浮かべる。血まみれになった母さんの姿は、身震いしてしまいそうになるほど惨い有様だった。
「母さんは、大丈夫なのかな……」
不安になり、僕はぽつりと呟く。するとアサカがゆっくりと頷いた。
「ショウくんよりも先に、目覚めたみたいだよ。話し声が聞こえた」
「ホントか」
「意識の外側から、何度もショウくんの名前を呼んでるよ」
……そっか。そうなのか。
僕は、アサカの話に胸をなで下ろす。
「ショウくんのお母さんも心配してるし、それに……コハルもずっとショウくんを気にかけてるよ」
「コハルも」
「二人とも毎日のように泣いてる。このままショウくんが起きなかったらどうしようって。見るに堪えないくらい、泣いてるの。早く、二人を安心させてあげて」
アサカは、眉を落とした。
母さんは自分の運転で子供が亡くなったとなったら、立ち直れなくなるかもしれない。
コハルだって、父さんとアサカを失ったのに、これ以上また誰かが亡くなったら心が折れてしまうかもしれない。
二人の気持ちを考えると、のんびりしていられない。
「わかった。そろそろ、起きるよ」
僕の言葉に、アサカは目を細めた。とても柔らかい表情だが、目の奥が滲んでいる。
「わたしは二度と、ショウくんの前に現れないから。思い出は心の中だけにしまっておいて。もう二度と、思い出しちゃダメだよ」
「……ああ」
「生きたい気持ちが強ければ、ショウくんは、奇病なんかに負けないで寿命を全うできるはず。だから、強く生きていって」
「わかってる。わかってるよ」
君が守ってくれたこの命を、大切にしていく。必ず。サヤカとともに、生きていくと約束しよう。
「ねえ、ショウくん。最期に、ショウくんが全部を忘れちゃう前に、お願いしたいことがあるの」
「なに?」
「わたしのクラリネットの演奏を、聞いてほしいな」
両手にクラリネットを抱きかかえ、アサカはそう言った。
僕の答えはもちろん。
「聞かせて。アサカのクラリネットの歌声を」
アサカは目に涙を溜めながら、満面の笑みを浮かべた。舞台の中央に立ち、口にマウスピースを当てて堂々たる様で楽器を構えた。
彼女がクラリネットに息を吹きかけると──世界が一気に変わった。
彼女が奏でる曲は、僕が小学生の頃に聴いたことがあるものだった。
吹奏楽の海の歌。
コンクールで、彼女が演奏するはずだった曲だ。
クラリネットのソロパートを、アサカは優しい音色で奏でる。海の波の音が聞こえてきそうな繊細なメロディ──音色の中にほのかに存在する、木のぬくもり。
アサカのイメージする波の音は、クラリネットの歌声に乗ってたしかに僕の心に響いた。
目を覚ましたら、もう二度と君とは会えない。君のクラリネットの音色を聴くこともできない。交わした約束すらも、僕は知らないままだ。
でも、それでも──
君の奏でるクラリネットの歌声は、これからもずっと心の中にしまっておこう。
僕は君を思い出すことができないけれど、君との思い出はいつまでも存在し続けるんだ。
情けないほどに、声が揺れた。
僕は彼女に、たくさん謝らなければいけないんだ。
「本当に、本当にごめん。僕は、君の気持ちをこれっぽっちもわかっていなかった」
「いいんだよ、謝らないで。平気だよ」
アサカは僕の頭をそっと撫でた。
感触も温度も感じないはずなのに、彼女の優しさが伝わってくる。
「やめろよ……僕を子供扱いするな」
「ふふ。ショウくんはいつまで経っても、わたしにとって可愛い弟みたいなものだよ」
「僕はもう高校生なんだぞ。からかうな」
「残念。もしわたしが生きてたら、いまごろ大学生になってるか、社会人としてバリバリ働いてるお年頃なんですよー」
舌をベッと出し、アサカはいたずらっぽく笑う。見た目は中学生で僕よりも年下に見えるのに、変な感じだ。
「あ……ということは」
彼女のいまの姿は、事故で亡くなったときと変わらないということだ。
アサカが身にまとっている、この見慣れない制服。
……そうだ、思い出したぞ。コハルが中学生のとき着ていた制服と同じものだ。グレーのスカートは、引っ越す前にコハルが穿いていたもの。そして、アサカが身につけていたものでもある。
アサカの姿を改めて見ると、ちょっと切なくなった。
「そうか。君は、いつまでも時が止まったまま思い出の中にいるんだよな」
「うーん。それは、どうかな?」
「だって、いつの間にか僕の方が年上になったんだぞ」
「時が止まってるというよりも、事故の日から私がいないだけ。成長して、大人になったわたしは存在しないんだよ」
「おい、やめてくれ……」
悲しいことを平気で口にするアサカの言葉は、僕の精神衛生上とてもよくない。
僕が怪訝な顔を向けると、アサカは声を漏らして笑った。
「あっ、ごめんね! もう、暗い話はやめにしよっか。そろそろショウくんも目を覚まさないといけないし」
「えっ。目を覚ますって?」
「ん? 忘れちゃったの? ショウくん、また事故に遭って気を失っちゃったじゃない?」
ああ、そういえば……そうだった。
病院に行く途中、母さんの運転する車に乗っていたんだ。母さんがすごく動揺していて、高速道路の遮音壁にぶつかったんだっけ。
「いつまでも眠ってたら、そのうち起きられなくなっちゃうよ。生きてほしいってわたし言ったけど、ずっと寝てるままなのはさすがにやめてほしいなあ」
「なっ。当たり前だろ。寝たきりだなんて、家族も心配するし」
事故発生直後の、母さんの顔を思い浮かべる。血まみれになった母さんの姿は、身震いしてしまいそうになるほど惨い有様だった。
「母さんは、大丈夫なのかな……」
不安になり、僕はぽつりと呟く。するとアサカがゆっくりと頷いた。
「ショウくんよりも先に、目覚めたみたいだよ。話し声が聞こえた」
「ホントか」
「意識の外側から、何度もショウくんの名前を呼んでるよ」
……そっか。そうなのか。
僕は、アサカの話に胸をなで下ろす。
「ショウくんのお母さんも心配してるし、それに……コハルもずっとショウくんを気にかけてるよ」
「コハルも」
「二人とも毎日のように泣いてる。このままショウくんが起きなかったらどうしようって。見るに堪えないくらい、泣いてるの。早く、二人を安心させてあげて」
アサカは、眉を落とした。
母さんは自分の運転で子供が亡くなったとなったら、立ち直れなくなるかもしれない。
コハルだって、父さんとアサカを失ったのに、これ以上また誰かが亡くなったら心が折れてしまうかもしれない。
二人の気持ちを考えると、のんびりしていられない。
「わかった。そろそろ、起きるよ」
僕の言葉に、アサカは目を細めた。とても柔らかい表情だが、目の奥が滲んでいる。
「わたしは二度と、ショウくんの前に現れないから。思い出は心の中だけにしまっておいて。もう二度と、思い出しちゃダメだよ」
「……ああ」
「生きたい気持ちが強ければ、ショウくんは、奇病なんかに負けないで寿命を全うできるはず。だから、強く生きていって」
「わかってる。わかってるよ」
君が守ってくれたこの命を、大切にしていく。必ず。サヤカとともに、生きていくと約束しよう。
「ねえ、ショウくん。最期に、ショウくんが全部を忘れちゃう前に、お願いしたいことがあるの」
「なに?」
「わたしのクラリネットの演奏を、聞いてほしいな」
両手にクラリネットを抱きかかえ、アサカはそう言った。
僕の答えはもちろん。
「聞かせて。アサカのクラリネットの歌声を」
アサカは目に涙を溜めながら、満面の笑みを浮かべた。舞台の中央に立ち、口にマウスピースを当てて堂々たる様で楽器を構えた。
彼女がクラリネットに息を吹きかけると──世界が一気に変わった。
彼女が奏でる曲は、僕が小学生の頃に聴いたことがあるものだった。
吹奏楽の海の歌。
コンクールで、彼女が演奏するはずだった曲だ。
クラリネットのソロパートを、アサカは優しい音色で奏でる。海の波の音が聞こえてきそうな繊細なメロディ──音色の中にほのかに存在する、木のぬくもり。
アサカのイメージする波の音は、クラリネットの歌声に乗ってたしかに僕の心に響いた。
目を覚ましたら、もう二度と君とは会えない。君のクラリネットの音色を聴くこともできない。交わした約束すらも、僕は知らないままだ。
でも、それでも──
君の奏でるクラリネットの歌声は、これからもずっと心の中にしまっておこう。
僕は君を思い出すことができないけれど、君との思い出はいつまでも存在し続けるんだ。