胸が張り裂ける想いになる。
あれは一瞬の出来事だったんだ。撥ねられてから数秒経って、僕は自分たちが事故に遭ったことに気づいた。
けれど、アサカは軽トラックが突っ込んできた直前、僕たちの盾になるように立ち塞がった。自分の身を差し出してまで、僕とサヤカを守った。
「どうして」
アサカに向かって、僕は疑問を投げつける。
「なんであの日、庇ったんだよ」
「なんでって……わたしは二人より四つも年上なんだよ? 上級生が下級生を守るのは当たり前」
平然と答えるアサカに、僕は全身が震えた。
「違う。そんなの、違う! 死んだらどうしようもないじゃないか。アサカが死んだら悲しむ人たちがいるだろ!」
「それは、ショウくんとサヤカにも言えることだよ?」
「……で、でもっ」
「あの日、もしかしたら三人とも死んじゃってたかもしれない。そうしたら、悲しみの数がもっと増える。そんなの一番よくない。だから、わたしがショウくんとサヤカを守らなくちゃって思ったの。反射的に体が動いてた。二人にはわたしの分まで生きてほしいの」
アサカの考えかたに、僕はもはやなにも言えなくなった。
そうだった……彼女は、昔からそういう人だったんだ。自分のことよりも、他人を優先して。サヤカだけじゃなく、幼なじみである僕のことも気にかけてくれて。
アサカは優しすぎた。他人を思いやる気持ちが、人一倍強かったんだ。
「次にショウくんが目覚めたとき、過去のことは思い出せなくなってるから大丈夫だよ」
「大丈夫って……? そんなの、あんまりだ。アサカのことも、僕はまた忘れるってのか」
「心の中に記憶をしまっておけば、大丈夫だよ」
まるで自分に言い聞かせるように、アサカは何度も「大丈夫」と口にした。
「僕は、サヤカに存在を忘れられたんだ。昨日まで普通に接していたのに……今日会ったとき、僕のことを他人のように接していた。驚いたし、嘘だって思いたかった。でも、サヤカは本当に僕を知らない目をしていたんだ。親しくしていた相手に忘れられるって、ものすごく──辛いんだぞ」
思い返すと、息が苦しくなる。いまでも信じたくない。サヤカから突然、他人行儀でよそよそしくされて。
すごくすごく、ショックだったんだ。
「サヤちゃんも、思い出を手放そうとしてるんだね……」
アサカはぽつりと呟いた。
「サヤカがショウくんを忘れているのは、『生きたい』という気持ちが強くなったからかも」
「……なんだって?」
「過去の記憶を失わない限り、近いうちに死んじゃう。でも、ショウくんと再会したサヤカは、毎日楽しそうでよく笑ってたよね。だから、生きたいって思ったんだよ。わたしたちとの思い出を忘れる覚悟を決めて」
そんな現実、何度突きつけられても納得がいかない。
「そうなると、アサカはどうなる?」
「どうなるって?」
「僕とサヤカが生きるために思い出を忘れたら……僕たちは二人ともアサカを忘れることになるんだぞ。そんなの、君が辛いじゃないか」
どうにか記憶を失わずに生きる方法はないのかと、僕は都合のいいことばかり考えてしまう。
アサカはゆっくりと首を横に振った。
「わたしは、辛くなんかないよ」
「またそんなこと言って。僕の『心』が忘れないから、なんて言うつもりか」
「ううん、違う」
「だったらなんだよ」
「だってわたし、もう死んでるんだよ? 忘れられたって、わたしはいないんだから、悲しみも辛さもなんにもないもの」
白い瞳で、アサカはまっすぐ僕の目を見つめてきた。
どうしても、頷くことができない。アサカの言うことは間違っていない。間違っていないからこそ、否定したくなった。
「そんなこと、言うなよ……」
意図せず、声が震えてしまう。
「そんな寂しいこと言うなよ!」
僕は、いつまで迷っているんだろう。思い出を取り戻す代わりに、死にたいのか?
いや、死にたいわけじゃない。単に、思い出を取り戻したいだけなんだ。
「約束も果たせないまま、生きていけって言うのか?」
「どっちにしろ、約束は果たせないよ。わたしはもう死んでるんだから」
「だからっ。そうじゃなくてっ! 約束したことすら忘れるなんて、嫌なんだよ!」
もどかしさが爆発し、僕はアサカに向かって叫び声を上げた。この広いコンサート会場の端から端まで、声が反響する。
肩で息をする僕に向かって、アサカはあくまでも冷静だった。
「落ち着いて、ショウくん」
僕の右手をそっと握りしめ、ゆったりした口調で彼女は言葉を紡いでいく。
「生きる時間は有限なの。いつどこで誰が死ぬかなんてわからない。元気だった人が、突然明日になったらいなくなることだってある。病気を患った人が、残された時間の中で必死に生きていくことだってある。一生涯、事故にも遭わず病気にもならないで寿命を全うする人だっている。それでも──誰にでも必ず、人生の終わりはくるんだよ。だからこそ、生きる時間を大切にしてほしい。わたしはたまたま、短い人生になってしまったけれど……だからといって、ううん、だからこそ、大切な人にも同じ想いはしてほしくないの」
アサカの言葉が、僕の中に強烈に響く。
生きる時間は有限。誰にでも必ず終わりはくる。
そんな当たり前のことを、僕は考えようともしなかった。
彼女は幾度となく、僕に生きてほしいと伝えてくれたのに……。僕はそれを無視して、現実から目を逸らして、記憶を取り戻そうとしていた。
なんて愚かだったのだろうか。
あれは一瞬の出来事だったんだ。撥ねられてから数秒経って、僕は自分たちが事故に遭ったことに気づいた。
けれど、アサカは軽トラックが突っ込んできた直前、僕たちの盾になるように立ち塞がった。自分の身を差し出してまで、僕とサヤカを守った。
「どうして」
アサカに向かって、僕は疑問を投げつける。
「なんであの日、庇ったんだよ」
「なんでって……わたしは二人より四つも年上なんだよ? 上級生が下級生を守るのは当たり前」
平然と答えるアサカに、僕は全身が震えた。
「違う。そんなの、違う! 死んだらどうしようもないじゃないか。アサカが死んだら悲しむ人たちがいるだろ!」
「それは、ショウくんとサヤカにも言えることだよ?」
「……で、でもっ」
「あの日、もしかしたら三人とも死んじゃってたかもしれない。そうしたら、悲しみの数がもっと増える。そんなの一番よくない。だから、わたしがショウくんとサヤカを守らなくちゃって思ったの。反射的に体が動いてた。二人にはわたしの分まで生きてほしいの」
アサカの考えかたに、僕はもはやなにも言えなくなった。
そうだった……彼女は、昔からそういう人だったんだ。自分のことよりも、他人を優先して。サヤカだけじゃなく、幼なじみである僕のことも気にかけてくれて。
アサカは優しすぎた。他人を思いやる気持ちが、人一倍強かったんだ。
「次にショウくんが目覚めたとき、過去のことは思い出せなくなってるから大丈夫だよ」
「大丈夫って……? そんなの、あんまりだ。アサカのことも、僕はまた忘れるってのか」
「心の中に記憶をしまっておけば、大丈夫だよ」
まるで自分に言い聞かせるように、アサカは何度も「大丈夫」と口にした。
「僕は、サヤカに存在を忘れられたんだ。昨日まで普通に接していたのに……今日会ったとき、僕のことを他人のように接していた。驚いたし、嘘だって思いたかった。でも、サヤカは本当に僕を知らない目をしていたんだ。親しくしていた相手に忘れられるって、ものすごく──辛いんだぞ」
思い返すと、息が苦しくなる。いまでも信じたくない。サヤカから突然、他人行儀でよそよそしくされて。
すごくすごく、ショックだったんだ。
「サヤちゃんも、思い出を手放そうとしてるんだね……」
アサカはぽつりと呟いた。
「サヤカがショウくんを忘れているのは、『生きたい』という気持ちが強くなったからかも」
「……なんだって?」
「過去の記憶を失わない限り、近いうちに死んじゃう。でも、ショウくんと再会したサヤカは、毎日楽しそうでよく笑ってたよね。だから、生きたいって思ったんだよ。わたしたちとの思い出を忘れる覚悟を決めて」
そんな現実、何度突きつけられても納得がいかない。
「そうなると、アサカはどうなる?」
「どうなるって?」
「僕とサヤカが生きるために思い出を忘れたら……僕たちは二人ともアサカを忘れることになるんだぞ。そんなの、君が辛いじゃないか」
どうにか記憶を失わずに生きる方法はないのかと、僕は都合のいいことばかり考えてしまう。
アサカはゆっくりと首を横に振った。
「わたしは、辛くなんかないよ」
「またそんなこと言って。僕の『心』が忘れないから、なんて言うつもりか」
「ううん、違う」
「だったらなんだよ」
「だってわたし、もう死んでるんだよ? 忘れられたって、わたしはいないんだから、悲しみも辛さもなんにもないもの」
白い瞳で、アサカはまっすぐ僕の目を見つめてきた。
どうしても、頷くことができない。アサカの言うことは間違っていない。間違っていないからこそ、否定したくなった。
「そんなこと、言うなよ……」
意図せず、声が震えてしまう。
「そんな寂しいこと言うなよ!」
僕は、いつまで迷っているんだろう。思い出を取り戻す代わりに、死にたいのか?
いや、死にたいわけじゃない。単に、思い出を取り戻したいだけなんだ。
「約束も果たせないまま、生きていけって言うのか?」
「どっちにしろ、約束は果たせないよ。わたしはもう死んでるんだから」
「だからっ。そうじゃなくてっ! 約束したことすら忘れるなんて、嫌なんだよ!」
もどかしさが爆発し、僕はアサカに向かって叫び声を上げた。この広いコンサート会場の端から端まで、声が反響する。
肩で息をする僕に向かって、アサカはあくまでも冷静だった。
「落ち着いて、ショウくん」
僕の右手をそっと握りしめ、ゆったりした口調で彼女は言葉を紡いでいく。
「生きる時間は有限なの。いつどこで誰が死ぬかなんてわからない。元気だった人が、突然明日になったらいなくなることだってある。病気を患った人が、残された時間の中で必死に生きていくことだってある。一生涯、事故にも遭わず病気にもならないで寿命を全うする人だっている。それでも──誰にでも必ず、人生の終わりはくるんだよ。だからこそ、生きる時間を大切にしてほしい。わたしはたまたま、短い人生になってしまったけれど……だからといって、ううん、だからこそ、大切な人にも同じ想いはしてほしくないの」
アサカの言葉が、僕の中に強烈に響く。
生きる時間は有限。誰にでも必ず終わりはくる。
そんな当たり前のことを、僕は考えようともしなかった。
彼女は幾度となく、僕に生きてほしいと伝えてくれたのに……。僕はそれを無視して、現実から目を逸らして、記憶を取り戻そうとしていた。
なんて愚かだったのだろうか。