「んんん~。ショウジ、起きた?」

 ハッとする。
 掠れた声でコハルが問いかけてきた。見ると、コハルは目を閉じたままだった。
 ……なんだ。ただの寝言か。
 起こしてしまったと思ったから少し焦った。

 明日に備えてしっかり寝ないとな。僕は再びソファに寝転がり、瞼を閉ざした。
 しんとした室内。またもや、コハルの寝言が小さく聞こえてくる。

「ねえ、ショウジ?」

 本当に話しかけてきていると勘違いしそうになる。だけど、僕は反応しないようにした。

「あんたさー、サヤカちゃんを大事にしなよ」

 いきなりなんだよ。

「一緒にいられる時間を無駄にしないで。死んじゃってから後悔しても、遅いんだからね」

 ……。なに?
 僕は思わず目を見開き、もう一度コハルの様子を窺う。
 しかし、何事もなかったかのように目を閉じたままだった。
 やはり、寝ている。

 わけがわからないな。僕は、死なないってのに。記憶を取り戻さなければ平気なんだろ?
 それに、言われなくても大事にするよ。サヤカとの時間を。幼なじみとしての記憶は諦めたけど、高校で新たに出会った同級生として、仲良くするから。
 そう思いつつ、なぜか僕は言いようのない不安に駆られた。胃の辺りがゾワゾワするような、妙な感覚。
 気にしない。気にしない。コハルの単なる寝言なんて気にしない。
 僕は必死に頭の中の思考を消し去ろうとした。
 目をぎゅっと瞑り、時間はかかってしまったが、なんとか眠りについた。

 ──翌朝目を覚ますと、コハルはすでにいなかった。
 テーブルに置き手紙が残されていて『朝練あるから先出るね。スペアキー使って。今度返してくれればいいから。なくしたらおしりぺんぺん!』と書かれていた。
 おしりぺんぺんって……ツッコミを入れる気にもなれないくらいサブい。
 置き手紙の横には、家の鍵とラップのかけられたフレンチトーストがあった。わざわざ作ってくれたのか。

 コハルは昨日『あたしなんかよりアサカの方があんたたちをよく見てくれていた』というような話をしていた。でも、コハルだってなんだかんだ面倒を見てくれるんだよな。うちには父親がいないから、コハルなりにその分を補おうとしていたんだと、いまでも思うんだ。

 フレンチトーストを食べる前に、洗面所で顔を洗って歯を磨く。
 いつものように鏡を確認すると──やっぱり。瞳の色は青のままだった。薄くなったりはしていない。また色が変わったときには教えてくれと白鳥先生に言われたが、この調子なら大丈夫じゃないか? と、勝手に思ったりもする。
 なんで瞳の色が変わるのが問題なのか、曖昧な説明しかしてくれなかった。先生は僕に隠し事をしているはずだ。次の診察は一ヶ月以上も先。本当は今日にでも凸りたい気分だけれど、さすがに迷惑がかかるから我慢するしかないな……。

 ここ数日の間、色んなことがありすぎた。モヤモヤした気持ちは、日に日に大きくなっていく。
 早く全てを知って全てを解消したい。要は、僕が記憶を取り戻さなければいいんだから。

 髪を整え、テーブルに戻り、コハルが用意してくれたフレンチトーストをありがたくいただく。食パンに染みこんだ玉子と、ほんのり甘いハチミツがマッチしていてめちゃくちゃうまい。僕が小さい頃にも、コハルはよくフレンチトーストを作ってくれてたんだよな。

 そういえば──コハルには、料理やお菓子作りが得意な友だちがいた。その友だちは、たまに家に遊びに来て、コハルと一緒にキッチンでなにかを作っていた。彼女とは、僕もよく話をした気がする。ぼんやりとしか思い出せないけれど、おそらくその友だちは──アサカだ。
 アサカは、よく手作りのお菓子を持ってきてくれていたんだっけ。クッキーやチョコレート、プリン、そしてフレンチトーストなんかもご馳走になった。アサカの作るお菓子はどれも美味しくて、僕は毎回楽しみにしていた。
 このフレンチトーストも、アサカの作ったものと味がとても似ている。優しくて、懐かしい味。コハルの想いも、たくさん詰まっている。

「……あ」

 と、思い出を振り返っているうちに、目尻が急に熱くなり、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「なんだよ、これ」

 流れる雫は止まることを知らず、ついには僕の口の中へと侵入し、甘いはずのフレンチトーストの味が少し塩っぱくなった。
 それと同時に──頭の奥が痛くなってきた。じわじわと痛みが強くなっていく。
 薬。薬を飲まなきゃ。
 急いで鞄から錠剤薬を取り出し、お茶と一緒にそれを飲み込む。
 この薬は、即効性が高い。飲んで数秒で、痛みがピタリと止んだ。
 ……危ない。思い出を思い出してしまったらダメなんだ。
 変な冷や汗が滲み出て、僕の体は震えあがった。