どこからともなく、少女の声が聞こえた……気がした。
サヤカのものじゃない。なんとなく似ているが、声質が違う。
ろこが喋るはずもないし。
いまのは一体なんだったんだろう。
この部屋は僕らの他にはいないのだから、きっと気のせいだ。
考えているうちに、頭痛は消え去っていた。耳鳴りもしない。
よかった。すぐに落ち着いた……。
深呼吸してから、僕はもう一度サヤカと向き合う。
「サヤカが家族と離れて暮らしていたのは、驚いたよ。一人で大変じゃないのか?」
「意外に平気。学校帰ってから掃除とか洗濯とか料理するの、結構楽しいし。マニーカフェでバイトをはじめたから自分の時間は減ったけど……」
彼女はさっきまで泣きそうな顔をしていたが、いまは落ちついてきたようだ。
「そうか。あそこのマニーカフェで働くことになったんだな」
「そうなの。今日も六時からシフト入ってるんだけど──て、あれ? もうこんな時間!」
サヤカは慌てたように、立ち上がった。ろこは何事だと言わんばかりの顔をしてサヤカを見上げている。
掛け時計を見てみると、すでに五時を回っていた。
「そろそろ準備してバイト行かなきゃ。あの……ごめん、ショウくん。今日は帰ってもらえないかな?」
本当はまだまだ聞きたいことはある。でも今日ばかりは仕方がない。
僕は渋々頷いた。
「わかった。長居して悪かったよ」
「ううん。私が誘ったんだし。ろこも嬉しそうだったよ」
つぶらな瞳で僕を見るろこが可愛い。
僕はそっとろこに手を伸ばし、頭に優しく触れた。黒くて艶のある毛が気持ちよくて、何度も撫でる。
「ろこ、喜んでるね。また遊びに来てねって言ってるよ」
「そう思ってくれてたら嬉しいな」
「思ってるよ。ね? ろこ」
「みゃー」
ろこの返事に、胸が熱くなった。可愛すぎる。本当にまたここに来たくなるじゃないか。
名残惜しいが、いつまでもいたらサヤカに迷惑をかけてしまう。
僕は玄関に行き、ローファーを履いて、ドアノブに手を掛けた。
「じゃあまた明日、学校で」
サヤカはろこを抱っこしながら「またね」と、僕に向かって手を振った。
ついさっきまで暗い雰囲気だったのに、いまでは心が軽くなっている。これは、サヤカの力のおかげなのかも。彼女は明るくて天真爛漫なところがある。そんな彼女が束の間泣きそうな顔になったのは驚いたが、帰り際は笑っていたから安心した。
サヤカに、泣き顔は似合わない。
アパートを出て空を見上げると、雨は止んでいた。地面はまだ濡れていたが、雲から覗き込む夕陽の光はすごく綺麗。
歩いて数歩先に自宅マンションがある。だけど──やっぱり帰りたくないな。とは言っても行く当てなんてないから、家に戻るしかない。
帰ったら、真っ先に自室にこもろうか? それとも、どこかへ逃げようか。
行くとしたら、ユウトの家? いや、部活で忙しいユウトの世話になるわけにはいかない。だとしたら──
コハルの家に行くのはどうだろう。
コハルは、アサカの親友だ。
……今日はコハルの家に泊めてもらって、その件を聞いてみようか。無事退院したことも報告したいし。
でも、母さんとケンカしたなんて言ったら、またああだこうだはじまりそうだ。だから、それは黙っておく。母さんがコハルに余計なことを話していたら、面倒くさいけれど。
とにかくいまは母とは会いたくない。それに、サヤカに色々と話を聞いたあとでは、僕はいてもたってもいられない。
母親とは落ち着いて話せないだろうし、アサカのことを問いただせるのはコハルだけだ。
そうと決まれば、僕は行動だけは早い。
忍び足で自宅へ戻り、母にバレないよう通学鞄を手に持つ。中にICカードや財布が入っているか、明日の授業に必要なものはあるか確認し、そろりと自宅マンションを後にした。
コハルに連絡もせずに、突撃訪問する気だ。コハルが吹奏楽の練習だったり、バイトだったり、あるいは彼氏が家に来てたりしたら気まずいかもしれないが、とにかく善は急げ。
そうやって、僕は忠告を無視した行動を取ってしまうのだ。
サヤカのものじゃない。なんとなく似ているが、声質が違う。
ろこが喋るはずもないし。
いまのは一体なんだったんだろう。
この部屋は僕らの他にはいないのだから、きっと気のせいだ。
考えているうちに、頭痛は消え去っていた。耳鳴りもしない。
よかった。すぐに落ち着いた……。
深呼吸してから、僕はもう一度サヤカと向き合う。
「サヤカが家族と離れて暮らしていたのは、驚いたよ。一人で大変じゃないのか?」
「意外に平気。学校帰ってから掃除とか洗濯とか料理するの、結構楽しいし。マニーカフェでバイトをはじめたから自分の時間は減ったけど……」
彼女はさっきまで泣きそうな顔をしていたが、いまは落ちついてきたようだ。
「そうか。あそこのマニーカフェで働くことになったんだな」
「そうなの。今日も六時からシフト入ってるんだけど──て、あれ? もうこんな時間!」
サヤカは慌てたように、立ち上がった。ろこは何事だと言わんばかりの顔をしてサヤカを見上げている。
掛け時計を見てみると、すでに五時を回っていた。
「そろそろ準備してバイト行かなきゃ。あの……ごめん、ショウくん。今日は帰ってもらえないかな?」
本当はまだまだ聞きたいことはある。でも今日ばかりは仕方がない。
僕は渋々頷いた。
「わかった。長居して悪かったよ」
「ううん。私が誘ったんだし。ろこも嬉しそうだったよ」
つぶらな瞳で僕を見るろこが可愛い。
僕はそっとろこに手を伸ばし、頭に優しく触れた。黒くて艶のある毛が気持ちよくて、何度も撫でる。
「ろこ、喜んでるね。また遊びに来てねって言ってるよ」
「そう思ってくれてたら嬉しいな」
「思ってるよ。ね? ろこ」
「みゃー」
ろこの返事に、胸が熱くなった。可愛すぎる。本当にまたここに来たくなるじゃないか。
名残惜しいが、いつまでもいたらサヤカに迷惑をかけてしまう。
僕は玄関に行き、ローファーを履いて、ドアノブに手を掛けた。
「じゃあまた明日、学校で」
サヤカはろこを抱っこしながら「またね」と、僕に向かって手を振った。
ついさっきまで暗い雰囲気だったのに、いまでは心が軽くなっている。これは、サヤカの力のおかげなのかも。彼女は明るくて天真爛漫なところがある。そんな彼女が束の間泣きそうな顔になったのは驚いたが、帰り際は笑っていたから安心した。
サヤカに、泣き顔は似合わない。
アパートを出て空を見上げると、雨は止んでいた。地面はまだ濡れていたが、雲から覗き込む夕陽の光はすごく綺麗。
歩いて数歩先に自宅マンションがある。だけど──やっぱり帰りたくないな。とは言っても行く当てなんてないから、家に戻るしかない。
帰ったら、真っ先に自室にこもろうか? それとも、どこかへ逃げようか。
行くとしたら、ユウトの家? いや、部活で忙しいユウトの世話になるわけにはいかない。だとしたら──
コハルの家に行くのはどうだろう。
コハルは、アサカの親友だ。
……今日はコハルの家に泊めてもらって、その件を聞いてみようか。無事退院したことも報告したいし。
でも、母さんとケンカしたなんて言ったら、またああだこうだはじまりそうだ。だから、それは黙っておく。母さんがコハルに余計なことを話していたら、面倒くさいけれど。
とにかくいまは母とは会いたくない。それに、サヤカに色々と話を聞いたあとでは、僕はいてもたってもいられない。
母親とは落ち着いて話せないだろうし、アサカのことを問いただせるのはコハルだけだ。
そうと決まれば、僕は行動だけは早い。
忍び足で自宅へ戻り、母にバレないよう通学鞄を手に持つ。中にICカードや財布が入っているか、明日の授業に必要なものはあるか確認し、そろりと自宅マンションを後にした。
コハルに連絡もせずに、突撃訪問する気だ。コハルが吹奏楽の練習だったり、バイトだったり、あるいは彼氏が家に来てたりしたら気まずいかもしれないが、とにかく善は急げ。
そうやって、僕は忠告を無視した行動を取ってしまうのだ。