「なあ、サヤカ。アサカは、僕たちといつも一緒に登校してくれてたんだよな?」
「うん。アサカお姉ちゃんが中学生になっても、途中まで登校してくれてたよ」
「なんでアサカは、そこまでして?」

 おぼろげに覚えている。
 北小と中学校は離れた位置にあったはずだ。途中まで僕たちと登校するとなると、アサカは遠回りをして中学校に通っていたことになる。
 僕の切実な疑問に、サヤカはクスッと笑った。

「お姉ちゃんはそういう人だもん。面倒見が良くて、優しくて、素敵なお姉ちゃん。人当たりが良くて、歳や性別関係なく誰とでも仲良くする。私はそんなアサカお姉ちゃんが大好き。小学生の頃のショウくんも、アサカお姉ちゃんが大好きだったんだよ」
「……そうなのか」
「たぶんね、ショウくんの初恋相手はアサカお姉ちゃんだったと思うよ?」
「は?」
「ううん。絶対にそう。私、見ててわかったもん」

 サヤカは柔らかい声で、そして──どこか切ない表情を浮かべてそう言った。
 変な感情が湧き出る。僕は、アサカの記憶はないんだ。サヤカにいきなり自分の初恋相手を教えられても腑に落ちない。
 なのに、心臓だけは異様にドキドキしていた。

「サヤカ、からかうなよ」
「からかってないよ? 本当だもの」
「証拠がない」
「証拠なら、ある」
「じゃあ見せてみて」
「見せられないよ」
「だったらこの話はやめだ」

 これで僕の恥ずかしい思い出話は終わると思った。けれど、彼女がそうさせなかった。

「……トランペット」
「え?」
「ショウくんの記憶に残ってる、トランペット。どうして金管バンドに入ったか覚えてる?」

 なにも、答えられなかった。
 僕が金管バンドに入ったきっかけ? なんだったっけ。衝動的にはじめたような気がするが、明確な理由が思い出せない。
 頭を巡らせて僕が取り戻せない記憶を探っていると、サヤカはしんみりとした口調で囁いた。

「アサカお姉ちゃんが、きっかけだよ」

 アサカが? まさか。

「アサカお姉ちゃんがクラリネットを頑張るようになったあとに、ショウくんはトランペット吹きはじめたの」
「クラリネットとトランペットは違う楽器なのに?」
「ショウくん、四年生のときも同じことを言ってた。金管バンドには、木管楽器はないでしょう? 本当はクラがやりたかった。アサカお姉ちゃんみたいに、格好良くメロディを吹きたい!って喚いてたよ」

 なんだそりゃ。小学生のときの僕って、結構幼稚だったんだな。

「トランペットをはじめて数日したら、ショウくん、夢中になって練習してたよ。トランペットはクラのように、曲中でメロディを奏でることがある金管楽器だから。それをアサカお姉ちゃんに言われてやる気が出たみたい」
「……単純だな、僕は」
「単純で純粋なところがショウくんのいいところだよ。金管バンドに入ってからひと月経った頃には、トランペットが大好きになってた。一生懸命練習して、本当に楽しそうだったな……」

 想いに耽るように、サヤカは目を細めた。
 なんだか不思議だ。サヤカやアサカの記憶は穴が空いたように抜けているのに、僕の頭には関連したことだけちゃんと残っている。

 しかしここで、サヤカの表情が変わった。

「ショウくんが金管バンドをはじめたのが四年生のとき。アサカお姉ちゃんは中学二年生だった。楽しくて平和に過ごしていた私たちの日常が、崩れる事故が起きたの」

 サヤカの言葉を聞いて、僕の胸が低く唸る──

「いつものように、私たち三人は登校してたの。なんでもない会話をして。通学路の途中にね、道が狭い場所があったんだ。スクールゾーンになってたから登校時間に車は通らない、はずだったの」

 道が狭い場所──僕はすぐさま記憶を辿る。
 なんとなくだが、覚えている。僕たちの家から学校までの道のりで、一カ所だけ細くて歩きづらい道があったのを。
 車が抜け道として走る場所だから、帰りは道の端に寄って一列で歩きなさいと、学校の先生たちにもしつこいくらい言われていた。

「覚えてる。車が一台しか通れない道だったな」
「その道、朝の七時半から八時半まで車は通行禁止なんだ。でもある日──あれは、夏休みに入る直前だったな、一台の軽トラックが間違えてスクールゾーンに進入しちゃって。運転手は道を早く抜け出そうとして、スピードを上げながらその道を通った。きっと焦っちゃったんだろうね。運転を誤ったせいで壁にぶつかって、そのまま私たち三人が歩いていたところをスピードが出たまま……」

 突っ込んでしまった。
 ──そんなことがきっかけで、僕は彼女たちの記憶を奪われたというのか。

 サヤカは落ち着いた様子で話し続けるが、海色の瞳は悲しさの文字で埋められている。

「私もね、事故当時のことはあんまり覚えてないの。ニュースにもなってて、お父さんたちに色々教えてもらって後から事故を知ったというか」
「そうだったのか……。でも、サヤカは僕のように誰かを忘れるってことはなかったんだな」
「……うん。そうだね。忘れたくなかったの。死んでも(・・・・)ショウくんとアサカお姉ちゃんのことは忘れたくないもの」
「え……?」

 サヤカの言いかたに、どこか違和感を覚える。でも僕は、その言葉の真意を深く聞き出す勇気はなくて。

「死んだら、なにもかもなくなるんだぞ」

 そんな当たり障りのない返答しかできなかった。