学校に行く気もなくなった。通学鞄も家に置いてきたし、財布もICカードも持ってきてない。電車にも乗れないから、僕は町の中をウロウロするしかなかった。
 あえて駅の反対方向を歩いていると、小さな公園にたどり着いた。ベンチとこじんまりとした砂場があるだけの、窮屈な公園だ。
 
 異様に息が上がっていた。呼吸を落ち着かせるため、僕はベンチに座り込む。
 平日の小さな公園には、ほとんど人が来ない。犬の散歩で訪れるおばさんや、ジョギングする男性が通りかかったくらいで訪問者は非常に少ない。
 一人になりたかった僕にとっては、好都合だ。

 頭を真っ白にして何時間もうずくまっている。けれど、いい加減どうすべきか考えないと。
 顔を上げて空を見ると、曇り空が広がっていた。雨だけは降らないでくれよ、と願いながら制服のポケットにしまっていたスマートフォンを取り出してみる。
 通知を確認して、ギョッとした。

《不在着信 十三件》

 全て、母親からの着信だった。メッセージも何件か来ていて《いまどこにいるの?》《昼ご飯、家で食べるでしょう?》《学校に行ったの?》などという内容がびっしりだった。
 さっきの件について謝罪の文字は一切なしか。
 母が言い放った言葉を思い出してしまう。僕がサヤカと関わっていると「死ぬ」だなんて。普段なら、あんなイカれたことを口にするような人じゃないのに。
 なにがきっかけで、母さんはおかしくなってしまったのだろう。この場合、精神科へ連れていった方がいいのだろうか。呆けが始まってしまったとか……? まだ五十手前なのに、そんなことありえるのか。いや、若い頃からそういう病気になってしまう例もあるらしいから一概には──
 と、ここまで考えたところで一旦思考を停止させた。考えるのもうんざりだ。
 あれは、僕とサヤカを引き離すための戯言に過ぎない。

「……ふざけんなよ!」

 たまらず、叫んだ。誰もいない公園内に、僕の怒りの声が空気に溶けてなくなっていく。
 このストレスをどう解消すればいいものか。悩んで悩んで悩みまくった。答えは簡単には掴めない。

 苛々の解消法を考えているさなか、またもやスマートフォンに着信が入った。また母さんか?
 諦めながらも画面を見ると。

「……ユウト」

 ユウトからの呼び出しに、スッと心が落ちついた。
 通話ボタンをタップしてすぐに元気な声が電話口から聞こえてきた。

『よう、ショウジ! お前、今日は学校休みなのかよ?』
「ああ。病院行ってた」

 ユウトには、入院の話はあえてしないでおく。無駄に心配かけたくないし。
 それよりも、このモヤモヤを聞いてほしい。通話ではなく、できれば対面で。

「ユウト。夕方でいいから会わないか?」
『夕方から? いいけど──』
  
 そのとき、電話の向こうからなにやら雑音が聞こえてきた。ユウトの声が途切れたと思ったら、数秒経って再び声がする。
 
『悪い! 今日は無理だわ!』
「えっ。なんで?」
『部活で遅くなるからさ。明日以降ならいいぞ。ていうかお前、いまどこいんの? 外か?』
「家近くの小さな公園だよ」
『そうか。俺もお前と話したいことあるけど、とりあえず今日はごめんな! 明日、また学校で!』

 ユウトは慌ただしくそう言うと、さっさと通話を切ってしまった。
 僕の耳には、ツーツーという機械音が虚しく響き渡るだけだ。

「なんだよ、ユウトの奴……」

 通話が終わると、スマートフォンには時刻が表示された。すでに二時半を回っていた。いつの間にかこんな時間になっていたのか。
 家には帰りたくない。母とまだ顔を合わせたくない。けれど、外にいてもすることがないし行く場所もない。僕は、ただぼんやりと公園のベンチに座るしかなかった。

 それから何分、何十分経っただろう。ぼんやりしすぎて、魂が抜けたように僕の心は空っぽになった。

 だが、思いがけないことは突然、訪れるものなんだ──

「ショウくん」

 背後から声を掛けられた。僕がよく知っている、優しくて透き通った少女の声。
 振り返ってみれば、目の前には僕を見る海色の瞳。頬を緩ませながら、こちらに歩み寄ってくる。

「サヤカ」

 彼女の姿を前に、僕の心臓がドキッと音を高鳴らせる。

「やっぱりここにいたんだね」
「どうして……?」
「三上くんがここにいると思うって教えてくれたの。さっき、電話してたよね」

 そう言うと、彼女は僕の隣にそっと座った。
 ああ、どうして。僕は、サヤカを見るとこうも安心するのか。