先生の姿を前にして、僕はどうにか心を落ち着かせようとする。姉とケンカしているようなところを見られるのは恥ずかしい。
 コハルも納得したような顔はしていないけれど、一旦口を閉じた。

 白衣姿の白鳥先生は、細い目で僕たちを見ながらベッドの真横に立った。

「よかった。若宮くん、目が覚めたんですね」
「あ……はい。ついさっき起きました」
「いやあ、驚きましたよ。若宮くんのお母さんが、大慌てで病院に来るものだからさ。急に意識を失ったと聞きましたが?」
「……そうです」
「お姉さんと大声でお喋りできるくらい元気になったなら、もう平気そうですね」

 口角を上げながら先生はそう言うが、目が笑っていない。白鳥先生って、出会った頃からこんな感じなんだよな。心が読めないというか、感情が伝わってこないというか。
 顔を真っ赤にして、コハルは「すみません……」と謝罪する。

「いいんですよ。エネルギッシュで素晴らしいです。ただ──」

 先生は目線を低くして、僕の顔をじっと見た。途端に真剣な表情になる。

「瞳の色が、とても気になりますね」
「……え」

 たったいま、コハルに言われたことを、先生まで指摘してきた。
 コハルは口を閉ざしたままだが、小さく頷いている。

「僕の目の色、青っぽくなってるんですよね?」
「そうですねえ。色が変わったのはいつからですか?」
「今朝鏡で確認したときは、いつも通りだったと思います。けど、ここで目を覚ましたら、コハルに……姉に目の色が違うと教えてもらいました」
「なるほど。そうですか」

 先生は至って冷静だ。
 コハルも先生も目の色を気にしているけれど、なんか問題でもあるのか?

「あの、先生」
「はい」
「目の色が変わったら、なにかまずいことでもあるんですか?」

 僕の質問に、先生はゆっくりと首を横に振った。

「……不安になることはありませんよ。ただ、珍しい症状ですからね。あまりにも変色が激しいと心配ですが、まあ、この程度なら大丈夫でしょう」
「……? そうですか」
「ただ、今後ももし瞳の色が変わるようなことがあればすぐに教えてください。薄くなったりしたら、良くないかもしれません」
「それはどうしてですか?」
「だって若宮くん。瞳が変色するなんて、普通はありえないことですよ? これが続くようなら、身体になにか悪い影響を与えるかもしれません。検査をする必要も出てきます」

 そっか……たしかに先生の言う通りかも。

「頭痛はありますか?」
「いえ。いまは落ち着いてます」
「薬がだいぶ効いてるみたいだね。同じものを処方しておきますから、必ず毎日飲むようにしてください」
「はい」
「今晩様子を見て体調が安定していれば、明日の朝には退院できますからね。他になにか気になることはありますか?」
「……」

 先生の言う「気になること」とは、僕の身体についてだろう。
 でも──僕は、他の「気になること」を口にした。

「先生は、サヤカって女の子を知ってますか?」
「……は? ちょっとショウジ。なに訊いてるの!」

 僕の横でコハルは目を見開き苦笑いしている。
 構わずに、僕は先生に問いただす。

「僕のクラスメイトに、松谷サヤカという人がいます。彼女は僕のことを幼い頃から知っているようなのですが、僕はサヤカを覚えていません。なぜかサヤカは、白鳥先生を知っています。先生は、ご存知ないですか?」

 ショウジ、やめなさい!とコハルは注意してくるが、僕は無視を貫く。先生の返事だけをじっと待った。
 両腕を組み、先生は無表情になる。

「……松谷サヤカさんですか。知りませんね」

 抑揚のない口調だった。
 なんとなく、予想はしていた。どうせ先生にも知らないと言われるのだろうと。
 でも、納得いかない。

「本当に知らないんですか? サヤカは先生の名を知ってるんですよ?」
「と言われましてもねえ。わからないですよ。それに、わたしはただの医者なんだ。身体や病気に関してのお話はできても、さすがに君のお友だち関係についてはなにも答えられませんよ」
「……ということは、もし先生がサヤカを知っていても、答えられないってことですね?」
「ちょっとショウジ! いい加減にして!」

 横からコハルが怒号に近い声で首を突っ込んでくる。 
 邪魔するな。
 僕はコハルを睨みつける。

「若宮くん。個人的な質問をしてもいいかな?」
「え……なんですか」
「君は、サヤカちゃんのことが気になってるんだよね」
「そうですけど」
「その気持ちは、どれくらい大きいのでしょう?」
「どれくらいって……」
「常に彼女のことを考えてしまいますか?」
「え、はい……」
「夢にも出てくるほど、考えてしまいますか?」
「まあ。そうですね」
 
 ──この前見た、夢を思い出した。顔はハッキリとはわからないが、サヤカと似た雰囲気を持つ女の子が現れた。『海を見たい』と切実な願いを口にしていた。

「それじゃあ、死ぬほど(・・・・)サヤカちゃんのことが好きですか?」
「は……え!? 先生。なにを言っているんですか!」

 顔がカッと熱くなった。頬だけじゃなく、耳まで赤くなっている気がした。
 狼狽える僕の様子を、白鳥先生はなんとも言えない表情で眺める。そんな顔して見ないでほしい……。

「まあ、いいです。だいたいわかりました。あまり気負いしないようにしてくださいね。精神的な負担は、身体にも負荷がかかる。できるだけ穏やかに過ごしてください。今晩はこのまま病室で休んでもらいますから、なにかあればすぐに呼んでください」
「……はい。わかりました」

 先生が、なぜ「個人的なことを」訊いてきたのかはよくわからなかった。
 どっちにしろ、サヤカの情報を得られなかったので、僕にとっては残念な結果にしかならなかったけれど。

 白鳥先生が病室を立ち去ると、コハルが僕を睨みつけてくる。ケンカ勃発寸前だ。