「中学生の頃から、好きなところで働いてみたいって思ってたの。ショウくんもこのモンブランケーキ気に入ってくれたから、私、絶対ここで働く!」
目を輝かせながら、サヤカは残りのケーキを食べ進めていく。
偉いな。サヤカは。入学前からバイトをしようと考えていたなんて。それに比べ、僕なんてやりたいことすらない。
ユウトは今日、吹奏楽部の見学に行ったし、もしかしたらそのまま入部するかもしれない。
僕はなんて空っぽな人間なのだろう。
たまらず、深いため息が漏れた。
「どうしたの?」
「えっ」
「なにか悩んでるの? 険しい顔してるよ」
無意識のうちに僕は眉間にしわを寄せていた。大袈裟に首を横に振ってみせる。
「いや……そんな、深く思い詰めてるわけじゃないんだ。僕はサヤカみたいにバイトしようとか、ユウトのように部活に入ろうかどうかとか、そんなこと一切考えてないからさ。みんなはやりたいことを探していて、すごいなぁって」
僕の話を聞いたサヤカは、明らかに戸惑った表情になる。そして、こんな風に答えるんだ。
「……別に、いいんだよ」
「えっ」
「せっかく高校生になったんだから、楽しまなくちゃ! ね?」
「楽しむって。なにをどうやって?」
「なんでもいいよ。こうやって、おいしいケーキを食べるだけでもいいの。毎日学校に行って、勉強して、放課後に制服デートする。それだけでも私はすっごく楽しい。やりたいことは探さなくても、自然に見つかるよ。そうじゃない?」
サヤカはカップを手に取った。「マニーカフェの紅茶は、香りもいいんだよ」と言いながら、味わっている。
彼女の言葉に、肩の力がすっと抜けた。
そっか……そうだよな。あまり深く考えなくてもいいのかも。
彼女が誘ってくれたから、マニーカフェのモンブランがこんなにもうまいことを知れた。放課後に彼女と一緒にお茶をするだけでも、楽しいひとときが過ごせている。
サヤカのおかけで、僕の真っ白な日常が少しだけ色づいたような気がした。
「今日は、楽しかったね」
「そうだな」
店を出ると、いつの間にか空が夜の準備を始めていた。窓から差し込んでいた西陽も、知らないうちにその姿を消し去っている。
名残惜しさを感じる僕の前で、サヤカは絶え間ない笑顔を浮かべた。
「ねえ、ショウくん」
「うん?」
「また、私とデートしてくれない?」
「……へっ?」
彼女の口から飛び出したひとつの単語に、僕の心臓が飛び跳ねた。
「デ、デート……?」
「うん。次はお休みの日にお出かけしたいな」
「そ、それは」
──どうして?
そう疑問を投げかけようとした。けれど、続きの言葉が喉の奥で止まってしまう。
サヤカは、どういう意味で「デート」と言ってるんだろう。
だって、デートって。恋人とするものなんじゃないのか? 僕たちは付き合ってもいない。いや、そもそもデートってなんだろう。恋人じゃなくても、好き同士でするものだよな? まさか、そういうことなのか?
いや、ダメだ、うぬぼれるな。女子ってなんか、こう、深い意味はないのにノリでそういうことを言ったりするイメージがある。僕がひとりで勝手に照れているだけなのかも……。
誰かと付き合った経験がない僕にとって、これはあまりにも難問だった。
だけど──悪い気はしていない自分がいるのが、一番の驚きだったりもする。
僕が一人でテンパる中、サヤカは突然神妙な面持ちになった。辺りをキョロキョロ見回して、店の裏側を見やる。
どうしたんだろう……?
サヤカはマニーカフェのすぐ横にある路地裏を指さした。
「……聞こえる」
「えっ。なにが?」
「子猫の声」
道路を走る数台の車のエンジンと、カラスが帰り支度のために鳴く声しか聞こえなかったが──耳を澄ませてみれば、たしかに響いてきた。
弱々しい、猫の声が。
「ショウくん、こっち来て」
手首を掴まれ、僕はサヤカに言われるがまま鳴き声のする方へと誘導される。
声が近づくたび、路地裏は暗くなっていく。
数秒もしないうちに、声の主を見つけた。マニーカフェの裏側の全く目立たない場所に、小さな段ボールが置かれている。
その中には──必死に大きな口を開いて助けを求める黒い猫がいたんだ。
「大丈夫? 猫ちゃん」
サヤカは黒猫に優しく問いかけながら、頭を撫でる。すると黒猫は鳴くのをやめて、彼女の手にすり寄ってきたんだ。
「捨て猫か……?」
「かもしれない……。すごく痩せちゃってるし、毛並みもよくない」
切ない声を漏らし、サヤカは周囲を見回す。店の裏側やごみ捨て場を念入りにチェックしていた。
「どうしたんだ?」
「親猫や他の子がいないか探してるの」
路地の奥側までサヤカはくまなく確認しているが、他に猫の姿はない。
箱の中で力なく鳴き声を漏らす黒猫を見つめ、彼女は眉を落とす。
「親猫も、飼い主さんもいないみたい……。やっぱりこの子は独りぼっちなんだね」
サヤカの海色の瞳が、切なさで埋もれた。それから、優しく黒猫を抱きあげる。
黒猫は救いを求めるように彼女の腕にうずくまった。
しばらくこの場は、無言の空間と化した。
風も通らないような場所で、ひと気がまったくない場所に、しかも隠すように弱った猫を置き去りにするなんて。最低な奴がいるもんだと、僕は苛立ちを覚えた。
連れて帰ってやりたいけれど、うちのマンションはペット禁止だ。家猫として隠して飼育してやれば大丈夫か? その前に、母親に許可が必要だ。でも。でも……
僕が悩んでいると、サヤカがこちらを向いてこう言った。
「私、この子を家に連れて帰る」
「なんだって?」
僕は目を見開いた。
「サヤカの家ってアパートだったよな? 大丈夫なのか」
「大家さんに相談してみる。うちのアパート、ペットは一匹までなら飼っても大丈夫なところだから」
「親にも許してもらわないとダメだろ?」
「お父さんに言ってみるよ。私がしっかりお世話するって伝えれば、きっと許してもらえるから。心配しないで」
サヤカは力強くそう言った。
一匹の猫のために、こんなにも早く決断をする彼女の姿を見て、僕は胸を打たれた。
僕はああだこうだ考えながら、黒猫を助ける理由を探していた。即決もできなかったというのに。
「今日からあなたは私の家族だよ。私の家、ちょっとだけ狭いけど我慢してね」
サヤカの優しい声掛けに答えるように、黒猫は小さく「ミャアー」と鳴いた。さっきまでのような悲しいものなんかじゃなく、甘えたような可愛らしい声だった。
目を輝かせながら、サヤカは残りのケーキを食べ進めていく。
偉いな。サヤカは。入学前からバイトをしようと考えていたなんて。それに比べ、僕なんてやりたいことすらない。
ユウトは今日、吹奏楽部の見学に行ったし、もしかしたらそのまま入部するかもしれない。
僕はなんて空っぽな人間なのだろう。
たまらず、深いため息が漏れた。
「どうしたの?」
「えっ」
「なにか悩んでるの? 険しい顔してるよ」
無意識のうちに僕は眉間にしわを寄せていた。大袈裟に首を横に振ってみせる。
「いや……そんな、深く思い詰めてるわけじゃないんだ。僕はサヤカみたいにバイトしようとか、ユウトのように部活に入ろうかどうかとか、そんなこと一切考えてないからさ。みんなはやりたいことを探していて、すごいなぁって」
僕の話を聞いたサヤカは、明らかに戸惑った表情になる。そして、こんな風に答えるんだ。
「……別に、いいんだよ」
「えっ」
「せっかく高校生になったんだから、楽しまなくちゃ! ね?」
「楽しむって。なにをどうやって?」
「なんでもいいよ。こうやって、おいしいケーキを食べるだけでもいいの。毎日学校に行って、勉強して、放課後に制服デートする。それだけでも私はすっごく楽しい。やりたいことは探さなくても、自然に見つかるよ。そうじゃない?」
サヤカはカップを手に取った。「マニーカフェの紅茶は、香りもいいんだよ」と言いながら、味わっている。
彼女の言葉に、肩の力がすっと抜けた。
そっか……そうだよな。あまり深く考えなくてもいいのかも。
彼女が誘ってくれたから、マニーカフェのモンブランがこんなにもうまいことを知れた。放課後に彼女と一緒にお茶をするだけでも、楽しいひとときが過ごせている。
サヤカのおかけで、僕の真っ白な日常が少しだけ色づいたような気がした。
「今日は、楽しかったね」
「そうだな」
店を出ると、いつの間にか空が夜の準備を始めていた。窓から差し込んでいた西陽も、知らないうちにその姿を消し去っている。
名残惜しさを感じる僕の前で、サヤカは絶え間ない笑顔を浮かべた。
「ねえ、ショウくん」
「うん?」
「また、私とデートしてくれない?」
「……へっ?」
彼女の口から飛び出したひとつの単語に、僕の心臓が飛び跳ねた。
「デ、デート……?」
「うん。次はお休みの日にお出かけしたいな」
「そ、それは」
──どうして?
そう疑問を投げかけようとした。けれど、続きの言葉が喉の奥で止まってしまう。
サヤカは、どういう意味で「デート」と言ってるんだろう。
だって、デートって。恋人とするものなんじゃないのか? 僕たちは付き合ってもいない。いや、そもそもデートってなんだろう。恋人じゃなくても、好き同士でするものだよな? まさか、そういうことなのか?
いや、ダメだ、うぬぼれるな。女子ってなんか、こう、深い意味はないのにノリでそういうことを言ったりするイメージがある。僕がひとりで勝手に照れているだけなのかも……。
誰かと付き合った経験がない僕にとって、これはあまりにも難問だった。
だけど──悪い気はしていない自分がいるのが、一番の驚きだったりもする。
僕が一人でテンパる中、サヤカは突然神妙な面持ちになった。辺りをキョロキョロ見回して、店の裏側を見やる。
どうしたんだろう……?
サヤカはマニーカフェのすぐ横にある路地裏を指さした。
「……聞こえる」
「えっ。なにが?」
「子猫の声」
道路を走る数台の車のエンジンと、カラスが帰り支度のために鳴く声しか聞こえなかったが──耳を澄ませてみれば、たしかに響いてきた。
弱々しい、猫の声が。
「ショウくん、こっち来て」
手首を掴まれ、僕はサヤカに言われるがまま鳴き声のする方へと誘導される。
声が近づくたび、路地裏は暗くなっていく。
数秒もしないうちに、声の主を見つけた。マニーカフェの裏側の全く目立たない場所に、小さな段ボールが置かれている。
その中には──必死に大きな口を開いて助けを求める黒い猫がいたんだ。
「大丈夫? 猫ちゃん」
サヤカは黒猫に優しく問いかけながら、頭を撫でる。すると黒猫は鳴くのをやめて、彼女の手にすり寄ってきたんだ。
「捨て猫か……?」
「かもしれない……。すごく痩せちゃってるし、毛並みもよくない」
切ない声を漏らし、サヤカは周囲を見回す。店の裏側やごみ捨て場を念入りにチェックしていた。
「どうしたんだ?」
「親猫や他の子がいないか探してるの」
路地の奥側までサヤカはくまなく確認しているが、他に猫の姿はない。
箱の中で力なく鳴き声を漏らす黒猫を見つめ、彼女は眉を落とす。
「親猫も、飼い主さんもいないみたい……。やっぱりこの子は独りぼっちなんだね」
サヤカの海色の瞳が、切なさで埋もれた。それから、優しく黒猫を抱きあげる。
黒猫は救いを求めるように彼女の腕にうずくまった。
しばらくこの場は、無言の空間と化した。
風も通らないような場所で、ひと気がまったくない場所に、しかも隠すように弱った猫を置き去りにするなんて。最低な奴がいるもんだと、僕は苛立ちを覚えた。
連れて帰ってやりたいけれど、うちのマンションはペット禁止だ。家猫として隠して飼育してやれば大丈夫か? その前に、母親に許可が必要だ。でも。でも……
僕が悩んでいると、サヤカがこちらを向いてこう言った。
「私、この子を家に連れて帰る」
「なんだって?」
僕は目を見開いた。
「サヤカの家ってアパートだったよな? 大丈夫なのか」
「大家さんに相談してみる。うちのアパート、ペットは一匹までなら飼っても大丈夫なところだから」
「親にも許してもらわないとダメだろ?」
「お父さんに言ってみるよ。私がしっかりお世話するって伝えれば、きっと許してもらえるから。心配しないで」
サヤカは力強くそう言った。
一匹の猫のために、こんなにも早く決断をする彼女の姿を見て、僕は胸を打たれた。
僕はああだこうだ考えながら、黒猫を助ける理由を探していた。即決もできなかったというのに。
「今日からあなたは私の家族だよ。私の家、ちょっとだけ狭いけど我慢してね」
サヤカの優しい声掛けに答えるように、黒猫は小さく「ミャアー」と鳴いた。さっきまでのような悲しいものなんかじゃなく、甘えたような可愛らしい声だった。