「──危ない!!」

 夏休み目前。月曜日の朝八時。狭い通学路に、僕の絶叫が響き渡る。
 それは、一瞬の出来事だった。

 耳が壊れそうになるほどの衝撃音。まるで、目の前に雷が落ちたような音だ。
 瞬間、僕の視界がぼやける。

 気づくと僕は、地面に倒れていた。
 なんなんだ。一体、なにが起きた?
 目を左右に動かす。すると目の前に、ボンネットが大破した軽トラックがあった。電柱にぶつかったようだ。
 その傍らには──二人の少女が倒れる姿が。
 一人は、ブレザーを身にまとった中学生の君。もう一人は、水色のランドセルを背負った小学生の君。
 彼女たちの周辺には赤黒い血、血、血。大量の血だまり。鉄の匂いが、容赦なく僕の鼻をつつく。
 身体が、動かない。叫び声も上げられない。全身が、痺れたような感覚がする。
 頭が……頭が、痛い!
 これほど惨い状況下であっても、僕は理解してしまった。

 僕たちは、轢かれたんだ。あの軽トラックに。

 なんで。どうして。
 いつもと変わらない朝が来て、普段通りに家を出て、三人で一緒に学校へ向かっていただけなのに?

 ──そう。いまのいままで、中学生の君は語っていたんだ。「今年こそ、夏のコンクールで金賞をとりたい」と。
 クラリネットが大好きな君は、毎日楽器を家に持ち帰って練習していた。君が奏でるクラリネットの音色は、いつだって木のぬくもりが感じられる。
 美しい黒色の楽器が、まるで生きているみたいだった。歌っているみたいだった。
 君が奏でるクラリネットの歌声が、僕は大好きなんだ。

 それは、ランドセルを背負った君も同じだった。ニコニコと嬉しそうに、ランドセルの君は頷いた。「お姉ちゃん、毎日頑張ってるからきっと金賞とれるよ」って。
 応援の言葉を受け取った彼女は、なぜか切ない顔になった。僕はその変化にすぐさま気がついて、問いかけてみたんだ。「どうしたの?」
 すると彼女は沈んだ声でこう答えた。「毎日練習ばかりで、二人と一緒に過ごす時間が減っちゃってごめんね」
 僕たちは、幼い頃よく一緒に遊んでいた。でも、中学生の君が十歳のときにクラリネットを始めてから、その時間はめっきり減ってしまった。
 本音を言うと、寂しかった。けれど、君が一生懸命練習をしている姿がすごく綺麗でかっこよかったから、僕は応援したい気持ちの方が大きい。わがままなんて言わないよ。
 それなのに、ランドセルの君は遠慮がない。素直に想いを口にしていた。「お姉ちゃんと、一日だけでもいいからゆっくり過ごしたいな」
 この要求に、中学生の君は微笑んだ。「お盆休みがあるから、一日だけ三人で一緒に過ごそう」
「なにをするの?」と僕が問いかけると、中学生の君はこう呟いた。

「海を見に行きたいな」

 コンクールで、海をイメージした曲を演奏するの。だけど、わたしは写真や映像でしか海を知らない。想像の世界だけで、演奏している。地区大会には間に合わないけれど、もしも県大会に行けたら、本物の海を見てイメージを膨らませたい。きっと、演奏にも活かせるから。
 そう語る中学生の君の横顔は、切望に満ち溢れていた。
 僕たちが住む場所には、海がない。僕も君たちも、海を見たことがなかった。
 ランドセルの君は、目を輝かせた。「行こうよ。海、見てみたい!」

 ──たった数秒前まで、こんな他愛のない話をしていたはずなのに。
 僕たちは轢かれてしまった。こんな形で、日常があっという間に奪われた。あまりにも突然に、いとも簡単に。
 
「ショウ……く、ん……」

 弱々しい声で、僕を呼びかける中学生の君。左腕があり得ない方向に曲がっていて、痛ましいという言葉では全然足りない有様だった。彼女の横には、バラバラになった楽器ケースと、部品があちこちに散らばったクラリネット。これでは、綺麗な歌声を出すことなんてできない……。
 ランドセルの君は虚ろな目をして、唇を震わせていた。そんな君の口の中に、頭から流れる血が滴り落ちた。

 死なないで。君たちは、死んじゃだめだ。お願い、お願いだ……!

 どんなに強く願っても、僕の叫び声は届かない。
 僕はあの日、君たちを失うことが恐くてたまらなくなった。
 視界は真っ暗になり、ほどなくして僕は意識を完全に失う。

 それでも心は、心の中だけは、君たちを忘れられないんだ──