1章

高校二年生になって、数日が経った頃。

俺は連日の寝不足が原因となり
保健室のベッドで仮眠をとっていた。

保健室の先生はさっき作業をしに職員室へ
行ってくると言ってまだ帰ってきていない。

だからかここには何処か物寂しい雰囲気が漂う。


あまりにも静かな、もう学校では無い何処か
別世界の様な空間にただ一人。

俺は意識を手放した。



次に目が覚めるとガタガタ椅子を引く音が
部屋全体を共鳴させていた。

多分、六時間目の授業が終わったんだろう。


そんなに寝ている気はしなかったが

カーテンの隙間から覗くオレンジ色の太陽は
今この時間帯を知らせに来る。



ゆっくりと上半身を起こすと頭がふわっとした。

これは寝起きだからなのか寝不足だからなのか
はたまたその両方なのか。


いや、そんなこと考えてる暇なんかない。

早く帰ってご飯を作らないと。
弟の優希が部活から帰ってくる前に。


そう思って俺は勢い良くベットから飛び起きる

すると突然、ガラッと大きな音を立てて
保健室の扉が開いた。


保健の先生が帰ってきたのだろう。

俺は感謝を伝えて早く帰ろうと思い
カーテンを開ける。

「先生、ありがとうございまし…た……え?」

俺の目線の先にいたのは先生ではなく


俺の唯一の幼なじみ、青葉だった。


昔、それはそれは仲が良く
家も歩いて一分くらいの近所にあったため
一緒にいない日は無いと言ってもいいほど。


でも、最近はクラスが離れたり

青葉は部活をしているから
一緒に帰ることが少なくなっていって。

あまり話す機会は無くなった。
そんな仲のはずだ。

「…なんで、青葉が」

「寝不足で倒れかけたんだって?」

俺が問うと間髪入れずにそう言われる。

図星すぎて思わず肩が跳ねた。

「やっぱり言わんこっちゃない。
陽向、いくら親代わりといえど
ちゃんと睡眠は取らないとだから」

青葉は相変わらずの爽やかイケメン感を
醸し出してこちらに歩いてくる。


確かに、それはそうだ。

俺が十五の時に両親が事故に遭い
家族は当時十一歳の弟の優希だけ。


親戚は皆仕事で飛び回っていたり
老人ホームにお世話になっていたりしたから

俺達は誰にも引き取られないで何とか
両親の代わりをやってきて。

今まで一生懸命生きていたつもりで。


でも、それに睡眠を削るのはもはや本望。

どうにもしようがない。


気づけば青葉は
俺が寝ていた向かい側のベットに座っていた。

「ほら、カバン持ってきたから」

「あぁ…ありが…」

それを俺が受け取ろうとすると
青葉はそれを床に降ろす。

「…は?なにし…」

「はーい陽向く〜ん、
おねんねしましょうねえー」

そう言うと同時に俺の体は前に引っ張られる。

俺は青葉に抱きつく形で
ベットにつまづいてした。

「お前…馬鹿にしてんのか…?」

青葉の唐突なおふざけに
俺は怒りを抑えきれず声が震える。

「え?なんて?人と一緒に居ないと
寝られない甘えんぼさんの陽向くん♡」

またもや図星で、頬が熱帯びたのを感じた。

同時に優しい声でこういう事を言ってくる所が
さらに俺をムカつかせる。

本当に、幼なじみというのは
こういう時に面倒だと思った。

「いちいち語源化すんな…」

「やっぱりそうなんじゃん、ほら早く寝よ?」

俺は今できる精一杯で青葉を睨みつけたが

抵抗虚しくそう言われ、布団をかけられる。

「俺は帰ろうと…」

「大丈夫大丈夫、少しだけだから。
15分くらい…ね?」

「……っ」

実を言ったら、さっきは全然眠れていなかった。

寝るか寝ないかの境界線を
ただふわふわと漂うだけで

目覚めの、妙にスッキリしたあの感じは
これっぽっちも得られていなかった気がする。

「…分かった…けど、お前でも添い寝は
やめてくんない?邪魔だから」

「酷いなぁ…」

青葉はそう言いつつもベットから
すり抜けて、ベットサイドに丸椅子を持ってきた。


少しだけしゅんとした顔をしていたから
後で謝った方がいいかなと思いつつ

俺は布団をかけ直す。

「じゃあ僕ここに居るから。おやすみ、陽向」

「ん、おやすみ」

にこやかに微笑む青葉に
俺はそう言い、目を閉じた。




どれくらいの時間が経ったのだろうか…?

目を開けると、隣には青葉が
ベットに伏せて眠っていた。珍しいな。

青葉ってあんまりこういう時に
眠らない系のタイプだったはずなんだけど。

ふと気になって頬に触れてみる。

若干、というか結構熱く感じた。

まさか熱なのか?


確かにここ最近、練習試合があったとか
聞いたような気がするし

先輩がもうすぐで居なくなるから
頑張らないとと言っているのを

運動部から盗み聞いたこともある。


俺は心配になって青葉を優しくゆすった。

「青葉、青葉大丈夫?具合悪い?」

「…ん、……ひなた…」

しばらくそうしていると
青葉は辛そうに目を開けた。


これは確定で熱あるなと思い

どうやって帰宅させようかと
寝起きの頭をフル回転させた。

「青葉、取り敢えず横になって…はっ?!」

青葉はむくっと起き上がったかと思うと
ゆっくり覆い被さるように俺を押し倒した。

「お、おい大丈夫?
お前彼女かなんかと間違ってんの?」

そう言って青葉と目線を合わせると
彼は熱っぽい瞳で俺を見つめていた。

本当にこいつはどうしたんだろう。


体内から出る息は熱の時のように熱く

頬もいつもより火照っているようで

俺の手首を握りしめている手も
少し汗ばんで眠気がある時のように暖かかった。

俺はなんだか気恥ずかしくなり、目を逸らす。

「…ひ、なた」

「なんだよ…大丈…」

その時、俺の頬に水が垂れた。

一瞬、雨漏りでもしたのかと思ったが
カーテンの隙間から見える窓の外には星が浮かんでいて。

まさかと思い、俺は伺うように青葉を見た。


その時だった。

「僕、陽向が好き」

一瞬、何を言ったか思わず
聞き逃しそうになった。

いや、聞き間違えだと思ったんだ。


けれど、その視線は嘘に見えなくて

体は硬直してしまうし、
どんな反応をしたらいいのかが全くわからない。

「え、えと…」

「ずっと好きだった。ずっと前から、好きで…」

何回も記憶に刷り込まれる様に好きという言葉が青葉の口から俺の耳向かって流れ込む。

こんなに涙を流している青葉を見るのは
幼なじみ歴14年の俺でも多分初めてくらいだ。

それくらい、俺の事が好き?なのだろうか。


いやいやそんなことある訳…。

きっと俺が過剰に反応してるだけで
親友だということを伝えた…

「…もちろん、恋愛的なほうの好きだから」

青葉は一秒も経たないうちに
俺の予想に反してそう言う。

「な、なんで…そんな急に…?」

その熱っぽい瞳にこちらまで
危うく変な気分になりそうなくらいだ。

これってもしかしなくても
何か盛られたんじゃないか。

青葉はモテる方だと思うし、その説は濃厚だ。


それでなきゃ、きっとこんな風にならないはず。

「青葉、取り敢えずちょっと落ち着いて…?」

俺は冷静さを取り戻していったフリをし
諭すように青葉の肩をぽんぽんと叩いた。

けれど、その手首は再び掴まれる。

「…嫌、そんな顔されて落ち着けない…」

その時、ふっと目の前に影が落ちる。

まつ毛がぶつかりそうなほど
俺と青葉の距離が近くなった時

青葉は気を失うように俺の横に倒れた。

「大丈夫っ!?……なんだ寝落ちたのか」

俺は直ぐさま青葉の安否確認したが
完全なる腹式呼吸で目を瞑っていたため

命に関わることでは無いと理解する。

「…びっくりした…っ」

青葉が寝たと分かると急に心臓の音が
異様なくらいに大きな音を立てた。


『そんな顔されて落ち着けない』


さっき言われた言葉を反芻する。

俺はさっき、一体どんな顔を
していたというのだろうか。



ーーー

「やってしまった…」

自分の失態に思わずため息が出る。

今まで隠し通していたものが
あの一瞬で全部水の泡になった。

朝早い教室で深いため息を付きながら
何となく、窓の外に目をやる。

「…陽向どう思ったかな」

あの時の動揺を隠しきれないような顔を
思わず期待してしまうような
赤く紅潮した真っ白な頬を

僕はいまだ覚えている。

それが幸運なのか不幸なのか。

陽向は見かけによらず
意外と溜め込むタイプだから、もしかしたら
新たなストレスの種となっているかもしれない。

一度そう考えてしまうと、いても立っても
居られなくなり頭をガシガシと搔いた、その時。

「青葉じゃん、おはよー!」

「おはよ、珍しいな青葉が朝早いなんて」

騒がしい奴らが教室内に入ってきた。

「あぁ…おはよ…」

僕は腹に力を入れて声を出したが
実際出たのは掠れに掠れ裏返った声だけ。

それにびっくりしたのか騒がしい奴らは
目を丸くしてこちらを見つめた。

「青葉大丈夫?風邪引いたの…?」

金髪のサラサラヘアにゴツめのピアスを付けた
ビジュアル的には大優勝の晃は少し引き気味で
話しかけてきた。

「…なんでそんな引くんだよ?」

「いや、あの青葉が風邪ってインフルしか…」

「風邪じゃねーよ!!」

何故か僕がいつも通りじゃないと
どうにかして風邪にさせたいらしい。

「じゃあ、なんなの?恋の病?」

呆れたような声で僕にそう問いたのは
少しくせっ毛の髪にメガネをかけた秀人。

「…や、別にそういうんじゃ」

「えー!何その反応〜
告白でもしたんですかぁ〜?」

晃は隣でひゅーひゅーと茶化す。

僕はそれをスルーすれば良かったものの
告白という単語が嫌でも耳に付いて

今更自分がした事の重大さに気づき
顔が熱くなるのを感じた。

「…もしかしてマジなやつ?」

「えっ、まじ!?あの青葉が…!?」

晃は声を大きくして言うから
秀人がその頭をぺしっとはたいてくれた

「…や、その…気が付いたら、言ってて…」

これ以上隠し事は出来ない気がして
気が付いたら口を滑らせてしまった。

一回口を噤んだけれど、もうそれならいっそ
話してしまった方が楽なのかもしれない。

僕は告白してしまった事について
全部話してみる事にした。

「「それって盛られたんじゃない?」」

ようやく告白の流れを説明し終わると
二人は声を揃えてそんなことを言う。

「え、盛られた?」

「その話聞くと盛られたとしか思えないけど…。
青葉モテるから女子になんか飲まされたり
とかしたんじゃないの?」

確かにあの時僕は変に体が暑かったし
判断能力が落ちていたような気もする。

…そういえば陽向の所に行く前あまり見ない
女子から差し入れを貰ったような気が。

「で、相手は誰なんですか〜?」

「…それは、」

その答えに行く前に教室の扉が開いた。

女子達の甲高い笑い声が教室に響き
さらにうるさくなる。

「…じゃあ、この話はまた今度。
晃ー荷物置き行くぞ」

そんなこんなで告白した相手が陽向だ
ということは、まだ口に出来ていない。

いや、言わない方がいいのかもしれない。
そうだ、そうに決まっている。

今までもずっと、そうしてきたんだから。



午後は晴れだと天気予報で言っていたはずだが
予想は外れ、今は土砂降りの雨。

でも今日は奇跡的に傘を持ってきたのだ。
そんな自分を物凄く褒めてやりたい。

今日はこの土砂降りの影響で部活も無くなって
家でのんびり出来ると思うと
それが少しだけ楽しみで、気持ちが弾んでいた。

「佐藤、ちょっといいか?」

だが、僕はいざ帰るとなった時に
先生から委員会のことで呼ばれてしまい

20分も帰るのが遅くなってしまった。

その間にも雨は強まるばかり。

僕は急いで階段を降りていき
やっとの思いで下駄箱に着くと

そこには、すのこにしゃがんでいる
見覚えのある後ろ姿があった。



ーーー

至って普通の放課後。天気は雨。

俺は傘を持ってきていないため
現在雨宿り中だ。

けれど、雨は降り止む様子が無く
そのまま20分くらいが経過している。

もう諦めて帰ろうかなと思い
立ち上がった時、後ろから走ってくるような音が
聞こえるのがわかった。

その足音は俺の後ろで止まる。

「…陽向?」

声だけでよく分かった。
それは俺の幼なじみだという事に。

「青葉…遅いね」

「陽向も。ずっと…雨宿りしてたの?」

「まぁ、そんなところ」

何となくぎこちない空気が漂っている気がした。

だって、そりゃそうだ。

あんな風に告白されといて
意識しない方がどうかしてる。

俺は普段と違う雰囲気に耐えられず
青葉から目線をずらした時。

「良かったらさ、傘入る?」

「えっ…まじ?」

青葉は傘を手提げバックから取り出して
俺に見せるように手に持った。

「ありがと、めちゃくちゃ助かる…!」

もので釣られる俺も俺だが青葉と話していくと段々といつもの様な、幼なじみとしての感覚を
取り戻していくのを感じた。

ここはお言葉に甘えて傘に入れてもらおう。

多少、距離は近くなってしまうけれど。

「…ねぇ、陽向狭くない?」

「え?いや、別にそんなだけど。
…青葉肩濡れてんじゃん。もっとこっち来いー」

俺はそう言って青葉の腕を軽く引っ張る。

一緒に下校する時には
もう完全に、いつもの感覚を取り戻していた。

「いやいや、それだと陽向が濡れちゃうでしょ
僕は濡れてもあんまり風邪引かないタイプだし」

青葉はそう言って爽やかな笑みを浮かべる。

その時、俺の後ろから黄色い悲鳴が飛んできた。

「青葉君じゃーん!
帰りに会えるなんてちょー嬉しい〜っ!」

髪を茶髪に染めて緩く巻いたいわゆる
カースト上位の女子が青葉の方に駆け寄ってきた

「そうかな、ありがとう」

青葉は少し困っていそうだったけど
さっきと同じように爽やかな笑みを浮かべていた

雨の日だったからかその女子は少しだけ会話をすると、早めに切り上げて小走りで帰って行く。

多分、俺の事は終始見えて居なかったと思う。

「…青葉ってさ、変わったよな」

数歩歩いて俺は前々から思っていた事を呟いた。

「え、そうかな?」

それを追うように青葉も隣を歩き始める。

「昔は女子と話すこと苦手でいっつも
俺のうしろに隠れてたじゃん」

「あぁ…そ、それはただ耐性が無かっただけで」

青葉はそう言うと俺の方を向いて少し微笑む。

「…でも、あの時は本当に助かった。
いつもありがとう、陽向」

「ふはっ…なんだそれ。
なんか改まって言われると照れるからやめろ」

俺がそう言って青葉を小突いた時、
丁度横を走った車が道路の水を撒き散らした。

それが俺に降りかかろうとした瞬間に
腕を力強く引っ張られる。

「…セーフ…」

視界が一瞬で真っ暗になる。
耳元で青葉が囁く声が聞こえた。

俺は多分体制を崩して青葉腕の中に飛び込んでいる状況だろう。

思わずこの前の忘れようとした記憶が
フラッシュバックしそうになる。

『ずっと前から好きだった。ずっと…好きで』

…顔周りがぶわっと熱くなった。

「陽向、大丈夫?掛かって…」

俺はそんな顔を青葉に見られないように
腕で顔を隠そうかと思ったけれど、もう遅く

俺の多分真っ赤になっているであろう顔が
バッチリ青葉の瞳に映し出される。

「っ…み、見んな…今は、やめろ」

反射的に顔を逸らし、雨に濡れた冷たい手でどうにかこうにか顔の熱を冷ます。

その間も青葉は無言だった。

こんな反応、ほぼ昨日のこと覚えていると
言っているようなもので。
もう誤魔化しは出来なくなってしまった。

相手が覚えていればの話だけど。

幼なじみ相手にこんな気持ちになってしまうのが本当に申し訳なかった。

でも、もしかしたら青葉の勘違いと言う説もある

意識が朦朧としている中
彼女か好きな人かに間違えてしまった。
というのがその中でも妥当だと思う。

どうせ、こうなってしまった訳だし
俺は思い切って鎌をかけてみる事にした。

「…あの、さ。昨日のことって…」

「ん?」

「…や、なんでもない」

青葉があんまりにも何も分かって無いように
純粋無垢な瞳で見つめてきたから

やっぱり昨日のは勘違いなんだろうなと思い
俺は途中で話す事を止めた。

…まぁ、それにしてもやってたことは
全く純粋無垢じゃ無かったけど…。



陽向は僕が勘違いしたフリをすると
話を止めて何かを考える様に下を向いた。

さっきは咄嗟に気づいていないフリを
してしまったけれど、もしもさっき言ってしまっていたら何か変わったんだろうか。

…いや、でもこれで良かったんだ。

何か劇的に変わってしまうより
いつもと変わらない平凡な方がよっぽどいい。



ーーー

「…い、…おい!!青葉!!!」

怖いと有名の矢野先生が
随分大きな声で僕の名前を呼んだ。

僕はぼーっとしていたようで気づいた時には
鬼の形相をした矢野先生が机の前に仁王立ちしていた。

「は、はい…」

「お前はこの前からずっと上の空で…
放課後、居残りにするぞ?」

このセリフは雑用確定演出。

前に晃がそうなっていたのを
この目で見たことがあるから分かる。

今日は部活に直行出来なさそうだと悟った。

「…はぁ、これくらいで半分か…」

放課後、僕は案の定矢野先生に雑用を頼まれた。

近々始まる体育祭のプリントを400組。
その数をホチキスで束ねるというものだった。

近々と言ってもまだ1ヶ月位先の話なのだけれど。

この作業をもうかれこれ1時間半以上はやっていて、流石に腕も疲れてくる。
時間的に、今日はもう部活に行けないだろう。

とりあえず、今までの完成したプリントを整えて一息つく。ふと、一昨日の記憶が蘇った。

告白のことを曖昧にしてしまった記憶が。

少し、後悔している自分がいた。

それが正解だったはずなのにこうやって悔いるのは自分の気持ちと違う事をしているから。
それくらいの自覚はある。

でも告白したと言ったところで
合わせる顔が無いというか、もうこの関係が
続かなくなってしまうんだとか

そういう事を考えると、
あの時の行動は正しかったんだと思えてくる。

そう、これで良かったんだ。
そう考えることにして椅子を浅く座り直した。

その時、クラスの扉が開く。
一瞬矢野先生だと思ったが違う。

夕焼けに照らされたその影は昔から見慣れてる形だった。

「陽向…?どうしたの。僕のクラスに何かあった?」

僕は慌てて平然を装う。
こんな所で取り乱すようなそんなヘマはしない。

「ちゃっちゃと片付けるぞ」

ただそんな僕の覚悟はつゆ知らず
陽向はズカズカと教室に入ってくると

僕の持っていたプリントを奪い
そこら辺にあった椅子を持って隣に座る。

「えーっと、これをホチキスで止めんのか?」

「陽向?なにして…」

僕は急な展開に混乱して思わず手を止める。
その間にも陽向は黙々と作業をし始めた。

「この量一人でって…。矢野先生も悪いな〜。
俺も今度から気をつけないと」

さすが陽向。手際は悪いけど容量が良い。

僕が複雑でなかなか飲み込めなかったページ
合わせもあっという間に自分のものとして
吸収していった。

…いや、そんな事関心してる場合じゃない。

僕は慌てて止めに入ろうとする。

「ひ、なた。大丈夫だよ。僕のことは心配しなくても。陽向はいつも早く帰って家事しなきゃって言ってるよね?だからこんなことしなくても…」

「いいって、今日は帰ったら適当に食べててって優希に言ったし、もうそれくらいできる年齢だよ
俺だってたまにはこういう時間も必要だし?」

陽向はふわりと微笑んだ。

そう言われると、何も言えなくなってしまい僕は俯く。陽向に貰った恩をいつも返したいと思っているのにいつも貰っているばかりだ。

そんな自分が、本当に不甲斐ない。

「…でも、それだったら帰ってリラッ…」

「青葉、最近元気ない…よね?」

僕の言葉に被せるように陽向は呟いた。

「なんか青葉最近ずっと上の空な気がしてさ、久々に一緒に帰ろうと思って校門で待ってたら青葉と同クラの子に授業聞いてなくて居残りになったって聞いて…」

陽向はいつの間にか作業をやめてこっちを見ていた。 諦めようとしているのに、それは反則だ。

僕を見上げて茶色に光る大きな瞳
それと一緒にふわふわと揺れる柔らかな髪の毛
不安そうな表情。

全てが愛おしくて衝動的に
抱きしめたくなってしまうが、何とか耐える。

「…ありがとう陽向。でも全然大したこと無いから。最近寝不足続きだったからかな、多分」

適当にそれっぽい事を言うと陽向はむっと
口を尖らせた。多分、少し怒っているのだろう。

「お前、ちゃんと寝ろよな。体は大事だぞ?」

口を開いたかと思うと僕の幼なじみは
特大ブーメランをかます。思わず自然と笑みが溢れた。

「あはは…それ陽向が言っていいの?」

「バレた?」

軽く雑談を交えながら黙々と作業し
400組全部を作り終えたのは完全下校時刻を
十分だけ過ぎてしまった十八時四十分頃。

僕たちは作り終えたプリントの束を
元々合わせる前の紙が入っていたダンボールに戻し、ダンボールごと先生に預けた。

「っ終わったぁ~~!!!」

職員室から離れ階段に足を踏み入れた時
陽向はそう言って背伸びをした。

「いやー、もう本当ごめん。付き合わせちゃって」

「いいっていいって。青葉が困ったことが
あったらこれからも頼れよ?」

そう言ってこちらを見ると得意げに笑った。
本当、陽向はいつ見てもかっこいいし可愛い。

親バカならぬ、幼なじみバカみたいなものが心の底から湧き上がり全身をくすぐった。

思わず頭を撫でてしまう。

「っお、おい!いつまでガキ扱いすんだよ!!」

「あははっ…ごめんごめん。じゃ、早く帰ろっか
今日はもう遅いから今頃電車混んでるかも。」

そう言うと陽向は驚いたようにスマホを確認するそれをポケットにしまった頃には早歩きになっていた。

「…やばい、優希大丈夫かな!?早く帰ろ!!」

そう言って最終的に走り出したのが
今から十五分前。

今はというと、僕の肩でぐっすり眠っている。

僕たちの乗り込んだ車両はこの時間でも案外空いていて余裕で二人座ることが出来た。

その姿は本当に無防備で可愛い。

「…あ、おば」

そのまましばらく電車に揺られていると
寝言なのか陽向は僕の名前を呟いた。

そして身をよじると、隣にあった僕の腕をぎゅっと抱き寄せる。

「…ほんとに陽向は…」

本当に陽向は、無意識なのか
僕の理性を軽々と壊すようなことをしてくる。

陽向の額に掛かっている髪の毛を起こさないように優しくずらして、周りに見えないような角度でそっと唇を落とす。

これくらい、許されるよね。

これは僕の理性を壊そうとした陽向のせいにしてそっと前髪を元の位置に戻した。
やっぱり、愛おしくてたまらなかった。



ーーー

「おぉ…」

俺は一枚の紙に釘付けになる。

「陽向?どうしたんだよ、そんな目輝かせてさ…」

気がつくと後ろには一年の頃に仲良くなった晃が
一緒になって紙を覗いていた。

「はっはっは…見ろよこれ!」



ーーー

「っ園崎…!あとは任せたっ…!!!!」

「おう、任せとけ!!」

微かに風が生まれ、辺りの砂埃に視界が薄く遮られる。俺はそれを切り裂くように頭からくぐった。

「園崎ーっ負けんなー!!」

風の音が耳を掠める。久々に走るから少しだけ体が思うように動かないけれど、気分は上々。

目の前にいた走者二人を捉えて
俺はその速度を上回るように走った。

「ーお疲れ様。リレー、今回もいい走りだったね」

無事走り終えレーンから出て
近くの地面にしゃがみ呼吸を整えていると
青葉が近くにやってきて水筒を渡してくれた。

「え、いいの?青葉の水筒。減っちゃうけど…」

「もちろんいいよ。そのための1.5Lだし」

確かに、その水筒は青葉がいつも持ってるやつよりも遥かに大きいものだった。

確かに喉は乾燥していたし、ここは一旦甘えて
ありがたく受け取る事にする。

「ありがと。ってか俺が水筒持って無いってよく気が付いたな。」

「あははっ…どれだけ陽向の幼なじみやってると思ってる?真夏の体育の時でも、必ず水筒持って来ないのちゃんと知ってるからね?」

「なんでそんなに記憶力がいいのか…」

俺は水筒の水を何口か飲んでぶつぶつと呟く。

頭が良い奴は普段の生活の中でも記憶力がいいらしい。俺はそういうの全く学習しないタイプだから少し羨ましいなと思ってしまった。

そして水を飲み終え水筒を返しそうと立ち上がった時。大きく目眩がして思わずよろけた。

「…っと、陽向?大丈夫?」

「っご、ごめん。多分疲れてるだけだから、大丈夫」

さっきまではリレーの順番待ちや走っていたから
気が付かなかったけれど、何となく頭が痛い。

でも普段から自分のとこで心配させているのに
これ以上は迷惑かけたくないと思い、言うのを止める。

「…本当ありがと、二回目頑張ってくる」

多分大丈夫。そう自分に言い聞かせて
二回目に走る、奇数のレーンに並んだ。

「…っごめん、頼んだよ…っ」

二回目の時は前から二番目についていて相手は少し遠くの方を走っていた。ぎりぎり抜かせるかどうかの微妙なラインだった。

俺は一か八かで全速力で相手に詰め寄る。

どうやら相手はそろそろスタミナ切れのよう
だったらしく、追い越せる位置まで
簡単に辿り着くことが出来た。

しかし、さっきの目眩がまた俺を襲う。

その反動で体制を崩し、両膝から大きく転んでしまった。痛くて本当は動きたくなかったけれど、リレーを繋げるために素早く立ち上がる。

「…っはあ…はあっ…はっ…」

「園崎どんまい、怪我大丈夫か?」

さっき一回目のバトンを渡してくれたクラスメイトの渡辺くんが俺の様子を確認しにやってくる。

「あぁ…全然!痛いけどまぁ大丈夫だろ!」

俺はそう言って自分の膝を見る。
しかしその膝には脛を伝うほど血が溢れ、もう見ていられないほど酷い状態だった。

「お前それ大丈夫なの…?器大きすぎて引くわ〜」

「なんでだよ、ほんとに引くなよ…!?いま保健行ってくるから!!」

俺はそれを都合よく利用して目の前を離れる。
呼吸が、少し荒くなった。

保健に着くと、電気は消えていて
壁に立て付けられているホワイトボードには
『職員室に居ます』というマグネットが貼られていた。

それを無視して保健室の扉を開けると何となく落ち着く優しい香りが鼻を掠めた。多分、柔軟剤の香りだろう。

「布団洗濯でもしたかな…」

俺はそう呟きながら、机の上に置いてあったティッシュで膝を見ないように拭き取る。それでも微かに手が震えてしまう。

ふとした時フラッシュバックしそうになる
あの光景が、忘れられない。

息をするのが苦しくなって前にかがみ込む。
耳鳴りが酷い。冷や汗が止まらない。

ーー両親が、

「陽向!!怪我したんだって!?大丈夫!?」

そんな俺の思考を中断させたのは、暖かくて優しくてどこか爽やかな春風のような声。

目線をあげると、そこには心配したように
顔を歪ませた青葉が立っていた。

まだ俺よりも呼吸が荒く、首筋に汗が流れているが、目の前までやってくると俺を優しく抱きしめた。

「…心配しなくていいよ、大丈夫。見なくていいから」

そう言って俺の膝に手を当てる。
自分の手も青葉の体温で一緒に温められる。

そこで初めて俺は指先が冷たくなっていることに気がついた。赤ちゃんをあやすように背中をとんとんされ、徐々に息苦しさが無くなっていくのを感じる。

「…ごめん、心配させて。大丈夫、だから」

俺は青葉の手をそれとなく振り払って
膝の傷にティッシュを擦りつけた。

「っ陽向だめ、また痛くなるよ?」

自分の膝を見ると止血しかけていたのに
また滲んでくるが映った。

痛みより、思わず吐き気が押し寄せる。

「…うっ…ごほっ…げほ…っ」

直ぐに青葉が俺の背中をさすった。
俺は吐き気と手の震えで、もう抵抗する気も無かった。

「ほら、陽向は血苦手なんだから。手当ては僕がする」

そう言って赤くなったティッシュを俺の手から奪い取り、新しいティッシュで傷口を塞いだ。

すると消毒液や絆創膏を迷いもなく取ってきて、俺の手当を始める。凄い手際だった。

「ちょっと滲みたらごめんね」

そう言っていつの間にか
消毒液を染み込ませたガーゼで優しく傷口を拭く。

「った…お前、こういうの得意だったんだな。
昔はなんでも俺がやってた気がするのに」

「あははっ、そんな事もあったね。最近は、友達助けてたらいつの間にか…みたいな感じだけど」

青葉は爽やかな笑みを浮かべる。
中学の時まではあんなに弱虫だったのに。

高校に入ったらあっという間に人気者になっちゃって、こんなに器用になって、こんなにイケメンになりやがって、逆に置いてかれていきそうだ。

「ーたよ。…陽向、終わったよ?」

ふと気がつくと、青葉の心配そうな表情が目に映った。膝にはでっかい絆創膏が貼られていた。

「あぁ…ありがと。この絆創膏でけー、何年ぶりに付けんだろ」

そう言って立ち上がり
さっさと校庭に戻ろうと扉に手をかけた。

その時、手首にしっかりとした重みを感じる。
振り向くと青葉が手首を握っていたようだった。

「…体調悪かったりする?少し横になる?」

「…え、」

気づかれていたとは。
自然と掴まれた腕に力が入る。

自分でも具合が悪いことは無視していたのに。

いやでも、寝なくても平気だろう。
ただ少し目眩がするだけだし。

「んー、でも大丈夫かな。早く戻ろうぜ」

そう言って俺は扉を開けた。
きっと、大したことじゃないし。



ーーー

空は快晴。太陽は暖かくて、風邪は冷たい。
絶好の運動会日和だ。

俺の周りの女子たちは日焼け止めがどうのこうの言っていてなんだか忙しそうに見える。

俺は準備が終わり、教室から持ってきた自分の椅子に座った。ふと、隣にいるクラスメイトの櫻井さんに話しかけられる。

「園崎くんは日焼け止めいらない?」

そう言って日焼け止めを差し出してくれた。

「あー、俺は大丈夫。
塗った後ベタベタすんの好きじゃないんだよなー」

俺は背伸びをしながらそう答える。
申し訳ないなーとか思いながら櫻井さんの顔を見ると何故かびっくりしたように目を見開いていた。

「園崎くん、いつも日焼け止め塗ってないの…?」

「お、おう…好きじゃないからな…」

何故かものすごく圧を感じる…。