[叶汰side]

2023年3月25日

「中学そっつぎょーう!高校だって!実質大人じゃんね!」
「大人...ではないだろ」

 中学校の卒業式が終わり、俺【椎名 叶汰(しいな かなた)】は親友【芦見 悠里(あしみ ゆうり)】と肩を並べ帰路についていた。

 信号が赤に変わった瞬間『あ!』と悠里が手をピースの形に突き出してくる。

「なぁ叶汰!高校デビュー記念にさ、2人で動画撮らね?!」

 話題が180°変わった。さっきまでは『あとちょっとで高校だってよ...やばくね?』とか中身のない会話だったろ。

「...は?なんで」

 悠里は八重歯を見せ、待ってましたと言わんばかりの顔で語り出す。

「そりゃバズったら有名になるだろ?そんで彼女とか??出来ちゃったり!?そんでそんで〜...」

 身振り手振りが煩い上に声までデカい。そのまた上、会話のスピードも早い。

「ちょ、おい待て。お前急すぎ」
「えー叶汰乗り気じゃねぇの?」
「乗り気って言うか意味わかんねぇ...けどまぁどちらかと言えばそう。俺目立つの嫌だし」
「んー...叶汰顔はいいから女子たちにウケると思ったんだけどな」
「顔「は」ってなんだよ全部いいだろ」
「あはっ!それ自分で言わねぇって!」

 信号が青になる。

「ま、とりあえず俺はパスってことで」
「そ、っかぁ...じゃあ他のやつ誘おっかな」

「...」

(...は?)

 瞬間、俺は言葉を忘れ反射的に悠里の腕を掴んでいた。

「?!な、に...?」

(ダメだ)

 溢れそうな言葉を喉元で殺す。
 掴んだ腕に指が喰い込み指先が白くなっていく。

(...俺......なんで...)

 自身の手を見つめながらこの行為の理由を必死に探す。

「...叶汰?えっと、痛いんだけど...腕」
「ぁ、ごめ...!」

 パッと手を離す。
 2人の頭の中には俺に矢印の向いたはてなマークが浮かんでいた。
 その鬱陶しいマークを一気に潰すように頭を掻く。

「...あ"ーーーー...取り敢えず1人で撮ってみたら?その動画ってやつ」
「......」

「お前モテたいんだろ?じゃあ1人でモテモテになったら良くね?他の奴いらねぇだろ」

 __突然、両肩に衝撃が走った。

「か〜な〜た〜〜〜!」

 ガっと両肩を掴まれさっきの怪訝そうな眼差しとは裏腹にいつも通りの見慣れた瞳で覗き込まれていた。

「...え、なに」
「やっぱお前俺のことわかってんのな!1人でモテモテ!それだよ!」

 満足気に鳴らす指パッチンの音で場の空気が元に戻る。

 それからは、恋愛経験ゼロの男子2人が好みの女の子のタイプやベタなデートプランを熱く語り歩いた。


◇◆◇◆◇◆

[悠里side]

2024年2月22日

〈ねぇ待って?後ろに映ってる人めっちゃイケメンじゃない?〉
〈後ろ誰?!〉
〈皆メインより後ろに目いってておもろい笑〉
〈手前の子が好きだな〉
〈後ろの通りすがりくんの方がタイプ〜〉

 カッカッカッ...とスマホをタップする音が自室に木霊する。その速度が上がるにつれ、指の動きも雑になる。

「...」

 頭をクシャッと掻きながらベッドにスマホを叩きつけ自身もベッドに沈んだ。
 そして枕に頭を押し付け、

「だーーーっ!んだよみんな後ろ後ろって!どーー考えても俺がメインだろ!」

 叫んだ。
 俺は高校生になってから動画投稿を始めた。何かしらで有名になって彼女が出来たら良いなーというThe男子高校生って感じの甘っちょろい理由で。

 そしてさっき俺が見ていたのは音源に合わせて踊るといった動画のコメント欄なのだが...。

「なーにが《後ろの子の方がタイプです♡》だよ!おめぇの好み聞いてねぇんだよ!ばぁぁぁぁか!!」

 コメント主であろう女子の声真似をしながら悪態をつく。

(はーあ...でもこういうの圧倒的に俺が悪いんだろーな...むしろコイツが被害者っつーか、)

 動画に映り込んだ男子を見つめる。

(しかも...)

 しかも、この《後ろの子》っていう奴が全く知らない奴だったら俺もこんな自己語りコメントに突っかかってない。

(なんでよりによってアイツなんだよ...)

 椎名 叶汰。俺に1人で動画投稿してみたら?と勧めてきた親友だ。お前ダンス出来るし踊ってみたとか良いんじゃね?ってアドバイスくれたのもコイツ。

 ついさっきベッドに投げつけたスマホを掴み、LINEを開く。そして次々と浮かんでくる雑な暴言を勢いのまま叶汰に送信して再びベッドに倒れ込んだ。


◇◆◇◆◇◆


[叶汰side]

「お、あいつ今日も動画上がってんじゃん」

 俺のいつもの日課。それは親友【芦見 悠里】の動画を見ること。

(今日はダンス動画か)

 悠里の軽やかなステップは何度見ても飽きない。楽しそうに踊っている様子を見ていたら自然と口元が緩む。

(...って、え?これ......)

 緩んでいた口元が逆再生のように水平に戻っていった。
 動画を見ていると、真ん中で踊っている悠里の後ろを身に覚えのある...いや、『俺』が横切った。

「俺じゃん...」

(これ...確か迷子になって彷徨ってた時の...)

 画面の中では、悠里が軽やかにステップを踏んでいる中、俺はその後ろでスマホを見ながらキョロキョロとダサいステップを踏んでいた。

(わーーー...俺マヌケすぎだろ...)

 もう歩き慣れてないとこ歩かねぇようにしよ...と自分に釘を打つ。

 ふと、中学の卒業式で悠里に動画を撮ろうと誘われた日がフラッシュバックした。

__『なぁ叶汰!高校デビュー記念にさ、2人で動画撮らね?!』

(これは...2人で撮れた...ってことになるのか?)

 ベッドに横たわり、動画にそっといいねボタンを押す。
 直後、LINEの通知音が鳴った。

〜LINE♪

 確認しようとすると次々に通知が入ってくる。

《お前まじ》00:47
《クソが》00:48
《ふざけんなカス》00:48
《おい》00:48
《明日覚えとけよ》00:48

「ん、うわなんだこれ。......てか語彙力...」

 語彙力を1ミリも感じない単語だけの文面に思わず吹き出してしまう。

既読00:49〈明日と言わず今からでも良いけど〉

《うるせぇ黙れ》00:49

「ふはっ...理不尽」

 雑な返しに笑みを零し、悠里の金髪によく似た犬のスタンプを適当に送り返す。

(何があったか知らねぇけど明日聞いてやるか)

 そのまま瞼を落とし眠りについた。


◇◆◇◆◇◆


2024年2月23日

「おはよ」

 いつもより荒く教室のドアを開けた悠里に挨拶をする。
 だが、その返事は貰えず黙ったまま俺の目の前に立ち止まった。そしてバンっと机に手をついてまじまじと目を細め見つめてくる。

「な、なに」
「...」
「あ、そういや昨日の『覚えとけよ』っての何だったんだよ」
「......」

(あ〜...思ったよりご機嫌斜めな感じ?)

「なぁ俺なんかした?」

 顔を覗き込むが、不機嫌と言うよりただただ俺の顔をボーっと見ているだけだった。
 「おーい」やら「なぁ」とか話しかけていると、やっと焦点が合う。

「.........イケメンだ」
「は?」

 開口一番、急に意味がわからないことを悠里が呟いた。

「えぇ...?ほんとどうしたお前...熱?」

 額に手を添えようとすると、『ちっげーーよ!』と言いながら机についていた手がズルズルと折りたたまれ、机に頭を伏せる姿勢になっていく。

「やーーー...ッ叶汰がイケメンの部類なのは知ってたけどさ〜〜!」

 傍から見れば褒められているのだろうけど今は俺がイケメンどうこうよりも朝っぱらからテンションがおかしい悠里のことが心配...いや、意味不明だ。

「はいはい...俺がイケメンなことは分かったから。何があったんだよ」

 項垂れた頭を(あ、ここ寝癖ある)と呑気に撫でていると、悠里はカバンからのそのそとスマホを取り出し昨日の動画を見せてきた。

「......これのコメント欄見てみ?」
「コメント欄?」

 そういえばいつも動画は見てもコメント欄までは見ていなかった。

「えーっと、?...《後ろのイケメン誰》《むしろ通りすがりの人にしか目がいかない》...なんだこれ...」

 画面をスライドしていっても俺の事を書き込んでいる人達が多い。あんま迷子になってる惨めな高校生を見ないで欲しい。

「えぇ...ほぼ俺のことじゃねぇか」

 困惑した声色で呟くと、撫でていた頭がバッと上に向き、吠えだした。

「そーーだよ!ひどくね?!俺がメインじゃんね!!」
「おま...声デケェ」

 教室内のクラスメイトの視線が刺さり、悠里の脇腹ら辺をド突くが中々止まらない。止まるどころか立ち上がってヒートアップしていく。

 軽く溜息をつき、席を立ち目線を合わせる。

「だーまーれ」

 持っていたシャーペンを置き、人差し指と中指を悠里の口の中に突っ込んだ。

「んぐっ?!?!」

(やっと止まった...)

 思いっきり指を噛まれたがこんくらい大したことないだろう。
 面白いくらいに抵抗が無くなったので、好奇心的な思いつきで指を動かしてみる。と、悠里の目が大きく見開かれ後ずさった。
 前の席が床をひこずる。

「...ッにすんだよバカ!口ん中突っ込まなくても良いだろ!」
「ごめんごめん。お前止まんねぇから」

 さっきまで突っ込んでいた手をヒラヒラさせながら謝る。悠里の目はそれを捕え、宙を舞っていた俺の腕を掴んできた。

「...ま、待て。血出てる」

 見ると、歯型に血が滲んでいた。

「あーこんくらいほっときゃすぐ治るだろ」
「や、でも...」

 悠里は明らかに罪悪感増し増しですみたいな表情になっていく。

 掴まれていた腕はスルスルと手首に持ち直され、引かれ、流れるような動作で自分の指が悠里の口内に再び入っていく。

(...は?)

「は、?!お前何やってんだよ...っ」
「だっへ、俺のへいだし...バンホーコー持っへへーから......」

「...」

 舐められている指先から舌の熱が伝達するように身体中に巡る。その熱と共に自分の中で理解できない感情が生まれ、渦巻く。その渦を無理やり伸ばすため、長いため息をついた。

「...ほんとばか」

 舐められていない方の手でこめかみを押さえる。

「もう大丈夫だから」

 指を口から抜き、手を洗いに教室を出た。
 後ろから『あ?おい』『叶汰...!』と声がするが『だいじょーぶだいじょーぶ』と宥めるように返事をした。


◇◆◇◆◇◆


 トイレの洗面所で手を洗う。

(こんくらいの傷で騒ぎすぎだっつーの...)

 手を洗い終わり顔を上げると、鏡の中の自分と目が合った。瞬間、

「は?」

 間抜けな声が漏れた。

(なんつー顔してんだ...)

 顔は仄かに赤らみ、自分でも初めて見る顔に鳥肌が立つ。

(......なんで...)

「...」

 再び渦を巻く感情に舌打ちで終止符を打ち、顔にバシャバシャと水を浴びせる。
 両手でパンっ!と頬を叩き、細く息を吐いて教室に戻った。


◇◆◇◆◇◆


 教室に着くと、真っ先に悠里が駆け寄って『さっきはごめんな〜...!』と顔の前で掌を合わせてきた。

「だーからその声もデケェんだよ。また指突っ込むぞ」
「な"っ...じゃあこっちも何回でも噛んでやるよ!」

 先程の鏡に映った光景が薄れていく。

「てかなんで傷舐めたんだよバカなのか」
「唾付けときゃ治るってよく言うだろ?それだ」

 自慢げに鼻を鳴らしているが、そんな自慢することでもないだろと微笑を浮かべる。

 突如、もたれかかっていた教室のドアが引かれ、バランスを崩す。


「ん?おい何ドア塞いでんだ。授業1分前だぞとっとと座れ」

 背後からよく響く重低音が教室内を巡回する。振り返ると1限目の国語の先生と目が合った。
 生徒たちは適当に返事をしながら各々の席に着席していく。俺と悠里は1番後ろの隣同士なので駄べりながら席まで移動した。



「んじゃ、授業やってくぞー。教科書の85ページ開けー」

(あ...やべ。教科書忘れた)

「じゃあ端から音読してってくれ」

(うわ...よりによって音読かよ...)

 音読以外だったら適当にボーッとしとけば終わるのだがどうやらそれは出来ないらしい。
 横を見ると、物言いたげな顔で悠里がニヤニヤしていた。

「...もしかして教科書忘れた感じ?」
「あぁ。見せてくれ頼む」

 片手で『すまん』とジェスチャーすると、『見るならこっちの方が見やすいだろ』と机を合体してくれた。

「まじ?さんきゅ」
「今日なんか奢れよ」
「はいはい」
「よっしゃ!じゃあ今日そのまま俺ん家来ねぇ?」

 んじゃお邪魔しよっかな。と返そうとした時、先生と再び目が合った。

「おいそこ。なんで机くっつけてんだ」
「あ、すんません俺が教科書忘れたんで」
「...今日は椎名の方が忘れたのか?珍しいな。明日は持ってこいよ」

 先生は黒板に文字を書きながら受け流し、音読を再開させた。

「はい」

 先生に返事をし、さっきの悠里の質問にも返事をする。

「じゃあ放課後お前ん家ってことで」
「りょーかい!」

 八重歯がチラリと覗き、人懐っこい笑みで親指を立てている。それにひどく目を奪われた。

「...かわいい」

 表情筋が操られたかのようにポロリと口から零れていた。

(あ、)

「は?」

 悠里の眉毛がピクりと動き、何言ってんだコイツという顔に変わる。ころころ表情が変わるのが面白くて笑ってしまう。

「いや、前から思ってたけど悠里って顔幼いよな」
「あ?」
「...態度も幼いし」
「お前それ貶してるだろ!」
「...?なんでそうなるんだよ」
「可愛いって言葉求めてねぇんだよ」
「...かわいい 」
「おっ...まえ...それ叶汰にとっちゃ褒めてるつもりだろうけど全っ然褒めてねぇからな」

 机に影が射す。
 小声で喋っていて気づかなかったが、先生が目の前に立っていた。

「うるせぇ。お前ら授業中イチャつくなー。カップルじゃねぇんだから」

 丸めた教科書で軽く俺たちの頭をポンっと叩かれた。

「いて...じゃあカップルだったらいーの?」
「ダメだ。黙って授業受けろ」

 生徒のおちゃらけをズバッと切って先生は授業に戻る。

(......カップル)

 その言葉が嫌に引っかかり、思考回路にモヤを発生させた。

「...」
「おいどうした...?もしかして体調悪い?」

 心配そうに見つめてくる瞳と視線が交わった瞬間、モヤが濃くなった気がする。

「ぁ、いや、......てか帰りどこ寄る?奢るから」

 モヤを無理やり晴らし、会話に戻す。
 しかし問いの答えは帰って来ず、大きな瞳が細められた。

「...なぁ叶汰、最近ボーッとしてること多くね?」
「...」
「なんかあったら言えよな!俺ら親友だろ」
「...そう、だな。...」

 しばらく考え込み、ふと疑問が浮かぶ。

「...悠里の中でさ、友達とカップルの違いってなんだと思う?」
「へ?」
「どう思う?」
「んーーー?急に何...え、もしかして好きなやつとかできた?!」
「...はよ教えろ」

 俺の目線がよっぽど真剣だったのか揶揄う気満々だった目が閉じられていき、そのまま考え込むように唸り始めた。

「うーーん...やっぱデートとか?あとー、キスとか...それ以上したいって思えるとかじゃね?」

 割とそれっぽい答えが返ってきた。

「なるほど」

(キスか...)

 俺が納得していると、悠里が目をキラつかせながら元から近い距離を更に詰めてきた。

「んで?なんでそんな質問してきたんだよ!恋愛相談なら任せな〜?」
「あーそういうのじゃなくて普通にどうなんだって思っただけだから」

 目を合わせず答えると心底面白くなさそうな顔をされた。

「...お前おもんね〜〜恋愛の1つや2つしろよなー」
「2つしたら浮気だろ」
「あーもううるせぇな!じゃあ1つで良いよ!」
「そういう悠里はしてるのか?恋愛ってやつ」

 痛いところを突かれたような『う"っ...』という呻き声が上がる。

「してねぇよ...っ!悲しくなるからやめろ!」
「......そう...そうか」

(してないのか...)

 安堵の声が漏れ、口角が緩む。

「だーー!おい笑うなお前も彼女いないんだから!」


 教科書を見せてもらうためにくっ付けた机だが、教科書に目を落とさないまま授業終わりのチャイムが鳴り響いた。

「はい。んじゃ今日はここまでな」

 先生が教材をまとめ、服に着いたチョークの粉を払い教室を出た...かと思いきや足を止め悠里のことを指さした。

「あと芦見!放課後追試だからな。ちゃんと来いよ」

 横から何かを思い出したような息を吸う音が聞こえた。

「あー...完全に忘れてた...」
「悠里赤点取ってたんだな。で?何点だったんだよ」
「21...」
「は?ひっく...」
「うるせぇ...」

 項垂れている悠里の頭を撫でる。

「んわーーーーー嫌すぎる萎えてきた......」

 しばらく唸っていると、『つか!』と顔を上げた。

「今日お前に奢らせる気満々だったのに!くっそ〜...」
「あー、...それなら俺図書委員で1時間くらい残るから教室迎え行くぞ」

「まじ...!?んじゃ迎えに来てくれよなダ〜リン♡」
「...はいはい。お前の大事な大事なダーリンが迎えに行ってあげますよ」

「あはっ!気色悪ぃ〜!絶っ対先帰んなよ!」
「......あぁ。ちゃんと行く」

 元から整っている教科書の端を意味もなく整え、俺は教室を移動した。


(気色悪ぃ...か)



◇◆◇◆◇◆


 本の匂いの中に柔らかく夕日が差し込む。

「本棚の整理ほんとにありがとね!私が1人でやろうとしたんだけど量が多すぎて...放課後にごめんね?」

 先生は細い眉を下げながら謝ってくる。頭を下げる度にふわりとしたボブくらいの髪が揺れている。

「いえ、本の整理は楽しいんで大丈夫ですよ」
「...う、良い生徒すぎて嬉しい...。でも全然断って良いからね!ほんと暇な時だけで良いからね!」

 先生のお人好しさに微笑む。

「俺が好きでやってるんで...また頼ってください」
「ん〜優しさが染みるよ...。じゃあ今日はもう遅いから帰りな?」
「はい。そうします。お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様〜!」

 わざわざ抱えていた本を置いて手を振って見送ってくれた。
 軽く頭を下げ図書室の扉を閉める。

(思ったより時間かかったな...ああいう作業無心でできるからいつの間にか時間経ってんだよなー...)

 通りすがりの教室内の時計を見ると17時を回っていた。校舎には部活帰りの生徒と複数すれ違うくらいになっていた。


◇◆◇◆◇◆


 悠里が追試を受けている教室に着く。
 ドアを開けると、悠里はカーディガンを羽織り1番前の席で突っ伏していた。

「おい帰るぞ」

 顔を覆っていた髪の毛を耳にかける。

(うわ...爆睡じゃん)

「......」

(無防備...)

 穏やかな動作と反比例するように鼓動が加速する。
 腰を少しかがませ、その顔に引き込まれるように至近距離になっていく。

__『キスとか...それ以上したいって思えるとかじゃね?』

「   」

 時間を刻む音と、窓から流れ込んでくる日常の風だけだった空間に軽やかなリップ音が鳴った。

「...」

(.........まじか)

 口元を抑え、親指で唇のシワを一つ一つ伸ばすようになぞる。
 端までなぞり終え、親友に行う行為ではないことをしてしまった自分に吐き気が襲いかかる。

「気色悪ぃ...っ」

 低く吐き捨て、高鳴った鼓動を抑えるために長く息を吐く。


 何分経っただろうか。空は先程よりも赤みが増し、カラスの声が重なっている。
 目を閉じ、短く息を吐く。

「悠里。起きろ」

 肩を揺すると、『ん"ん...』と眉をしかめゆっくりと瞼が上がっていく。

「おはよ」

 悠里は目が合うとすぐに目を逸らして時計を見た。

「...え、は?...俺めっちゃ寝てたくね?もう夜じゃん」
「夜ではねぇだろ。夕方な?」

 窓から差し込む夕日が教室内を包み込んでいる。

「てか俺が起きるまで待ってた感じ?」
「や、まぁ...そんな感じ」
「ふーーーん...つかさ、」

 寝ぼけているのか、おぼつかない動作でそっと頬に手が添えられた。

「叶汰、顔赤くね?」

「......そうか?」

 目が合わせられず胸元ら辺を見つめる。

「...」
「熱?」

 悠里はカーディガンを着直し、席を立っていく。目線が同じになった悠里を見て俺は目を見張った。
 やけに熱っぽく、耳まで赤くなっていたのだ。

「...悠里も熱あんじゃね?顔赤いぞ」

 指摘すると、悠里は目を見開きビシッと外を指さした。その指先を追う。

「今、夕方だって叶汰が言っただろ」

 空は鮮やかなオレンジ色に染まりきっており納得する。

「...あっか〜」

 思わず見とれていると、背後で教室のドアが開かれる音が鳴った。

「置いてくぞ」

 廊下からゆっくりとしたテンポで足音が遠ざかっていく。それを追うように小走りで追いかけた。


◇◆◇◆◇◆


 何かを奢ると約束した通り、コンビニでパピコを奢った。
 悠里はその封を空け、中身を取り出す。そして小さい蓋の部分を切り取り『ほい、半分な』と悪戯顔で渡してきた。『お前ガキかよ...』とド突くとごめんごめんと笑いながらきちんと半分寄越してくれた。

「いや〜やっぱ人の金で食うアイスはうめぇな!」
「お前言ってることクズだぞ」
「ひっでぇ!今日教科書忘れたバカにクズって言われたかねぇよ」
「今それ関係ねぇだろ黙って奢られとけ」
「んー」

 アイスを口だけで支えながら適当な返事が返ってくる。

「あ、あと...もう遅いし俺ん家で晩飯食えよ」

「......あー、」

 液体になった甘いコーヒー味を舌で転がす。

「いや、いいよ。お前の親にも悪いし」

「.........今日親いない。俺が適当に作るから」

「悠里って料理できたんだ。...めっちゃ意外」

 中学から一緒だったのに今更知る情報があることに淀んだ感情がひと針ひと針縫うように入り込んでくる。

「はぁ?俺だって料理くらいするだろ!叶汰と違って」

(できるだけいつも通りに...)

 そう意識する度、纏わりついているモヤに上書きされていく。

「ははっ...ろくでもねぇもん出てきそ」
「おま...!作ったもんが美味そうでも食うなよ!」
「冗談じょーだん。不味そうでも食うから」
「...そうかよ......」

 足音が揃わない不規則なリズムを刻みながら俺たちは悠里の家に向かった。


◇◆◇◆◇◆


「お邪魔しまーす」
「ん。どーぞ」

 ドアを開けると暖かい空気に体を包まれた。

(...?)

 靴を整えようと屈むと違和感を感じた。複数の靴があるのだ。

「...なぁ、今日親居ないんじゃねぇの?」

「あれ、嘘」

 悠里は抑揚のない声で言い放って先々行ってしまった。

「は?嘘って...なんで」

 疑問符が浮かんだまま後を追う。

「悠里おかえり〜!」
「ただいま〜。母さん今日叶汰来てるから」
「あ!叶汰くんもおかえり...は違うか...いらっしゃい!」

 リビングから親子の会話が聞こえ、悠里の母さんはお玉を持ったまま屈託のない笑顔で迎えてくれた。

「...あ、お邪魔します...」

 呆然と突っ立っていたら悠里に腕を引かれた。

「な、おい...」

(...?腕、震えてる...)

 悠里の震えている指先が僅かに腕に喰い込む。

「いいから来い」

 されるがまま2階へ上がり悠里の自室に招かれる。俺が中に入った途端、うるさいくらいの勢いでドアが閉められた。

「...なぁお前なんか変だぞどうし『叶汰って!』

 悠里はバッと顔を上げ、眉が下がり困惑しきった顔で俺のことを見つめていた。

「叶汰って俺のこと好きなのか...?!」

「は.........??」

 切羽詰まった表情で聞いてくる。

(好き...まぁ実際家にも来てる仲だし)

「あぁ。...好きだけど」

 しばらくの間が空く。悠里は更に眉を下げる。いよいよ泣きそうだ。

「......ゃ、そういうんじゃなくて...」

 普段物事をズバズバ言うタイプの悠里が口ごもっている姿はレアだ。
 まじまじと見つめていると、見るなと言わんばかりに悠里の掌が俺の目を覆った。

「恋愛的に...って意味...」

 視界は塞がれたが、悠里の声は少し掠れ、震えている。

(恋愛...的。)

 その言葉を正しく理解する為に数回頭の中で反芻する。

「叶汰、学校でさ...俺にキスしたじゃん...?」
「...っ」
「だから、そうかな〜...って」

 全身から汗が滲む。

「悠里、起きてたんだな」

「...」

 会話は続かず心地の悪い沈黙が流れる。
 いつの間にか視界を覆っていた悠里の掌は力無く垂れ下がっていた。

 その脱力しきった手が強く握り締められる。

「だーーーーっ!!!」
「うわうるせっ...」

 悠里は文字通り破るくらいの声量で沈黙を破った。
 そして一息つき、声量の割に覚悟が決まりきっていないような声色でぽつりぽつりと語り出す。

「叶汰がさ、キスした時俺起きてて」

 一言一言の間に息を吸う音が聞こえる。

「...あん時なんで寝たフリなんかしたか自分でも分かんねぇんだよ...!」

「でも!嫌じゃなかった」

「親友にキスされて、嫌じゃなくて...」

 そこで言葉を切り、縋り付くように俺の胸元に顔を埋めた。

「もう自分でも自分が分かんねぇ......」

 喉が締まったような、蚊よりもか細い声で告げられた。

 自分の胸に弱々しく縋っている悠里を見ていると、ずっと蓄積されたモヤが溶けていく。
 顔を見たくて、そっと悠里の身体を剥がした。

(あー...なるほどな)

「悠里」

 名前を呼ぶ声が自分でも引くくらい甘い。
 悠里は何かを言おうとしているのか口をワナワナさせていた。
 その姿が可愛くて、

「っ...?!?!」

 抱きしめていた。

「悠里、可愛い」
「あぁ?!なッんだよ気持ちわりぃな!」
「ごめん。思ったより好きで...自分でもびっくりしてる」
「...っ」
「あ、もちろん恋愛的にって意味で」

 悠里の顔がみるみる赤く染まっていく。それが自分の顔が歪むくらい愛おしくて、どれだけの感情を抱えていたかやっと自覚した。

「そっか...俺悠里のことめっっっちゃ好きだわ。確かに悠里が他の奴と仲良くしてるとイラつくし『...は?』悠里が女子と喋ってて笑ったりしてたらデレデレしてんなよバカがって思うし『ちょ、』他の奴に悠里の色んな顔見せて欲しくないし『待っ』てか俺にだけ見せて欲しいって言うか『だ、だま』

 両肩を押され、2人してベッドに倒れ込む。

「黙れ!!!」

 荒々しい声とは裏腹に、ちゅっ。と部屋に可愛らしいリップ音が鳴った。

「っ...」

(......柔らか...)

 ゆっくりと唇が離れる。

 頭上には頬を染め、薄らと涙が張った瞳で悠里が見つめていた。

「お前ばっか語ってんじゃねぇよばぁぁか!!」

 所々裏返った大声で無理やり笑おうとしているのが分かるくらいにぎこちなく笑っている。

「んはっ!てか叶汰の間抜け面久々に見たかも!激レアSSR〜!」

 本人は上手く誤魔化せている気満々だが、明らかに顔が赤い。
 今は夕日のせいにも出来ないのに。

「俺も悠里のそんな顔初めて見た。すごい、かわいい」

 もう一度啄むようなキスをする。
 お互いの髪が混ざり合い、息も不規則に交差する。

「...叶汰ってキス魔だったんだな」
「そうらしい。悠里のおかげで気づいた」
「お前さぁ...自分で恥ずいこと言ってんの分かってねぇの?」
「本心だけど」
「うわ...無自覚こわ」

 甘ったるくて胃もたれしそうな空気が訪れる。

 『あのさ、』と悠里が口を開いた。

「俺、女の子好きじゃん?」
「あ?」

 思っていた会話の切り出しではなくて低い声が漏れた。

「顔こえーよ...。...んで、ずっと彼女欲しいっつって動画も撮り始めただろ?」
「...あぁ」

「でも俺、女の子にこだわりとかなくて...多分誰かからの特別な感情ってのに憧れてたんかなーって、叶汰にキスされて思ったって言うか...」
「...」

「正直、叶汰のこと好きかどうかまだ分かんねぇ」

 萎れた子犬みたいな顔をする悠里に、ちょっとした好奇心がフツフツと湧いてくる。

「...悠里、1回好きって言って貰えるか?」

「は?」
「好きって言って貰えるか?」
「いや聞こえてるって...は?なに...なんで」
「聞きたい」

 悠里は目線を漂わせながら顔を顰めたり口を開閉させたりしている。

「............1回しか言わねぇからな」

 瞬間、胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。

「好きだ」

 ぶっきらぼうな言動だがそれが無性に嬉しくて言葉が出なかった。

「...おいなんか言えよ」
「あ、すまん...ありがとう」

「どーいたしまして...?...でもイマイチしっくり来ないって言うか...まじで好きなんか分かんねぇ」
「でも悠里からキスしてくれたじゃん」

「あれは勢いだけで...」

(...勢いだけだったのか)

 悠里が心配になってくる。俺以外でもこんなチョロいのだろうか。言い寄られたら見境なくキスするんじゃないか。

「あのさ...悠里、お前中野と仲良いだろ?」
「ん?うん」

 思いつきで試したいことがあり、悠里の友達である中野を話題に出す。

「中野とキスできるか?」
「は??」

 悠里は何言ってんだこいつと表情で訴えてくる。そして考え込み、

「...ぶっはは!!中野と?!くっ...ふふ...想像できねーっ!」

 盛大に吹き出した。
 俺は 『ひー...っ』と目に涙を浮かべている悠里の視界に入り込む。

「じゃあ俺は?」

 笑っている余韻で思考回路が働いていないのか、『ごめっ...もっかい言って』と人差し指を立てる。
 悠里の涙を親指で拭いながらその要望に答える。

「じゃあ、俺は?」

 段々悠里の笑い声が止み、微かに俯いた。

「...いや、想像って言うか...もうしたじゃん」

 その言葉に頬を緩ます。

「なるほど、おっけ」

(一応誰でも良いって訳じゃないんだな)

 1人で満足していると、『...は?なにがおっけーなんだよ!何?!何が聞きたかったんだよマジで!』と騒がれた。

「悠里チョロいから『あ?』俺以外でもキスされたらその気になっちゃうのかなーっていう実験?的なやつ」
「...んー、...な、るほど...?」

 納得しきれていない曖昧な返事が返ってくる。

「ようするに、」

 ポンっ。と柔らかい金髪を撫でる。

「まだ好きって分かんなくて大丈夫ってこと」
「...え、でもそれって色々とダメじゃね?」
「大丈夫。お前が言ってくれた好きってやつ本心にするから」
「うっわー...言ってることはず〜...」

 俺より恥ずかしがっている悠里に思わず『ふはっ』と笑ってしまう。

「悠里」

 向き合う姿勢になり、視線が絡み合う。

「俺と付き合ってくれないか」

「...」

 ほんの数秒の沈黙だが、やけに長く感じる。
 悠里のぽかんと開いていた口がキュッと結ばれ弧を描いていく。

「おう!!たーんと養ってくれよ?ダ〜リン♡」

 悠里らしい返答に顔が緩む。
 幸せすぎて苦しい。この幸せを分かち合うように悠里を抱きしめた。

「あぁ。最高のダーリンが養ってやるよ」

 抱きしめた腕に更に力を込める。


◇◆◇◆◇◆


「あ!」

 部屋でのんびりしていると、寝転んでいた悠里が勢い良く起き上がった。

「うわ急にデケェ声出すなよ」
「ごめんごめん...」

 胡座をかいていた俺の目の前にスマホを突き出す。

「付き合った記念でさ、動画撮らね?」
「え、何、なんで」
「いやーこういうのやってみたくて...数年後とか見たら絶対おもろいって!」

(数年後...)

「...撮った動画、投稿すんの?」

 悠里は優しくはにかみ、首を横に振る。

「いや、これは俺らだけの動画!叶汰、目立つの嫌だろ?俺も知らねぇ奴に見せたくねぇし」

 突き出されていたスマホを改めて見ると、いつの間にかカメラアプリが開かれていた。

「もう撮る気満々じゃねぇか」
「ダメか...?」

「ダメ...じゃねぇけど、」
「よっしゃ!それ肯定ってことだよな?」
「あ、ちょ」

 悠里は満足気に肩を組んで動画を回し始めた。しょーがねぇなと言いながら満更でもない自分に呆れる。

 俺の横では動画慣れした悠里が早速話し出していた。

「今日!えーっと...2月23日!俺の部屋で叶汰にー...__」

 動画が回っている中、俺は満面の笑みで語る悠里にしかピントが合わなかった。