葬儀の代理出席の多くは、参加出来ない人に代わって香典を出しに行く程度の簡単な仕事だ。
 しかし今回は少し事情が違った。
 夕方、斎場に着くと周囲には異様な空気が漂っていた。桜の花弁が舞い散る遊歩道を歩いているのに、その花びらを雪と錯覚するほどだ。
 朔良が感じた居心地の悪さは、代行会社から借りたサイズの合わない喪服のせいだと思っていた。肩の位置が二センチくらい落ちているし、気になる人は思わず見てしまうだろうが、探るような視線を集める原因は、そこではなかったらしい。

 斎場の前には葬儀に相応しくないラフな格好の人間が大勢立っていた。
 最初、公園の入り口でカメラマンを数名見たときは、近くの公園でスポーツ大会でもあったのだろう思っていた。
 朔良が視線を振り切り、斎場に入った途端、まるで獲物を狙うハイエナのような嫌らしい視線を感じた。
 この斎場は五年ほど前に完成した比較的新しい大型の施設だった。待合ロビーは全面ガラス張りの吹き抜け。エントランスを抜けると窓側に美しい意匠の椅子と机、ソファーが整然と並べられている。
 葬儀場というよりは、外観は美術館のような佇まいをしていた。

(え、なに、ごと)

 生気を奪うような視線を一身に浴び、不快さに思わず眉を顰めていた。彼らの取材対象が、スポーツ大会なんかではなく、この斎場の関係者だと分かった。
 朔良は近くのソファーに流れるように座り込み、故人の名前をネットで調べた。
 仮にもサクラのバイトだ。演技する役について事前に調べてくるべきだったが、急に頼まれた仕事でおざなりにしてしまった。名前を調べたあとに、会社からスマホに届いているオーダーシートを開いた。
(なる、ほど。そういうことか)
 難しい役だから、大根じゃダメ、そう言われた意味を理解した。
 朔良は葬儀の代理出席を今日まで数回経験しているが、いずれも八十を越えた、お年寄りばかりだった。身内の葬儀も同じで離婚している父方の祖母だけ。年齢も百歳近かったので、葬儀で泣いた経験がない。
 調べて分かったのは亡くなった「彼」が自分と同じ年頃の男の子だということ。詳しい事情は伏せられているものの、不幸な経緯で亡くなったのは容易に想像できた。
 ――アイドルを目指していた男子高校生、月山翠。謎の神隠し真相に迫る!

 下世話な記事を目にするだけで思わず吐き気がした。数年後、遺体が見つかった経緯は分からない。ASKETのライブの日に失踪したバックダンサーと書いていた。
 分かったのは、それだけ。けれど、その情報だけで十分だった。
 朔良が今日演じるのは、故人の友人役。
 依頼者は母親。同じ年頃の子に息子を送ってもらいたいから、と。オーダーシートには書いてある。
 スマートフォンから顔を上げ、高い天井を仰ぎ見た。役は分かったが、依頼された経緯は理解できない。それは自分が依頼者と同じ母親の立場で物事を見れないからだ。
 だから故人と同じ気持ちになる。
 見ず知らずの他人に来られたところで故人は少しも嬉しくない。
 それでも朔良がこの場にいることで、家族の心が救われるのなら朔良の嘘にも多少の意味はある気がした。誰かを救うための嘘なら、それは、いい嘘で人助けだから。
 ただ現実は、家族が憂いた「寂しい葬儀」と様相が異なっている。
 当時のネットの記事に名前があったアイドルグループ、ASKETの文字。
 現在人気絶頂のアイドルグループと関係のあった人間だ。ハイエナのようなメディアが嗅ぎつけて取材にくる可能性はあった。
 現に外には複数のメディアが集まっている。
 この建物のように静かで優しい空気の中、家族と友人たちで最後の時間を送る予定だったのに、悪い意味で斎場は騒がしくなっていた。
 家族が心配すべきだったのは誰も来ない可能性ではなく、招かれざる客がやってくる可能性だった。

「もしかして、メンバーの誰かが来る、とか」
 朔良は灰色の大理石の床に向けて、ぽつりと一人ごちていた。
 ASKETのメンバー五人、あるいは何人かが、葬儀に参列する。
 別に不思議なことではない。養成所からのデビューなら、同じようにデビューを目指し、切磋琢磨した親しい仲の可能性はある。ただ、寂しいが今日、彼らはここへ来ないだろう。マスコミが殺到しているなら尚更、行きたくても行けない。それが芸能人だ。

 ――会いたい人に、会いた時に会えないんだから。辞めるまで。
 昔、母親が、そう言っていたのを思い出しながら、手持ち無沙汰にスマホを触っていると、一瞬で自身を取り巻く空気の密度が高くなるような感覚を覚えた。
 エントランスの自動ドアが開いた瞬間、カメラのフラッシュの音が鳴り響き、目に映る景色がスローモーションのように見えた。
 入ってきたのは、喪服に身を包んだ、ASKETのリーダー、アサトと。里村夏生――ナツ、だった。
 朔良は椅子に座ったまま、微動だにせずメンバーを視線で追っていた。

「――ナツ、なんで」

 三年前、演劇のワークショップで役が自分の中に降りてくる感覚について話を聞いた。
 与えられた役が自分の内側でまざまざと生きているように感じる。オセロの裏と表のように人が切り替わる。
 朔良は、それをこの場で初めて経験した。押し寄せる感情の洪水を制御できなかった。その瞬間は自分が自分じゃなくなっていた。
 思わず両手で口元を手で覆っていた。この場で朔良は『月山翠』の友人だ。
 ――もう翠のことなんて、ASKETのメンバー達は忘れていると思った。もし覚えていても、一般人の葬儀に参列したりしない。
 そう、降りてきた役に思わされていた。

「あり、が……と」

 彼らと視線が合った瞬間、溢れてきた気持ちと共にお礼を口にしていた。朔良に仕事を依頼した母親も同じように思ったのだろう。会場受付で彼らの姿を見つけ駆け寄り、何度も何度もお礼を言っていた。