花本朔良はアイドルが好き。
でも、同時にアイドルに夢なんて持っていない。朔良の思う「好き」は嗜好品としての好きだ。
魚より肉、コーヒーより、紅茶。
あと、女の子じゃなくて、男の子が好きだ。
(あぁ、コレは、違う)
自分がゲイだと気づいたのは、中学生の頃だった。
クローゼットゲイなのに男の趣味は派手な人。そんな救いようのないゲイだったから、二十二まで恋人が出来た試しはない。それもこれも育った環境のせいで、人に対する美の基準が厳しくなってしまった。朔良の周りには、いつだって見目麗しい男女ばかりいる。
「えーっ! 花本くん。X建設の就職、蹴ったの。嘘、なんで将来安泰なのに」
同級生女子の驚愕の声に、大学四年で培った人から好かれる笑みを作った。この場の十人は、今日限りで会うことがなくなる大学の演劇サークルのメンバーだ。
誰に嫌われようと、好かれようと構わない。それでも朔良は飲み会での付き合いを人並みにこなしていた。
「なんとなく、かな」
居酒屋の天井のスピーカーからは、ヒットソングがループで流れ、さっきまで周囲の座敷からは絶えず会話が聞こえていた。それなのに、目の前の女の子が叫んだタイミングで周囲の全ての音が途切れた。
自分を含め、みんなカラフルな袴や黒スーツを着ている。ただでさえ賑やかで目立つ格好の集団だったのが災いした。
(なんで、今、静かになるんだよ!)
半径五メートルの人間全員に「大手ゼネコンを蹴った変わり者」という情報が共有されてしまった。
朔良は大学の卒業式が終わった後にサークルの飲み会に誘われた。特に断る理由もなかったので二つ返事で参加したが、どうやら間違いだったらしい。意識的に話題の外に居たのに、流れで酒の肴になってしまった。
「朔良の実家太いし、食いっぱぐれることないからじゃね?」
「え、そうなの? 全然知らなかった。花本くんって、いいとこのお坊ちゃんなんだぁ。そういえば、いつも綺麗めな服着てたよね」
サークルでは、いつもジャージ着ていたけど。と心の中で返事しておいた。大学生のドレスコードは守っていたし、そもそも服にそれほどこだわりがない。友人と同じ服を着ていれば変に浮かないからと、同じような系統の服を選んで着ていた。今日まで変だと指摘されなかったので、溶け込んではいたのだろう。
「そうそう。こいつのマンション、一回飲み会で終電逃して泊めてもらったけど、ホテルみてーでさぁ、すげーんだよ」
「別に僕のじゃないけど。この年で親の持ち物を自分のものみたいに言うの痛いだろ。スネ夫じゃあるまいし」
「あと朔良のお母さんて、元アイドルだしさ――」
そう言いかけた友達の口を手で塞いだ。外で言うことじゃなかったと視線で謝られる。普段からノリがいいお調子者の友達。去年、善意から一度家に泊めた。口止めしたが、酒酔いで忘れてしまったらしい。
朔良の母親について根掘り葉掘り聞きたそうにしているサークル仲間に「昔だよ、今は、引退しているし。ただの一般人のオバさん」と、その話を無理やり終わらせた。
「ま、まぁ。けどさ、かじれる親の脛は齧っておけよ。就職蹴ったってことは、役者志望に決めたんだろう? なら尚更、金と時間に余裕ある方が有利だって夢追い人は、な」
バシバシとブラックスーツの肩を強く叩かれた。
「なんか言い方に悪意あるなぁ、もぉ」
「一般論だって、怒るなよ」
「怒ってないよ。明日から僕だけ職なしなんだから、ちょっとは優しくしてくれてもいいだろ」
「ごめんって! ま、飲め飲め」
軽い冗談に、学生らしい戯れあいで応える。――これがこの場で朔良に与えられた役柄だ。家がお金持ちで、母親が元アイドル。父親は中学生の頃に離婚して出ていった。
そういう家庭の事情がない、どこにでもいるタイプの量産型、大学生の役。
明日からは無職。
そういう特別は要らなかったと自分で自分に呆れていた。
「でも花本くんだけだよねー。うちで外部監督に役者として見込みあるって言われたの。自信持ったらいいよ、才能あるって! デビューしたら若手俳優と合コン設定してね!」
朔良は、それには乾いた笑いを返した。
大学四年間、演劇に打ち込み、勉強のために外のワークショップにも積極的に通っていた。
けれど、そのせいで血迷った。結果、何も手に入れず大学を卒業して新卒切符を捨ててしまった。
希望していた劇団の応募書類も机の中にしまったまま、締切まで提出出来なかった。もちろん完全に、朔良の自業自得だ。
「そういえば、うちの大学って、何気に芸能系のコネあるよね。女子アナよく出てるし。あと『神』もいるじゃん」
「あたし在学中、一度も会えなかった。『ASKET』のナツ。いいよねー。さっきも曲かかってたし」
彼女は店内のスピーカーをピンクのネイルの指で差した。
「メンバーでナツは顔だけって言われてるよね」
「顔、綺麗なの大事じゃん、それだけで全部許せるよ私!」
「――僕、一回だけ会ったことあるよ。里村夏生。一年のときの般教で」
「え、朔良なんで、ナツの本名知ってんの」
「な、何でって、出席票回したとき名前見たからだよ。一つ上の先輩」
朔良は慌てて、興味なさげに言い直した。油断すると『彼』の解像度が他の人より高いことがバレてしまう。
一言でいうならナツは朔良にとって『嗜好品』だった。好みの顔、好みの体、好みの声。
全部が完璧だった。
だから出会った日から四年間、彼の名前を忘れたことがない。今は朔良の最推しのアイドルだ。
「いいなぁ、学内で神と出会えたらなんか、いいことあるらしいじゃん」
「神話かよ」
「でもさーアイドルとして売れたし、もう大学は退学するんじゃないかな。――大学の留年って何年までだっけ?」
居酒屋で酒を傾けながら、朔良は過去の恥ずかしい感じの出会いを思い出していた。あれ以来一度も、校内でナツには出会っていない。
見ているのはメディアを通したアイドルの姿だけ。
きっと朔良のことなんて、彼はとうに忘れているだろうし、個人として認識もされていないはずだ。
朔良が最後まで劇団に願書を送れなかったのは、きっと芸能人の現実を知り過ぎているせいだ。
身内の件もあるが、ナツのファンで彼を神と崇めているせい。
「あ、そうだ、朔良ぁ。明日から予定ないならさ。いつもの例のバイト入ってもらっていいか」
「え、また僕?」
「うん、ご指名」
大学の演劇サークルではOBからの紹介で、よく「サクラ」のバイトがあった。正確には、代理出席のアルバイトと呼ばれるものだ。朔良は社会経験、芸の肥やしくらいの気持ちで、よく仕事を受けていた。
人を騙すみたいに感じて嫌がる学生も多いので、二つ返事で受けている朔良は先方からすると常連のアクターだった。
朔良個人としては、純粋に人助けと思っている。
「もう大学卒業してるのに。いいの?」
「昨日、頼まれてたんだけど、卒業式のバタバタで引き継ぎするの忘れてて、明日なんだけど」
「急だなぁ。予定は空いてる、けど、そのバイトって元々サークルのメンバーの演技力向上って名目だろ。僕とかじゃなくて後輩に」
「んー難しい役だから、大根じゃダメなんだって。お前なら絶対先方のOK出るし」
「そうかぁ?」
「しばらく大学の演劇も顔出すんだろ?」
「それは、まぁ。手伝いくらいは、しばらくするつもりだけど、呼ばれたら行くって言ったし」
「頼む! な? お願い!」
「僕さぁ、いま結婚式って気分じゃないんだけど。無職だしさ」
「いや、結婚式じゃなくて、葬式」
「……それも極端だな。まぁ、分かったよ。詳細ラインでちょうだい」
「さんきゅ、助かる」
最初は卒業したのに、この先もしばらく大学のサークルに関わるなんてと思った。後輩から頼りにされるのは純粋に嬉しいが、それでもモラトリアムを満喫し過ぎだろう。
周囲に隠れてため息をこぼした。
早めに新しい居場所を探さないと、人間として駄目になる気がした。