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 ナツにバスルームに連れていかれて、一緒にお風呂に入ることになった。
 初めて話してから四年経っているといっても、まだお互いのことを全然知らない。
(だから、裸の付き合いで、もっと仲良くなる……って)
 恋人同士になったのだし、一緒にお風呂に入ってもおかしくはない。けれど、お互いの髪や体を洗い合ったりしていると、どうしても、アイドルとイケナイことをしている気分になる。

「ねぇ、朔良、どうして、こっち見てくれないの?」
「だって、恥ずかしい、し」

 湯船は二人で入っても十分の広さだが、ナツは朔良にぴったりとくっついてくる。
 一緒にお風呂に入るよりも恥ずかしいことをしているし、さっきだって玄関先で何度もキスをした。朔良はナツの顔にも体にも、この先慣れることなんてないと思っている。
 このまま隣にいたら、一生ドキドキしているから朔良の方が先に死んじゃうだろう。
 風呂のオレンジ色の灯りの下、あますことなくナツの裸体が晒されている。その美しい身体から逃げるように距離を取り、壁を向いて座りなおしたら、じりじりと距離を詰められて、背後から、ぎゅっと抱きしめられた。
「さーくら……」
 ナツの手がお腹に回って、下腹に触れた。すぐに緩く反応してしまって情けない気持ちになる。
「ッ……ぁ、ぅ、ごめん、なさい、だらしない体で」
「あー玄関で、中途半端に触ったからなぁ、ね、ここでさっきの続きシよっか」
「だ、ダメ、です。は、話……したい、し。あと少ししたら、多分落ち着く、し」
「じゃあ、話のあとで、ね」
 ニコッと悪意のない笑みを向けられた。
「あっ、あとで、って」
「俺、お風呂でコミュニケーションするのも、大事だと思うよ」
「ッ、ぅうう」

 体が離れるとき耳朶に音を立ててキスされて、また体が火照りそうになる。
 並んで湯船に浸かり、しばらくして、やっと人心地がついた。
(やっぱり、綺麗な顔だよなぁ。国宝級だもん)
 温まってほんのりと色づいているナツの頬とシャンプーして濡れた髪。
 あまり見ていると、また勃ってしまいそうだった。
「さっき俺、恋人のお父さんをパパ活している男を見るような目で見てしまった。どうしよう」
「全然気にしてないと思う。あの人、基本、無神経だし。そう思われても自業自得だよ」
 ナツは両手で湯船の湯を掬い、顔を覆った。
「俺は気にするよ。恋人のお父さんだよ? 近い将来、挨拶に行かないとだし」
「え」
「えって、なぁに? 俺が挨拶に行ったら、ダメかな? もちろん、すぐにじゃないよ。いつか、朔良が自分のこと周りに伝えても大丈夫になったら、ね」

 ナツの言葉に少し驚いていた。自分はクローゼットゲイだし、好きになったその先のことなんて考えていなかった。でもナツは自分との未来を考えてくれている。
 ナツとのお付き合いをいい加減に考えていた訳じゃない。ただ、長年当たり前のように思っていた、人とは違う、どうせ知ったところで受け入れてもらえないって意識は、すぐには変えられそうになかった。

(けど……理解されなくても、受け入れてもらえる人もいるんだな)

 父は崎田のことを嫌いだけど友達だと言っていた。嫌いと思うようなった事情は知らないけれど、嫌いでもゲイの崎田を理解はしているようだった。
 思えば、いつも朔良は端から諦めて自分を隠してばかりだった。
 ナツに気持ちを知られてしまったときは、ショックで身を引き裂かれるほど怖かった。けれどナツは、そんな臆病な自分や、傷ついた気持ちごと受けいれてくれた。

 ――だから、ナツのこと、特別、好きになったんだろうな。

 朔良にとっての普通を、当たり前のように思って寄り添ってくれた人だから。
「朔良、俺は、サクラの気持ちが一番大事だからね」
「嬉しいです。でもさ、そもそも、あの人、もう関係ない人だしなぁ」
「俺、遠くから見てたけど、関係ないって顔じゃなかったよ。朔良、本当は、好きなんじゃない? パパのこと」
「僕、あの人のこと、一度も、パパなんて呼んだことない」
「ふーん、そ。素直じゃないなぁ」
 ナツは、くすくす笑いながら隣の朔良を探るように見た。
「両親が離婚したの、小学校の頃だったし。仲悪いのは仕方ないんだよ。多分一生こうだと思う」
「いつか仲良くできるといいね」
 朔良は多分無理だろうなぁと思いながら小さく息を吐いた。
「ナツ、聞いて欲しかったのはね。うちの母さん、アイドルだったって言ったでしょ」
「うん」
「SNN5のミカって分かる? ……その人が僕の母さんで」
「えーすごいね。伝説の人じゃんアイドルのあと女優もしてなかった?」
「うん、それでね。『ミカ』って、一度落ち目になって引退してたんだけど」
「あーESKプロダクションに入ったのって、確か一回目、アイドル辞めた後だったかな」
「そう。その復活劇に絡んでたのが、今日、ナツの写真撮ってた、羽鳥カメラマンっていうのを、僕、昼に知って」
「えー、それなんか運命じゃない? 縁が繋がってるっていうか」
 ナツの雑誌の撮影に羽鳥が呼ばれたのは、運命じゃなくて、ナツのアイドルとしての成功を目論んだ必然だ。
 ここへ朔良がいるのだって水谷プロデューサーの計画の一つに過ぎない。
「僕さ、今日の撮影中、ナツ見てて。すごく……怖くなったんだ」
「え、怖い? なんか変な写真あった? 心霊写真とか」
「そうじゃなくて、幽霊写ってたら、それはそれで話題になって雑誌売れそうだけど」
「そーだね」
「あのね、僕の生活が一変したの、羽鳥さんの写真が、きっかけだから、それで……」
 心霊写真みたいな怖さは、朔良にとっては少しも怖いものじゃない。朔良が一番怖いのは、現実世界だ。
 自分だけが何も知らずに、取り残されていく心細さ。
 件の写真で母は芸能界で再び売れ、家に帰らなくなった。父も母と同じように仕事に楽しみを見つけ没頭するようになった。家族の気持ちがバラバラになって、朔良は家で一人になってしまった。
 昔と同じように朔良は、また羽鳥の写真が原因で一人取り残されるんじゃないかと思った。
 もう大人になったのに、子供の頃の傷は心に残り続けている。
「――そっか、じゃあ。朔良は、俺が羽鳥さんに写真撮られているの見て、寂しくなっちゃったんだ」
「だ、だって……今日のナツ、かっこ良かったんだもん。なんか、遠くに行っちゃいそうで……自分何もないやって、なんか無力さに打ちひしがれてたの」
「えー可愛いなぁ! よしよし。朔良はお芝居上手じゃん、昨日、すごいかっこ良かったし」
「そうかなぁ」
「うん」

 ナツが朔良に近づいたことで、お湯が大きく波打つ。ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、濡れてぺしゃんこになっている頭を撫でられた。
「なんか、小さな子供みたいで、恥ずかしいなぁ……でもさ、あの写真が掘り起こされなかったら、母さんはアイドルのあと女優なんてしなかった。坂野上さんも、羽鳥カメラマンって人を写す天才だって言ってたしナツも……って、ナツ?」
 急に静かになった隣を見ると、ナツはにこにこと砂糖菓子を溶かしたような甘さで微笑んでいた。
「それで、俺が朔良置いていくと思ったの? ――大丈夫、俺はどこにも行かないよ」
「っ、う、だからぁ……あぁ、もう。言葉にすると恥ずかしいな」
「全然、恥ずかしくないよ朔良。俺も、急に一人になったときの寂しさってよく知ってるから」
 ナツは濡れた前髪を両手でかきあげた。

「一人でいる寂しさもあるけど、俺は周りに人が沢山いるほど自分との差を感じて寂しい気持ちになるよ。芸能界なんて本当、嘘ばかりだし、空っぽの人形になったみたいに感じる」
「人形?」
「そ、言われた通りに動くお人形さん。最初の頃なんて、その周りの甘い嘘に気づかないで真に受けて、素直に喜んで調子に乗って」
 恥ずかしいなぁと言って、ナツはお湯に顔をつけた。
「調子に乗ってたの?」
「うん、乗ってた。歌もダンスも人一倍努力してるって思ってた。でも、今思えば全然足りていなかったし、上には上がいるからさ……顔だけで売れて、調子に乗ってる奴って言われて当然。そんな周りの声に傷ついて寂しいとか感じてる時点でプロ失格だ」
「それは、調子に乗るのとは、違うんじゃないかな。ナツは求められて、この場所にいるんだし、何言われても堂々としてたらいいと思う」
「朔良は、優しいね」
 ナツは浴室の天井を仰ぎ見た。
「僕さ……ナツは、今日の写真で売れると思うよ。すごく、いい表情で撮れてて」
「そ? だったら嬉しいなぁ」
「……嬉しい?」
「うん。自分じゃ全然アイドル向いていないって思うけど。今日は、朔良に喜んで欲しくて頑張ったし、だったら今日の仕事は百点だなぁ」
 嬉しいのに喜べない、複雑な気持ちだった。
 水谷が考える通り、このままナツがアイドルとして売れるのが正しいのだろうか。同時に罪悪感があった。ナツは朔良と出会わなければ、自分の手で見つけた本当の夢に向かって迷わず歩めたかもしれない。朔良の存在がナツの邪魔をしている。

「ね、朔良、そろそろ、続きしよっか」
「え、こ、ここで」

 朔良が後ろに下がって湯面が大きく揺れる。頭の横に手をつかれて逃げ場がない。

「いいじゃん、寂しいときは、えっちしたら吹っ飛ぶらしいから。朔良の不安もなくなるんじゃない」
 濡れた髪をかき上げて、ナツはにっ、と笑った。

「それ、怖い系のやつじゃん」
「どっちでも、いいよ。朔良。ね、キスしよ」
「んっ……」

 お風呂のお湯のせいだけじゃない。ナツのくれる熱で頭が真っ白になった。