――君と一緒にいるために、出来ることをするよ、それだけ。
「三池くんは、玉木くんと住んでる世界が違うんだよ」
言われた当時は、あまりピンとこなかった。
そんなこと言われても玉木佐久は、俺、三池梓の近くにいたし、同じマンションの同じ階に住んでいた。
小学校のクラスメイトに世界単位で住んでる場所を否定されたところで「え、あいつ俺と同じマンション住んでるけど」くらいしか思っていなかった。
海外から帰ってきて、まだ日本語がへたくそだったから、言われたことの正確な意味が、あんんまり分かっていなかったと思う。
それほど深く気にしていなかった。
けど、その後もクラスメイトに言われた「住んでいる世界」のことは、時々思い出して考えていた。
佐久と同じ公立中学に入ってから、それが「学力の差」のことだって気づいた。確かに、佐久と俺は住んでる世界が違った。
佐久が百点なら俺はいつも、半分の五十点くらい。
放課後、俺の部屋のベッドで我がもの顔で寝てる佐久に「俺とお前さ、なんか住んでる世界が違うらしいよ」って言った。
そしたら「は? 同じ地球に住んでるし、マンションも同じ階だけど」って返された。
あ、やっぱり俺、こいつのこと大好きだわって思った。魂レベルで同じ感性を持ってると思う。前世は兄弟だったのかな。
けど、やっぱり少し気になっていたから「勉強、お前より出来ないしなぁ」って言ったら、佐久は、その日から俺と一緒に勉強してくれるようになった。
以来、ずっと佐久が学年一番で、俺は二番になった。
佐久から「ほら、同じ世界に住んでる。良かったね」ってスカした顔で言われて、金色の髪をぐしゃぐしゃかき混ぜられた。セルフレーム眼鏡の奥の瞳が人を小馬鹿にするように笑っていた。
でも、そのムカつくキラキラした笑顔に安心していた。
――ほんと猫みたいだね、ミケは。
ちなみに、俺は猫じゃない。
俺のことを三池じゃなくて、ミケって言うのは、佐久だけだ。腹が立ったからタマって呼んだら「タマキだけど、まぁ、ミケが呼びたいならどうぞ。でも僕は、名前で呼ばれる方が嬉しい」って微笑まれた。
むかつく、やっぱり俺、お前のこと嫌いだわ。大好きだけど。
俺だって、アズサって呼ばれたい。
外では呼ばれたくないけど、二人でマンションにいるときなら嬉しい。
* * *
――高熱にうなされて、変な夢をみた。
目を開けると部屋の中は真っ暗だった。文字通り死んだように俺は、一日中眠っていた。
「ミケー、ご飯だよ」
俺が目を開けたのを見計らったようなタイミングで部屋の電気が付いた。高校のブレザー姿の佐久が、ドアから顔を出す。
「なに泣いてるの?」
急に部屋が明るくなって眩しかった。パジャマにしている長袖シャツの袖で目をこすったら、やっと佐久のいけすかない顔がはっきりと像を結ぶ。上体を起こしたら、ずっと同じ姿勢で寝ていたせいで体のあちこちが痛んだ。
「泣いてねーし」
「あ、寂しかった? 『あの子調子悪い時は、一人がいいのよ』っておばさん言ってたから、寝るの邪魔したら悪いと思って」
「いつの話だよ。つか、それ、あの人が心配だからって隣でうるさかったからじゃん。……情報アップデートしろよ」
反抗期で構われたくなかった義理の息子の癇癪を、あの人は、いつまでも覚えている。高校生になったし、もう反抗期は終わっている。
「つまり、僕にそばにいて欲しかったってことだね。ごめんね、気付かなかくて。今度から学校休んで看病する」
「ちげーよ!」
「素直じゃないなぁ」
佐久は嬉しそうに絡んできた。
「テスト勉強あるのに寝すぎたじゃん」
「風邪引いたら、ゆっくり寝るものだよ。おばさん仕事遅くなるって、お粥持ってきた」
「毎度のことだけど、近所の子まで世話する違和感とかねーの、佐久のおばちゃん」
「無いねぇ。気にしてるのミケくらいだよ。忙しい時はお互い様じゃん」
佐久は俺がいるベッドの枕元に腰をかけた。
「ミケ、繊細だよね。見た目はライオンなのに」
「ライオンだって、風邪ぐらいひくだろ」
「そうじゃなくて、さっき何に魘されてたの?」
タイミングよく部屋の電気がついたのは、俺がうなされていたかららしい。
「お前と住んでる世界が違う夢」
「また、それ? どんだけトラウマになってんの。やっぱり繊細じゃん、ミケは」
「……どうせ今日も言われたんだろクラスの連中に、俺とは住んでいる世界が違うって」
高校も佐久と同じところに進学して、クラスも同じになった。
新しい高校生活。学力が同じなのに、また、住んでる世界が違うみたいな目で見られた。風邪で休んだ今日だって、多分、街をふらついてるか、どっかの不良と喧嘩でもしてんじゃないのって噂されている。
「ミケのその明るい髪は地毛だし? 本当は、アリさん一匹殺せないような、優しいニャンコなのにねぇ」
その認識はおかしい。猫はアリどころか、ネズミも殺すと思う。
「……ミケミケ呼ぶなよ。近所の人に猫飼ってるって思われるだろ。このマンションペット禁止!」
「大丈夫大丈夫、ご近所さんは僕が、お前のことミケって呼んでるの知ってるから」
「マジ最悪」
「ねぇミケ、僕さ、ピアス開けて、髪金色にしようと思うんだけど」
「は……何言って」
「住む世界が一緒になれば安心できる?」
佐久は、床にいつの間にかあったビニール袋を持ち上げて、中身をおもむろにベッドの上にバサバサと出した。
ピアッサーに、ブリーチ剤。
マジでやめてくれって、瞬間思った。
佐久の触り心地のいい、さらさらの黒髪がパキパキになって傷むとか悪夢でしかない。
「いやお前の金髪とか無理」
「なんでだよ。僕と一緒がいいんじゃないの? ペアルックしようよ」
「佐久とペアルックとか気持ち悪りぃわ!」
「じゃあ、耳に穴だけでもあける? ん?」
まだ誰にも侵されていない更地の右耳を見せられて、こくりと喉がなった。やばい熱上がる。佐久の耳たぶに同じ穴を開けたい欲求はあった。
俺は、遠い昔、顔も覚えていない母親にピアス穴をあけられた。今は、すでに塞がってあとが残っているだけ。
それは純粋な欲だった。
けれど、すんでのところで、頭を振り、その欲求に抗った。
「ッ、だめ! 絶対ダメだ! 親にもらった体は大事にしないといけないって学校で習っただろ」
茶化して、流したけど。内心は少しだけ残念だった。
「孝経の身体髪膚覚えてるのクラスでお前くらいだよ」
言ってる佐久も覚えてる。
一緒に、同じクラスで真面目に授業受けてるから。このあとも一緒に宿題する。
「ミケは、可愛いねぇ」
「可愛いとか言うの佐久だけだよ。俺の顔怖いしさ」
「え、可愛いよ? ライオンみたいにデカくなったけどね」
「あっそ……」
佐久がそう言ってくれるだけで、今日も安心出来る。
――ミケとタマは、今日も同じ世界に住んでいる。
終わり