ネオン街とは程遠い、暗い夜道を走っていたバイクはついに山道を登り始めた。幾ら何でも不安になってきた。
「ねえ神本くん、本当にどこへ行くの?」
自然と先ほどよりも大きな声が出た。
「このまま山頂まで登れる。そこから夜景を見ようと思っている」
何だ、そういう事なら最初に言ってよ。私が安堵しているうちに山頂へとたどり着いたらしい。そこにあった駐車場脇のバイクスペースにバイクを止める。周りを見ると私たちの他にもたくさん車やバイクが止まっているのを見ると、こんな真夜中でも意外と人は多いようだ。神本くんの後ろを付いて歩いていくと公園のような場所に出た。向こう側に電波塔が、近くには円柱状の建物がある。ライトアップされた電波塔は小さな東京タワーみたいでとても綺麗だ。
「清花、あっちを見てみろ」
神本くんが指さす方を見て、私は思わず息をのんだ。眼下に広がるのは夜の街だった。その夜景はまるで幾つもカラフルな星を散りばめたようにキラキラしていて、まぶしくハッキリとした光を放っていた。ああ、夜の景色ってこんな風に見えるんだ。
「綺麗」
思わず口に出した。
「本当は展望台の上から見たかったんだが、今の時間は締まっている」
「ううん、十分に綺麗だわ。ここまで連れてきてくれてありがとう」
私は目を輝かせて神本くんの方を見た。一瞬、神本くんは少し目を見開いた。
「お前、そうやって笑っている方が可愛いな」
「あら? ロマンティックな夜景を見ながら私を口説くつもり?」
「そうじゃない、そうじゃない」
私は冗談で言ったつもりだったのだけれど神本くんは激しく手を振って否定した。そんなに強く否定しないでよ。
「最初にお前を見た時は不自然な笑い方をする女だと思っていた。だから今の自然な笑い方の方が俺は好きだと言っているだけだ」
確かに普段から面白くなかろうが心底退屈だろうが、私は笑顔でいることを義務付けられている。そうしているうちに自然と不自然な笑顔になっていたのかもしれない。
「そういえば私、貴方の笑うところを見たことが無いわ。今笑って見せてよ」
「出来ない」
「私にだけ笑わせておいて不公平だわ! 笑いなさい。命令よ」
すると神本くんは顔を伏せてしまった。
「すまない、俺は笑えないんだ。あることがきっかけで、どうしても笑えない身体になってしまった」
その言葉からはとても深刻な過去を読み取ることが出来た。笑う事さえできなくなるような深いトラウマがあったんだろうか。
「ねえ、よかったら何があったのか話してみてくれる?」
聞いたところで私が解決できるわけではないんだけれど、話すことで神本くんの心が楽になるんじゃないかと思ったのだ。さっきの私みたいに。
「あれは、俺が中一のときだ」
神本くんはゆっくりと話し始めた。
「当時俺はある漫画にハマり上げていた。一歩でも主人公に近付きたいと思っていた俺はそいつの癖やしぐさと真似するようになった」
おや?
「そいつは絶対に何があっても笑わないクールなキャラクターだった。だから俺も絶対に笑ってはいけないライフスタイルを送るようになったんだ」
「……え、もしかして神本くんが笑わないのは未だにそのキャラクターの真似をしているからなの?」
「違う。本気で笑わないよう修行していたら本当に笑えない顔になってしまったんだ」
「ねえ馬鹿なの?」
心配して損した。笑えなくなるくらいだからもっと両親を殺されたとか、最愛の人をさらわれたとか、そういうエグイ話が飛び出してくるかと思ったのに。
「もう一つ聞いてみるけれど、神本くんはどうして忍者をやっているの?」
これは他愛ない質問のつもりだった。
「きっかけは小さい頃忍者ショーを見に行ったからだが……。今続けているのは単純にやりたい事だからだ」
「やりたいからやってるなんて、何だかその日暮らしみたいだわ」
「やりたくない事に人生を消費している時間は無いぞ」
「そうかしら。私はやりたくない事もやらないといけないのが人生だと思うけれど」
神本くんは根本的に私と違う行動原理を持っている人のようだ。でも羨ましいと思う気持ちもある。そんな風に生きられたら楽しいだろうな。少しでいいから私もやりたい事をやってみたい。
「お前はどうだ。何かやりたい事は無いのか」
今度は神本くんが尋ねてきた。私は……。私のやりたい事……。神本くんと出会うまでの私だったら「一条家の名に恥じぬよう立派な淑女になることです」などと綺麗ごとをほざいたかもしれない。だけど今は、それが私のやりたい事じゃないのは明確に分かっている。
「まだ、はっきりしていないわ。でも」
私は歯切れ悪く、言葉を選びながら言った。
「今日神本くんに連れ出されて分かったの。私はもっと自分の目でたくさんの物を見たい。いろんな場所に行きたい。まだやった事の無い体験をしてみたい!」
後半になるにつれて私の中から溢れるように言葉が出てくるのが分かった。そして言いながら気づいた。私は自由になりたいんだ。親の敷いたレールの上をずっと走っていくんじゃなくて、もっと自分でやりたいと思ったことを自由に出来るようになってみたい。
「そうか」
聞いていた神本くんは一度深く頷いた。
「それなら今度、どこか行ってみたいところはあるか」
またバイクで連れて行ってくれるつもりらしい。
「海! 私は海に行ってみたいわ。海に向かって思いっきり叫んでみたい事があるの」
私はすぐ持ってきていたカバンからスケジュール帳を取り出した。既に頭の中で海辺に立つ自分の姿を想像している。水平線に広がる水面を眺めたい。海水の冷たさを感じてみたい。そう思うとワクワクして、居てもたってもられなくなってきた。
「再来週の土曜日なら空いているわ。この日海に行きましょう。約束よ」
急に私のテンションが高くなって戸惑っているらしく神本くんは目を白黒させていたが、やがてゆっくりと
「心得た」
と私の目を見返して言った。