「先週の日曜日は父親とゴルフに行ったんだ。ゴルフなんて興味ないって言ったんだけど、父がどうしても知り合いの方々に僕を紹介したいって言うからさ。で行ってみたらびっくりしたよ。与党議員に官僚、プロゴルファーやベテラン俳優。それから上場企業の社長も何人か居たけど、この方々は僕が小さいころからよく知っている人たちだから敢えて驚いたりはしなかったんだよ。だってほら、父親も上場企業の社長だからさ、つるみの法則って奴だよ。世の中意識の高い者同士が集まるように出来ているんだよ。上流階級の者同士、結婚前提に付き合っている僕と清花ちゃんみたいにね。あーそうそう、ゴルフの話に戻るんだけど」
私と向かい合って胡坐をかいた青年は呪文を詠唱するかのように早口でまくしたて続ける。既に茶碗も急須の中に入っているお湯も空になり、中庭のシシオドシは63回涼やかな音を立てた。急須にお湯を入れるために席を立とうかとも考えたけれど、それだと鯉のごとくパクパク喋り続ける彼に更に活力を与えるようなものだ。私はこの青年こと久保さんに気付かれないよう小さくため息をついた。
当初は二人のお茶会という表向きの名目だったこの会も、いつものように彼の自慢話独演会になってしまった。ここで悲劇的な事が二つある。一つは観客が私しかいないこと。そしてもう一つは私がお金を払ってでもこの自慢話を聞くのを遠慮したいと思っていることだ。親の仕事の都合で一年ほど前からお付き合いをさせていただいているが、正直私にはこの男性の良さが分からない。良いのは家柄と容姿だけ。今日だって私の着ている桜色の着物や髪形には一切触れてくれないし、開口一番から自慢話を続けるだけだ。私の発する言葉といえば「そうなんですか」「すごいですね」「へえ」の3つだけで、最近のAIの方がまともな返しをすることだろう。それでも気分良く話し続けるのだからつくづく単純な生き物だなあと思う。他の男もみんなこうなのかしら。
「いやー、参ったよ。プロゴルファーの人がさ、僕のスイングを見て『本当に素人の方ですか? すごく筋が良いですね! 一年間レッスンすればプロになれますよ』って言うんだよ。まあ僕も昔っから色んなスポーツをやって来たからね、勝手に身体が動いただけなんだよ。でもやっぱりプロの人には分かるんだね。まあお世辞かもしれないけどさ」
……この地獄のような自慢話を少しでも聞かなくて済む時間が生まれるのなら、席を立ってお湯を入れてくる方が良いかもしれない。
私は「すごいですねぇ」と張り付いたような笑顔で言いながら中庭を一瞥した。
薄暗い茶室とは対照的に春の光を浴びた外の日本庭園は鮮やかな緑に色づいている。綺麗だ、もっと見てみたい。私が気晴らしに庭を散歩したいと言っても無駄だろう。久保さんは「良いよ」と言ってくれるだろうけれど必ず私の隣にぴったりくっついて自慢話を続行するに違いないのだから。ああ、何か少しでも私の退屈を紛らわせることが起きないかしら。中庭に犬が乱入するとか、池から上がって来たダイオウイカが久保さんを絡めとって連れ去って行くとか。そうやって私が意味をなさない空想に耽っていた時だった。
スパン、と鋭くふすまを開ける音が響いた。お母さんだろうか。何気なく奥の方に視線を向けた私はそのまま固まってしまった。開け放たれた扉の前に立っていたのが忍者だったからだ。もう一度言う。忍者がいたのだ。頭がおかしくなったの? とか言われそうだけど、目の前には黒い忍び装束に身を包んだ男が実際に立っている。これに忍者以外の呼び方があるのなら教えて欲しい。えっ、待って。この人忍者のコスプレイヤー? それとも私たちはタイムスリップしてしまったの? 私の頭が状況を処理しきれていないうちに忍者が声を発した。
「すまん、通るぞ」
ほぼ同時に彼は跳躍した。軽々と私たちの間を飛び越え、日本庭園の方に走り去っていく。「何だ、お前は!」と久保さんが憤怒の声を上げた時は既に忍者の姿は見えなくなっていた。
忍者……なんで忍者? と思う間もなく今度はドタドタと騒々しい足音が響いて来た。今度は何? 侍でも出てくるっていうの? そんな私のワクワクした期待は一秒後恐怖へと変わる。襖を蹴破る勢いで流れ込んできたのは目を血走らせた男たちだった。それも全員強面で、そっちの筋の人にしか見えない方々が大量に入って来たのだ。あまりの恐怖に思わず身体を硬直させてしまう。しかし彼らのお目当ては私たちでは無かったと見え、すさまじい靴音と振動を響かせながら日本庭園の方へ出て行ってしまった。まるで牛の大群に間近を通られたかのような心持ちだ。ふと向かいに座っている久保さんに目を向けると小刻みに震え、おびえた様子で中庭の様子を伺っている。……あまり見たくないものを見てしまった気分だ。
「忍者おるか!」
「おらんぞ!」
「ぶち殺しちゃるぁ!」
「よう探せ! 生け捕りにせえ!」
「絶対に捕まえろ! 落とし前つけさしちゃるけえのお!」
ヤクザたちが出て行った庭から響いてくるのは、まっとうに生きていれば一生聞くこともなさそうな単語のオンパレードである。彼らの言葉から察するに先ほどの忍者が追われているようだ。あの忍者はどうやってヤクザの方々を怒らせたんだろう。本当に逃げ切ることが出来るのだろうか。そして一体彼は何者なのかしら。知りたい。会って話してみたい。忍者の乱入が私の中で長らく眠っていた好奇心を目覚めさせていた。それは制御できない欲求で、今にも中庭に飛び出していきたい衝動。殺気だったヤクザがうじゃうじゃいる庭に出るのは危険だとか、親の選んだ相手を一人にして行くのは失礼だとかいう理性的思考は完全に私の頭から消え去っていた。足は勝手に動いた。私は自分が着物を着ていることも忘れ、足袋のまま中庭へと飛び出したのだった。後ろからは
「ちょっ、置いてかないで清花ちゃん……」
と掠れるような久保さんの声がわずかに聞こえた気がした。
私と向かい合って胡坐をかいた青年は呪文を詠唱するかのように早口でまくしたて続ける。既に茶碗も急須の中に入っているお湯も空になり、中庭のシシオドシは63回涼やかな音を立てた。急須にお湯を入れるために席を立とうかとも考えたけれど、それだと鯉のごとくパクパク喋り続ける彼に更に活力を与えるようなものだ。私はこの青年こと久保さんに気付かれないよう小さくため息をついた。
当初は二人のお茶会という表向きの名目だったこの会も、いつものように彼の自慢話独演会になってしまった。ここで悲劇的な事が二つある。一つは観客が私しかいないこと。そしてもう一つは私がお金を払ってでもこの自慢話を聞くのを遠慮したいと思っていることだ。親の仕事の都合で一年ほど前からお付き合いをさせていただいているが、正直私にはこの男性の良さが分からない。良いのは家柄と容姿だけ。今日だって私の着ている桜色の着物や髪形には一切触れてくれないし、開口一番から自慢話を続けるだけだ。私の発する言葉といえば「そうなんですか」「すごいですね」「へえ」の3つだけで、最近のAIの方がまともな返しをすることだろう。それでも気分良く話し続けるのだからつくづく単純な生き物だなあと思う。他の男もみんなこうなのかしら。
「いやー、参ったよ。プロゴルファーの人がさ、僕のスイングを見て『本当に素人の方ですか? すごく筋が良いですね! 一年間レッスンすればプロになれますよ』って言うんだよ。まあ僕も昔っから色んなスポーツをやって来たからね、勝手に身体が動いただけなんだよ。でもやっぱりプロの人には分かるんだね。まあお世辞かもしれないけどさ」
……この地獄のような自慢話を少しでも聞かなくて済む時間が生まれるのなら、席を立ってお湯を入れてくる方が良いかもしれない。
私は「すごいですねぇ」と張り付いたような笑顔で言いながら中庭を一瞥した。
薄暗い茶室とは対照的に春の光を浴びた外の日本庭園は鮮やかな緑に色づいている。綺麗だ、もっと見てみたい。私が気晴らしに庭を散歩したいと言っても無駄だろう。久保さんは「良いよ」と言ってくれるだろうけれど必ず私の隣にぴったりくっついて自慢話を続行するに違いないのだから。ああ、何か少しでも私の退屈を紛らわせることが起きないかしら。中庭に犬が乱入するとか、池から上がって来たダイオウイカが久保さんを絡めとって連れ去って行くとか。そうやって私が意味をなさない空想に耽っていた時だった。
スパン、と鋭くふすまを開ける音が響いた。お母さんだろうか。何気なく奥の方に視線を向けた私はそのまま固まってしまった。開け放たれた扉の前に立っていたのが忍者だったからだ。もう一度言う。忍者がいたのだ。頭がおかしくなったの? とか言われそうだけど、目の前には黒い忍び装束に身を包んだ男が実際に立っている。これに忍者以外の呼び方があるのなら教えて欲しい。えっ、待って。この人忍者のコスプレイヤー? それとも私たちはタイムスリップしてしまったの? 私の頭が状況を処理しきれていないうちに忍者が声を発した。
「すまん、通るぞ」
ほぼ同時に彼は跳躍した。軽々と私たちの間を飛び越え、日本庭園の方に走り去っていく。「何だ、お前は!」と久保さんが憤怒の声を上げた時は既に忍者の姿は見えなくなっていた。
忍者……なんで忍者? と思う間もなく今度はドタドタと騒々しい足音が響いて来た。今度は何? 侍でも出てくるっていうの? そんな私のワクワクした期待は一秒後恐怖へと変わる。襖を蹴破る勢いで流れ込んできたのは目を血走らせた男たちだった。それも全員強面で、そっちの筋の人にしか見えない方々が大量に入って来たのだ。あまりの恐怖に思わず身体を硬直させてしまう。しかし彼らのお目当ては私たちでは無かったと見え、すさまじい靴音と振動を響かせながら日本庭園の方へ出て行ってしまった。まるで牛の大群に間近を通られたかのような心持ちだ。ふと向かいに座っている久保さんに目を向けると小刻みに震え、おびえた様子で中庭の様子を伺っている。……あまり見たくないものを見てしまった気分だ。
「忍者おるか!」
「おらんぞ!」
「ぶち殺しちゃるぁ!」
「よう探せ! 生け捕りにせえ!」
「絶対に捕まえろ! 落とし前つけさしちゃるけえのお!」
ヤクザたちが出て行った庭から響いてくるのは、まっとうに生きていれば一生聞くこともなさそうな単語のオンパレードである。彼らの言葉から察するに先ほどの忍者が追われているようだ。あの忍者はどうやってヤクザの方々を怒らせたんだろう。本当に逃げ切ることが出来るのだろうか。そして一体彼は何者なのかしら。知りたい。会って話してみたい。忍者の乱入が私の中で長らく眠っていた好奇心を目覚めさせていた。それは制御できない欲求で、今にも中庭に飛び出していきたい衝動。殺気だったヤクザがうじゃうじゃいる庭に出るのは危険だとか、親の選んだ相手を一人にして行くのは失礼だとかいう理性的思考は完全に私の頭から消え去っていた。足は勝手に動いた。私は自分が着物を着ていることも忘れ、足袋のまま中庭へと飛び出したのだった。後ろからは
「ちょっ、置いてかないで清花ちゃん……」
と掠れるような久保さんの声がわずかに聞こえた気がした。