部屋のドアをノックする音が聞こえる。私は朝からずっと向かい合っていたPC画面から目を離し、最近めっきり視力の落ちてきた目を時計に向ける。13時27分。お昼ご飯は1時間前に運ばれて来たばかりだ。どうせお母さんが「部屋から出ろ」だの「中学に行け」だの説得に来たんだろう。私は無視してネットゲームを再開することにした。しかし再びノックする音が響く。それも先ほどより大きな音だ。
「うるさいクソババア! 学校なら行かないって言ってるだろ!」
私は机の上に置いてあったペットボトルをドアに向かって投げつけた。半分水が入っていたペットボトルはドアに当たって大きな音を立て、足の踏み場も無いほど散らかった部屋の片隅に転がった。ああ、私元々こんなに怒りっぽかったわけじゃないんだけどな……。
「俺はクソババアではないぞ」
ドアの向こうから予想外な男の声。少年のような声質なのでお父さんの声とも違う。途端に顔のニキビやボサボサの髪が気になって仕方なくなってきて、クシで髪をとかしたくなった。別に部屋に入(い)れるわけでもないのに。
「えっと、誰なの……?」
先ほどの「クソババア」発言の時より随分柔らかい声で恐る恐る聞いてみる。今更よそ行きの声で取り繕っても遅い気がするけども。
「俺は忍者だ」
これまた想定外の答えだ。外国人に「あなたはどこの国から来たんですか?」と聞いたら「地球から来ました」と答えられた感覚に近いものを感じる。
「……え、忍」
「俺は忍者だ」
「いや、聞こえなかったわけじゃなくて」
「アイアムニンジャ」
「いや日本語がわからないわけでもなくって!」
私の頭は疑問符でいっぱいだった。なぜ引きこもりで友達のいない私に男が訪ねてきたのか? そしてその男はなぜ忍者を名乗っているのか? そもそもこのご時世に「私は忍者です」と言われて「はいそうですか」と信じる奴がいるんだろうか。そんなの「私は宇宙人です」とかいう奴を信じているようなものだ。
「茜、聞こえるか?」
別の男の声がした。今度は聞き覚えのある声だ。
「お父さん?」
「今お前が話している、えー、忍者の神本くんは父さんが呼んだんだ」
「どういうこと」
「古い知り合いから紹介してもらったんだ。なんでも神本くんはどんなトラブルでも解決してくれる凄腕の、まあ便利屋みたいなものらしいんだ」
「俺は便利屋ではなく忍者だ」
すかさず横から口を挟む神本くんとやら。いやどっちでもいいだろうに。というか引きこもりを外に出すため忍者を雇うなんて意味がわからないんだけども。何というか、サブマシンガン片手に挽肉を作ろうとしているかのようだ。
「余計なお世話だし。何をされたって私は外に出る気も学校に行く気もないよ」
「なあ茜、そんなこと言うなよ」
「そんな怪しい人に頼むなんてどうかしてるよ。お父さん、自分の加齢臭を嗅ぎすぎて頭おかしくなったんじゃないの?」
「ひ、ひどい! ……でもお前だってこのまま引きこもっているわけにもいかないだろう。去年の夏から半年以上も外に出ていないのは健康にもよくないし、家族のみんなも心配している。それにこのままじゃ卒業だって……」
そんなこと分かってる。分かっているけどどうにも出来ないからこんなに引きこもっているんだ。こんなに荒んでるんだ。
「お父さんうるさい! どっか行ってよ!」
他人がいるというのにまた怒鳴ってしまったことと、お父さんに当たり散らしてしまったことで余計自己嫌悪に陥る。また嫌なことを思い出してしまった。部屋の外で「あとは任せろ」「じゃあお願いするよ」という会話が聞こえ、お父さんの足音が遠ざかって行く。
「どうして引きこもってるんだ」
例の忍者はまだ諦めていないらしい。
「アンタに言う義理なんか無い」
「確かにそうだな」
納得するんだ。
「引きこもっていると、あれだぞ」
どれだよ。
「よくないんだぞ。布団が臭くなるぞ」
そして説得下手くそか。引きこもりのデメリットなんてもっとエグいのが10個くらいあるだろ。それに
「臭くないよ。ちゃんと毎日お風呂に入ってるし」
「布団が?」
「違う! 私が!」
「なんだ、お前の部屋には風呂が付いているのか」
「付いてない付いてない! トイレとお風呂に入る時だけ外に……げほっ」
久しぶりにいっぱい人と会話したせいで喉が痛い。全部こいつのせいだ。
「咳き込んでいるみたいだが大丈夫か? 引きこもりをこじらせたのか?」
「風邪をこじらせたみたいに言わないで」
もう無視しよう。馬鹿の相手をしていたらこちらまで馬鹿になってしまう。引きこもってはいるものの、ゲーム上ではギルドに所属していて友達も出来たのだ。私は椅子に戻り、再びPC画面と向かい合った。
「おい、中に入れてくれ」
頭のおかしな自称忍者なんて誰が部屋に入れるものか。何をされるかわかったものではない。居座られたって絶対に開けないんだから。
「仕方ない。開けてくれないんなら今日は帰ろう」
あれ? 結構すんなり帰るのね。てっきりドアを蹴り壊したり、窓から侵入してきたりするものだと思ったんだけど。
カーテンの隙間から差し込んでくる日が赤く暮れなずんできた。時計を確認すると17時になろうとしいている。ああ、目が霞む。小学生の頃はすごく視力が良かったのにな。私はドアを開け、恐る恐る廊下を見た。誰もいない。まあそうだろう。こんな時間まで部屋の脇に居座っていたら完全に変態だ。私は家族と鉢合わせしないよう急ぎトイレに向かい、ドアを開けた。瞬間的に違和感を感じる。
黒い影のようなものが私の前にあった。驚きすぎて息が詰まる。それは立ちふさがるように仁王立ちしている。そう、忍者である。ええええええっ!? まさか昼過ぎからずっとここで待ち伏せてたの!? 私はびっくりしてトイレの外に出ようとした。しかし驚くほどの手際の良さで羽交い締めにされ、口を塞がれてしまった。何なのこの人! 何が目的!?
「うるさいクソババア! 学校なら行かないって言ってるだろ!」
私は机の上に置いてあったペットボトルをドアに向かって投げつけた。半分水が入っていたペットボトルはドアに当たって大きな音を立て、足の踏み場も無いほど散らかった部屋の片隅に転がった。ああ、私元々こんなに怒りっぽかったわけじゃないんだけどな……。
「俺はクソババアではないぞ」
ドアの向こうから予想外な男の声。少年のような声質なのでお父さんの声とも違う。途端に顔のニキビやボサボサの髪が気になって仕方なくなってきて、クシで髪をとかしたくなった。別に部屋に入(い)れるわけでもないのに。
「えっと、誰なの……?」
先ほどの「クソババア」発言の時より随分柔らかい声で恐る恐る聞いてみる。今更よそ行きの声で取り繕っても遅い気がするけども。
「俺は忍者だ」
これまた想定外の答えだ。外国人に「あなたはどこの国から来たんですか?」と聞いたら「地球から来ました」と答えられた感覚に近いものを感じる。
「……え、忍」
「俺は忍者だ」
「いや、聞こえなかったわけじゃなくて」
「アイアムニンジャ」
「いや日本語がわからないわけでもなくって!」
私の頭は疑問符でいっぱいだった。なぜ引きこもりで友達のいない私に男が訪ねてきたのか? そしてその男はなぜ忍者を名乗っているのか? そもそもこのご時世に「私は忍者です」と言われて「はいそうですか」と信じる奴がいるんだろうか。そんなの「私は宇宙人です」とかいう奴を信じているようなものだ。
「茜、聞こえるか?」
別の男の声がした。今度は聞き覚えのある声だ。
「お父さん?」
「今お前が話している、えー、忍者の神本くんは父さんが呼んだんだ」
「どういうこと」
「古い知り合いから紹介してもらったんだ。なんでも神本くんはどんなトラブルでも解決してくれる凄腕の、まあ便利屋みたいなものらしいんだ」
「俺は便利屋ではなく忍者だ」
すかさず横から口を挟む神本くんとやら。いやどっちでもいいだろうに。というか引きこもりを外に出すため忍者を雇うなんて意味がわからないんだけども。何というか、サブマシンガン片手に挽肉を作ろうとしているかのようだ。
「余計なお世話だし。何をされたって私は外に出る気も学校に行く気もないよ」
「なあ茜、そんなこと言うなよ」
「そんな怪しい人に頼むなんてどうかしてるよ。お父さん、自分の加齢臭を嗅ぎすぎて頭おかしくなったんじゃないの?」
「ひ、ひどい! ……でもお前だってこのまま引きこもっているわけにもいかないだろう。去年の夏から半年以上も外に出ていないのは健康にもよくないし、家族のみんなも心配している。それにこのままじゃ卒業だって……」
そんなこと分かってる。分かっているけどどうにも出来ないからこんなに引きこもっているんだ。こんなに荒んでるんだ。
「お父さんうるさい! どっか行ってよ!」
他人がいるというのにまた怒鳴ってしまったことと、お父さんに当たり散らしてしまったことで余計自己嫌悪に陥る。また嫌なことを思い出してしまった。部屋の外で「あとは任せろ」「じゃあお願いするよ」という会話が聞こえ、お父さんの足音が遠ざかって行く。
「どうして引きこもってるんだ」
例の忍者はまだ諦めていないらしい。
「アンタに言う義理なんか無い」
「確かにそうだな」
納得するんだ。
「引きこもっていると、あれだぞ」
どれだよ。
「よくないんだぞ。布団が臭くなるぞ」
そして説得下手くそか。引きこもりのデメリットなんてもっとエグいのが10個くらいあるだろ。それに
「臭くないよ。ちゃんと毎日お風呂に入ってるし」
「布団が?」
「違う! 私が!」
「なんだ、お前の部屋には風呂が付いているのか」
「付いてない付いてない! トイレとお風呂に入る時だけ外に……げほっ」
久しぶりにいっぱい人と会話したせいで喉が痛い。全部こいつのせいだ。
「咳き込んでいるみたいだが大丈夫か? 引きこもりをこじらせたのか?」
「風邪をこじらせたみたいに言わないで」
もう無視しよう。馬鹿の相手をしていたらこちらまで馬鹿になってしまう。引きこもってはいるものの、ゲーム上ではギルドに所属していて友達も出来たのだ。私は椅子に戻り、再びPC画面と向かい合った。
「おい、中に入れてくれ」
頭のおかしな自称忍者なんて誰が部屋に入れるものか。何をされるかわかったものではない。居座られたって絶対に開けないんだから。
「仕方ない。開けてくれないんなら今日は帰ろう」
あれ? 結構すんなり帰るのね。てっきりドアを蹴り壊したり、窓から侵入してきたりするものだと思ったんだけど。
カーテンの隙間から差し込んでくる日が赤く暮れなずんできた。時計を確認すると17時になろうとしいている。ああ、目が霞む。小学生の頃はすごく視力が良かったのにな。私はドアを開け、恐る恐る廊下を見た。誰もいない。まあそうだろう。こんな時間まで部屋の脇に居座っていたら完全に変態だ。私は家族と鉢合わせしないよう急ぎトイレに向かい、ドアを開けた。瞬間的に違和感を感じる。
黒い影のようなものが私の前にあった。驚きすぎて息が詰まる。それは立ちふさがるように仁王立ちしている。そう、忍者である。ええええええっ!? まさか昼過ぎからずっとここで待ち伏せてたの!? 私はびっくりしてトイレの外に出ようとした。しかし驚くほどの手際の良さで羽交い締めにされ、口を塞がれてしまった。何なのこの人! 何が目的!?