「はい。めっちゃ嬉しいです。身分証明書を再発行してもらうの大変でしたけど、これでやっと落ち着いたというか。あ、お金返さなきゃ」
「いつでもいいってば。身分証明と銀行カードがあるんだから、先にスマホ買っちゃいなさいよ」
「じゃあお言葉に甘えて。音楽は聞きたかったんです。カラオケ屋のバイトをしてたのもいろんな音楽が聞けるからで」
「そうだったの、だから歌番組にも詳しかったのね」
「友だちの家でも音楽聞きながら料理したりとかして。あ、行儀悪いですかね?」
「いいわよ、家でも好きな感じで料理しちゃって。今、冷蔵庫の中のレパートリーが増えて私もめっちゃ嬉しいわ」
 マリ子は、遠藤の口真似をしながらいたずらっぽそうに笑った。ひとり暮らしの時は、億劫でつい買ってきたものだけが食卓に乗っていたけれど、ここ1ヶ月は遠藤が料理を手伝ってくれることもあって、食卓に彩りが増えている。
 遠藤が来てくれたおかげで、総菜調理と売り場の兼任も解けたので、ほっとひと息ついているマリ子だった。

「さて今日も頑張りましょ……うっ、痛った…ぁぁぁ!」
「え、マリ子さん? どうしたんですか?」
 従業員専用の入り口に向かう階段を一段上ったところで、マリ子は腰の激痛に耐えかねて思わず膝をついた。
 ピキーンと腰に痛みが走り、まったく力を入れられない。丸めた腰に片手を当て、もう片方の手は階段についたまま、マリ子は動けなくなってしまった。
「大丈夫ですか? マリ子さん!」
 遠藤の慌てる声にも、脂汗が出るばかりできちんと答えられない。
「どうしよう……どうしよう。マリ子さん、ちょっと待ってて下さいね。すぐに戻ります」
 遠藤がバタバタと従業員控え室へと走り、出勤していた都筑とユカを呼んで戻って来た。
「どうしましたマリ子さん……こりゃあ大変だ」
「マリ子さん腰、やっちゃったの……え、急に? ああそれはぎっくり腰ね」
「ぎっくり腰?」
「疲れが溜まっていたり無理をしていると、何かの動きで突然腰痛になることがあるのよ。あたしもくしゃみしてぎっくり腰になったことがあるから分かるわ」
「よし、俺と高橋君で控え室に運ぼう。遠藤さんはドアを開けてくれ」
「はい」
 マリ子はふたりに支えられて、何とか控え室の椅子に腰を下ろすことが出来た。座っていればいくらか痛みが治まり、そろそろと深呼吸をする。ああ、痛かった。
「遠藤さん、都筑さんにユカちゃん、ありがとねぇ……」
「今日は店長に連絡してシフト交代してもらって、マリ子さんは整形外科行ってきて下さい」
 都筑の言葉に、マリ子は渋い顔を見せる。
「うーん、ちょっと休めば動けそうだけど……」
「ダメよマリ子さん、すぐに行かないと再発するんだから。あたし、店長に連絡してくるわ」
「ありがとうユカちゃん」
 しばらくして、店長がバタバタと忙しなさそうにやって来た。