線路沿いの道を元に戻れば、徐々にターミナル駅前の賑やかさとは空気が変わっていく。
 雨を気にしながら少し早足で8分ほど歩けば、いくつかの街灯が辺りを寂しく照らす中、ふたりはマリ子の家に着いた。
「間に合ったわね、雨が降る前に帰って来られた」
 そう言ってマリ子は、お財布から500円玉を取り出して、豚の貯金箱に入れた。

「何ですか、豚? おまじないかなんかですか?」
「貯金箱と言えば豚でしょ」
「知らないです」
「今どきの子は豚の貯金箱を知らないのね。これは小さな豚さんだから10万円くらいってところかしら」
「へぇ。何のために貯めてるんですか?」
「そうねぇ。今のところは節約代わりにってところかしら。雨が降る前に家に帰って来られたら500円入れるって決めているの」
「面白いですね」
「以前はねぇ、100万円貯めたこともあるのよ。ため息貯金って言って」
「ため息貯金?」

 そこまで話していてマリ子はあらやだと声を上げると、急いでホームレス女子にコートを脱ぐよう言った。
「玄関で立ち話なんて寒いわよね。とにかくそのコート脱いで部屋に入って、あったまって。今ストーブつけるから。お茶で良い?」
「お茶、自分やります」
「そう? それじゃこれ淹れてくれる? 私何か甘いもの用意するわね。あったかしら……あったあった羊羹。羊羹食べる? 若い人は食べないかな」
「食べます」
「ほんと!? じゃあ切るわね。お茶ありがと。先に飲んでて」

 台所とひと続きになっている小さなダイニングに彼女を通すと、マリ子は棚の中にしまっておいた羊羹を取り出して、包丁で短冊に切った。
「ひとりで食べても食べきれないなーって思ってたところだったの。ちょうどよかったわ」
「遠慮なくいただきます」
「私も食べよっと。いただきまーす」
「で、さっきのため息貯金って……」
 彼女からの問いかけに、マリ子はあ、そうそうと頷いた。
「私ね、見て分かると思うけれどひとり暮らしなの。離婚しててね、ここは私の実家。だから気を使わないでね。──夫に、家の中でため息なんかつくなって言われてずっと我慢してたの。人間ため息つきたい時なんていくらでもあるじゃない。だけど、夫との生活にため息を持ち込んじゃいけなかった。で、考えたの。ひとつため息を我慢するごとに500円」
「それ、いい考えですね」
「でしょ? コツコツそうやって貯金したのと実家を相続したところで、バーンと切り出したわ、離婚。気持ち良かったぁ、ずっと精神的に束縛されていたから」
「モラハラってやつですね」
「よく知ってるわね。さて、お風呂沸かしてあげるから入って来ちゃいなさい。冬とはいえ臭うわよ。お風呂入ってないでしょ」
「実は1週間くらい入ってません」
「あなたの話はそれから聞かせて」
「はい」
「パジャマは私の貸してあげるわ、洗濯機の上に置いておくわね」