玉砕覚悟で学校一のイケメンで人気者であるクラスメイトの氷川くんに告白し、いつもの淡々とした軽い口調で「じゃあ付き合おっか」と言われたのが一ヶ月ほど前のこと。
 まさか拒絶されないどころか受け入れられるなんて予想だにしていなかった展開に初めは混乱したが、連絡先を交換し放課後デートっぽいこともして、次の日の朝一緒に登校した所で漸く現実である事を理解し、それから暫くは浮かれまくりの脳内お花畑状態で過ごしていた。
 しかしたった今目撃した光景に、僕は一気に現実に引き戻された。
 自分と付き合っている筈の恋人が、クラスメイトの女子とキスをしたのだ。
 何故キスなんかしたのか。よくある、彼らの仲間内(一軍陽キャの集まり)で行っていたゲームで負けた二人が罰ゲームと称してさせられた行為だったと思う。
 男女の唇が触れ合った瞬間、「ヒュー!」なんて持て囃す声が上がって、一緒に教室の隅でくだらない話をしながら手元の作業を進めていた友達が「陽キャこえー……」と呟いていた。その言葉に、相槌がうてていたかどうかは分からない。
 陽キャ軍団から自分の手元に視線を戻し、いつの間にか握りつぶしていたらしいペーパーフラワーになるはずだった物を見つめる。真っ白になった頭の中では、先程の光景が何度もリピートされていた。
 今氷川くんと付き合っているのは僕なのに、罰ゲームとは言え何故彼はあの女子とキスなんかしたんだろう。
 そう考えた時、ある違和感が過ぎった。
 ぐしゃぐしゃになった紙をひとまず床に置いて、新しい紙の束を掴み一枚一枚ゴム止めされている中心に向かって広げていく。
 氷川くんが僕の告白を受けてくれたのが一ヶ月ほど前。その後は度々共に登下校したり、放課後寄り道したり、メッセージで他愛の無いやり取りをしたりした。僕はそれだけでも嬉しくて、楽しいな、幸せだななんて思っていた。
 でも冷静になってみれば、この一ヶ月それしかしていない。
 恋人ができること自体初めてだからよく分からないがおそらく、手を繋いだり、早ければキスとかも済ませていていい頃合だ。けれど何もない。僕からも何もしていないが、恋愛経験が豊富であろう氷川くんからも、何のアクションもない。
 時間が合えば一緒に登下校して、時々寄り道して、メッセージを交わし合う。それって……僕らのしていた事って、ただの友達と変わらなくないか?
 あれ、というかそもそも、付き合おうかと言われたけれど、僕彼に、一度も好きだと言われてなくないか?

「…………」
「水野?どした?」

 無言で立ち上がった僕に声をかけた友人に「トイレ行ってくる」と告げて教室を出る。
 今は学園祭の準備期間で、本番まであと数日ということもあり、もう少しで日が落ちる時間帯だというのに各教室も廊下も多くの生徒が行きかい賑やかだ。けどそんな喧噪も、今の僕の耳には届かない。
 気が付いてしまった事実に、悲しいとか悔しいって感情より、今まで気付けなかった自分の鈍さと浮かれように腹が立った。それから、たった一ヶ月とは言え、氷川くんを僕の自己満足な欲望に付き合わせてしまったことに申し訳なさを感じた。
 好きじゃないならどうして告白を受け入れたのだろうとかいろいろ疑問が残る部分はあるけれど、これは一刻も早く僕から別れを切り出さなければならないのではないだろうか。
 いつの間にかいつも使っている校内の自動販売機前に来ており、缶のいちごみるくを購入しプルタブを開け一気に飲み干す。

「……よし」

 明日言おう。
 せっかく付き合えたのにすぐにお別れしてしまうのは非常に寂しいが、元々この関係が一生続くと思っていたわけではない。きっといつか別れる時がくる。男同士なんてそんなものだ。自分が思っていたより早く、その時が来ただけ。
 そう、自分を納得させるようにぶつぶつ呟きながら、ぐっと拳を握りしめ決意を固めて数日。
 結局僕も氷川くんも学園祭準備が忙しくろくに会話もできず別れを切り出せないまま、学園祭の当日を迎えていた。
 僕らのクラスの出し物は喫茶店で、僕は裏方、イケメンで人気者の氷川くんはウェイターとして表に出ていた。
 学校指定のスラックスと白のワイシャツの上に緑のエプロンを付けているだけだというのにスタイルがいいから驚く程様になっていて、簡単にときめいてしまったのは言うまでもない。そして案の定女の子からの人気が絶大だ。彼目当てで沢山の女子生徒が押し寄せてきてる。その為、氷川くんとシフトの被っていた僕とその友達は非常に大忙しだった。
 やっと交代の時間になり、友達とへとへとになりながら更衣室に行き着替えていた時、共に交代時間を迎えていた氷川くんと数人の陽キャも更衣室にやってきた。

「はー疲れた、やっと自由時間!」
「氷川のせいでクソ忙しかったわ」
「え、俺のせいなの?」
「来てた客ほぼ氷川目当てなんだから氷川のせいだろ」

 楽しそうに話しながら着替え始めた彼らを最初は見ないようにしていたのだが、ついつい気になって氷川くんの方をちらりと見る。丁度ワイシャツを脱いだ所で、インナーを着ていても程よく筋肉がついているとわかる案外ガッシリしたからだにどきりとして、でもいけないものを見てしまったかもしれないと勝手に慌ててぱっと顔を逸らす。
 僕の想いが一方通行だったと知った今でも、彼を好きだという気持ちは大きくなるばかり。だから本当は、別れたくなんかない。でもきっとこのままじゃ、僕にとっても彼にとっても良い結果は生まないだろう。
 学園祭が終わればお互い時間もできるはず。その時に別れようって、言うんだ。

「よっしゃ、水野行こうぜ」
「あ、ごめんあと少し待って」

 今回の学園祭の自由時間は、先に着替え終えて僕を急かしているこの友人と、もうひとり他クラスの友人の三人でまわろうと約束していた。
 本当は別れる前の思い出作りとして氷川くんを誘ってみたかったけど、誘う勇気が出なくて声をかけられなかった。それにきっと彼は仲のいい友達とまわるだろうし。
 そうこうして着替え終えて、待ってくれていた友達と共に更衣室を出ようとした時だった。

「水野!」
「!」

 突然腕を掴まれ驚いて振り向くと目の前には氷川くんがいて、予想外の事に僕はぽかんと氷川くんを見上げた。

「……田中、学園祭、水野とまわりたいんだ。いいかな」
「えっ!?」

 声を上げたのが僕だったか友達(田中)だったかは分からない。二人とも数秒放心した後顔を見合わせ、田中は「俺は別に、構わないけど……」と言った。

「ありがとう。じゃあ水野、行こっか」
「えっ、えっ!?」

 ぐいぐい腕を引っ張られ連れて行かれる僕を田中はぽかんと眺めるだけで、当の僕も状況が上手く呑み込めておらずされるがままとなっていた。
 漸く頭が冷静に考えられるようになった時に、未だ僕の手を引く彼に声をかける。

「あ、あの、氷川くん?」
「……ごめん水野、強引に連れて来ちゃって」
「それは別に、いいんだけど……」

 繋がれている手に視線を落とし、彼に触れている事を意識して鼓動が早くなるのを感じた。まさか彼と初めて手を繋ぐのがこんな状況でになるとは思わなかった。

「氷川くんはよかったの?友達とまわるんじゃ……」
「……実は、水野とまわろうと思って全部断ったんだ」
「え?な、なんで?」
「なんでって、付き合ってるんだし」
「!」

 付き合ってるって認識はあったのか……。
 そのことに少しほっとはしたが、先日の彼が他の子とキスをしている姿を思い出しずんと心がしずむ。
 そうだこれは、別れを切り出すチャンスなんじゃないだろうか。氷川くんが僕と学園祭をまわってくれるって言うなら、少しだけ……最後に思い出を作らせてもらってそれから、別れようと言おう。
 氷川くんの手を握り返すと、彼はちらりとこちらを振り向きふっと微笑んだ。
 そうして、僕らは二人で学園祭をまわった。行く先々で氷川くんは何人にも声をかけられたり女子に囲まれたりしてて、やっぱり彼は人気者でモテるんだなと改めて思い知らされた。そしてなにかも平凡な僕とは、住む世界も違うんだってことも。
 あの時、氷川くんとキスした子もかわいい女の子だった。本来彼の隣りには僕なんかじゃなく、ああいう煌びやかな子がいるべきだ。
 彼と付き合えたことに浮かれて僕には、何も見えていなかった。

「水野?」

 声をかけられはっとして顔を上げると、心配そうに僕の顔を覗き込む氷川くんがいた。そんな彼の手にはふたつ、クレープが握られている。

「大丈夫?」
「え、な、なにが?」
「暗い顔してた」
「そ……んなことないよ、ちょっと疲れちゃったのかも」

 あはは、なんて作り笑いを浮かべる僕を見て、氷川くんはなにか言おうとしたが言葉を呑み込む。そして僕にひとつクレープを手渡すと、空いている方の手をとって歩き出した。

「休憩できるところ行こっか。いいところ知ってるんだ」

 また触れた手にどきりとしつつも、彼の後について行く。人ごみを避けて辿り着いたのは、準備室棟にある社会科準備室だった。
 氷川くんはどこからか取り出した鍵を鍵穴に差し込んで開き、僕を準備室内に案内してくれる。

「ここって、入ってもいいの?」
「……本当は俺、あんまり大人数が好きじゃなくて、前まではよく保健室に逃げてたんだけど、社会の鈴木先生が察してくれて、疲れたらここで休むといいって鍵を俺に預けてくれてるんだ」
「そうなんだ……」

 氷川くんが実は大人数が苦手なのは少し以外だったが、僕に言ってよかったのかな。この社会科準備室は氷川くんが唯一学校内でひとりになれる場所のようだし、そんな場所に僕なんかが踏み込んでしまって、本当によかったのだろうか。
 そう不安になっているのを察したのか、氷川くんは「水野は特別」と言ったから心臓が変に高鳴ってしまった。少なくとも彼にとって僕は無害らしい。
「水野、こっちおいで」

 準備室に置かれていたソファに座った氷川くんが、そのとなりをぽんぽん叩き僕にも座るよう促す。言われるがまま腰掛け、二人でクレープを食べながら他愛ない話をした。
 氷川くんとは、趣味が共通しているとうわけでもないが、波長が合うからかとても話しやすい。彼の話を聞くのも楽しいし、彼が聞き上手だからか僕も話していてとても楽しいのだ。
 だから時間が経つのを忘れてついつい話し込んでしまうので、今回も室内がやけに薄暗くなったことで時間が結構たってしまったことに気が付いた。

「もうこんな時間か……結局あんまりまわれなかったね」
「うん。でも僕は楽しかったよ。氷川くんのおかげ」
「……俺も、楽しかった」

 にこりと微笑んだ氷川くんの表情にどきりとして、思わずぱっと顔を逸らす。
 というか、普通に楽しんでしまったが、僕はこれから彼に別れようと言わなければならないのだ。この少しだけいい雰囲気の中する話ではないが、たぶん今を逃したら、この幸せを求めてまだ少し、もう少しと一生逃し続けてしまう。それは絶対に、いい結果なんかうまない。

「後夜祭、もう少しで始まるけど行く?」
「……氷川くん」
「ん?」
「あの、もう僕ら……お別れ、しませんか」
「え……」

 氷川くんがぴたっと動きを止めた。きょとんと何度か瞬きをした後、何かに思い至ったのか「あぁ」と声をもらす。

「友達と合流する?だったら俺はもう少しここにいるから――」
「ちがっ、そうじゃなくて!」

 珍しく大きめの声を上げて言葉を遮った僕に、氷川くんは驚きと困惑の視線を向けた。まぁ自分で自分の上げた声に一番驚いているんだけれども。

「水野……?」

 緊張のせいか、少しだけ手が震えている。なんだか気まずくて、氷川くんの顔も見れない。
 それでも言わなくちゃ。
 指先をぎゅっと握りしめて、僕は顔を上げた。

「お付き合いを、終わりにしませんか」

 僕の静かなその言葉に、氷川くんは目を見開いた。
 そして数秒の沈黙。
 てっきりすぐにいいよと承諾されると思っていた僕は、そのわずか数秒間の沈黙もこの一気に凍り付いた空気により数分間のもののようにも感じていた。

「……なんで?」

 ようやく沈黙を破った氷川くんの声はいつも通りだが、予想していた返答とは全く違い、僕は少し動揺しながらも聞かれたことには答えなければと口を開く。

「えっと、氷川くんのこと、一ヶ月も僕に付き合わせちゃったなって思って、それで……もう、別れるべきだなって、思ったから」
「なんで、全然わからない。俺、付き合わされてるなんか思ってないよ」
「こ、これ以上は僕といても時間の無駄になっちゃうっていうか……」
「水野といる時間が無駄だったことは今までもないしこの先もない」

 またしても予想外の返答に、「えっと、あの」としどろもどろになるしかなかった。
 何故こんなにも食い下がってくるのか。動揺して白くなりかけている自身の脳内ではどんなに考えてもわからない。

「……俺のこと、嫌いになった?」
「ち、ちがう!」

 僕の否定の言葉に、氷川くんは余計に納得してなさそうに「じゃあなんで別れるなんて言うの」と言った。そりゃそうだ。
 恋人同士が別れてしまう理由は相手への気持ちが冷めてしまったというのが大半であろう。僕の場合そうでないから、なんというか説明に困ってしまう。彼のこの反応を予想していなかったから余計にだ。
 これは、変な誤魔化しや嘘は通じないかもしれない。

「水野、はっきり言って」
「う、あ、だ、だって」

 言わないつもりでいた。もし言って、肯定されたらきっと僕はしばらく立ち直れないから。
 でももう、言わなければ納得してくれないのであれば、言うしかない……。

「だって氷川くん、僕のこと好きじゃないから……!」
「は?大好きだが?」

 意を決して叫ぶように言った言葉に、氷川くんは信じられない返答をした。

「…………え、なんて?」
「だから、水野のこと大好きだって言ったの」

 何を今更当たり前のことを、とでも言いたげな彼の表情に困惑する。
 氷川くん今、僕のこと好きって言った?
 彼の言っていることとか展開に思考が追い付かなくて背後に宇宙を背負っていると、氷川くんがばっと立ち上がった。

「え、うそ、もしかして伝わってなかった……?」
「だって……氷川くんそんなこと、一言も……僕、言われた事なかったから……それにこの前、女の子とキス、してたし……」
「え?」

 ぐるぐるする頭の中を整理したいのに、どうにも思考がまとまらない。
 僕は、彼が僕と付き合ってくれたのはいっときの戯れで、好きとかそんな感情もなく、いつ別れても構わないと思っていると思っていた。だってそう思うだろう。僕は彼に好きだと言われていないし、恋人らしいことは何ひとつしていないのだから。
 でもそれ全部、僕の勘違いだった、ってこと?
 いやいや、もしかしたら都合のいい夢を見ているだけかも。夢でないとしても、彼の好きはただの友達としての好きって可能性もある。だって女の子とキスしてたし!
 変に期待したくなくて、彼の真意を確かめようと顔を上げると、彼も僕と同じように口元に手を当て何か考え込んでいた。

「あの……氷川くん?」
「…………」

 名前を呼ぶと、氷川くんは僕に視線を戻しそして、目の前に膝をついて座った。

「女の子とキスって、もしかして準備期間中の?だったらあれは未遂、直前でちゃんと止めた。誓ってしてない」
「え……」
「あの場にいた奴らみんなに確認とってもいい。俺は絶対、そんなことさせない」
「そ、っか……」
「それから……ごめん。俺てっきり、口に出しているもんだと思ってた」

 氷川くんの両手が、僕の右手を包み込むように握る。

「俺、水野のこと本当に好きなんだ。告白を受けたのも、ずっと水野のことが好きだったから」

 彼の真っ直ぐな視線が僕を捕らえている。この感じ、嘘を言っているようには見えない。そもそも氷川くんはこんな噓をつくような人じゃない。
 でも衝撃的すぎて言葉が見つからず口をぱくぱくするだけの僕の方にぐっと身を乗り出してくる。

「きっかけは、水野は覚えていないかもだけど、誰も気付かなかった俺の体調不良に水野が気付いてくれた時。さりげなく保健室に行くのを促してくれて、それが印象的で、水野を目で追うようになった」

 覚えている。
 その時まだ僕は氷川くんのことを意識なんかしてなくて、でも無理をしてそうな彼が放っておけなくて声をかけた。
 それがきっかけで氷川くんも僕によく話しかけてくれるようになって、彼の人となりを知っていくうちに、好きになったんだ。

「告白されたときは飛び上がるほど嬉しかった。でも水野にはかっこよく見られたいからって、クールなふりして変な態度をとってしまった……」
「じ、じゃあ、なんで今まで……好きとか、恋人らしいことは、何も……」
「毎日、水野に会うたびかわいい、好きって思ってた。手も繋ぎたいしキスだってしたかったけど、水野付き合うの初めてって言ってたし、がっついたら嫌われるかと思って、段階を踏んで、ゆっくりでいいから進展していければと思ってて……だから好きって言うのも我慢してたんだけど、そっか……我慢しすぎて一度も言ってなかったのか……」

 氷川くんは僕の右手を胸の前で握りなおし、こちらを見上げた。

「水野が好きだよ。これからは言葉にすることも惜しまないし、許されるのであれば、もっと進展したいと思ってる。もちろん水野の嫌がることはしない。だから……」
「!」
「だから、嫌いじゃないなら、別れるだなんて言わないで」

 そう、懇願するように僕の手を握る手に少し力を込めた。心なしか、少し震えている気がする。
 僕は彼が何でも要領よくこなせる人で、モテるし、恋愛経験も豊富なのだと思っていた。でも実際は失敗もするし、こうやって誰かに縋るほど、すこし不器用で。

「……僕も本当は別れたくなんかない」
「!」
「氷川くんのことが、好きだから」

 空いていた左手で、僕も彼の手を握る。
 彼だけじゃない。僕だって言葉が足りなかった。思っていること、別れを切り出す前に言っていれば、こうやって氷川くんを傷つけることはなかっただろう。

「別れるって話、無しにしてもいい……?」
「も、もちろん!」

 心底ほっとして、力が抜けたようにその場に座り込んだ氷川くんは、いつもより優しい微笑みを僕に向けてくれた。

 ―――

 学園祭が終わって数日後の土曜日。
 僕は慌ただしく家を飛び出し、家の前で待ってくれていた氷川くんのもとに駆け寄った。

「ご、ごめん、寝坊しちゃって!」
「ふふ、いいよ。まだ時間はあるし。じゃあ行こうか」

 さりげなく僕の手を取って歩き出した彼の横に並び、空いている方の手で乱れた髪を整える。
 今日は初めての休日デート。楽しみすぎて昨日はろくに寝られなかった。
 デートの日に寝坊してしまうなんて僕はなんて馬鹿なんだと密かに反省していると、横から視線を感じちらりと見上げた。すると、氷川くんがいつにもましてにこにこと機嫌よさそうに僕を見ていた。

「な、なに……?」
「んー?寝ぐせかわいいなって」
「えっどこ!?」

 時間はなかったとはいえ寝ぐせは全て消してきたと思っていたのに。
 手で頭を押さえつけながらどこにあるか聞いたがにこにこ笑うだけで一向に教えてくれない。ていうか氷川くん今、さりげなくかわいいって言った?
 そのことに気付いて顔が赤くなるのを感じながら、それを誤魔化すように顔を逸らす。
 あの学園祭の日から、氷川くんの態度は明らかに変わった。
 我慢していたのは本当のようで、毎日好きとかかわいいとか言うし、隙があれば手だって繋ぐ。教室内でも目が合えば手を振ってくれるし、もうオーラだけで僕への好意がまるわかりだった。
 あのきれいな顔で熱い視線を向けられまくっているから、そろそろ僕の心臓が限界を迎えそう。
 とりあえず寝ぐせは諦めて、相変わらず上機嫌な氷川くんの手を握り返し目的地へと向かった。
 デートの内容はいたってシンプルだった。映画を見た後ショッピングモールで買い物したりゲームセンターに行って遊んだり。それでも氷川くんのエスコートが上手いからか氷川くんといるからかは分からないがとても楽しく、あっという間に時間が過ぎていき、気が付いたら僕は家の前まで送り届けられていた。

「氷川くん、今日はありがとう。送ってもらっちゃったりして、なんかごめんね……」
「いーの。俺がしたかっただけ」

 圧倒的彼氏力。これがスパダリというものなのだろうか。

「……それじゃあ、また、学校で」
「うん。またね」

 そう別れの挨拶はしたが、お互いに一歩も動かない。氷川くんは僕が家の中に入るまで見届けるつもりなのだろう。それを察しはしたが、何だか別れがたく僕も動けないでいた。

「水野?」

 不思議そうに僕の顔を覗き込んだ氷川くんを見て、僕は彼の服の襟を軽く掴む。
 一生分の勇気は告白で使ったと思っていたが、まさかここでも同等の勇気を使うことになるとは。
 ひとつ息を吐いて、今だ不思議そうな顔をしている彼の頬めがけて、僕は口付けをした。
 唇が触れたのは一瞬で、ろくに彼の反応など見ずに光の速さで離れ「それじゃ!」と家の中に駆け込んだ。暫くして「反則だろ!」と外で声が上がったが、僕もそれどころじゃなく玄関の扉前で熱い顔を冷ますのに必死だった。
 彼のことが好きだから、いつも与えられてばかりだから僕も何か行動で示せればと思ったけど、大胆すぎたかもしれない。次学校でどんな顔して会えばいいんだ。

 そう思い悩んでいたが次の月曜日、登校してきた僕を速攻で社会科準備室に攫い仕返しとばかりに唇に深いキスをされたのは、また別のお話。

 END