私は、一日の終わりに”葉空ヨリ”でSNSを検索するのが好きだ。
小説の感想が呟かれているのはもちろん嬉しいし、ヨリ先生の外見が褒められていても嬉しい。私にとってヨリ先生は担当作家であり、人生の推しなのだ。だからヨリ先生を好意的に見る意見はなんでも嬉しい。
稀に『葉空ヨリの小説、自分に合わないなぁ』という感想を見つけることもあるけれど、酷評されるような著書は一作もないし、ヨリ先生自身が悪く言われることもなかった。
そもそもヨリ先生は、プライベートをあまり見せない。宣伝用に個人のSNSアカウントはあるが、『発売日です。よろしくお願いします』と告知をするか、出版社やレーベルの宣伝ポストを拡散するくらいしかしない。
ラジオ番組は基本読者のお便りを読み、リクエストの音楽をかけるだけで、自我は出さない。メディアのインタビューでも当たり障りのないお手本のような内容しか答えていない。
だからヨリ先生自身が批判されることなど、今までほぼなかったと言える。
芳賀穂乃花の小説が投稿される夜中の十二時前。
私はベッドに寝転びながら、SNSで“葉空ヨリ”を検索していた。
葉空ヨリなりすまし騒動があったことで、ヨリ先生について活発に呟かれている。『#葉空ヨリの好きな小説』というハッシュタグが、トレンドに入っていたくらいだ。
私はそれを眺めながら共感し、頬がゆるむのを止められないでいた。次から次へとスワイプしていくと、
【なにこのノベルタウンの新作。今日、葉空ヨリのなりすましで話題になってた人? 変なこと書いてあるけど http://~】
その投稿は一分前。呟きの最後にはURLが載せられている。芳賀穂乃花というワードに心臓が跳ね、URLをクリックする。
【タイトル:青春小説家H.Yに殺されました】
【作家:芳賀穂乃花】
「……あ」
口から、震える声が漏れた。 ……また投稿された!
なりすましの葉空ヨリが投稿した時とおなじ、セーラー服の後ろ姿の写真が表紙に設定されている。
ばくばくと嫌な予感が身体を波打ち、私は思わず立ち上がった。慌てて根津編集長に電話をかける。
もう夜中の十二時だ、出てくれるだろうか。コール音が心臓の音と連動してうるさい。
「まきちゃん、どうした――」
「編集長、夜分にすみません! 大変です、また投稿されました! 芳賀穂乃花です! 私もまだよくわかっていませんが、とにかくすぐに非公開にしてもらってもいいですか? URL送ります……!」
「わかった、一旦切るね」
眠そうな声で電話に出た編集長だが、すぐに状況を察してくれた。編集長が対応してくれるまで、私は投稿された小説を読んでみる。
【私は十八歳のときに死にました。
愛知県にある、I高校のなかで。
私を殺したのは、青春小説家H.Yです。
正確にいえば、それは殺人とは言えないかもしれません。
私は自分で死を選んだのですから。
いじめられる方が悪いと言いますし、本当の原因は私かもしれません。
それでも。あなたが涼しい顔で、きれいごとを説き、美しい世界を描くのが許せないのです】
……これはまずい。絶対にまずい。心臓の音が、耳まで届き始める。
投稿された内容の真偽関係なく、こんなものを投稿されたら“葉空ヨリ”として、最悪だ。この文章が訴えたいことは“葉空ヨリにいじめられていた”ということであり、葉空ヨリの作品のイメージに直結する。
『火のないところに煙はたたない、とか言って燃やされる』という編集長の言葉が思い浮かぶ。
早く……一刻も早く、これを消し去らなくては……!
そこでスマホが震えた、編集長からの電話だ。
「もしもし、まきちゃん。気づいてくれてありがとうね、さっきの小説は非公開にしたから」
私が編集長に電話をかけてから三分もかかっていない。すぐに対応してくれたことにまず安堵する。あんな投稿、一分でも公開していたくない。
「ありがとうございます!」
「すぐに非公開にはできたけど……どれくらい目についたかだね」
「そう、ですね」
「小説のPVはそこまで多くなかった、百くらいだったかな。投稿されたのが十二時ぴったりで、公開されていた時間は十分」
小説を目にした人間の数は少ないし、時間も短い。……しかし、ここからどれほど広がっていくかは、未知だ。
「また明日対策について話し合いましょう」
「この後また投稿される可能性もありますよね……!?」
「ない、とは言い切れないわね」
「ノベルタウンを少し閉じれないんですか!? 緊急メンテとか、言い訳はありますよね」
「……ヨリ先生のためだけのサイトではないからね」
「だけど……っ!」
「いたずらのたびに対応していられないわ」
私の荒い声に反して、編集長の声は穏やかだ。その温度差に苛立ちが募る。ノベルタウンの利用者と葉空ヨリを天秤にかけるまでもない。須田文庫の売り上げの多くを占めるヨリ先生は、何にも代えられないはずだ。
「わかりました。では私にもノベルタウンの権限をいただけませんか。今夜は見張ります。危険な投稿があれば、すぐに対応しますから」
「まきちゃん。ヨリ先生が心配なのはわかるけれど」
「今夜だけですから! どちらにせよ今夜は眠れそうにありません」
「……わかった。メールで管理者のパスワードを送る。だけどあまり気にせずに、眠れそうだったら寝るのよ」
「わかっています。では、失礼します」
私はすぐに通話終了ボタンを押した。こうして喋っている間にも投稿されるかもしれない。すぐにノベルタウンにアクセスし、新着投稿作品を見るが、この数分に新たに投稿された小説はなかった。
私は仕事用のカバンからノートパソコンを取り出し、ベッドの前に置いてあるミニテーブルにセットした。
何が明日対策について話し合おう、だ。そうやって様子見をしているからこんな投稿を許すのではないか。
編集長はことの重さに気づいていない。少しでもヨリ先生に悪いイメージがついたらどうするのだ。ヨリ先生の著書はいじめを取り扱う話も多く、十代のファンが多くついているのに。デマでも、広がればなかには信じる人も出るかもしれない。
バイトでもなんでも雇って、サイトを二十四時間監視させたほうがいい。事実無根ないたずらで、ヨリ先生が誰かに疑われるだなんて絶対にあってはならないことだ。
ノートパソコンでノベルタウンの新着小説を確認しながら、スマホでSNSを見てみる。話題にはあがっていなさそうだ。PV数からして目にしていない人の方が多いのだろうか。ノベルタウンの新着投稿があまり目につかない場所にあることも幸いしたかもしれない。
【なにこのノベルタウンの新作。今日、葉空ヨリのなりすましで話題になってた人? 変なこと書いてあるけど http://~】
最初に気づいた人の投稿はリポストもされておらず、返信が一件だけついているだけだ。
【なんのこと? リンク先、飛べないよ】
【あれほんとだ、もう消されてる。今日話題になってた人の投稿だったんだけど、いたずらかな】
そこで会話は終わっている。この雰囲気ならスクショも取られていないのではないだろうか。
三十分ほどSNSで“葉空ヨリ”“ノベルタウン”とサーチをかけたが、この小説に触れている人はいなかった。
その間、芳賀穂乃花の新しい小説投稿もない。
身体の熱がようやく引き、コーヒーを淹れる余裕もうまれる。
それにしてもしつこいアンチだ。もしくはヨリ先生への好きをこじらせて暴走したファンの仕業なのだろうか。
朝が来るまで、一分に一度サイト更新ボタンを押し続けた。結局、芳賀穂乃花の小説は投稿されることはなかった。
翌日の午前にはノベルタウンを運営する第一編集部との話し合いが行われた。
彼らに何通もファンレターが届いていたことを説明すれば、単なるいたずらを超えた悪質な行為と捉えてくれ、対策を取ってくれることとなった。
一つ目は、サイトの見回りを強化して、危ない投稿はすぐに非公開、作者を強制退会の措置を取る。
二つ目は、ノベルタウンのトップページに注意喚起を出し、なりすましや誹謗中傷行為の禁止を再周知させる。
三つ目は“芳賀穂乃花”や“葉空ヨリ”をNGワードに設定し、このワードを含む場合は投稿エラーにして弾く。
どれも小手先の対応で、ヨリ先生を守ることが出来るかは疑問だが、なにもないよりはずっといいだろう。
私なら、すべての投稿を一時的に承認制にする。
それを根津編集長に提案してみたが「ノベルタウンの利用者に制約はできない」と一蹴されてしまった。
そのあとは、弁護士に相談してみるの一点張りだ。
「昨日投稿された小説、俺も見たけどあんなん誰も信じないよ。妄想癖のある人間だよ、あれ。ちょっと変な人がヨリ先生に粘着してることはユーザーだってわかるって」
隣の席の先輩はそう励ましてくれる。だけど、私は素直に頷けないでいた。気にしすぎても足りないくらいだ。ヨリ先生に一点の染みもつけたくない。
その日の昼、私と根津編集長は都内のホテルを訪れた。ヨリ先生との会食の予定があり、今回の件を報告することにしていた。
「根津さん、まきちゃん。こんにちは」
既にホテルのロビーでヨリ先生は待っていた。柔らかなシフォン生地のワンピースがヨリ先生によく似合っている。
私たちはエレベーターで三十階まで上がり、中華料理店の個室に案内された。全面ガラス張りで開放感があり、ヨリ先生は窓の外を少女のような笑みで見つめた。
「お忙しいところありがとうございます」
「いいえー。ここの中華、一回来てみたかったから嬉しい。実は昨日締め切りで最近ろくなもの食べてなかったの。お腹びっくりしちゃうかも」
ヨリ先生は明るい表情で席についた。なにかに悩んでいる様子はみえない。昨日までいそがしかったのならSNSも目にしていないだろう、ヨリ先生はもともとエゴサーチもしないタイプだ。
「重版、おめでとうございます」
「ありがとうございます。宣伝も頑張ってもらって、こちらこそありがとうございます」
「ヨリ先生、今後のスケジュールは――」
前菜を食べながら、私たちは当たり障りのない話をした。次回作はどれくらいの時期から着手できそうか、という真面目な話から、最近ヨリ先生が見た映画の話まで様々だ。
メイン料理の海鮮がテーブルに並んだところで、根津編集長が本題に入った。
「ヨリ先生。実はご報告することがあります」
「どうしましたか? 誤植かなにか?」
アワビを口に運んでいたヨリ先生は笑顔のまま、編集長を見た。編集長の表情からあまりよくない報告だということはヨリ先生もわかっているはずだ。あえて軽く聞いてくれる優しさがありがたい。
「私どもの運営するノベルタウンはご存知かと思いますが……」
言葉を濁した編集長に、ヨリ先生は「あはは、ご存知もなにも私の出身ですよ」ところころと笑う。
「そこにヨリ先生のなりすましが現れました。すぐに非公開にしましたが、書いてある内容が少し、その……物騒だったこともあり、一応ご報告しようかと」
「そうだったんですか。前もどこかのサイトでなりすましがあったんですよ」
有名人のなりすましなど、珍しいことではない。一連の詳細を知らないヨリ先生は心から気にしていないようだ。
「ヨリ先生、なにか身の回りで気になることはありませんか?」
「ああそれでこないだのラジオのときも気にしてくれてたのかな。何にもないですよ。締め切りが近かったこともあって、今週はラジオ収録以外ではほとんど外にも出ていなかったんです」
「今後ヨリ先生のなりすましが出ないようにサイトの運営チームと監視を徹底します」
「そこまで気にされるということは、物騒とおっしゃいましたし――あまりよくないことが書かれていたとか?」
ヨリ先生が涼やかな目をこちらに向ける。
なりすましだけなら、私たちだってここまで気を尖らせていない。問題は十通のファンレターと、その内容だ。
「はい。事実無根な名誉棄損ですので、弁護士に相談はしようかと」
「丁寧に対応してもらってありがとうございます。……ちなみにどんな内容だったんですか? ノベルタウンに投稿されたということは小説なんですよね」
「ええ、まあ、そうです」
根津編集長と私の煮え切らない態度に、ヨリ先生はもう一度笑みを作る。
「内容教えてもらってもいいですか? 次回作でSNSの怖さを描くのもありかな、と思っていて。どんな内容だったか、ちょっと気になります」
「すごく失礼な内容ですよ。ヨリ先生が人殺しとかなんとか。なりすましだけでなく、ヨリ先生が殺したと名乗る人物からの投稿もありました」
「ミステリー書いてるとそう言われることも結構あるんですよね。でもどうしてその投稿をそこまで気にしているんですか?」
「ヨリ先生に殺されたという投稿主がフルネームを名乗るせいで、なんとなく信憑性があるように思えてしまうんです」
私は正直に伝えた。そう、ただ単に『葉空ヨリが人殺し』だけならばよかった。『芳賀穂乃花を殺した』と人名が入るだけで、文章に妙な説得力が生まれてしまう。
「へえ、なんて名前ですか?」
ヨリ先生は海鮮料理を食べ終わり、口元を白いナプキンで軽く押さえる。
「芳賀穂乃花、と名乗っています」
一瞬。朗らかなヨリ先生の表情が固まった気がした。同時にヨリ先生の手から白のナプキンがすべり落ちて床に着地した。
「あ、落としちゃった」
そう言ってヨリ先生は床からナプキンを拾う。顔を上げたときにもういつもの笑顔に戻っていた。
「その投稿された内容って見せてもらえますか?」
「はい、印刷してきています」
編集長からカバンからファイルを取り出し、二件の投稿内容を見せた。ヨリ先生は紙を受け取り、じっと見つめる。
「……たしかに私の作風からして、こんな投稿されると困っちゃいますね」
「はい。ひとまずノベルタウンは対策として――」
編集長は別の書類も取り出した。先程第一編集部が提示した内容だ。ヨリ先生はそれを受け取り、目を向ける。
「あ、すみません。電話が」
編集長がスマホを取り出すと、ヨリ先生がどうぞどうぞとジェスチャーをする。編集長は会釈をすると電話を取った。
「はい、根津です。……はい。ええっ⁉ ……はい、はい。わかりました」
編集長の表情がみるみるうちに深刻なものとなり、私とヨリ先生は思わず顔を見合わせた。どうにも嫌な予感がする。
「……はい、わかりました。……すぐに戻ります。……わかりました、改めて連絡します。失礼します」
電話を切った編集長たちは私たちに視線を向けた。たった三十秒の電話なのに編集長の顔色は悪い。
「芳賀穂乃花の小説がまた投稿されました」
「えっ……⁉ すぐ非公開にしたんですか?」
「出来ないの。うちのノベルタウンじゃない。――他社の小説投稿サイトよ」
芳賀穂乃花の小説が投稿されたのは“ノベラブル”という大手小説投稿サイトだ。小説投稿サイトのなかでは、もっともユーザーが多く有名だ。
朝十時に、芳賀穂乃花はノベラブルで小説を投稿していたらしい。昨日私が見つけて非公開にした【青春小説家H.Yに殺されました】と同じものだ。
十二時半頃。須田出版の社員がその投稿を発見した。刺激的なタイトルは午前中にアクセスを集め、お昼のランキング更新で日間総合一位に躍り出てしまったらしい。
発見した社員は、芳賀穂乃花の一連の件は知らなかったが、青春小説家H.Yとは葉空ヨリのことではないか、と第三編集部に連絡をしてくれたわけだ。
「どうするんですか、編集長」
「ノベラブルと繋がりのある人に問い合わせをしてもらってる、どういった対応してくれるかはわからないわね。――ヨリ先生、こんなことになってしまってすみません」
「いえ……これは須田出版さんのせいではありませんから」
ヨリ先生は笑顔を作ってくれるが、口元が少しひきつっている。メインの肉料理が運ばれてきたが、誰も手をつけられないままだ。
「ヨリ先生、こんないやがらせ気になさらないでくださいね! みんないたずらだってわかりますよ。妄想でこんな投稿して、迷惑ですよね、ほんとう」
私が明るい声を出すと、ヨリ先生は眉を下げて微笑んでくれる。ヨリ先生にこんな表情をさせる芳賀穂乃花に怒りがこみ上げてくる。
「須田出版でもお力になれることがあれば、なんでもしますから。せっかくですし食べましょうか」
編集長がそう言えば、ヨリ先生も「いただきます」といつもの声のトーンに戻り食事は再開した。
和やかな雰囲気を作るために私も肉を口に入れる。経費でしか食べられない高級中華は味をなくしてしまいまるでガムを噛み続けているようだった。
「ヨリ先生、大丈夫ですか?」
ホテル前のロータリーでタクシーを待ちながら、どこか暗い表情のヨリ先生に訊ねる。
編集長はデザート前に出版社に戻った。急ぎで対応したいことがある、と。私はヨリ先生を心配させないように、喋り続けて喉が痛いくらいだ。
「ちょっと食べすぎちゃった。こんなにたくさん食べたの久しぶりだから、やっぱり身体が驚いちゃったわ」
私に不安を見せないように微笑み続けてくれるヨリ先生を見れば喉がぎゅっと締まる。
「……先生、変な人の妄言なんて気にしないでくださいね。私ヨリ先生のためならなんでもしますから。困ったことがあったら、なんでも言ってください」
「ふふ、いつもありがとう、まきちゃん。また連絡しますね」
「もし何かあったら本当にいつでも連絡してくださいね! 夜でも朝でも気にしないでください」
タクシーが私たちの前に止まり、ヨリ先生は静かに乗り込んだ。後部座席に深く座ったヨリ先生は窓をあけて目を細めてくれる。
「それじゃあ、またね」
「今日はお時間ありがとうございました」
「こちらこそ。ごちそうさまでした」
タクシーの運転手に行先を告げるヨリ先生の横顔は少し青白く見える。
私たちの前では明るく務めてくれたヨリ先生だけど、心中穏やかではないはずだ。
ヨリ先生を乗せたタクシーが遠くなるのを見つめながら、私はその場でSNSを開いた。……本当は見るのが恐ろしい。世間はあの小説を見てどんな感想を抱いたのだろうか。
【葉空ヨリ、過去にいじめで自殺に追い込んでいた⁉ 死者が告発文章を投稿! → http://】
葉空ヨリ、と検索して一番に出てきたのは暴露系インフルエンサーの投稿だった。小説の文章のスクショも添付されている。こういう低俗なアカウントは、話題になりそうな情報を見つけるのが早く、フォロワーを何十万人も抱えている。自然とため息が漏れる。
これ以上検索しなくともこのポストの引用を見れば世間の反応は掴めるかもしれない。
【で、証拠は?】
【これが本当って証拠もないのに、よく拡散できるね。訴えられろ】
【こんな妄想信じるの?笑 葉空ヨリのアンチでしょ、これ】
【そもそもH.Yって本当に葉空ヨリなの? 他にこのアルファベットの小説家は?】
【葉空ヨリで確定だと思うよ。何日か前にも、芳賀穂乃花と葉空ヨリの投稿あったし】
【うわ、粘着アンチか】
大多数は信じていないようだ。いたずら、アンチ、愉快犯。どれかはわからないが、妄言だととらえている人が多数だ。
デマを信じてはいけない、という考えが世に浸透してきているのかもしれない。
【葉空ヨリがそんなことするわけないでしょ】
【ねえなんでヨリさん粘着されてるの、許せないけど】
【葉空ヨリは人殺しじゃなくて、人救い】
【芳賀穂乃花って誰なん?】
【ヨリファンのみんな! 不安になるのはわかるけど拡散しないでください! デマは無視ですよ!】
先日と同様に、騒動を聞きつけた葉空ヨリファンの反論も多い。
芳賀穂乃花の文章を信じるひとはほとんどいないが、暴露系インフルエンサーが話を拡散しているということは、前回の投稿と桁違いで様々な人に広がる。前回はノベルタウン利用者や葉空ヨリファン、読書好きという狭い範囲で話題になっていたが、普段読書をしないヨリ先生と関わりのない人間まで広がり話題になっている。
【このひと雑誌で見たことあるけど、小説家だったんだー。きれいな人だよね】
【でもこれ本当だったらおもしろいなw】
【葉空ヨリって、いじめがテーマの小説書いてなかった? それでいじめで人殺してたらヤバイww】
【これって連載小説だよな。二話もある? 期待】
スマホを持つ手が震える。明確な怒りが私の手を震わせている。
……無責任にヨリ先生を語るな。今までヨリ先生のことも知らずに、ヨリ先生の小説も一冊も読んだことのないような人間がヨリ先生を話題に出すのが許せなかった。
これ以上SNSを見ていても仕方ないだろう。
ひとまずほとんどの人がヨリ先生を疑っていないことに安堵して、私はタクシーに乗り込んだ。
第三編集部のオフィスで、私を出迎えてくれたのは根津編集長だ。自席についた私のもとに編集長がやってきた。
「まきちゃん。おかえり。ごめんね、先に帰っちゃって。あのあとヨリ先生はどうだった?」
「私の前では明るく振る舞ってくれましたが……気にされているようでした」
「それはそうよね」
「それでノベラブルはどう対応してくれたんですか?」
私の質問に、編集長の顔が曇る。
「うーん。もしかすると数日対応してくれないかもしれない」
「どうしてですか!?」
「……ノベラブルは出版社が運営しているサイトではないから、ヨリ先生とお付き合いがないの」
「それがどうかしたんですか?」
「この件で、PVがすごいことになっているみたい」
「まさか」
編集長が頷き、喉の奥がかあと熱くなる。
ヨリ先生よりも、PV数を重視するのか……!
私はスマホを開きノベラブルを確認した。ノベラブルは作品毎のアクセス数が一般公開されていて、誰でも見られるようになっている。芳賀穂乃花の投稿は、すでに三百万PVを超えていた。
「ノベラブルとはうちも付き合いがあるし、他の出版社とも付き合いがある。ヨリ先生のイメージが下がって困るのは、うちだけじゃない。他の出版社からも声があがれば、ノベラブル運営も対応してくれると思うけど……」
ノベラブルに舌打ちしたいのをこらえる。
「ところでSNSって見た? どうかな?」
「はい。今のところ芳賀穂乃花の小説は信憑性はないと思われていますね。暴露系インフルエンサーまで話題にしているのは嫌ですが……。ですが、証拠もなにもありませんし、面白がっている人間はそもそも購買層でもなさそうですから。このまま鎮火すれば問題はないと思います」
「そうね。それなら、いいのだけど……」
編集長の顔は晴れないが、きっとそれは私も同じだ。……証拠。自分で発したそのワードが胸にちくりとした痛みを刺す。
【葉空ヨリが人を殺した証拠を投稿する】
ファンレターに書かれた文字を思い出す。あんなのでたらめだ。証拠などないのに適当に言っているだけだ。そう思うのに何かが詰まったような息苦しさを感じる。
「ノベルタウンのトップページ須田文庫の公式アカウントで注意喚起を出したわ。事実無根の中傷はやめてね、弁護士に相談しています、という内容で、少しは抑止力となればいいんだけど……」
「あれはデマですよ、ともアピールできますもんね」
しかし芳賀穂乃花の小説は須田出版を超えて、羽ばたいてしまっている。注意喚起にどれだけの効果があるだろうか。芳賀穂乃花の行動は、弁護士をちらつかせただけでは収まらない気もする。
「根津さん、まきちゃん!」
そこに第三編集部に一人の男性が入ってきた。清潔感のある髪型の白いシャツの男性は、まっすぐ私の席にやってくる。
「塚原くん」
「なんだか大変なことになってますね」
彼は塚原篤先輩、ヨリ先生の元担当者。新卒入社してから六年、ヨリ先生の担当編集をしていた。数多くのヨリ先生のヒット作を送り出し、須田文庫で最も長くヨリ先生の編集担当をしていた人だ。半年前に異動になり、今は第五編集部でコミックの担当編集をしている。
「他のヨリ先生の担当も気にしてますよ、今回の件」
「でしょうね」
出版業界は横のつながりもある。まだ新人の私はあまり知り合いの編集者はいないが、塚原先輩は他の出版社のヨリ先生の担当編集とも交流がある。
「塚原くん、どこの出版社の担当者と繋がりがある? ノベラブルに各出版社から対応依頼をしたくて。私から出版社に連絡するよりも、直接ヨリ先生の担当者と連絡を取りたいんだけど」
「ああそうですよね。僕、連絡しますよ。大体わかります」
塚原さんはポケットからスマホを取り出して、連絡先を編集長に見せる。
「うわ……これはまずいかもしれないな」
私の席の隣に座る先輩が声を漏らした。私たちが彼に注目すると、ノートパソコンの画面にはSNSがうつっている。
「ヨリ先生の件で、何かあったんですか?」
「うん。芳賀穂乃花が実在していて、本当に十五年前に亡くなっていると主張している人が現れた」
「み、見せてください……!」
私は身を乗り出して、先輩のノートパソコンを覗き込んだ。
画面には一件の投稿がうつっている。バズっていた暴露系インフルエンサーを引用している投稿だった。
【これ、本当かも。。。芳賀穂乃花って私の同級生にいたよ。高校三年生の時に自殺した子だ(>o<)】
「え……」
呟いたのは私だっただろうか。編集長か、塚原さんか。いや、全員が声を漏らしたかもしれない。
十五分前に投稿されたものだったが、既に百を超えるリポストがあり、これから更に拡散されていく予感を感じる。
「なにこれ、こんな適当言って……!」
私の呻きに、先輩は眉を寄せながら投稿をした人のプロフィールページを表示させた。
【あゆ @kazumisa_mama
働くmama ◎ 2kids♡ まいにちたのしくいきる‼
うまれもそだちもあいちけん♡ 】
どこにでもいそうな主婦のアカウントだ。フォローやフォロワー数は二桁で、SNSに登録した日付は五年前。今回の件に便乗するために即席で作ったアカウントではないことはわかる。
次々と主婦のアカウントに反応が集まってくる。
【ガチ?】
【芳賀穂乃花、実在してたの?】
【一気に本当っぽくなってきたけど……】
一連の流れを面白がっている外野が一気に拡散していく。ほんの一分前まで百リポストだったものが膨れ上がっていく。
「へ、編集長。これ……」
「本当かはわからない……。だけど、よくない流れになりそうな気はする」
編集長は口を結んで、画面を睨みつけている。
「こんなの適当に言ってるだけじゃないんですか?」
「今の時点ではわからないわね……」
編集長が首を振り、先輩もためいきをついた。
この人の言葉が本当かはわからない。けれど、芳賀穂乃花という人物が実際に亡くなっているのが事実なのだとしたら……。
SNSの流れは止められない。真実はどうあれ、今後葉空ヨリにはいじめの疑惑がつきまとうことになる……!
「ああでも、投稿者を責める流れになってるかも」
先輩は少し和らいだ声で私たちに画面を見せた。
【不確かな発信で、葉空ヨリの人生終わらせるつもり?】
【なんの証拠があって、こんなこと言ってるわけ】
【あなたと芳賀さんが同級生だった証拠はあるんですか?】
【通報した】
風向きが少し変わってくれれば……と祈る気持ちで私は画面を見つめた。
勘違いだった、と彼女が一言呟いてくれれば、事態は良い方向に転ぶかもしれない。これだけ周りに詰め寄られれば怖くなって投稿も削除するかもしれない。
そう祈ったのだが……なぜか私の頭の中の警戒音は止まらない。
「……やば」
先輩の口から低い声が漏れた。
新しく投稿されたものに、私たちは言葉も出せずに呆然と見つめた。警戒音は心臓の振動に変わり、私の身体を大きく揺さぶる。
【証拠ならあります!! あたしホントに同級生でした!!】
――投稿されたのは、二枚の画像だった。
一枚目は水色のアルバムに『shining days』という洒落た文字と……『20XX年 市古高校】と表記されている。卒業アルバムの表紙だ。
そして二枚目は、三年二組のページだった。三十名の顔写真と名前の一覧の、どの卒業アルバムにもあるクラス全員の顔が並んでいるページだ。
画像を見た瞬間、身体の温度が下がった。それなのに、脇や背中からどっと汗が噴き出す。
「……全員の顔と名前を晒してる」
三十名の生徒が、こちらに向かって微笑みかけている。学ランと水色のリボンのセーラー服。
そして――芳賀穂乃花は実在した。
丸い目と少しだけ大きい前歯。人懐っこくはにかむリスのような雰囲気の女の子だ。ワックスで固められた前髪とセミロング、当時の流行りの髪型に思える。雰囲気から見るといじめられているような子には思えない、むしろクラスで華やかな部類に入る女生徒だった。
【え、芳賀穂乃花、ほんとにいるじゃん……】
【この三十人の中に葉空ヨリがいるってこと?】
【葉空ヨリの本名ってなに?】
【おい大丈夫か。誰の顔も名前も隠してないけど】
【ネットリテラシーなさすぎww】
【煽られたからって個人情報ばらまいてるの、頭弱すぎだろ】
【どうすんのこれ】
投稿にはすぐに反応がついた。投稿主の危うさを指摘する声を多くあげられていたが、そんなことよりも――芳賀穂乃花は実在した。その事実が明らかになってしまった。
【葉空ヨリの件。十五年前の記事、見つけた。市古高校の最寄りの市古駅で人身事故起きてる。しかも日付は九月十日。ここでも見れる→http://】
次の投稿が、芳賀穂乃花が実在したことの信憑性をますますあげることになった。
投稿主はネットデータベースのスクショを添付している。人身事故のデータをまとめているサイトのようだ。
『二〇XX年九月十日 ××線 市古駅ホーム で人身事故。十八歳・女性・死亡』
端的な文章だが、間違いのない正確な情報で、データベース上には当時のネット記事のリンクも記載されている。
九月十日。それはノベルタウンに葉空ヨリの偽物が投稿をした日だった。
「編集長……」
助けを乞うような私の声がこぼれ落ちた。編集長の唇は固く結ばれていて反応はない。
「それで、このなかに葉空ヨリはいるんですか?」
「そうね。……作家データにログインしてくれる?」
編集長が指示をすると、先輩はすぐに須田出版の管理システムにログインした。須田出版社員しかログインできないそこには、作家の個人情報が入っている。
先輩が『葉空ヨリ』と入力すれば、ヨリ先生の情報が現れた。
私はヨリ先生の本名を覚えていない。経理担当は本名でやり取りすることもあるが、私は本名で呼んだことがない。私にとって先生は“葉空ヨリ”以外のなにものでもないからだ。
「ヨリ先生の本名は……“小田切明日葉”ですね」
先輩の静かな声が響いた。
三十名の写真と名前を順番に眺める。そこに名前がないことを願いながら。
……祈るように、ひとつひとつ、ゆっくりと確認する。事実を知りたくない。
――小田切明日葉。
その名前はそこにあった。三十名の中に、その名前はある。
「僕、他の担当に連絡してきます!」
塚原さんはスマホを片手に足早にオフィスを出て行った。
どくどくと波打つ私の手の平のなかで、スマホが震えた。
……ノベラブルのポップアップ通知だ。
【『青春小説家H.Yに殺されました』が更新されました!】