「私の良いところって何だろうって考えたんだけど、楽観的なところくらいしかないかもって思って」
「うん。そうかも」

 陽介は即答する。

「ちょっと、否定してよ!」
「楽観的なところ『も』すごく良いと思う」
「でしょでしょ? だからね、あまりあれこれ悩まず、軽い気持ちで大阪に行ってみようかなって思ったの。観光気分で」
「楽観的過ぎるだろ」
「だから、そこが私の良いところなの。遠く離れても、陽介には夜行バスで会いに行くからね」
「いや、俺が行く。大阪行ってみたい。京都と奈良しか行ったことがないから」
「あれ、陽介も大阪に行ったことがなかったの?」
光莉(ひかり)も? 一度も大阪に行ったことなかったのかよ? よく転校する決意をしたね」

 彼はあきれたように笑っていた。

「陽介。たくさんラインしようね。……今の時代で本当によかったよ。昔は携帯電話が無くて、電話するのだって大変だったらしいよ。固定電話っていう家に一台しかない機械、知ってる? 長電話してると親にバレるし、お金だってたくさんかかったんだって。今はタダで寝落ち通話とかできるでしょ。今度しよう」
「ラインはたしかに便利だけど」

 陽介はタンブラーをイスのドリンクホルダーに収め、少し身を乗り出した。

「でも、こういうことはできなくなる」

 ひじ掛けに置いていた私の手に、彼の大きな手が重なった。
 ドン、ドン、と低い音が心臓を揺らす。

「……陽介、絶対夢を叶えてね。離れていても応援してるから」
「うん」
「お店の名前は決めてるの?」
「じいちゃんの店と同じ、『The Raincoat(レインコート)』にするって決めてる。SNSでも拡散して、絶対流行らせるんだ。コーヒーが好きな人も、苦手な人も集まって楽しめるような店にしたい」
「じゃあ、私は隣でベビーカステラ屋さんを開くよ。コーヒーに合うベビーカステラの開発をする」
「開発って。開発しようが無いでしょ。あんなもの」

 陽介が鼻で笑う。
 ベビーカステラを鼻で笑う彼は、私が隣でお店を開くこと自体は否定してこない。

「ばかにしたなー? 奥が深いんだよ。ベビーカステラは」
「よく作るの?」
「ううん。文化祭が終わって以来、一度も作ってない」
「なんだそれ。……まあ、ベビーカステラもいいかもね」

 花火大会も終演が近づいている。私たちは椅子から立ち上がり、手すりに寄った。
 陽介も隣にやってくる。
 指と指を絡めて繋いだ。

「陽介、お願いがある」
「何?」
「『光莉』って呼んでほしい。最後に聞いておきたい」
「それはラインでもできるでしょ」
「生の声がいいんだよ」

 陽介が花火から目を逸らし、私の顔を覗き込んだ。

「……光莉」

 彼はゆっくりと私の名前を呼ぶ。

「嬉しい」

 名前を呼ばれたそれだけで、私は簡単に笑顔になってしまう。

「光莉」

 陽介の顔が近づいてきて、目を閉じる。
 花火のように、一瞬で終わるキスをした。

「ん」

 独特の苦みが自分の唇に広がる。陽介がアイスコーヒーを飲んでいたことを思い出した。

「今、苦かった」
「嫌だった?」
「ううん。苦手だけど、好きかな」
「何それ」
「コーヒーの香りってすごく落ち着く」
「ああ、リラックス効果があるって言われてるから。だからあの日、コーヒーをすすめたんだ。中庭で初めて会ったあの日」

 ――楽観的っていうわりには暗い顔してるじゃん。
 ――コーヒー、飲む?

「……私が暗い顔をしてたから?」
「うん」
「そうだったんだ……」

 あの時、コーヒーは苦手だからと断らなくてよかった。
 陽介に笑おうとして、上手くいかなかった。泣きそうな顔を見られたくなくて花火の彩る夜空を見下ろす。

 引っ越したら、陽介の淹れてくれるコーヒーも飲めなくなる。とても残念だ。

 それでも私は、佐々木さんとお母さんが仲良くしているところを見たいな、と思う。三人で一緒に温かい家庭を作れたらいい。新しい学校で、新しい居場所を探してみよう。
 勇気を出してコーヒーを飲んでよかったと思った今日のように、新しい場所に行ってみてよかったと思える日がきっと来る。
 陽介とは、遠距離恋愛になってしまう。ドラマや漫画みたいだ。自然消滅が怖くないといったら嘘になる。

 寂しくなったら、自分でもコーヒーを淹れてみよう。
 もしどちらかが、またはどちらもが、相手のことを好きじゃなくなってしまったとしても、中庭でコーヒーを飲んだあの時間のことだけは忘れないようにしよう。