「何歳?」

 彼が訊く。

「今年で十七歳です」
「なんだ、タメじゃん」
「タメ?」
「うん。俺も同い年。だから敬語なんて使わないで」

 影は動きを止め、タメである私を見つめている。

「十六歳で、一人でお店を任されているんですか? あ、任されてるの? それともお家のお手伝いとか? まさか、自分のお店?」
「……まあ、色々」

 矢継ぎ早に尋ねると、彼はふいと窓ガラスのほうに顔を背けた。形の良い鼻筋と喉仏に光があたり、ぼんやりと稜線を描く。
 触れられたくない話題なのかもしれない。どうしてだろう。アルバイトにしろ、家の手伝いにしろ、経営者にしろ、いずれにしても、十六歳にして一人きりで喫茶店を回すなんて誇るべきことなのに。

 彼が喋らなくなってしまったので、私も大人しくまたカップを傾ける。
 コーヒーを飲み干し「ごちそうさまでした」を言って椅子を立った。この天気で冷えた体も、彼の淹れてくれたコーヒーのおかげでほかほかと温まっていた。

「あの、いくら?」

 高校指定のスクールバッグから財布を取り出しながら訊く。

「消費税込みで、5500円」

 彼はさらりと価格を告げた。

「ええっ!?」

 私は思わず、財布を床に落としてしまった。

「ご、ごめんなさい。四千円くらいしか持ってないかも……」

 あわてて拾い上げ、中身を確認する。千円札が四枚見つかった。小銭はいくらあるだろう。

「喫茶店って初めてで相場を知らなくて。もし足りなかったら一回家に戻っていいかな? すぐ近所だから。やっぱり良い豆を使ってるから高いのかな? すごくおいしかったし、飲みやすくて!」

 謝罪と言い訳と媚びを一気に口から放つと、「くっくっく」と鼻の奥で笑うような声が聞こえてきた。

「良い反応するね。タダに決まってんじゃん」
「タ、タダ?」

 どうやら、私は揶揄われていたらしい。必死になって喋っていたことが恥ずかしくなり、頬が熱くなっていく。

「喫茶店のコーヒーがそんなに高いわけないでしょ。ホテルのラウンジじゃないんだからさ」
「で、でも無銭飲食っていうわけには……」
「本当に要らないんだ。趣味みたいなものだから。今は」

 十六歳にして、趣味でこの喫茶店を営んでいるということだろか。
 小首を傾げていると、彼は「そうだなあ」と腕を組み始める。

「お代は要らないから、よかったらまたウチに寄ってよ。雨が降った日は。俺の研究につき合ってほしい」
「研究って?」
「苦手な人でも飲みやすいようなコーヒーを出せるよう、研究していきたいと思ってるんだ」
「私が被験者になるってこと?」
「そう。色々な種類のコーヒーを飲んで、忖度無しの率直な評価を教えてくれると嬉しい」

 再びこの喫茶店を訪れ、彼の淹れたコーヒーを飲み、素直に感想を伝える。
 そんなことはお安い御用だった。

「わかった。また来るね」

 約束をして、私は「レインコート」を出ることにした。ステンドグラスのはめられた出入り口の扉を男の子が押さえる。

「じゃあ、また。傘を忘れないようにね」

 彼はそう言うと、そそくさと店内に戻ってしまった。扉が閉まり、エプロン姿も見えなくなる。
 商店街にはまだ雨音が響いていた。傘立てから傘を引き抜き、タイルの上を満足な気持ちで歩き出す。

 初めての場所に勇気を出して踏み入れてみてよかった。何も考えずにとび込んでいけるのは私の数少ない長所だ。
 苦手だったコーヒーを飲み干すことができたなんて、大人の階段を一気に駆け上がった気分がする。
 お店の内装も気に入った。どうしてあんなに暗くしているのか、やはり不思議であるけれど。

「……あれ?」

 気がついたことがあって店を振り返る。「レインコート」と書かれた窓の向こうは依然暗い。

 ――よかったらまたウチに寄ってよ。雨が降った日は。

 どうして「雨が降った日は」、なのだろう。
 まるで私が雨の日だけこの商店街を通ることを知っているみたいだ。

 彼と私は、初対面のはずなのに。