光莉(ひかり)? 何してんの?」

 陽介は顔をほころばせた。ファストフード店の制服を身に着け、前髪は全て上げてキャップの中にしまっている。いつもとはまるで印象が異なった。

「こ、こんばんは。ここでバイトしてたんだ」

 下の名前で呼ばれることに慣れてきたと思ったのに、また照れくさくなってしまったのは、隣に我が母がいるせいだ。

「こんばんはぁ。娘のお友だちですか?」

 まだ完全にアルコールの抜けてない母の目がきらりと光る。

「はい。同級生の西陽介といいます。初めまして」

 陽介もかしこまって頭を下げる。

「じゃあ、またね。バイト中にごめん」
「うん。また学校で。失礼します」

 のぼりをまとめて店内に戻ろうとする彼に「頑張ってね」と手を振る。たったそれだけなのに、随分とぎこちない動作になってしまった。同級生に自分の親を見られるって恥ずかしい。
 お母さんが陽介に余計なことを言わなくてよかったと思っていると、「現代(いま)の子ってみんなイケメンねえ」と店内をのぞきこもうとしたので、肘で制した。

「みんなじゃないよ」

 陽介の顔が特別に整っているだけだ。他のクラスでも噂になるほどに。

「ひーちゃんのカレシじゃないの?」
「ほんっとに、やめてほしい。次言ったら絶交するからね!」
「はいはい」

 お母さんは意に介さない様子で笑っている。
 繁華街を過ぎ、私が通学路としても使う広い通りに出た。

「そういえば、ひーちゃんって商店街のほうを通ってるんだっけ?」

 お母さんが眉を顰めた。

「毎日じゃないよ。雨の日だけ」
「帰りが遅いときは絶対に近寄らないでよ。人通りが少ないんだから」
「はいはい」

 母を真似して気の抜けた返事をすると、「ちょっと、ちゃんと聞いてるの」と睨まれた。

「女の子なんて、男の人の力には絶対に敵わないんだからね」
「わかってるって。あっ、そういえば」

 まだ何か言いたげな母を遮る。商店街と聞いて思い出したことがあった。

「さっき会った友達のおじいちゃんのお店が商店街にあったらしいよ。もう亡くなっちゃて、継ぐ人もいなくて閉店したらしいけど」
「ふうん。あそこで商売続けるのはなかなか厳しいよね。ショッピングモールもできちゃったし。ところで、なんのお店だったの?」
「喫茶店。そんなに流行ってなかったらしいけど、常連さんもいたんだって」
「喫茶店?」

 母の足が止まる。
 真ん丸になった目が、すぐ脇を通り過ぎる車のヘッドライトに照らされる。タイヤがコンクリートを擦る音に混じって、母が「『レインコート』かな」と呟くのが聞こえた。

「レインコートがどうかしたの?」

 夜空を見上げる。星が出ていた。今夜は雨も降りそうにない。レインコートなんて必要無い。

「雨具のことじゃなくて、その喫茶店の名前よ。西さんだっけ? お店の名前は『レインコート』だって言ってなかった?」
「いや、店名までは聞いてないけど……」
「昔、商店街にあったのよ。『レインコート』っていう名前の喫茶店が」

 レインコートという名前の喫茶店が陽介のおじいちゃんの店だったかどうか、今は答え合わせできない。後で本人に訊いてみようと決めた。心の中に「レインコート」とメモする。

 陽介のおじいちゃんが営んでいた喫茶店の前を、うちの母も訪れたことがあったのかもしれない。
 そう考えると胸がどきどきした。近所だから確率の低い話ではない。とはいえ運命的なものを感じる。そうであってくれたらいいのに、と思う自分がいた。

「ねえ、うちにその喫茶店の写真とか残ってないの?」

 もし外観の写真でもあれば陽介に見せてあげたいと思いついて訊いた。おじいちゃんの喫茶店には行ったことがないと言っていたはずだから。

「どうだろう。スマフォも無かった時代だから」
「その頃って、写真は全部『写ルンです』で撮ってたの?」
「今の子って、『写ルンです』を知ってるんだ」

 母は笑いながら続ける。

「使い捨てカメラは人気が無くなって、デジカメとか、あとはガラケーのカメラ機能で撮ってたかな。画質はすごく粗かったけどね。……そうだ。喫茶店のマスターの名前も『西さん』だった気がする。そっか、亡くなっちゃったんだ、あの方。淹れてくれたコーヒー、美味しかったなあ」
「お母さん、その喫茶店に入ったことがあるの?」

 マスターを思い出して神妙な顔になった母に代わり、今度は私が目を丸くする番だった。

「何回かお父さんと行ったのよ」
「おじいちゃんと行ったんだ。おじいちゃんもコーヒー好きだったっけ?」

 母と祖父でコーヒーを啜っている画を思い浮かべていると、彼女は「違うわよ」と首を横に振った。

「お父さんって、ひーちゃんのお父さんのことだよ」
「……あー、そういう」

 前から三台の自転車が並列でやってきた。避けるふりをして母の真後ろにつく。
 血の繋がった父の話を聞きながら、どんな顔をしていたらいいのかわからなくなる。