「文化祭は全然関係無い。俺が個人的に研究したいんだ。将来、自分の店を開きたいから」
「西くん、コーヒー屋さんになりたいの?」
「そう」
彼は屈託なく答える。
「この街に喫茶店を開くのが夢」
「へえ、かっこいいね。バリスタってやつ?」
「いや。バリスタじゃなくて、マスター」
言いよどむことなく夢を語れる同級生の横顔が、私の目には眩しい。
「わかった。私でよければ中庭に来る。コーヒー、飲ませて」
「ホットコーヒーとアイスコーヒー、どっちがいい?」
「あ、なんか喫茶店っぽくていいね。寒い日はホット、暑い日はアイスでよろしく!」
「図々しいやつ」
彼はきれいな目を細め、水筒を手にベンチから立ち上がった。私を見下ろし、胸元を指す。
「今さらだけど、名前の読み方は『ナリミヤ』で合ってる?」
「うん、成宮だよ」
よく見えるように自分の名札をつまむ。
「一組の成宮光莉。よろしく」
「成宮さんね。覚えておく」
「成宮さんじゃなくて、『宮ちゃん』って呼んで。みんなからそう呼ばれてるから」
「俺のクラスにも『宮ちゃん』いるんだよね。宮崎っていうやつ。……ややこしくなるから、光莉って呼ばせてもらう」
「でも、私のクラスにももう一人『ひかりちゃん』っていう子がいるから、ややこしくて」
「べつに、俺は一組じゃないし」
「まあ、たしかに……?」
頷こうとして首を捻る。その理屈なら私のことだって「宮ちゃん」と呼べばいい気がするけど。
「西くんの下の名前は?」
私だけ下の名前で呼ばれるのはフェアじゃない。
「陽介」
「陽介、ね。よろしく。陽介」
「じゃあな、光莉」
バイバイと片手を上げる。陽介が口にした「光莉」を耳の中で再生すると背中がこそばゆくなった。
同級生に自分の下の名前を呼ばれただけだ。急にくすぐったくなったのはどうしてだろう。
校舎に戻っていく彼の背を見送る。楽器の音が耳に戻ってくる。
ずっと鳴り響いていたはずなのに、西くんと話している間は音色を全く意識していなかったことに気付く。
「成宮光莉は距離感を間違えちゃったイタい人」だと勘違いされないだろうか。
不安になりながら、今、私は帰路に就いている。
「そのうち止むだろう」と踏んだ雨は、期待を見事に裏切ってくれた。放課後には傘が必須なほどの雨量となっていたのだ。
通学路の数十メートル先には、五組の転入生の後ろ姿があった。スクールバッグを斜め掛けし、傘を手に持ち、一人でてくてくと歩いている。
私はその後ろを追うように歩いていた。
彼に気付いたのは、学校の昇降口で上履きからローファーを履き替えている時だった。
それからずっと、私は後ろ姿を追っている。ストーカーをしているわけではない。
今歩いているこの道は私の毎日の通学路。通学路にたまたま彼も歩いているだけだ。
雨の日、私は広い通りを逸れて小道に入り、長い石の階段で高台から下りていく。階段の先には全蓋式アーケードのついた商店街があり、傘を差さなくとも濡れずに済むのだった。
転入生の存在を知り、まともに口を利いたのは昨日が初めて。お互いに名前を教え合った今日の昼休みだ。
知り合いたての人に「一緒に帰ろう」なんて声を掛けたら、馴れ馴れしいだろうか。
歩きながらうじうじと悩んでいたけれど、悩んでいることがだんだんと面倒臭くなってきて、私は雨の道を小走りした。傘が風で煽られそうになる。
「西く……、じゃなかった、陽介! 陽介のお家ってこっちだったの?」
彼の傘の中をのぞき込み、ぽんと肩を叩く。転入生は目を丸くして私を振り返った。
「……光莉って距離感間違えちゃう人?」
「ち、違う! 私の家もこっちなの!」
私は傘の下で赤面した。声なんて掛けなければよかった。
憤慨する私を見下ろし、西くんは「うそうそ」と笑っている。
「俺の家は駅のほうだから逆方向。だけど、この先にある商店街に用事があるんだ」
「商店街に? 私も雨の日はそこ通ってくよ。何の用事があるの?」
シャッターの並ぶさびれた商店街だ。高校生が一体何の用事を済ませるというのだろう。
「喫茶店があるんだ」
「喫茶店?」
喫茶店なんてあっただろうか。
首を傾げていると、陽介は「見にいってみる?」と歩き出してしまう。私も後をついていくことにした。どのみち、商店街は帰り道だ。
小道を一列で歩き、びしょびしょに濡れた階段を下りていく。アーケードの下に入り、二人で傘を閉じた。
並んで歩き出す。
商店街の通路のちょうど真ん中あたりについた頃、彼は足を止めた。目の前には錆びだらけのシャッターがある。
「ここが?」
二階があった。ガラス窓に白い字で「町の本屋」と書かれている。その向こうは真っ暗で、営業している雰囲気は無い。
私は視線を錆びだらけのシャッターに戻す。陽介いわく、このシャッターの向こうに喫茶店があるという。
「西くん、コーヒー屋さんになりたいの?」
「そう」
彼は屈託なく答える。
「この街に喫茶店を開くのが夢」
「へえ、かっこいいね。バリスタってやつ?」
「いや。バリスタじゃなくて、マスター」
言いよどむことなく夢を語れる同級生の横顔が、私の目には眩しい。
「わかった。私でよければ中庭に来る。コーヒー、飲ませて」
「ホットコーヒーとアイスコーヒー、どっちがいい?」
「あ、なんか喫茶店っぽくていいね。寒い日はホット、暑い日はアイスでよろしく!」
「図々しいやつ」
彼はきれいな目を細め、水筒を手にベンチから立ち上がった。私を見下ろし、胸元を指す。
「今さらだけど、名前の読み方は『ナリミヤ』で合ってる?」
「うん、成宮だよ」
よく見えるように自分の名札をつまむ。
「一組の成宮光莉。よろしく」
「成宮さんね。覚えておく」
「成宮さんじゃなくて、『宮ちゃん』って呼んで。みんなからそう呼ばれてるから」
「俺のクラスにも『宮ちゃん』いるんだよね。宮崎っていうやつ。……ややこしくなるから、光莉って呼ばせてもらう」
「でも、私のクラスにももう一人『ひかりちゃん』っていう子がいるから、ややこしくて」
「べつに、俺は一組じゃないし」
「まあ、たしかに……?」
頷こうとして首を捻る。その理屈なら私のことだって「宮ちゃん」と呼べばいい気がするけど。
「西くんの下の名前は?」
私だけ下の名前で呼ばれるのはフェアじゃない。
「陽介」
「陽介、ね。よろしく。陽介」
「じゃあな、光莉」
バイバイと片手を上げる。陽介が口にした「光莉」を耳の中で再生すると背中がこそばゆくなった。
同級生に自分の下の名前を呼ばれただけだ。急にくすぐったくなったのはどうしてだろう。
校舎に戻っていく彼の背を見送る。楽器の音が耳に戻ってくる。
ずっと鳴り響いていたはずなのに、西くんと話している間は音色を全く意識していなかったことに気付く。
「成宮光莉は距離感を間違えちゃったイタい人」だと勘違いされないだろうか。
不安になりながら、今、私は帰路に就いている。
「そのうち止むだろう」と踏んだ雨は、期待を見事に裏切ってくれた。放課後には傘が必須なほどの雨量となっていたのだ。
通学路の数十メートル先には、五組の転入生の後ろ姿があった。スクールバッグを斜め掛けし、傘を手に持ち、一人でてくてくと歩いている。
私はその後ろを追うように歩いていた。
彼に気付いたのは、学校の昇降口で上履きからローファーを履き替えている時だった。
それからずっと、私は後ろ姿を追っている。ストーカーをしているわけではない。
今歩いているこの道は私の毎日の通学路。通学路にたまたま彼も歩いているだけだ。
雨の日、私は広い通りを逸れて小道に入り、長い石の階段で高台から下りていく。階段の先には全蓋式アーケードのついた商店街があり、傘を差さなくとも濡れずに済むのだった。
転入生の存在を知り、まともに口を利いたのは昨日が初めて。お互いに名前を教え合った今日の昼休みだ。
知り合いたての人に「一緒に帰ろう」なんて声を掛けたら、馴れ馴れしいだろうか。
歩きながらうじうじと悩んでいたけれど、悩んでいることがだんだんと面倒臭くなってきて、私は雨の道を小走りした。傘が風で煽られそうになる。
「西く……、じゃなかった、陽介! 陽介のお家ってこっちだったの?」
彼の傘の中をのぞき込み、ぽんと肩を叩く。転入生は目を丸くして私を振り返った。
「……光莉って距離感間違えちゃう人?」
「ち、違う! 私の家もこっちなの!」
私は傘の下で赤面した。声なんて掛けなければよかった。
憤慨する私を見下ろし、西くんは「うそうそ」と笑っている。
「俺の家は駅のほうだから逆方向。だけど、この先にある商店街に用事があるんだ」
「商店街に? 私も雨の日はそこ通ってくよ。何の用事があるの?」
シャッターの並ぶさびれた商店街だ。高校生が一体何の用事を済ませるというのだろう。
「喫茶店があるんだ」
「喫茶店?」
喫茶店なんてあっただろうか。
首を傾げていると、陽介は「見にいってみる?」と歩き出してしまう。私も後をついていくことにした。どのみち、商店街は帰り道だ。
小道を一列で歩き、びしょびしょに濡れた階段を下りていく。アーケードの下に入り、二人で傘を閉じた。
並んで歩き出す。
商店街の通路のちょうど真ん中あたりについた頃、彼は足を止めた。目の前には錆びだらけのシャッターがある。
「ここが?」
二階があった。ガラス窓に白い字で「町の本屋」と書かれている。その向こうは真っ暗で、営業している雰囲気は無い。
私は視線を錆びだらけのシャッターに戻す。陽介いわく、このシャッターの向こうに喫茶店があるという。