翌日の昼休み。
 いつものように中庭に出ようとして気がつく。小雨が降っている。
 始業式から良い天気が続いていたから、雨の日はどこで食事するかなんて少しも考えていなかった。
 中庭への出入り口の前で立ち尽くす。扉の窓ガラス越しに灰色の空を見上げ、途方に暮れた。遠くから響く楽器の音が、一人ぼっちの私を笑っている。そんな気分になる。

 長く思いため息を吐き出した。
 学校は楽しい。楽しいのだ。嘘ではない。
 でも、二年生になってからというもの、昼休みを持て余すようになってしまった。

 一年生の時はとくに仲の良い千秋と友理奈と一緒に昼食をとって三人でだらだら喋っていたからよかった。
 吹奏楽部の顧問が定年退職し、今年度から赴任した先生に替わってから、事情が一変した。それまでは任意だった昼休みの練習が強制となり、千秋と友理奈は四限のチャイムが鳴ると教室から出て行くようになってしまった。
 二人にべたべたしていた私は一人になり、昼休みを持て余すようになった。もちろん、他の子たちとも口は利く。けれど、お昼を食べるメンバーは固定されていて、今さら輪の中に入っていく勇気が持てず、今もこうして一人でいる。

 楽観的に生きすぎた。
 後先のことも考えずに生きすぎた結果、こうして孤独に過ごしている。
 楽観的なところは私の良いところだと自負している。でも、あまりにもその時々のことしか考えていなかった。

 打算的かもしれないけれど、もっと色々な子と仲良くしていればよかった。「お昼、一緒に食べていい?」と声を掛けてみればよかった。
 もう高校二年生。そろそろ将来のことで悩まなくてはいけない時期だ。
 経済的な理由で、私には選択肢がほとんど無い。だから他の誰よりも早く志望校を決めて勉強に励まなくちゃいけないのに、こうして昼休みの過ごし方なんかで悩んでいる。ちっぽけなことで泣きそうになっている。
 学校の廊下で泣きそうな自分が情けなくて、唇を噛んだ。

 私って、こんなに不器用だったっけ。

「……あれ?」

 中庭のベンチの上で何かが揺れたように見えた。よく見ると、ベンチをベッドの代わりにして仰向けに寝そべる生徒だった。
 さらに目を凝らす。その人は灰色のスラックスを身に着けていた。灰色のスラックスを着用しているのは、校内ではおそらく一人だけだ。

 私は扉を開けて、中庭に出た。
 頬にぽつりと雨粒が当たる。思ったほどは降っていない。

「濡れるよ」

 声を掛けると、彼は薄っすらと目を開けた。黒い瞳がほのかに光を灯す。澄んだきれな目だった。木のおかげで顔は濡れていないけれど、スラックスの裾と上履きに雨が掛かってしまっている。

 彼は起きたての声で、「濡れる?」と訊き返して来るけど、また目を閉じてしまう。

「雨が降ってきてるよ」
「まじで? 木の下だから気がつかなかった」

 彼は、あくびをしながら上体を起こした。とろんとした目で灰色の空を見上げる。

「なんだ。小雨じゃん」

 ポロシャツの襟元にはもうシミはついていなかった。

「あの、昨日は本当にごめんなさい」

 私は頭を下げた。やっと改めて謝罪するチャンスなのに、あいにく今はベビーカステラを持っていない。

「昨日って?」
「昨日の朝、西くんの制服を汚しちゃって」
「ああ、あの時の?」

 彼はベンチに座ったまま目を丸くする。私のことを覚えていなかったらしい。

「あれ、なんで俺の名前知ってるの? 昨日教えたんだっけ?」
「ううん。でも、五組に転入生が来たって噂になってたから」
「ふーん。あ、ここ座れば? 雨宿りする?」

 イケメンと噂される転入生は、ベンチの空いたスペースを軽く叩いた。
 校舎に戻るのが一番の雨宿りじゃないのかな、と思いつつ私も隣に腰かける。雨を避けるためには、二人で身を寄せ合わなくてはいけなかった。あと数センチで肩と肩が触れてしまいそうだ。

「中庭で寝てるやつがいると思って、わざわざ起こしに来てくれたの?」
「ううん。たまたま。私、いつもお昼ここで食べてるから」
「一人で? さみしくないの? 女子って常につるんでるじゃん」
「うん。まあ、いろいろあって。……西くんだって一人じゃん」
「俺はここで寝るためにきたから。あえて一人になりたかったの」

 西くんは再びあくびをする。

「寝不足なんだ。昨日もバイトがあったから、家に帰ってきたのは十一時くらい。その後で課題やったりなんだりして、寝たのは一時過ぎ。だから、昼休みはなるべく寝たいんだけど、教室はうるさいから中庭に逃げてきた。演劇の練習していて本当にうるさいんだ」

 彼はあくびを連発しながらぼやいている。

「西くんは役者側じゃないの?」
「やらない、やらない。当日は客席の案内をするくらいかな。文化祭に参加するよりバイトしたい」
「えらいねえ。いつも遅くまでバイトしてるの?」

 夜の十一時なんて、私がベッドに入ろうか迷うくらいの時間だ。一時まで起きているのは定期テストの前日くらい。

「金、貯めたいから。大学生になったら一人暮らしだってしたいし」
「西くんはちゃんと将来のこと考えてるんだ。尊敬する」
「みんなそろそろ考えるもんじゃないの? 二年生だろ?」
「うん……」

 責められたように感じて、つい委縮する。人間関係で悩んでいるなんて言い出せない。

「私、楽観的だから後先のこと考えるのが苦手で」
「楽観的っていうわりには暗い顔してるじゃん」

 廊下に佇んでいたときの惨めさがよみがえってしまい、「そうかな」と曖昧に返すことしかできなかった。
 そろそろ戻ろうかなと校舎を見上げるけれど、人目を気にせずこっそりとお昼を食べられる場所は他にどこがあるだろう。図書室は飲食物の持ち込みが厳禁だし、トイレは衛生面を考えると抵抗がある。

「コーヒー、飲む?」

 悩んでいると、西くんから唐突な申し出があった。