商店街は雨の日しか通らない場所なのだけれど、西くんが何をするのか気になったので、黙ってついていくことにした。
 大通りを逸れ一列になって小道を通り、石の階段を下りていく。
 まさに私が滑り落ちた場所だ。

「気を付けてよ」

 数段下から、西くんが私を振り返る。

「うん……」

 私は子どものように、一段一段慎重に階段を下って行った。中段のあたりで、つい階段の上のほうを振り返ってしまう。
 あの日、不審者は上のほうから転ぶ私を見下ろしていたのだろうか。そう思うとぞっとする。

 二人で商店街のアーケードの下を歩いていく。同じような暗い色のシャッターがどこまでも続いていた。
 通路の中央辺りに差し掛かかる。「もしかして」と思っているうちに、西くんはあるシャッターを目指し、磁石で吸い寄せられたみたいに近寄っていく。私も小走りになって彼を負った。

 私たちの前には何の変哲もない錆びたシャッターがあった。二階の窓を見上げる。ガラスには「町の本屋」と書かれてあった。
 間違いなく、先日私が足を止めた場所だ。
 どくん、と胸が鳴った。
 忘れてしまった自分の記憶と何か関係があるかもしれない。
 スピリチュアルなことはあまり興味が無いけれど、前世の記憶を打ち明けられる前のような緊張感が全身に走る。

「……ここは俺のパワースポットなんだ」

 西くんは、低い声で語った。私に、というよりは、己に向けて。

「パ、パワースポット……?」

 私は固唾を呑みこむ。
 彼は右腕をのばし、手のひらをシャッターに押し付けた。カシャンと音が鳴る。彼は目を瞑り、そのまま身動きしなくなってしまった。

「に、西くん……?」

 呼びかけても反応は無い。西くんの肩が呼吸に合わせてゆっくり上下しだす。

「う……」

 彼はシャッターに触れたまま、左手で自分の胸を押さえ始めた。

「う、うう……」
「西くん、どうしたの?」

 苦しいのだろうか。彼は答えない。背中をさすろうかと右手を伸ばすけれど彼の左手が制した。

「……や、め」

 上手く喋れないようだけれど、触ってほしくないみたいだ。どうしたらいいかわからず、私はただうろたえた。

「に、西くん……!!」

 叫び声が商店街にこだまする。すると、彼は背中を震わせた。
 私が「ネッシー」を「死ねー!」と聞き間違えた時のように。

「ウ、ウケる」
「…………もしかして、今の冗談?」


 確認すると、彼は「うん」と頷いて口を拳で押さえている。

「ちょ、ちょっとー!」

 顔が火照っていくのを感じながら私は怒鳴った。

「西くんは冗談か本気かわからないって!」
「あー、それよく言われる」

 西くんはまだ笑っている。

「でも、ここがパワースポットっていうのはまあまあ本当」

 彼は先ほどまで念を送っていたシャッターを指さした。

「……シューキョー施設でもあったの?」
「違う違う。ただの喫茶店だよ。……俺のじいちゃんが半分趣味でやってたんだ。もう死んじゃって、とっくの昔に畳んじゃったけど」
「そうなんだ……」

 こめかみを押さえながら、私はこの奥に存在したという喫茶店を想像する。

「中には入れないの?」
「鍵が無い」
「失くしちゃったの?」
「いや。親戚が持ってるのかな。危ないから絶対に入っちゃダメだって言われてる」
「中に入れないのに、西くんはこの商店街によく来るの?」
「まあ、なんとなく。俺はじいちゃんっ子だったし……」

 彼が目を泳がせるのを、私は見逃さなかった。

「よし、もう行こうか。家まであとどのくらい?」
「ここまででいいよ。うち、すぐそこだから」

 自分のスクールバッグの紐を彼の肩からするりと外して奪った。

「不審者が不安なんじゃなかったの? 家まで送るよ。よかったら毎日」
「大丈夫だよ。西くん、アルバイトがあるって言ってなかったっけ?」
「そんなのいくらでも調整できるから」
「本当に大丈夫」

「だけど」と食い下がろうとする彼を、「私、引っ越すかもしれない」と遮った。

「大阪に引っ越すかも。だから、もう大丈夫なんだ。でも、西くんの気持ちはすごくありがたい。……じゃあね。また学校で!」
「待って!」

 怪我していない右腕をつかまれた。強い力だった。
 彼は私の腕から手を離し、自分のスクールバッグの中に手を突っ込んだ。折りたたんだ一枚のルーズリーフを取り出して渡してくる。

「これ、何?」
「お母さんに渡してほしい」
「お母さんって、私のお母さん?」
「そう。でも、光莉(ひかり)は絶対に中身を見ないで」
「……光莉?」

 彼ははっと目を見開く。
「しまった」という表情だった。