住宅が途切れ景色が開ける。ガードレールの向こう、曇天の下には五歳から暮らす街が広がっていた。ここが高台であることがよくわかる景色だ。
 石造りの長い階段があり、先には商店街のアーケードが見下ろせる。また足を滑らせないよう、慎重に段を下りていく。

 商店街の出入り口に着いた。ここから先は傘が無くても濡れずに歩ける。借り物の傘を右手だけでなんとか閉じ、アーケードの下を進んでいく。
 相変わらずのさびれた商店街だ。どこまでも続くシャッターに監視されているような気分になりながらタイルの上を歩いていく。

 私は何を探しているのだろう。探し物が見つかった時、私は一体どうなってしまうのだろう。
 商店街の中央辺りで足を止める。
 何か見つけたわけではないけれど、目の前の錆びたシャッターに妙な懐かしさを感じた。
 シャッターの向こうにどのようなお店があるのかなんて、さっぱりわからない。

 手掛かりは無いかと二階を見上げる。むき出しの窓ガラスがあり、白い字で「町の本屋」と書かれていた。電気は点いておらず、営業している様子は無い。
 左右を見渡す。商店街の通路はゆるくカーブしていて、端と端は見えない。人通りは少なかった。けれど、皆無というわけではない。お年寄りや、自転車をとばす高校生が行き交っている。

 商店街としてはもう機能していないかもしれないけれど、この街の住民の通路として使われているのだ。ゴミが落ちているわけでもないし、日中である今は治安の悪さも感じない。
 それなのに、心細くなってきてそわそわとしてしまう。
 雨のせいで体が冷えたのか、くしゃみが出た。

 何も収穫が無く、またタイルの上を歩き出す。再び傘を広げながら、商店街の出口の脇に自動販売機を見つけた。何か温かい飲み物でも買おうかと思ってディスプレイをのぞいてみたものの、「つめた~い」の表記しかない。コーヒーやカフェオレさえ、冷たい商品しか置いていない。
 うちの母は夏でもホットのコーヒーを飲むのに。
 温かい飲み物はあきらめてまた雨の中を歩き出す。路地の先にある階段を上って少し歩けば、自宅であるアパートが見えてくる。





 心療内科での診察を受け、大掛かりな検査をした結果、私の脳はいたって正常だということがわかった。
 だから、私があれこれ忘れてしまっている原因はストレスではないか。それがお医者さんの見解だった。

 ――ストレスですか? この私が?

 診察室で、思わず笑いそうになってしまった。母や友達にあきれられるくらい、私は楽観的なのに。

「あー、でも強いて言えば大量の課題がストレスかも?」

 病院からの帰り道、母の車の助手席に座ってぼやく。
 山田先生から受け取った課題はだいたい片付いたけれど、苦手な英語の長文のプリントが二枚も残っている。締め切りは明後日だ。長時間の検査でくたくただけど、帰ったらすぐに手を付けないとまずい。
 課題を提出したら、今度は期末テストに向けて勉強しなければいけない。

「勉強、だるいなあ」
「あのねえ、うちは国公立しか行かせられないんだからね。ちゃんと勉強しておいてよ。もう二年生なんだし」

 フロントガラスの向こうを睨みつけながら、運転手である母はため息をついた。
 スマフォをいじりながら「わかってるよ」と返事するが、国公立に合格する見込みは今のところ無い。浪人もできないだろうし、不合格になったら就職だろうか。数年後に自分が働いている姿なんて少しも想像できない。そもそも、運よく進学できたとして、入学金は払えるのだろうか。

「ねえ。私もバイトしたほうがいい?」
「お金の心配はいいから、とにかく勉強してください」
「うちってどのくらい貯金があるの?」
「教えるわけないでしょ」

 車が赤信号につかまった。この交差点の信号はとても長くて、いつもうんざりとさせられる。

「……ひーちゃんが大変な時に悪いんだけど」
「何?」

 母の横顔は明るくなかった。一体何を言い出すつもりだろうと構える。

「今度の土曜日、佐々木さんに会ってほしいの。レストラン予約をしてるから」
「佐々木さんって、この前言ってた人?」

 ――佐々木さんのことも忘れちゃったの!?

 お母さんは病室で目を丸くしていた。
 西くんはその人のことを「ちょっとわからない」と言っていた。

「うん。その佐々木さん」
「私らと一緒にご飯食べるような人なの? 同僚さん?」
「同僚ではないけど、まあ、男の人」

 いつになく歯切れの悪い返事に首を傾げ、しばらくしてやっと合点する。

「……あっ、お母さんのカレシってこと!?」

 素っ頓狂な声が出た。