道路を走ってきた速度そのままに、いや、むしろスピードを上げるようにスロットルをふかせて、俺は菫青公園の中へと突っ込んだ。菫青公園の入口には車止めのポールが立っているが、原付が通る分の隙間はあったので俺には関係ない。トークルームに皆がここに集まっていると聞き、俺は急いで原付を走らせてきたのだ。
 公園に入った俺は原付を蛇行させるように走らせ、辺りを観察する。俺に注目が集まるように、更に原付をふかせる。
 ……大体、メッセージ通りの状況だな。
 俺を見て忌々しげに舌打ちをする金髪の男の手には、トートがぶら下がっている。その金髪の足元には、泥だらけの義法が転がっていた。
 ハンドルを切った方向には、狼狽した刈り上げの男がボロボロにされた寿史を抱えている。そこから少し離れた所に、唖然としながら俺を見るドレッドヘアーの男が立っていた。その二人の奥、菫青公園の上段へと続く階段の脇に、スマホを握る静花の姿がある。
 知っている顔もいれば、知らない顔もいる。だが、俺のやるべきことは明白だった。
 ……売られた喧嘩は、買うだけだ。
 俺は蛇行を止めてスロットルを回し、ドレッドヘアーに向けて一直線で進んでいく。突然向かってきた俺に、慌ててドレッドヘアーが転がるように俺の原付を避けた。避けたそいつを見向きもせず、俺はスピードを緩めて原付を静花が隠れれるように、彼女のそばに止める。
 原付を降りてヘルメットを脱ぐと、すぐさま俺は刈り上げ頭に向かって走り始めた。
 刈り上げは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに顔を引き締めると、タイミングを見計らって抱えていた寿史を俺に向かって投げつける。目くらましと障害物のつもりなのだろう。刈り上げは寿史を壁にして、俺の視界から逃れるようにしゃがみこんだ。
 ……悪くはない手だ。
 そう思うのと同時に、バランスを崩した寿史が俺に倒れかかってくる。それを俺は少ししゃがんで肩の辺りで受け止めると、寿史の膝を持ち上げるようにして彼を担いで、飛んだ。
 飛んだ視界の先には、寿史の足元から俺に攻撃しようとしゃがんで一歩踏み込んだ刈り上げの姿があった。刈り上げは俺を見上げて、真夏の月下に犬が空を飛んでいるのを見るような、信じられないものを見たと言う顔をしている。
 だが、これは現実だ。
 俺は飛んだ勢いをそのままに、右足を刈り上げの胸元へ踏み抜くように蹴りを入れる。俺と寿史、二人分の体重が乗った蹴りを受けて、刈り上げは重力に耐えきれなくなったとでも言わんばかりに、地面へ背中から転がり落ちた。
 吹き飛ぶ刈り上げを横目に、俺は頭を打たないよう手を添えながら、寿史を地面に寝かせる。
「……少し横になって、スマホでも見てろ」
 俺の耳打ちに寿史がうなずくのを確認せずに、俺は咳き込みながら立ち上がろうとしている刈り上げへ低空タックルを食らわせて、また地面へと寝かしつける。
 刈り上げも抵抗するが、馬乗りになった俺のほうが圧倒的に有利だ。下から打ち上げるようにして放たれる刈り上げの拳をつかみ、左手で刈り上げの両腕をバンザイするような形で固定する。そして俺は右の拳を蝉の声が響く夜空に向かって高く掲げると、刈り上げの鼻の上から杭を打つように拳を振り抜いた。
 まだ、気絶しない。もう一回。相手の鼻血が出た。もう一回。待って、とまだ口が聞ける。もう一回。白目を向いている。もう一回。
 痙攣し、気絶している事を確認すると、俺は刈り上げの顔を横に向ける。そのまま気絶させておくと、舌か気道を塞いで窒息死する事があるからだ。
 と、そこで俺は前転をしてその場から離れる。失神した刈り上げの頭上、つまり俺がさっきまでいた場所にドレッドヘアーの飛び蹴りが放たれていた。
「天燈工の坊主頭か。あん時は、よくもやってくれたな。借りを返させてもらうぜ!」
「……俺は貸した側ではなく、売られた側なんだがな」
「はぁ? てめぇら揃いも揃って訳わかんねぇ事言いやがって! ぶっ殺すっ!」
 ドレッドヘアーが左右の拳を上げて、ファイティングポーズを取る。ステップを刻みながらこちらに寄ってくるが、俺は特に構えることもせず、無造作にドレッドヘアーへ近づいていく。
『死』も『生』も、死地も生地も変わらない。全て地続きなら、気にせず踏破するだけだ。
 ドレッドヘアーの鋭い拳が、右、左と連続して放たれる。かわす俺の反撃を受けないようにステップで下がった後、ドレッドヘアーは回し蹴りを放ってきた。それを拳で止めようとするが、それはブラフ。俺の右膝へローキックが放たれる。
 バランスを崩した俺の顔面に、ドレッドヘアーの右ストレートが叩き込まれた。
 肉と肉、骨と骨がぶつかりあう感触。ドレッドヘアーが笑い、勝利を確信した所で、俺の右手がやつの首を捉えた。
 俺の指を放そうと、必死でドレッドヘアーがもがき苦しむ。その顔へ、俺の左拳が突き立てられた。
 一回目。まだもがいている。二回目。動きが弱くなった。三回目。もう動きを止めている。四回目。そこで首を放して、顔の横、耳に直撃するように回し蹴りを叩き込む。
 きりもみするように地面に倒れ込んだドレッドヘアーが気絶していることを確かめて、そいつの顔も横に向けた。
 俺は首を鳴らしながら、自分のスマホを一度確認する。それをしまって、残る最後の一人へ視線を向けた。
 ……あいつは、見たことねぇ顔だな。
 俺の視線の先にいる金髪は軽薄に笑った後、右手を懐に入れる。そしてそれが制服から出てきた時には、右手にナイフが握られていた。
「お前も、こいつが目当てなんだろ?」
 金髪は左手に持つトートを、高く掲げる。
「助けに来た以上、この犬を見捨てる選択をするはずないよな?」
 トートとナイフを見せびらかすように、金髪は口角を釣り上げながら俺を見下すように見つめた。
 ……まだ、時間を稼ぐ必要があるな。
 俺は金髪の背後と足元を一瞥した後、口を開く。
「……要求は?」
「決まってるだろ? 俺を見逃せ。そうすれば、この犬の命は助けてやる」
「……お前だけ? この二人は見捨てるのか?」
「俺が残ってりゃどうとだってなるさ。ああ、もちろん俺がこの場からいなくなっても、サツとかに通報するんじゃねぇぞ? そうなったら、この犬の命はない」
 金髪が雑に扱うので、トートがうめき声を上げる。その声に俺は、少しだけ眉をひそめた。
「……自分さえ助かればいいだなんて、程度が知れるな」
「黙れよ。どうしようもなくなって、そんな安い挑発しか出来ねぇんだろ? わかったら、そこで大人しくしてな」
「へー、そうやってしっぽ巻いて逃げるんだー」
 金髪の視線が、俺から階段の方へと移動する。そこから降りてきたのは、紫帆だった。紫帆は金髪の視線を全身に浴びるように、ゆっくりと階段を降りてくる。ポニーテールが、夏の夜風に舞った。
 紫帆は俺の右側、金髪からみて左側へ立つ。俺の隣に立った紫帆は意味ありげに俺を見ると、金髪の方へと視線を移した。
「彼女のあたしが来たのに、もー帰っちゃうのー? 冷たくなーい?」
「何言ってやがる、紫帆。白々しいんだよ。てめぇ、こいつら側なんだろ?」
 その言葉に、紫帆が吐き捨てるようにセリフを返す。
「なにそれ? 勝手に切っておいて、都合が悪くなったら人のせいにするの? ダサすぎでしょ」
「はぁ? てめぇが最初っから協力的だったら、こんなめんどくせぇことしなくたってよかったんだよ! 今まで散々いい思いさせてやったのに、てめぇは俺の言うことを大人しく聞いとけばよかったんだよブスっ!」
「はっ! そんなセリフしか言えないの? 今どき小学生でももう少しマシな事言えるんじゃない? 結局あんた、今どうしようもなくて負け犬の遠吠え上げてるだけでしょ?」
「あぁ?」
 金髪の低い怒号が、公園に響く。金髪の手にしたナイフが、トートへと向けられた。
「てめぇ、これが見えてねぇのか? もういっぺん言ってみろよっ!」
「それがダサいって言ってんだよ! 自分が追い込まれた途端に、人質? ダっサ! 結局あんた、その程度の男だったってことでしょ? 金回りと、多少顔がよかったから付き合ってあげてたけど、やっぱ男としてダメね。たけの足元にも及ばないわ」
 そう言って紫帆は、俺の腕に手を這わせる。それを見た金髪の眉が、跳ね上がった。もう完全に、金髪の注意は紫帆に向けられている。
「……んだと? どういう意味だ?」
「は? 今のでわかんないの? わかれよザコ。お前、アッチの方でも全然ダメダメだって言ってんだよ! この粗チン野郎がっ!」
「お前、もうどうなっても――」
 キレた金髪がナイフを振り上げるが、その手が止まる。金髪が腕を上げたタイミングで、スマホを持った寿史が立ち上がったからだ。
 金髪の視線が紫帆から寿史へ、トートを持つ左から右へ、完全に移る。その直後――
「わ、わあああぁぁぁあああっ!」
 金髪の後ろに回り込んでいたしおりが、金髪の手からトートを奪い取った。俺が時間を稼いでいたのも、紫帆の演技も、寿史が立ち上がったのも、全ては金髪の注意をそらしてトートを奪還する、この一瞬のための行動だった。
「お前、ふざけんなっ!」
 怒りに顔を染めるナイフを持つ金髪の右腕が、しおりの背中に振り下ろされる。だがそのしおりと金髪の間に、寿史が飛び込んだ。
 金髪の手にするナイフが、寿史の胸に向かって振り下ろされる。が、その手が一瞬止まった。振り向く金髪の目は、自分の足にまとわりつく、義法の姿が映っていることだろう。義法のそばには、ライトのついた彼のスマホが転がっている。
 金髪は先に義法を振り払おうとするが、そこにすかさず寿史が飛び込み、金髪の右腕を押さえた。
「ふざけんなザコども! 俺の邪魔をするんじゃねぇっ!」
 金髪が左の拳で寿史を殴り飛ばし、空いている足で義法を蹴り上げる。荒い息をつきながら自分にまとわりついていた二人を振り払った頃には、もう俺が金髪のそばまで走り込んでいた。
 金髪の両目が俺を映し出すのと、俺の拳が金髪の顔面に叩き込まれたのは、ほぼ同時。右ストレートがクリーンヒットし、続けて俺は左の拳を金髪の胸へと打ち放った。
 金髪の口からつばが宙に舞い、俺はそれをくぐるように更に一歩、金髪の懐へ踏み込む。踏み込んだ勢いで右肘を相手の脇腹へ差し込むようにして打ち、打った腕を跳ね上げるようにして右の裏拳へとつなげて金髪の顔面を強打する。
 そして、そこで終わらない。トートに、そして俺たちをこんな目にあわせた、こんな想いをさせたやつに、一切の手加減はしない。
 裏拳が顔に叩きつけられると、金髪はたまらず一歩下がった。そこに俺は、体を捻りながら左拳を金髪のみぞおちへと突き立てる。その捻った勢いをそのままに、俺は体をそらして左の足刀蹴りを放った。胸を突破るつもりで放った俺の蹴りを受け、金髪は後方へと吹き飛び、ブランコの囲いへと体を強打。そのまま倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。
 ……一応、窒息しないようにだけはしてやるか。
 金髪に近づく俺の足元で、義法の光るスマホの画面が見える。そこに映っていたのは、俺たちのトークルームだった。そこには静花からの細かな指示が、びっしりと並んでいる。
 後ろを振り向くと、安心したのか、放心しているのか、俺の原付の後ろで棒立ちになった静花の姿があった。
 公園のどの位置から誰が入ってきて、どうトートを助けるのか? 静花はずっと、俺たちに状況を伝え続けてくれていたのだ。
 金髪の顔を横に向ける俺の脇を、紫帆が抜けてやって来る。紫帆は金髪の手からナイフを奪うと、すぐさまトートを抱くしおりに向かって走っていった。
 紫帆としおりはナイフを使い、トートに巻かれたガムテープを剥がしてやる。そこに、静花も遅れて合流した。
 そして――
「わん! わんっ!」
 ガムテープが剥がれたトートが、元気な声を上げる。
「よ、よかった、トート、皆、無事でよかったですぅ」
「ごめん、皆、あたしのせいで、本当にごめんねっ!」
「違う、紫帆のせいじゃないよ! 紫帆のせいじゃない! でも、本当に、皆無事でよかった……」
 女子三人はトートの周りに集まって、わんわんと泣き始めた。その様子を見て、自分のスマホを拾って立ち上がる義法が悪態をつく。
「……何が無事だよ。こっちはズタボロで、全然無事じゃねぇんだよ」
「……本当だよ。剛士、もっと早く来れなかったの?」
 義法に同調する寿史が体の痛みに堪えるように、俺へ問いかける。そう言われて、俺は肩をすくめるしかなかった。
「……無茶言うな。だいたい、先に捕まったお前らが悪い。つーか、そもそもお前らが弱すぎるのが悪い」
「それこそ無茶言うなよ」
「そうそう。そういうの、僕は剛士に任せてるからさ」
 自分たちの結束を確認するように抱き合う女子とは対象的に、俺たち三人はひたすらぐちを言い合い、罵りあった。
 そんな俺たちを見て、トートは嬉しそうに、月に向かって吠えた。
 
 これが、トートの誘拐劇のほぼ全容だ。あとはそう、後日談的な話しか残っていない。
 その後弁護士の小嶋が到着し、金髪たちは警察の手に引き渡されていった。
 罪状は器物破損罪ではなく、動物愛護法違反。親告罪の器物破損罪と違い警察の捜査が入り、売春の斡旋など余罪もあったことからやつらは逮捕され、高校も退学処分となった。他にも関係者が逮捕されたり、補導されたりしたみたいだ。
 一方、親告罪、つまり俺たちが訴えなければ適用されない器物破損罪について、俺たちは告訴しないという選択をした。これは六人で話し合いをした結果、多数決をするまでもなく決まった結論だ。
 理由は各々、自分たちが訴える権利がないと思ったからだ。
 動物に対する器物破損罪は、その動物の持ち主、つまり飼い主が自分のペットに対して行使できるもので、俺たち六人は全員その権利を有していない、という結論になったのだ。
 俺自身、実行しなかっただけで、トートを金に変えられないか? と思ったのも事実。他の五人も多かれ少なかれ、トートと向き合えていなかった事があったという後ろめたさがあったみたいで、そのような結論に至った。
 ちなみに、金髪たちとの喧嘩に直接関わった、義法、寿史、そして俺の三人は、学校で二週間の謹慎処分となった。義法だけは、一方的にやられただけなのに納得できない、と言い張っていたが、当たらなかったとは言え、相手を殴ろうとしたのだからこの処分は仕方がない。
 それでも俺たち三人は謹慎期間中、ずっと三人で毎日トートの元へ足を運んでいた。壊れた犬小屋や物置などは先生の残してくれたお金で修理できるものは修理し、買い替えが必要なものは買い替えた。そして綺麗に戻した庭で、少しだけ動きが鈍くなったトートと戯れる日々を送っていた。もちろん、放課後になると女子三人もやってきて、随分にぎやかな時を過ごした。
 
 そして、トートがさらわれてから一ヶ月後。
 夏から、そろそろ秋に季節が変わろうとしている頃になって。
 トートは、死んだ。