あたしは焦っていた。トートが海たちにさらわれたのは、あたしのせいだ。トートに何かあったらと思うと、胸の奥が痛くてたまらない。
 海に電話をかける。出ない。康治に電話をかける。出ない。千春に電話をかける。出ない。額から流れる汗を拭い、もう一度海から電話をかけ直す。
 しおしおとよっしーがそれぞれ、藍銅公園、花田天然公園と菫青公園へ向かうと連絡があったのは、十分ほど前のことになる。
 ……よっしーも、探してくれてるんだねー。
 彼の中でどういう変化があったのかはわからない。でも、今は一人でも人手が欲しかったし、どこに向かうというアイディアを出してくれるだけでも助かった。彼らの行動から、何故そうしたのかあたしは推測する。
 ……よっしーとしおしおは、剛士の話から団地に近い公園に絞ったんだねー。
 かなり飛躍した発想だが、だとするとあの二人はまだトートが生きていて、海たちが公園でトートを殺そうとしていると考えているのだろう。あたしもまだトートは生きていると思っていたいし、まだ間に合うと信じていたほうが体が動く。
 ……ならあたしは、これから藍銅、花田付近を見て回ろうかなー。
 元々トートの家から東南方向の空き地や公園を調べていたあたしは、南へと足を向ける。その時――
『電話出れなくてごめんね、紫帆ちゃん』
 千春と、電話がつながった。
 声をすぼめたような千春の声が、スマホ越しに聞こえてくる。
『それにしても、オレに鬼電してくるなんて珍しいじゃん? どうしたの?』
「ど、どうしたのって、千春たちがあたし置いてどっかいっちゃったんでしょー」
 あたしは落ち着け、と自分に言い聞かせながら、予め用意していたセリフを口にする。海たちの誰かにつながった場合、どうやって情報を聞き出すのか、トートを探している間に考えていたのだ。
 ……千春が大きな声を出さないってことは、一緒に行動している海と康治には内緒であたしとの電話に出たってことだよねー。
 海よりあたしを取ったということは、千春はあたしの心象を良くする事を優先したのだろう。
 ……このタイミングで電話に出た理由は、トートを事故死に見せかける計画がある程度一段落ついた、ってことかなー。
 だとすると、かなりまずい状況だ。でも、その状況だからこそ千春の気が緩んだのも事実。ここでどれだけ千春から情報を引き出せるかが、トート救出の鍵になるはずだ。
『ごめんごめん! オレは紫帆ちゃんにも話したほうがいいって言ったんだけど、海さんが黙っとけって』
 自分ではなく海が悪いということにしたい、という意思がありありと見える千春の言葉に、あたしは辟易する。
 そう言いつつも、結局海の言うことにあんたは従ったんでしょ? と思わなくもないが、それでもあたしは手応えを感じていた。
 ……自分を悪者にしたくないって口にしたからには、海とは違ってあたしに味方してくれる意思を今は持っている、ってことだよねー?
 あたしは少し、すねたようにつぶやいた。
「えー、あたしだけ仲間はずれー?」
『いや、そういうわけじゃないんだけど……』
「だったら今、何してんのー? 教えてよー」
『いや、それを言うとオレが海さんに怒られちゃうから』
「海には内緒にしとくからさー。お願いー」
『……本当に、内緒にしてくれる?』
「するするー」
『……いやぁ、でもなぁ』
 ……じれったいなぁ、こいつ。
 どうせあたしの電話に出た以上、千春はあたしにある程度従うしかないのだ。
「じゃー、海に言っちゃうからねー」
『へ? 何を?』
「海に、千春が今あたしの電話に出たってことー」
『え、ちょっとそれは勘弁してよ紫帆ちゃん!』
 あたしの言葉を聞いて、千春が慌てたようにそう言った。
 海に黙ってあたしの電話に出た以上、それすらも千春は海に内緒にしておく必要がある。だからこの電話そのものが交渉材料になるのだ。
「だったら、今どこにいるのか教えてよー。あたしも混ぜてー」
『うーん、でも、もう紫帆ちゃんにやってもることは、今はないからなぁ』
「……え? どーゆーこと?」
『前に、紫帆ちゃんが犬と百万円の話してたでしょ? あれ、犬を事故死に見せかければ金が手に入りそうなんだよね。犬も大人しくさせたし、紫帆ちゃんに手伝ってもらうのはその後のお金の受け取りのところかな』
「お、大人しくさせたって、殺したの?」
 冷や汗が、頬を流れ落ちる。そんなあたしをよそに、千春は小さく笑った。
『違うよ。口と足にガムテープを巻いたんだ。巻くの、大変だったんだよ紫帆ちゃん』
 その言葉に一瞬、安堵しそうになる。しかしトートが酷い目にあっている状況には違いない。
 ふつふつと、海たちへの怒りが沸き起こってきた。
 怒れるあたしとは対象的に、千春は自慢話をするように言葉を紡いでいく。
『いやぁ、本当に大変だったんだよ。あの犬抵抗するし、海さんの手も引っ掻いちゃったから海さんブチギレちゃって、その場にあったものに当たり散らすし。まぁ苦労させられたのはオレたちも同じだったから、ムカついて犬小屋も犬が描かれてた絵も康治と一緒にめちゃめちゃにしたんだけどさ。でもこれで、紫帆ちゃんの仲間もオレたちには敵わないってメッセージ、伝わったんじゃないかな』
「……まぁ、そうかもね」
 暴力的な一面を話せば女子へのアピールになるとでも思っているのか、あれだけ話すのを渋っていたくせに千春は嬉々としてトートを連れ去った時の事を話していく。
 上がっていく千春のテンションとは反対に、あたしの心は白けていった。ネタが全てわかっているお化け屋敷を、わざわざこれからゴールまで歩かなくてはならないようなダルさだ。
 それに気づいた様子もなく、千春の口は軽快に回る。
『その犬の殺し方なんだけど、ブランコを使うことにしてね。海さんが一回転できそうなぐらい勢いをついけてこいでいるブランコに、たまたま犬が入ってきちゃった、っていう設定なんだ。今、どこに犬を置けばブランコが頭に当たるのか調整中で――』
『おい、千春! 誰と電話してやがんだっ!』
 ……まずい。海に気づかれたっ!
 トートがまだ生きている事を確認出来たのはよかったが、それでもピンチなのは変わりがない。
 ……時間も、あんまりなさそうだしねー。
『す、すみません海さん! すぐ行きますっ! ごめん、紫帆ちゃん。オレもう――』
「待って、千春! 大事な話があるのーっ!」
 とにかく電話を切られないために、あたしはどんどん言葉を作っていく。
『いや、でも海さんが――』
「あたし、最近、海と上手くいってなくてさー」
 自分でも気持ち悪いぐらい媚びた声で、千春に話しかける。
「他に頼れる人がいたら、あたし、乗り換えちゃおうっかなーって思っててー」
『え! そ、それってどういう事?』
 電話の向こうで、千春が鼻を伸ばしているのがわかった。そのキモさに舌打ちしたくなるのを堪えながら、あたしは口を開く。
「えー、どーゆーことだと思うー?」
『……いや、でも海さんに悪いし』
「千春に、会いたいなー」
『し、紫帆ちゃん!』
「千春、今どこー?」
『いや、でも、それは――』
『わ、何だこの犬! 急に暴れ始めてっ!』
 康治の慌てた声が聞こえてくる。そして、くぐもった犬の鳴き声も。
 ……トートっ!
 間違いない。トートの声だ。でも、どうして急にトートは暴れ始めたんだろう? どこか怪我でもして、苦しくて鳴いているのだろうか?
 千春が移動しているのか、通話音にノイズが走る。何かを拾い上げたのか、千春が小さくつぶやいた。
『テニスボール? なんでここに』
『トート! 鳴き声がしたってことは、いるんだろ? トートっ!』
 ……よっしーの声だっ!
 と、いうことは、トートが今いるのは菫青公園という事になる。
 ……よっしー、ナイスだよーっ!
 あたしは飛び上がりたくなる自分を抑えて、右手を握る。でもその後すぐ、あたしの背筋が凍りついた。
『おい千春! 今入ってきたやつ黙らせてこっちに連れてこいっ!』
 康治の言葉に、千春が反抗する。
『はぁ? なんでオレが』
『犬の名前知ってるって事は、百万が分配される残りの五人の一人だろ。追ってきたってことは、抵抗する意思があるんだよ。一人ぐらい血祭りに上げときゃ、他のやつも流石に諦めんだろ』
『だから、なんでオレが――』
『ダラダラ電話してるぐらいだらから余裕だろ? だよねぇ、海くん』
『……千春。行って来い』
『……わかりました』
 海の言葉を聞いた千春の不機嫌そうな声がして、電話が切られた。
 あたしの頭から、血の気が引いていく感じがした。
 ……ダメだ。よっしー一人じゃ、あいつらには勝てない!
 あたしは震える指でスマホを操作し、トークルームへメッセージを送った。