やがて莉子の夏期講習が始まり会えない日が続いた。僕は莉子の顔見たさに親が寝静まった頃を見計らって家を抜け出し6km離れた莉子の家まで自転車のペダルを漕いだ。もし親に見つかっても「脚力を強くするためのトレーニングだ」そう言い訳しようと考えていた。莉子の部屋は大通りから少し入った路地に面していて午前0時になっても明かりが点いていた。


(顔が見たいな)


 莉子は勉強に集中したいからと言い23:00を過ぎると携帯電話の電源を切ってしまう。僕は顔を見る為の策を練った。声を出して莉子の名前を呼べば隣近所の迷惑になる、それよりも先に莉子の親に気付かれるだろう。


(・・小石)


 小石を窓ガラスに投げて当てようとも考えたが力加減を間違えれば窓ガラスが割れてしまうかもしれない。飛ばす事が出来て先が尖っている軽い物。紙飛行機だと思った。


(紙飛行機、紙飛行機を飛ばしてみよう)


 僕は紙飛行機を幾つも折った。そして莉子へのメッセージを書いた。それには言葉に出来ない思いを書いた。


莉子 大好き
莉子 頑張れ
莉子 合格
莉子 愛してる


 そして僕の計画は見事に成功した。僕が折った紙飛行機は莉子の部屋の窓を叩きベランダへと落ちた。午前0時、莉子は訝しげな顔で窓を開けた。


あ け て み て


 僕がそれを開けて見てと身振り手振りで伝えると紙飛行機を一機、二機と開いた莉子は笑顔になって頭の上で大きな丸を作った。それから僕は午前0時になると莉子の窓辺へ紙飛行機を飛ばした。








8月22日 


 それは獅子座流星群が降り注ぐ極大(きょくだい)の日を迎えていた。月は細い三日月で夜空は暗く星が良く見えた。


(今夜、会えないかな)


 どうしても今夜莉子に指輪を渡したかった。


莉子 会いたい


 いつもの様に紙飛行機を飛ばした。莉子はベランダに落ちたそれを開くと暫く考え込み部屋の中へと姿を消した。僕が不思議に思い眺めていると悪戯めいた微笑みの莉子の腕が大きく振りかぶった。


(・・・・・?)


 僕に向かって下降して来る莉子の紙飛行機は不恰好で右に左にとよろめきながら路地に不時着した。


蔵之介 会いたい


 莉子も同じ気持ちだった。僕は(おいでよ)と大きく手招きをして見せたが莉子はバツ印を作って口元を尖らせた。僕が泣き真似をして見せるともう一機の紙飛行機が飛んで来た。今度は上手く折れていた。


後で降りて行く 30分待てる?


 僕は喜びを隠せず飛び跳ね頭の上で大きな丸を作った。


(莉子に会える!)


 30分が1時間にも2時間にも思えた。僕は画像フォルダをスクロールし莉子と一緒に撮った写真を眺めながら幸せを噛み締めた。



キィ パタン



 暗闇で扉が微かな音を立てて閉まった。莉子が家を抜け出す事に成功した。


(・・・・落ち着け、落ち着け)


 僕はこれから彼女に一世一代の告白をして指輪を渡すんだ。


「ーーー蔵之介!」

「ーーー莉子!」


 小さな声で互いを呼び合い一目散に大通りへと向かって走った。静かな街にチェーンリングが回る音が響いた。大通りの商店街に人の気配はなく車が一台通り過ぎただけだった。


「会いたかった」

「うん」


 僕は莉子を力強く抱き締めて口付けた。


「く、苦しいよ」

「ごめん」


 2人でいると話題は尽きず夜が明けなければ良いのにと思った。


「莉子、星を見にこうよ!」

「こんな明るい所じゃ見えないよ」

「獅子座流星群、流れ星が見えるよ!」


 僕は莉子を自転車のキャリアに乗せてペダルを()いだ。坂を登りきった夜景は今も忘れない。眼下に広がる街は暗い海、街灯は海に漂うウミホタルに見えた。


「どこまで行くの?」


 莉子が不安そうに訊ねた。行き先は明かりの少ない港で自転車で行けば近いよと僕は笑った。国道の高架橋を潜った一本道を時速18kmで疾走する自転車は夏の草の匂いを連れて市街地を抜けた。


「いーーっぽん、にーーーほん、さーんぼん」

「なに、なに数えてるの」

「電柱、電柱の数を数えてるの」


 僕の背中に掴まった莉子は急に電柱の数を数え始めた。


「なんで?」

「電柱が1本増えると家から遠くなるでしょ」

「うん」

「その分2人だけの秘密が増えているみたいでドキドキする」

「2人だけの秘密」

「ドキドキしない?」

「うん、なんだか僕もドキドキして来ちゃった」


 僕は電柱の数よりも財布の中の指輪を渡す事のほうがドキドキした。


「あ、莉子!警察!」


 目前にパトカーが停まった小さな交番が見えた。莉子は慌てて自転車のキャリアから降り、僕の隣を何事も無かったかの様な顔をして歩いた。


「お巡りさんが居るかと思った」

「居なかったね」

「居なかった、良かった」

「もう着く?」

「もうそこまで、もう少し行ったら見えるよ」


 莉子を乗せた自転車は煌々(こうこう)と明るいコンビニエンスストアの前を駆け抜けた。


「あのバスターミナルを曲がったら港だよ」


 ペダルが加速しチェーンリングの音が激しくなる。黄色点滅信号の交差点の向こうにバスターミナルがあった。
一瞬の出来事だった。


「莉子!」


 僕の目の端に眩しいライトが飛び込んだ。自転車のグリップを力一杯握りブレーキレバーを引いた。胴にしがみついていた莉子の腕が離れキャリアが軽くなった。前輪が横に滑るのを感じ次の瞬間(いびつ)になった自転車のホイールが宙に舞い僕は全身に強い衝撃と激しい痛みを感じた。