13:30
「もしもし、蔵之介?」
「どうしたの」
「会いたくなって早く着いちゃった、何号室?」
「えっ、もう着いたの!」
蔵之介のマンションは自宅の目と鼻の先にあった。よく今まで会わなかったものだと2人で驚いたがこれもご縁なのだろうと納得する事にした。部屋は3階の角部屋で見晴らしが良く、楓並木が暑さで揺らいで見えた。
「10分前行動の莉子らしいね」
「30分遅刻の蔵之介らしいわ、片付けてたの?」
「あーーー昨日忙しくて片付けられなくて」
「家でも仕事なの?」
「持ち帰りの仕事が多いんだよ」
「ブラック企業ね」
「そうでもないけれどね」
蔵之介の部屋は片付けの途中だったらしく彼方此方に雑誌や書類が散乱し、洗濯物も取り込む途中だったらしい。蔵之介はトランクスをピンチから外すとチェストの中に押し込んでいた。呆れ返って見ていると、本棚に高等学校の卒業アルバムを見つけた。
「卒業アルバム」
「見てみる?」
「うん」
「じゃあ、お茶淹れるから待ってて」
「あ、そんな良いのに」
「ペットボトルのお茶を注ぐだけだから」
「あっそ」
そこにはサッカー部でグラウンドを走る姿や体育祭のリレーでバトンを渡す瞬間の写真があった。なぜか胸に込み上げるものがあり目頭が熱くなった。
「あ、あれ?」
「どうしたの」
「なんだろ、なんだか涙が出ちゃった」
卒業アルバムにハタハタと涙の雫が落ちた。
「なに、若かりし頃を思い出した感じ?」
「ううん。なんだか胸が痛い」
「あぁ、ちょっと覚えてるんだね」
「なにが?」
蔵之介は時々意味が分からない事を言う。
「莉子は自転車に乗れる?」
「やっ、やめてよ!自転車って聞くだけでゾッとする」
「そうなんだ」
「小さい頃、お母さんに自転車に乗る?って聞かれて大泣きしたんだって」
「そうなんだ」
「うん、だから自転車には乗れないの」
蔵之介は無言でグラスに氷を入れると烏龍茶を注いだ。カランと乾いた音がした。
「莉子、机の上片付けてくれる?」
ローテーブルのノートパソコンや書類をひとまとめにし、チェストの上に置いて振り返るとそこには真っ赤なイチゴがぐるりと並んだ生クリームのホールケーキがあった。
「えっ、なにこれ!」
「ジャジャーン」
チョコレートのプレートにはホワイトチョコレートのペンシルで”莉子誕生日おめでとう”とメッセージが入っていた。そして18のキャンドル、これもちょっと意味が分からず首を傾げた。
「なんで18なのよ」
「これは莉子が18歳の時のバースデーケーキ、僕がお祝いしたかった日のケーキだよ」
「18歳」
「そうだよ!莉子の誕生日が7月30日で、水色のワンピースがお母さんからのプレゼントだって聞いてびっくりしたんだから!」
「だって聞かれなかったし」
「そうだよ、聞かなかった僕が悪いんだよ」
ちょっと気不味く無言になってしまった。
「だから!今日は莉子の誕生会なんだよ!」
「子どもじゃあるまいし」
「今の僕と莉子は16歳と18歳の子どもだよ」
「そう、蔵之介がそう言うならそうね、ハッピーバースデー18歳」
「おめでとう、莉子」
そう言って蔵之介はテーパードの形をしたルビーの指輪を取り出すと、私の右手の薬指にそれを嵌めた。
「なんで右手なの?」
「左手は旦那さんのものだから」
「直也さんの」
「直也さんって言うんだ」
「あ、ごめん」
「謝る事なんてないよ」
キャンドルに火を着け、私たちは揺らめく小さな炎を見た。
「おめでとう、莉子」
「ありがとう」
蔵之介が眼鏡を外すと自然と頬が近付き、私と蔵之介は唇を重ねていた。それは到底、子どもの頃の軽い口付けではなく互いに深く重ね合い舌を求め合った。どれくらいそうしていただろう。蔵之介はそっと私をカーペットに寝かせたが抱きしめただけだった。私を見下ろした蔵之介は《《男性》》の顔をしていたが唇に触れただけで身体を離した。
「じゃ、ケーキを食べようか!」
「蔵之介」
「なに」
「あの」
「これ以上はないよ、莉子はもう・・・」
「うん」
私たちはなぜ巡り合ってしまったのだろう。あのフェスタに行かなければ、こんな思いをする事もなかったのに。そもそも、どうして別れてしまったんだろう、あんなに好きだったのに。
「なに、莉子また泣いてるの?」
「ケーキが美味しくて」
「変な莉子」
窓に夕陽が傾き始め、部屋をオレンジ色に染めた。
「あ、チャイム・・・懐かしい」
「下校時間だね」
蔵之介は近くに高等学校があると言った。ベランダに出て景色を眺めると足元に花が枯れたテラコッタの鉢植えがあった。世話もされていない可哀想な花。
「蔵之介」
「なに」
「あなた彼女、いたでしょう」
「なんで」
「こんな鉢植え、男の人が買ってくる訳ないじゃない」
「植物が好きな男だっているよ!」
「こんなに枯れてるのに?」
「そ、そう、そうだね」
「そうだ!」
私は29日にプレゼントするものを思い付いた。
「ねぇ今度、マリーゴールドの苗を持って来るわ!」
「苗ぇ?」
「なによ、その嫌そうな顔」
「面倒だよ」
「マリーゴールドは枯れないから!」
「そんな訳ないでしょ?」
「道路に咲いてるでしょ、たま〜にお水をあげて」
「分かった」
そして私と蔵之介は抱きしめ合い手を降った。
「ただいま」
私が帰宅すると玄関は施錠されリビングは暗く直也の姿は無かった。
(まだ帰って来ていなかった、良かった)
安堵の息が漏れた。私はスポーツジムで履いた様に見せ掛けた布袋のスニーカーを廊下の隅に置いた。
(ーーーあ、指輪)
リビングの電気を点け洗濯物を取り込みタオルを畳んでいると左手の薬指に燻銀の指輪、右手の薬指にルビーの指輪を嵌めている事に気が付いた。2階の寝室へと向かいクローゼットの上に隠したクッキー缶を取り出した。
ぎしっ
力無くベッドに腰掛け蓋を開けその中に指輪を仕舞った。
(蔵之介)
蔵之介の熱い唇の感触、直也とは違う男性特有の体臭、思い詰めたその眼差しを思い出しながらゆっくりと紙飛行機を広げた。
莉子 大好き
莉子 会いたい
莉子 結婚しよう
私は16歳の辿々しい文字が綴る想いに涙を流した。
カチャン ギイ
「ただいま」
私は慌てて階段を降りた。
「おかえり」
玄関先の廊下では仕事から帰宅した直也がスポーツジムの布袋を開け中のスニーカーを取り出して靴底を見ていた。
「なに、どうかした?」
「莉子」
「うん?」
「なんでもない」
何気なく目線がチェストへと向いた。私は結婚指輪を外したまま忘れていた。
「もしもし、蔵之介?」
「どうしたの」
「会いたくなって早く着いちゃった、何号室?」
「えっ、もう着いたの!」
蔵之介のマンションは自宅の目と鼻の先にあった。よく今まで会わなかったものだと2人で驚いたがこれもご縁なのだろうと納得する事にした。部屋は3階の角部屋で見晴らしが良く、楓並木が暑さで揺らいで見えた。
「10分前行動の莉子らしいね」
「30分遅刻の蔵之介らしいわ、片付けてたの?」
「あーーー昨日忙しくて片付けられなくて」
「家でも仕事なの?」
「持ち帰りの仕事が多いんだよ」
「ブラック企業ね」
「そうでもないけれどね」
蔵之介の部屋は片付けの途中だったらしく彼方此方に雑誌や書類が散乱し、洗濯物も取り込む途中だったらしい。蔵之介はトランクスをピンチから外すとチェストの中に押し込んでいた。呆れ返って見ていると、本棚に高等学校の卒業アルバムを見つけた。
「卒業アルバム」
「見てみる?」
「うん」
「じゃあ、お茶淹れるから待ってて」
「あ、そんな良いのに」
「ペットボトルのお茶を注ぐだけだから」
「あっそ」
そこにはサッカー部でグラウンドを走る姿や体育祭のリレーでバトンを渡す瞬間の写真があった。なぜか胸に込み上げるものがあり目頭が熱くなった。
「あ、あれ?」
「どうしたの」
「なんだろ、なんだか涙が出ちゃった」
卒業アルバムにハタハタと涙の雫が落ちた。
「なに、若かりし頃を思い出した感じ?」
「ううん。なんだか胸が痛い」
「あぁ、ちょっと覚えてるんだね」
「なにが?」
蔵之介は時々意味が分からない事を言う。
「莉子は自転車に乗れる?」
「やっ、やめてよ!自転車って聞くだけでゾッとする」
「そうなんだ」
「小さい頃、お母さんに自転車に乗る?って聞かれて大泣きしたんだって」
「そうなんだ」
「うん、だから自転車には乗れないの」
蔵之介は無言でグラスに氷を入れると烏龍茶を注いだ。カランと乾いた音がした。
「莉子、机の上片付けてくれる?」
ローテーブルのノートパソコンや書類をひとまとめにし、チェストの上に置いて振り返るとそこには真っ赤なイチゴがぐるりと並んだ生クリームのホールケーキがあった。
「えっ、なにこれ!」
「ジャジャーン」
チョコレートのプレートにはホワイトチョコレートのペンシルで”莉子誕生日おめでとう”とメッセージが入っていた。そして18のキャンドル、これもちょっと意味が分からず首を傾げた。
「なんで18なのよ」
「これは莉子が18歳の時のバースデーケーキ、僕がお祝いしたかった日のケーキだよ」
「18歳」
「そうだよ!莉子の誕生日が7月30日で、水色のワンピースがお母さんからのプレゼントだって聞いてびっくりしたんだから!」
「だって聞かれなかったし」
「そうだよ、聞かなかった僕が悪いんだよ」
ちょっと気不味く無言になってしまった。
「だから!今日は莉子の誕生会なんだよ!」
「子どもじゃあるまいし」
「今の僕と莉子は16歳と18歳の子どもだよ」
「そう、蔵之介がそう言うならそうね、ハッピーバースデー18歳」
「おめでとう、莉子」
そう言って蔵之介はテーパードの形をしたルビーの指輪を取り出すと、私の右手の薬指にそれを嵌めた。
「なんで右手なの?」
「左手は旦那さんのものだから」
「直也さんの」
「直也さんって言うんだ」
「あ、ごめん」
「謝る事なんてないよ」
キャンドルに火を着け、私たちは揺らめく小さな炎を見た。
「おめでとう、莉子」
「ありがとう」
蔵之介が眼鏡を外すと自然と頬が近付き、私と蔵之介は唇を重ねていた。それは到底、子どもの頃の軽い口付けではなく互いに深く重ね合い舌を求め合った。どれくらいそうしていただろう。蔵之介はそっと私をカーペットに寝かせたが抱きしめただけだった。私を見下ろした蔵之介は《《男性》》の顔をしていたが唇に触れただけで身体を離した。
「じゃ、ケーキを食べようか!」
「蔵之介」
「なに」
「あの」
「これ以上はないよ、莉子はもう・・・」
「うん」
私たちはなぜ巡り合ってしまったのだろう。あのフェスタに行かなければ、こんな思いをする事もなかったのに。そもそも、どうして別れてしまったんだろう、あんなに好きだったのに。
「なに、莉子また泣いてるの?」
「ケーキが美味しくて」
「変な莉子」
窓に夕陽が傾き始め、部屋をオレンジ色に染めた。
「あ、チャイム・・・懐かしい」
「下校時間だね」
蔵之介は近くに高等学校があると言った。ベランダに出て景色を眺めると足元に花が枯れたテラコッタの鉢植えがあった。世話もされていない可哀想な花。
「蔵之介」
「なに」
「あなた彼女、いたでしょう」
「なんで」
「こんな鉢植え、男の人が買ってくる訳ないじゃない」
「植物が好きな男だっているよ!」
「こんなに枯れてるのに?」
「そ、そう、そうだね」
「そうだ!」
私は29日にプレゼントするものを思い付いた。
「ねぇ今度、マリーゴールドの苗を持って来るわ!」
「苗ぇ?」
「なによ、その嫌そうな顔」
「面倒だよ」
「マリーゴールドは枯れないから!」
「そんな訳ないでしょ?」
「道路に咲いてるでしょ、たま〜にお水をあげて」
「分かった」
そして私と蔵之介は抱きしめ合い手を降った。
「ただいま」
私が帰宅すると玄関は施錠されリビングは暗く直也の姿は無かった。
(まだ帰って来ていなかった、良かった)
安堵の息が漏れた。私はスポーツジムで履いた様に見せ掛けた布袋のスニーカーを廊下の隅に置いた。
(ーーーあ、指輪)
リビングの電気を点け洗濯物を取り込みタオルを畳んでいると左手の薬指に燻銀の指輪、右手の薬指にルビーの指輪を嵌めている事に気が付いた。2階の寝室へと向かいクローゼットの上に隠したクッキー缶を取り出した。
ぎしっ
力無くベッドに腰掛け蓋を開けその中に指輪を仕舞った。
(蔵之介)
蔵之介の熱い唇の感触、直也とは違う男性特有の体臭、思い詰めたその眼差しを思い出しながらゆっくりと紙飛行機を広げた。
莉子 大好き
莉子 会いたい
莉子 結婚しよう
私は16歳の辿々しい文字が綴る想いに涙を流した。
カチャン ギイ
「ただいま」
私は慌てて階段を降りた。
「おかえり」
玄関先の廊下では仕事から帰宅した直也がスポーツジムの布袋を開け中のスニーカーを取り出して靴底を見ていた。
「なに、どうかした?」
「莉子」
「うん?」
「なんでもない」
何気なく目線がチェストへと向いた。私は結婚指輪を外したまま忘れていた。