5月



 僕は港に近い高等学校に入学しサッカー部に入部した。身長は168cmと然程高くはなく補欠選手で特段目立つタイプでは無かった。


「きゃー!雨月(うげつ)くーん!」


 然し乍ら自分で言うのも烏滸(おこ)がましいが中学校時代から一定数の女子生徒に人気があった。そして高等学校に入学してすぐに自分のファンクラブが結成された事を知った。


(こんな僕の何処が良いんだろう?)


 鏡の中の自分に問い掛けながら毎朝髭を剃った。僕の名前は雨月 蔵之介(うげつくらのすけ)16歳、1年A組の05番だ。


「きゃー!蔵之介くーん!」


 放課後のグラウンドでは先輩が蹴り損ねたサッカーボールを拾い歩くだけで視線を集めた。


「こっち向いてー!」


 愛想よく手を振ると甲高い声が校舎から響き渡った。


「きゃー!」


 ある日、その金切り声から少し離れた場所で物憂げにこちらを見ている女子生徒がいる事に気が付いた。


(今時、あの髪型の子もいるんだ)


 いつしか僕は髪を三つ編みで結えた女子生徒の姿を目で追うようになった。


(ええーと、ここだよな)


 僕はその女子生徒の教室を探した。3階の右から3番目の教室、3年生だった。


(ここがあの子の教室かぁ)


 思わず鼻から大きく息を吸ってみたが身に覚えのある男性特有の体臭に(むせ)返った。



 数日後、先輩が蹴ったボールを追い掛けグラウンドから中庭へと続く階段を駆け降りた。ふと視線を上げると3階の彼女が灯台躑躅(どうだんつつじ)の白い花が咲くベンチで文庫本を読んでいた。僕は思わず声を掛けた。


「ねぇ、ねぇ」


 彼女は一瞬視線を上げたがそれはまた文庫本へと落とされた。


「ねぇ、ねぇ」


 僕はレンガ畳みに座り込んでその顔を覗き込んだ。彼女はとても驚いた顔で文庫本を閉じた。


「えっ、なんですか」

「やっぱり、3年生なんだ」


 制服は紺色のブレザーにタータンチェックのスカート、3年生のネクタイの色はグレーだった。彼女の脚は色白で細く脹脛(ふくらはぎ)丈の真面目そうな靴下を履いていた。


「はい、私3年生ですけど」

「僕、1年生なんです」

「はい」

「僕、サッカー部の補欠選手なんです」

「はい」


 遠目では分からなかった彼女の面差しは面長で奥二重、ぽってりとした桜色の唇をしていた。薄茶の三つ編みを解いた髪は柔らかなウェーブを描いていた。綺麗だと思った。


「先輩、いつも僕の事見ていますよね」

「まぁ確かに」

「僕の事、好きですか」

「そういう(たぐ)いで見ていた訳じゃないのよ、気にしないで」



 彼女はそう言ってベンチから立ち上がりそうになり僕は思わずスカートの端を引っ張った。


「なに?」


 彼女は耳まで真っ赤にしてベンチに座り直した。


「僕の名前は」

雨月 蔵之介(うげつくらのすけ)

「ほら、知ってるじゃないですか」

「それはほら、あんな感じで女子が呼んでいるから覚えただけよ」


 中庭を見下ろすベランダから「雨月くーん」と女子生徒たちが手を振り熱い視線を送っていた。成る程、()もありなん。


「先輩の名前を教えて下さい」

市原 莉子(いちはらりこ)、でもあなたに自己紹介いる?」

 市原さんは僕を一瞥(いちべつ)した。この機会を逃したらもう2度と口を聞いてもらえないと思い僕は焦った。


「LINEを交換して下さい」

「なんでよ」


 気が付いたらとんでもない事を口走っていた。


「僕とお付き合いして下さい」

「なんでよ」


「月曜日の4限目にあの窓に市原さんがいないと寂しい事に気が付いたんです」


 僕は3階の窓を指差した。


「なんで月曜日の4限目なの?」

「僕のクラス、その時間は体育の授業なんです」

「体育の授業」

「だから市原さんのクラスの窓が見えるんです」

「えっ、見てたの?」

「はい」

「ずっと?」

「その時間、市原さんのクラスは化学の授業で実験のある日はいませんよね」

「え、うっわ、気持ち悪いよ」


 僕が教室を見に行った事が発覚し市原さんは軽蔑の眼差しを向けた。終わった、そう思った。


「おーい!蔵之介!ナンパしてんじゃねーぞ!」


 グラウンドから先輩の怒声が聞こえ僕は渋々立ち上がった。


「それじゃ、お邪魔しました」


 市原さんに会釈しその場を立ち去ろうとすると細い指が僕のTシャツを摘んでいた。心臓が跳ね上がった。


「な、なんですか」

「LINE、交換しても良いよ」

「え」

「お友だち登録なら」


 お友達登録、僕は肩を落としたが初めての会話でお友達に昇格したのならば良しとしよう。


「じゃ、また明日」


 市原さんとは翌日の昼休みこの場所で待ち合わせをする事になった。







ーーーーこれが僕と莉子との初めての出会いだった。







 僕と市原さんが中庭のベンチに座って携帯電話を取り出すと「えええ、なんで3年生と!」「あの人誰!」と落胆の声があちらこちらから聞こえて来た。市原さんは気軽にお友達登録をしたつもりだろうが僕は策士だった。


(周りが僕たちの事を恋人同士だと思えば良いんじゃない?)


 これで市原さんが他の男子生徒から告白される心配も無く、僕も有象無象に付きまとわれる精神的苦痛から解放される。あわよくばお友達から恋人への昇格も有り得る。ただ外堀から攻めるつもりが市原さんの鉄壁の守りを崩す事は難しかった。




市原さん勉強してるの?
既読


もう寝たの?
既読


ねぇねぇ
既読



 
 可愛らしいスタンプを送ってみたがLINEトークの既読無視が続いた。


(受験勉強忙しいんだよな、期末試験も近いし)


 既読無視が続き落胆し、布団に潜るとLINE通話の着信音が暗闇に響いた。僕は飛び起きた。


「もしもし!」

「雨月くんごめんね、今、どうしても手が離せないの」


 心臓が跳ねた。


「なかなか遊べなくてごめんね」

「いっ、いいよ!」

「また今度ね」

「うん!」

「おやすみなさい」

「おやすみ!」


 僕は2歳年上の市原さんに翻弄(ほんろう)された。


「あー!キスしたい!抱き締めたい!」


 市原さんに会えない日は布団を抱き締め悶々とした夜を過ごした。ところが期末試験最終日前夜、市原さんから珍しくLINEがあった。





雨月くん突然ごめんね
既読
                 こんばんは!
明日で期末テスト終わりだね
既読
                 そうですね!

テストが終わったらカフェに行かない?
既読
                  行きます!




 僕は速攻行きます!と返信しすっかり舞い上がってしまった。一夜漬けの世界史は手付かずのまま試験を受け結果は赤点に近かった。



7月15日



鞍月バス停前のカフェで14:00に待ってるよ
既読
               部活があるみたいです
急がなくていいよ
既読
                 ごめんなさい



 市原さんが待つカフェに一刻も早く行きたい僕は期末試験終了日に部活動を行うと決めたキャプテンの背中を恨めしく見た。



はぁはぁはぁ



「・・・・・え、なにこ、ここ!?高そう!」


 額に汗を流し全速力で走った僕は肩で息をしながらその建物を仰いで見た。その店の名前はスミカグラス鞍月(くらつき)、日本家屋の外観、(いぶ)した木材の格子戸の前で僕は怯んだ。


(僕・・・お小遣い、800円しか無いよ)


 ウォールナットの美しい木目、艶やかな手触りのテーブル、天井からはペンダントライトが暖色系の明かりを灯しアイボリーのカーテンが空調に揺れた。


「いらっしゃいませ」


 レジスター後ろの壁掛け時計は14:30を指してした。市原さんはウンベラータ(観葉植物)の隣のテーブルに腰掛けていた。


「お席は」

「あ、待ち合わせなので」


 そう答えただけで少し大人になったような気がした。


「ごめん、待った?」

「部活動があるなんて知らなくて。急いだんじゃない?」

「う、うん、ちょっとだけ」


 目の前にレモンの輪切りが浮かんだグラスが置かれ、おしぼりがセッティングされた。市原さんがメニュー表を見ながら店員から顔を隠して小声で話した。


「ごめん、高かった」

「やっぱり」

「うん」

「僕、800円しか持ってないです」

「私は1500円、2300円(税別)だとワンセットしか頼めないね」


 2人は顔を見合わせた。


「半分こにしようか」

「半分で」


 笑い合った。高等学校の生徒の小遣いなど高が知れていた。僕と莉子はパンケーキを注文し半分にして口に運んだ。


「お飲み物は如何されますか」

「蔵之介くん、ジャスミン茶は飲める?」

「うん」

「じゃあBLOOMING TEA(ブルーミングティー)をお願いします」



BLOOMING TEA(ブルーミングティー)ってなに?」

「工芸茶って言ってねお花が咲くの、綺麗だよ」

「ふーん」


 工芸茶はガラスのティーポットの中でマリーゴールドに似た黄色い花弁を開き始めた。


「綺麗、初めて見たよ」

金花彩彩(きんかさいさい)っていうの、マリーゴールドの花が好きなの」


 市原さんのティーポットを優しく眺める姿に心揺さぶられた僕は店の雰囲気も相俟(あいま)ってテーブルに置かれた手に手を重ねていた。


「市原さん、莉子って呼んで良い?」

「え」

「付き合って」

「え、付き合う?」

「僕と付き合って下さい」

「・・・は、はい」


 市原さんは顔を真っ赤にして小さく頷いた。僕の手のひらには汗が滲んでいた。あの温かさはいつまでも忘れない。





ーーーーこの日、僕と莉子は恋人になった。