交差点の角に僕たちの姿を確認した新聞配達のバイクは横断歩道の停止線でエンジンブレーキをかけゆっくりと止まった。ヘルメットを被った50代から60代くらいの男性は横断歩道を渡りなさいという仕草をしてみせた。僕は自転車を引き、莉子はその後を追うように小走りで男性にお辞儀をした。


「蔵之介、どうしたの?」

「・・・・っ」


 横断歩道を渡り切った僕の頬には涙がとめどなく流れ、莉子の前であるにも関わらず嗚咽を洩らして泣いた。莉子はそんな僕の肩をなにも言わずに優しく撫でてくれた。


「・・・・っ、ううっ」


 深夜の交通事故は起きなかった。これで莉子の額に痛々しい傷痕が残る事もなく僕の右脚が麻痺する事もない。


「ごめん、僕ちょっとおかしいんだ」

「本当だよ、もう。どうしちゃったの」

「おかしいんだ」


 僕は力無く路肩に座り込んでしまった。莉子はコンビニエンスストアに戻りミネラルウオーターとポケットティッシュを買って来てくれた。


「はい、飲んで落ち着いて」

「ゔん」

「はい、鼻かんで涙拭いて」

「ゔん」


 僕の涙はティッシュで拭いても拭いてもこぼれ落ち「涙腺が壊れちゃったんじゃないの?」と莉子に呆れられた。
 これでは獅子座流星群どころの騒ぎではない。僕は気を取り直して何度も深呼吸をしながら街灯がポツポツと灯る緩い太鼓橋を渡った。漆黒の夜に消えてしまいそうな月、辺りには岸壁に打ち付ける波の音が広がった。


「ここがフェリーターミナルかぁ」

「うん、あと10年もしたら白くて全面ガラス張りの立派なクルーズターミナルになるよ」

「そうなの?」

「豪華客船がたくさん来るからね」

「なんだか見て来た人みたい」

「あ、と・・・し、市の広報誌に載っていたんだ」

「蔵之介でもそんな真面目なもの読むんだ」

「うん」

「意外」


 迂闊(うかつ)な事は言えない。


「座ろっか」

「うん」


 僕と莉子は静かな港を見渡す芝生のベンチに座り夜空を仰いだ。僕の右手は莉子の温かな左手を握った。


「見えるかな、獅子座流星群」

(まばた)きしないでいようかな」

「コンタクトレンズ乾いちゃうよ」

「そうだね」


 その星空は夏の暑さに(けぶ)って見えた。もしかしたら流れ星を見る事は叶わないかもしれない、それでも良かった。


「ーーーあっ!」


 その瞬間、宇宙の(ちり)が弧を描いた。莉子は僕の手を振り払いベンチから立ち上がって身を乗り出した。


「蔵之介!」


 (かざ)した指先がその尾を捕まえた。


「蔵之介!見えた!流れ星!」

「えっ、流れたの!?」

「駄目じゃない、瞬きしちゃ駄目!」


 僕は振り返った無邪気な笑顔を抱き締めていた。軽く触れた唇は生きている証だと思った。僕はポケットから財布を取り出し銀の指輪を摘んだ。それを見た莉子は息を止めて僕の顔を見た。僕は静かに莉子の左手を手に取った。細くて白い薬指にマリーゴールドの花弁(はなびら)が咲いた。