6月16日 日曜日
13:15
LINE通話ではなく未登録の携帯電話番号からの着信があった。新手の詐欺かもしれないと思った僕はしばらく様子を見る事にした。それでも呼び出し音は止まなかった。
6回 (もしかしたら)
7回 (そうかもしれない)
8回 (まさか、結婚しているのに)
9回 (でも)
10回 (たぶん)
僕が怪訝な声で通話ボタンを押すと誰かが息を呑んだ。
「もしもし」
返答は無かったが緊張した息遣いを感じた。
「どちら様ですか」
莉子だと思った。けれど僕はその名前を呼び捨てにする事が出来なかった。
「莉子さん」
「・・・・」
「莉子さんですよね」
「う、うん。突然ごめんね」
一瞬で10年の距離が縮まった様な気がした。
「誰からの電話か分からなかった」
「蔵之介、元気だった?」
「元気、莉子さんも元気そう」
「うん、元気」
「このまえはありがとう」
「え、なに」
「紅茶のティーカップ買ってくれてありがとう」
僕は誰のために2客のティーカップとソーサーを買い求めたのか訊ねたい欲求に駆られたが聞けば落胆する事は明らかだった。
「あ、うん。あんなに安くて良かったの」
「婆ちゃんの遺品なんだ、山ほどあってフリマで処分しているんだ」
「ネットに出せば高く売れるのに」
「割れ物だから、なにかあったら面倒くさいんだ」
「そうなの」
「うん」
懐かしい莉子の声に僕はあの夜をやり直したいと思った。
「莉子さん」
「なに」
「初めて行ったカフェ、覚えている?」
「鞍月のスミカグラスだよね」
「明後日の水曜日、スミカグラスで会えないかな」
断られるだろうと思った。
「明後日、19日」
「・・・無理だよね」
「大丈夫、明後日の何時?」
「何時が都合良い?」
期末試験の最終日、初めて2人で待ち合わせた日も水曜日だった。サッカー部のユニフォームから制服に着替え慌てて店に駆け込んだ時刻は14:30、約束の時間を過ぎていた。
「14:00」
「分かった、遅れないようにする」
「遅れないでね」
莉子はいつも待ち合わせの時間に遅れていた16歳の僕を笑った。
「でもびっくりしちゃった」
「うん、びっくりした」
莉子は店の前に屈み込んだ一瞬で僕だと気付いてくれていた。
「じゃあ明後日」
「うん」
「またね」
「うん」
僕はクローゼットの引き出しからクッキーの空き缶を取り出すと莉子の紙飛行機をローテーブルに並べた。
蔵之介 会いたい
蔵之介 元気出して
蔵之介 頑張って
蔵之介 また会おうね
蔵之介 好き
蔵之介 愛してる
蔵之介 元気でね行ってきます
東京の大学に入学した莉子からの音信はなかった。またこうして地元に戻っているとは思いも寄らなかった。もう2度と会えないと思っていた。僕は泣いた。声を殺して泣いた。