洗濯場へ向かった結卯と入れ替わりに入ってきたのは、兎士郎だった。

「卯兎、準備は…」
 言い終える前に、座敷を見て、固まってしまった。

 座敷には、竹林のなかかと思うほどの笹が持ち込まれ、食卓代わりの板の上には万年青(おもと)の葉。

 そこ、ここに並べられた大小、縦横に切った竹。ところどころに細長い竹に差されている金糸梅(きんしばい)の黄色や禊萩(みそはぎ)の赤紫が笹の緑に映えて、華やかではあるが、一面の笹の原の様相にギョッとしたらしい。

「う、卯兎や・・・こ、これは・・・こんな野っ原のような座敷で、黄龍様をお迎えするというのか?」
「そうでございますよ。兎士郎様。幽玄館 龍別邸の厨人の饗の膳ではなく、めし処の料理をご所望と伺いました。本来ならば、めし処で召し上がっていただくのがよろしいのですが、それでは、御付きの皆さまはご相伴になれませんでしょ。あの狭さでは・・・」
「あのな、卯兎。黄龍様は、料理はめし処の厨人に。とおっしゃっただけなのだ。何も下賤の者のマネなどさせなくて良いのだ!あぁ!もう!なんとかしなさい!この笹を!」
「なにをおっしゃいます兎士郎様。お料理は、供するその雰囲気も、演出も、味のうちです。それに、ご存知ですか?今宵は「上弦の月」。幽世と現世が半々になるといわれる宵。お隣の国では、力強く成長する竹や笹に健康長寿の祈りを込めて飾るのだそうですよ。そして、下賤の者のマネどころか、高貴な方々はこの笹に歌など詠んで流したり、飾ったりされるとか聞き及んでおりますよ」
「屁理屈は、よい。屁理屈は‼ともかく!料理をキチンとお出しすれば…」

「兎士郎、もうよいのかな?」
 兎士郎の背後にいつの間にか、黄龍が立っていた。

「こ、これは、黄龍様。いま、ひとときお待ちくださいませ。隣の座敷を準備させておりまして…え〜こちらはなんというか…控えの間と言いますか…え〜」
 取り繕う兎士郎を余所に、サッサと座敷に入って来た姫龍がはしゃいだ声を上げる。
「まぁ〜ステキ!ねぇ、御大(おんたい)もご覧なさいまし。思い出すわぁ…ふたりで竹林で逢瀬を重ねて、それから…あぁ、そうそう。御大ったら、笹の葉を持って、照れながら言ってくださったのよねぇ〜」
 ゴホッゴホッ  …
「姫、昔話はそのくらいにしときなさい」
「あら、そぉ?これからがクライマックスなのにぃ〜」
 バツの悪そうな黄龍は、不服そうな姫龍の背を押して、一緒に中へと踏み入れ、ぐるりと見回して感嘆した。
「ほぉ…これは、これは…」

「兎士郎、コレが控えの間なのか?私には、充分に準備された場にみえるがな?」
「い、イヤイヤ…此のような場に黄龍様と、姫龍様の饗食をご用意するなど…」
「私は、ホントはめし処のつけ台越しに卯兎と話しながらの飯でも良かったのだがな」
「卯兎、ご案内せよ」
 兎士郎は黄龍の言葉に、それ以上止めることもで疵、卯兎に声をかけた。

 卯兎は、いつの間に着替えたのか⁉神子の衣装に、うさぎの紋の千早を身に着け、(うやうや)しくふたりの龍神を席へと案内した。
「いつもの上座とは違い、今宵はこちらを背にお座りくださいませ。姫龍様にはこちらを…」
 いつもは下座にあたる、入口近くにふたりを案内し、姫龍には薄布で綿を(くる)んだものを渡した。
「あら?コレは?」
「笹でお召し物を汚されませんよう、お座りになる際に敷いてくださいまし」
「卯兎、私にはないのか?」と黄龍。
「殿方が、お召し物の細かいことなど気になさいますな」
「う、卯兎、黄龍様にもご用意せぬか!」気が気でない兎士郎。

「わはははは…そうじゃの。細かいことを気にする男は嫌われるのぅ…アハハハハ」

 ようやく主役二人が腰を下ろし、お付きの者もそれぞれ席に着いた。皆が席に着いたのを確認して、卯兎が黄龍夫妻の前に正座をし、深々と頭を下げる。

「今宵は、わたくしの料理を御所望いただき、誠に光栄至極にございます。今宵の宴は、『上弦の月の宴』。幽世と現世が交わる宵をとくとお楽しみくださいませ」

「ほぉ~。『上弦の月の宴』か。いかなる趣か、楽しみじゃ。なぁ、姫よ」
「この竹林の造りだけでも充分に心が潤いますわ」

 卯兎は周囲をぐるりと見回して、青龍が席に着いていないことに気づいたが、いつも気ままな青龍のこと、宴たけなわの頃、ふらりと現れるだろうと、宴の進行を続けた。

 ― お手元、右の太い竹には御酒(ごしゅ)が入っております。二段になっておりますので、竹の上の方をそっと持ち上げてくださいませ。―

 皆、言われるがままに、そっと持ち上げると、歓声が上がる。
「おぉ〜!コレは‼なかなかうまく考えたな、卯兎」

「ハイ。下の竹に小さな炭を入れて、御酒を温めております。隣の小さな竹に注いでお召し上がりくださいませ」

「竹の爽やかな薫りが良いのぅ」
 目尻を下げて、酒を口にする黄龍を楽しげに見つつ、自分もと…酒の竹筒に手を伸ばしかけた姫龍に、卯兎はスッと小さな手ぬぐいと小さな竹の小鉢を差し出した。
「おぉ。手を汚さぬように?気が効くのネ。ありがとう。で、この小鉢は…これは!」
「ハイ。姫龍様には、御酒を冷やしてご用意いたしました。冷やしておく時間がなかったものですから、紗雪(さゆき)の術を用いましたので冷え過ぎて持ちづらいかもしれません。その手ぬぐいを充ててお持ちください。それから御酒に、こちらの鬼桃の実を潰したものを入れてお召し上がりくださいませ」
「おお。鬼桃…。懐かしい!私が鬼族の「鬼龍家」の出と知って、用意してくれたの?うれしいこと。御大とは違う趣向というのも楽しみだわ。どれどれ…ほぉ…冷たい。ほんのり甘い。竹の薫りが爽やかで、いくらでもイケそうな味わい。う〜ん…おいしい♪」
「なに?私のと違う趣?姫、私にもひと口。ちょっとだけ味見させてくれ」
「イヤですぅ。コレは、わたくしの、も・のっ!」
 少女のようにコロコロと笑ってかわす姫龍に、駄々っ子のようにねだる黄龍。
 これが幽世の頂点の夫婦とは思えない可愛らしさだ。

 黄龍・姫龍が、酒に口をつけたところで、卯兎が二人の正面にあたる位置の笹を真ん中から割って、二手に分けた。
「お料理やおもてなしの足りない部分は、どうぞこちらでご勘弁くださいまし」
 卯兎が掻き分けた笹の間からは、空にポッカリと口を開けたような、明るい上弦の月が浮いている。
 幽世の闇に輝く黄色い月は、得も言われぬ風情を醸している。黄龍・姫龍をはじめ、その場にいた誰もから、ため息が漏れた。

「いやぁ、天晴だ。卯兎。月に笹、旨い酒と料理。『上弦の月の宴』の所以、しかと受け止めたぞ」
 黄龍の感服した声を聞いて、兎士郎はようやく酒を口にした。

 ― さて皆さま、あとはそれぞれの竹を開けてみてくださいまし。
 まず、手前にございます竹の皿に並べましたのは、鮎と山女魚の塩焼きと甘露煮でございます。お好みで小皿に入っております梅のタレをつけてお召し上がりください。
大の竹には、山菜と野菜の煮物。
中の竹の一つには豆の絞り汁を山蜜柑の汁で固めたもの。
それから鳥の卵が手に入りましたゆえ、溶いた卵を出汁で割り、山菜など入れて蒸し固めて冷やしたもの。
豆を山椒と炒りつけたもの、貝と青菜を炒め蒸したもの。
 以上をご用意いたしました。
飯ものは、頃合いを見てお出ししますので、しばし御酒をお楽しみくださいませ―

 卯兎は、ひと通りの案内を済ませ、厨へと引き上げて行った。手応えを感じつつ厨へ戻ると、店側に何者かの気配がする。
「誰?今日は、ココはお休みなのよ」

 誰ともわからぬままに声を掛けながら、厨から店を見ると、厨と店の境に渡した横木にもたれかかるように肘をついて酒を飲んでいる青龍。
「なんだ、朔…ここにいたの?せっかくなんだから、皆とあっちで食べればいいのに…」
 そう言いながらも、皆に出した料理と同じものを青龍の前に次々と並べていく。
「ああいう場にいるのは好きじゃない…ここがいい」
 青龍がいるこの場所は本来、厨から料理を出したり、下げてきた食器をここから厨に戻したりするための台として取り付けたものだ。
 しかしいつの間にか、めし処に来て、一杯やりながら卯兎と話したい連中が陣取る客席になっていた。
「そろそろ宴に飯物出すけど、朔、あんたも食べる?」
「飯?なに?」
「山菜とか筍とかいろいろ入ってるよ」
「そりゃ、肴にもなりそうだの。くれ」
「菜っ葉と魚と茸の汁もいる?」
「おう」

 青龍は、盃を片手に甲斐甲斐しく動く卯兎を目を細めて眺めている。

「なんだ、新妻に賄ってもらう夫を気取ってるのか⁉」
 声に振り返ると、がっしりした体躯の錫杖を携えた男がめし処の入り口に立っている。

 幽世の鬼界を預かる鬼族のトップ鬼龍家の直系分家・百目(どうめ)家の次期当主・鬼堂(きどう)である。青龍や卯兎と幼なじみで、幼名を『鬼丸』といった。
 青龍よりもいくつか若いが、神族の100年単位など人の月単位と変わらない。

「おう!鬼丸か。いや、『鬼堂』の名を賜ったそうだな。鬼堂様とお呼びしようか?」
 イヤミな笑顔を鬼堂に向ける。
 鬼堂がなにか返そうとしたとき、奥から卯兎の声がした。
「朔ぅー、誰か来たのぉ?今日はお休みだと言ってー」

「だ、そうだ。残念だったな。またな」
 卯兎の言葉を受けて、青龍は鬼堂に言い放つと背を向けて盃に口をつけた。

 ギリッと音がしそうな歯噛みをした鬼堂は、奥に向かって声を掛ける。
「卯兎ぉー、俺だ。鬼丸だ❢なんか食わせてくれ」
 奥からパタパタと足音を立てて、卯兎が厨から出てきた。
「えぇ‼鬼丸ぅ‼久しぶりじゃない‼今日から黄龍様と姫龍様がご逗留で、その食事のお世話を任されたのよ。だから、ご逗留の間はココはお休みなの」
「そっか…じゃ、休みの店にいる、コイツはなんだ?」
 青龍を指差して、尋ねる。

「あぁ、それ。それは龍の抜け殻。今日の大神事の主を滅多にやらない真面目さでやったら、神事終わりに魂が抜けたのよ。だから、客じゃなくて置物ね」
 ケラケラと笑いながら言う卯兎に、顔を引きつらせて言い返そうとする青龍を抑えて、鬼堂が答える。
「なら、鬼の置物も置いてくれ」
「ったく…仕方ないわね。宴の余りものしかないわよ」
「おう!あとは酒があれば、文句はない‼」
「ハイハイ」
 卯兎は、苦笑しながら、青龍の隣に青龍と同じ料理を並べ、盃を置く。

「余りものでもさすがに黄龍様の御膳のもの。豪勢なものだの…。して、酒は?」
「朔のところにあるでしょ?」
 厨で作業しながら答える。
『え〜⁉コイツと分け合うのかぁ?』
 睨み合う青龍と鬼堂。

「あ。イヤなら、朔は、座敷に。鬼丸は帰っていいよ」
 渋々といった(てい)で、お互いの盃を満たして飲み始める二人。

「鬼丸、錫杖は入口に置いて。みんな怖がるから」
「みんなってなんだ?今日は休みで他の者は来ぬのだろう?」
「客じゃなくて、お手伝いしてくれたみんなよ。ほら、もうコレ出したら、宴も終わりだから、みんなも出てきて食べて」
 卯兎の声に、厨のなかから、裏から、数人のあやかしが出てきた。

「あれ?秋菟は?」
『アレなら、裏でひっくり返ってる』
 答えたのは竹切狸のポン太と万年竹のあやかし竹暁(ちくぎょう)
 今回の笹の演出を手伝ってくれた二人だ。

「起こしてこようか?」
「なんでひっくり返ってるの?」
「竹暁、疲れて寝た。竹暁、寝たら人形(ひとがた)解けた。秋菟、集めた竹を座敷に運ぼうとして、竹と一緒に居眠りしてた竹暁を抱き上げた。竹暁、目ぇ覚まして動いた。秋菟、ビックリして泡吹いてひっくり返ったぁ」
 幼な口調で、あっけらかんと言いながら席に着くポン太。
「まったく仕方ないわねぇ。神薙のくせにあやかしに泡吹くほど驚くなんて。紗雪、起こしてきて」

「卯兎、準備できた」
 火を灯した竹の皿をいっぱいに抱えた、妖狐の一族の弥狐(やこ)が声を掛ける。
「悪いわね、弥狐。それ持っていったら、弥狐もお料理食べてね」

「う…卯兎様…スミマセン…突然のことでビックリしちゃって…」
 紗雪に腕を引かれて来たのは、全身霜に覆われた秋菟だ。
「さ・・・さっちゃん、あり…がと…ね…って、秋菟、そのカッコ、さっちゃん?まさかの、吹雪で起こした?」
 吹雪を吹かなくとも凍りつきそうな笑顔でニコリとうなずく紗雪。
「あぁ…ま。今回は、今回はいいけど、『ひと』を起こすときは危ないから、吹雪はやめよっか?ね?」
 つまらなさそうに頬を膨らませながらも、おとなしくうなずく。

「さてと、最後の仕上げと行こう❢秋菟と結卯は、それ持って。よいしょっと。行くよッ」
 卯兎は、自分も大きな竹筒を抱えて、歩き始めた。
「他のみんなは、先に食べてて!あ。そこの龍と鬼の置物が暴れるようなら、さっちゃん、猛吹雪よろしくね」

『雪女の猛吹雪は、神でもあやかしでも凍るわっ‼』
 冷ややかにうれしそうに微笑む紗雪に、慄いて叫ぶ置物2体の声を背で聞きつつ、座敷へと向かった卯兎一行。

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 その頃、座敷は、いわゆる『宴もたけなわ』という風情。

 この肴がいいの、こっちの方が酒に合うだの、その合間合間に、ちょいちょいと愚痴なども…。
 そんななか、姫龍が白い細い指で箸を持ち上げ、卵の蒸し物を口にして、感嘆の声を上げた。
「これは、まぁ。御大も召し上がってごらんなさいまし。宝探しのようですよ。喉越しの良い卵のなかに、いろいろな具が入ってますよ。ウフフフ…楽しくなる美味しさですわね」

「おぅ〜。これじゃ、これ‼この間、めし処で食して、忘れられなかったのじゃ」
「あら、御大?いつのお話ですの?わたくし、存じ上げませんけれど?」
「あ…あ〜。あれじゃ。ほれ、そのぉ〜」
「え?どれですの?何?どう?」
 たおやかで上品な美しさのまま、問い迫る様は姫龍の本来の血筋、鬼の一面が現れたかと思うような迫力である。

「あ!ソレ、私も知りたい」
 ちょうど、飯物と汁物を運んできた卯兎が口を挟む。
「おい、おい。卯兎、話を掘り下げるな‼せっかく治まり掛かってるのに…」
 兎士郎が割って入る。
「兎士郎?何が治まりかかってるのかしら?わたくし、まだ御大からお答えをいただいておりませんよ?」

「おぉ!卯兎、何を持ってまいった?飯ものか?どれどれ、こっちへ…」
 黄龍が渡りに舟とばかりに、卯兎を手招く。

 卯兎は、持ってきた大きな竹筒を中央に置き、竹筒から切り取って作った蓋を開ける。
ふわぁ〜と広がる湯気とともに芳ばしい薫りが漂う。盛り上がっていた一同も匂いに釣られて、一斉にこちらを向く。

「お待たせいたしました。飯ものと汁物をお持ちしました」
 目配せで秋菟と結卯に汁物を配膳するよう指示する。

「少々、月も翳りはじめました故、月の邪魔にならぬ程度に灯りを灯させていただきます」
 弥狐から火の灯った竹皿を受け取ると、皿に上手く通した紐を持ち、笹の程よい枝へ掛けてゆく。
「まァ、狐火を灯りに使うなんて。柔らかくて、月光の邪魔もせず、素敵だわぁ」
 姫龍は、この光の演出にうっとりしている。
「ほぉ…見事じゃ。ところで、飯はなんじゃ?よい香りで辛抱できんぞ」

「あら、御大は色気より食い気ですのね。もう少し、この情緒をお楽しみなさいな。まったく、殿方は情緒というものが欠けてますわねぇ。ねぇ、卯兎」
 姫龍の言葉に、笑顔でうなずきながら
「姫龍様、今宵はお食事は黄龍様に、情緒は姫龍様にご用意したようなものですから。それに、あまり情緒に聡い殿方というのも鬱陶しいものですよ」
「オホホホホ、これは、まぁ〜。卯兎からそのような言葉を聞くとは…大人になったのねぇ…いくつになったかしら?」

「『ひと』の歳で言うなら、22でしょうか」
 その返事を聞いて姫龍は、少し考える風にしたが、すぐに笑顔に戻って、卯兎がつぎ分けたご飯を受け取った。

「ところで黄龍様?ホントにいつめし処へおいでに?」
「う、卯兎、せっかく鎮火した火を熾すでない‼」
 兎士郎は、ゲホゲホと咽ながら割って入った。
「おぉ、その件。忘れるところでしたわ、御大?」
 姫龍がヒヤリとするような美しい笑みを浮かべて、黄龍に重ねて迫る。

「あ、アッハッハ…こりゃまいった。わかった。わかった。卯兎、飯が終わったら湯に行く。その後、部屋に戻って、また一杯やりたいのぉ。頃合いを見て、酒と何か見繕って届けてくれ。そのときに話をしよう。いまは、この旨い飯を味わわせてくれ」