『卵のツルンの熱々』瞳子バージョンの試食会の後、青龍・朔の部屋へ集まっていた。
 「まさか、瞳子があの料理を作れるとはな・・・。もう二度と食べられないものだと思ってた。これは、皆、喜ぶぞ!な?晦?鬼丸?」
 青龍・朔に振られた二人はそれぞれに大きく首を振って同意している。
 「よかったわ。『卵のツルンの熱々』の正解がわかって。それに、あの子たちに以前の宴のことをいろいろと教えてもらって、今回の祝言に何をすればいいか、少し見えてきたわ」
 「お?どんなことだ?ん?」
 「それは、当日まで、ヒ・ミ・ツ」
 そう言うと瞳子は、詰め寄る青龍・朔をスッと避けた。膝を着いたまま、前のめりになりすぎて、ドンっと前へ倒れてしまった朔を見て、皆で笑い転げているところへ秋菟の声がした。
 「お寛ぎのところ、失礼します。幽玄大通りの九鬼(くき)の大旦那様と大奥様、お嬢様の鬼灯様が、瞳子様宛にお見えですが、お通ししてよろしいでしょうか?」
 「九鬼の?瞳子に?なんだ?」
 意味のわからない顔をしている青龍・朔に代わって、一龍齋・蓮が答えた。
 「あぁ、二階の中広間へお通ししてくれ。広い方がよかろう」
 蓮の言葉を受けて、秋菟が廊下を去っていった。
 「なんだ?九鬼の、大旦那・大奥様って豪鬼((ごうき))輝茅(かがち)だろ?店は息子の鋼鬼(かがち)に譲って隠居の身だろ?それに、鬼灯と言えば、あの・・・だろ?」
 どうやら、龍神である青龍でさえも、鬼灯は〆ているらしい・・・。
 「えぇ。今日、鬼ヶ園(おにがその)で、瞳子様が『雅楪衣(あちゃい)』をお気に召して、祝言のときにお召しになりたいと…。それを聞いた斗鬼が鬼灯を呼び、話をしたところ、九鬼でご用意いただけるとのことで…。さ、瞳子様、雪兎様、まいりましょう」
 蓮は、手短に事の次第を話すと、瞳子夫妻を伴って、二階へ向かおうと立ち上がった。
 「あ、雪兎、すまんが豪鬼と輝茅たちにもこーひーをふるまってやってはくれぬか?」
 「そうですね。せっかく衣装の用意をしてくださるんだから、そうしましょう」
 「まったく、雪兎ったら、歩く喫茶店ね!」
 呆れがちに見る瞳子をよそに、雪兎はそそくさとコーヒーの準備を始めた。
 「蓮クン、行きましょ」
 襖の外へ出ると、秋菟が九鬼家一行を案内し、瞳子たちを迎えに来たところだった。襖の奥で雪兎がコーヒーの準備をしているのを見て、弾かれたようにどこかへ走ると瞳子たちを迎えたときに使っていた螺鈿のワゴンを押してきた。
 「雪兎様、こちら、ご利用ください」
 「秋菟くん、ありがとう。それはいいな。うん。使わせていただくよ」
 雪兎は、コーヒーのセットをワゴンにセットして、満足げにワゴン全体を見渡した。
 「さぁ!行こう!」

 「ちょっと、待て!」
 青龍・朔がまた引き留める。
 「今度は、なにっ?」
 瞳子がキレ気味に返したので、少し怯んだ感じだったが、それでも負けじと口を開いた。
 「い、いや・・・いくら緩いとはいえ、此処と二階を繋ぐ廊下には何段か段差があるゆえ、その手押し車を押していくのは難しかろ?なぁ?晦?手伝いが必要だよな?」
 急に話を振られて、挙動がおかしくなってる蒼龍・晦がわけわからずうなずいている。
 「あぁ・・・雪兎と俺と晦じゃ、バランスが悪い。鬼丸、お前も来い!」
 「な、なんで…」と不思議顔の鬼堂・鬼丸だが、青龍・朔の目くばせを見て、「おぅ!」と立ち上がった。
 「さ、行こう!」
 胸を張って、前を進む青龍・朔に
 「青龍さんっ?雪兎のお手伝いするなら、後ろでしょ!」
 瞳子に指摘を受けて、スゴスゴと後ろへ下がりながら、鬼堂・鬼丸に囁く。
 「なぁ、瞳子と鬼灯、どっちが怖いかな?」
 「聞こえてるわよっ!!」
 そんなやりとりに辟易したように、蓮が独り言ちる。
 「ったく、青龍様も瞳子様の衣装を見たいなら見たいと素直に言えばよいものを・・・」

 たった一階下に移動するだけで大騒ぎの一行が二階の中広間に着くと、九鬼の大旦那夫妻と鬼灯、そして店の者らしき者が3人控えて待っていた。
 襖が引き開けられると同時に、太くよく通る男の声が仰々しい挨拶の口上を述べ立て始めた。
 「豪鬼、豪鬼殿、そのような堅苦しいご挨拶は、今宵は良いのです」
 蓮が窘めるも、止まる気配がない。困り果てて、後ろを振り返って、鬼堂・鬼丸に目くばせをする。
 「豪鬼、ありがたい口上、しかと受け取った。もう良い。今宵は瞳子様の我らが祝言用の衣裳を決めるために来たのであろう、さぁ、始めてくれ」
 老いて見えるが肌ツヤの良い、大きな体躯の豪鬼がこれ以上は縮まらないというほどに体を丸めて、挨拶をする様を目にして、瞳子も雪兎も鬼堂・鬼丸の鬼界での地位の高さとチカラを改めて思い知らされた。
 その間隙を鋭く突いて前へ(にじ)ったのは、鬼灯だった。
 「だぁかぁらぁ、そういうのはいいって言ったでしょ。今日は、わっちが瞳子様に『雅楪衣』をご紹介するんだから。鬼界がどうのとか、龍神様がどうのは関係ないのよ!ねぇ?瞳子様?」
 「え?えぇ・・・・」
 急に同意を求められて、瞳子は戸惑ったが、鬼灯はお構いなしに話を進める。
 「はい。こちらからお好きな型を選んでくださいな。そいで、布の見本はこちら・・・。あぁ、当ててみても良いように、いくつか実物もお持ちしましたゆえ・・・」
 鬼灯は仕立ての見本帳を広げ、お付きの者に顎で指示すると、お付きの三人はそれぞれに、反物。「雅楪衣」の上下、そして雅楪衣の上に羽織るストール。それぞれの入った衣装箱を頭を下げながら恭しく前へ押し出した。
 鬼灯は、スパーンっと反物の入った箱の蓋を勢いよく開けると、中から数本の反物を転がして広げた。
 透かしで模様の入ったもの。刺繍が施されたもの。柄を染め抜いたもの。見事な布がスルスルと広がっていく様を目にして、一色、また一色と虹が空に掛かる瞬間はこんな感じなのではないかと瞳子は思った。
 「さぁて、瞳子様はどれがお気に召したかえ?」
 豪鬼の重々しい口上から一変。まるでマジックショーでもみているかのような鮮やかな手つきと華やかな反物の数々に、瞳子のテンションは自ずと上がっていた。
 「うわぁ・・・鬼灯さん、ありがとう!どれも素晴らしすぎて、すぐには決められないわ。どうしよう・・・」
 「瞳子さん、そうは言っても景子ちゃんたちのお式はもうあと5日ほどなんだからね。そんなに迷ってる時間はないよ」
 「もぉ!雪兎ったら、ちょっとくらい夢見させててよ!この迷ってる瞬間が楽しいんじゃない」
 「あぁ、旦那様。旦那様のは私が見繕ってまいりました故、あちらでお着替えを・・・」
 瞳子に睨まれて、立場を無くしかけてた雪兎に助け船を出したのは、鬼灯の母・輝茅だった。
 鬼灯とはまた雰囲気の違う、強い女性を感じさせるが、鬼灯が江戸っ子の下町の女将だとしたら、輝茅は京都の御寮(ごりょん)さんと言った感じか。雪兎は、輝茅に(いざな)われるまま、隣の部屋へ。瞳子用に用意されたそれとは、少し小ぶりな衣装箱をお付きの一人が抱えて雪兎に付き従った。
 「女房の衣装選びに旦那が邪魔なのは、幽世も現世も変わらないんだねぇ。あっはっははは」
 豪快に笑い飛ばす鬼灯に、愛想笑いで返しながらも、瞳子の眼は色とりどりの反物にくぎ付けになっている。
 あれやこれやと瞳子が反物をあてては、見本帳を見比べては、ため息・・・を繰り返している。
 「まだ、決められないのかい?」
 声に振り向くと、男物の雅楪衣を身に着けた雪兎が立っている。
 薄い白縹(しろはなだ)のスタンドカラーのシャツに、水縹(みずはなだ)のジャケット。ジャケットと同色の細身のバーレルパンツ。その上に様々な縹色の刺繡が豪華に施された深縹(こきはなだ)のオーガンジーのような素材の羽織物。
 雪兎はすっかり着替えを終えて、見違えるほど凛々しい姿になっていた。
 「うわぁ、雪兎、カッコいい!カッコいいよ!」
 「ほぉーん・・・さすが、御袋様の見立て。深縹を持ってくるなんざ、洒落てるうえに品があるよ」
 鬼灯も雪兎の仕上がりに感嘆している。
 「さぁて、次は瞳子さん、あんたの番だよ。どうするね?」
 「ねぇ、鬼灯さん、お月さまって何色かしら?」
 「月・・・いろいろありますがねぇ、わっちが月の色と言って思い浮かぶのは、『黄色』。なかでも『不言色(いわぬいろ)』はですかねぇ」
 (深縹色、不言色・・・私、ここへ初めてきた日の夜に見た夢。―深縹色の空に、梔子で染めたような不言色の上弦の月― 私の知らない色の名前だったのに、夢のなかの私は、この色を知っていた・・・何?これ・・・あの夢・・・卯兎さんの意識??)
 黙りこくってしまった瞳子の顔を覗き込んだ雪兎は、もう着替えていて、片手に瞳子の好きなカフェオレを持っている。
 「どうしたんだい?ちょっと座って、カフェオレでもどう?」
 我に返って周囲を見回すと、雪兎が淹れたコーヒーをそれぞれに手にして飲んでいる。
 漣と朔は、雪兎のコーヒーを初めて飲む鬼灯一行に、覚えたての蘊蓄を競って語っている。
 「雪兎のコーヒーは、みんなを繋ぐチカラがあるのね」
 そう言って微笑みながらカフェオレを口にした瞳子。カップを干してから、決意したように息を吐くと、鬼灯に声を掛けた。
 「鬼灯さん、決めたわ。『深縹色の空に、不言色の月』。雪兎の衣装が深縹なら、私はその空に浮かぶ月にするわ」
 「えぇ、えぇ。いいじゃありませんか。古代(いにしえ)、深縹は、朝服の中でも一番官位の高い方がお召しになられる色。そして黄色は、高貴なお方に許された色。そして、我ら鬼族の長となられるお方の祝言。言うことなしの取り合わせだ」
 卯兎の記憶に導かれるように衣裳を決めた瞳子。その胸には、まだもうひとつ大きな決意が秘められたことは、このとき、誰も知る由もなかった