カフェの外に出ると、烏頭刑と兎士郎が待っていた。
『何をやっておるのぢゃ!遅いぞ!遅いっ!』
 本当に、双子のようだと瞳子は思ったが、口に出すと、また長くなりそうなので、口をつぐんでいた。
「はい。はい。申し訳ございません。参りますよ!刑様、兎士郎様」
 漣は、めんどくさそうに、老人二人の背を片手で押し出しながら、空いた手で、瞳子たちも前へと促した。
 もうずいぶんと時間が経ったかに思ったが、表は、まだまだ明るい。遠くのビルの窓がまだギラギラと陽に輝いている。
ふと気づくと、あやかしの子らがいない。
「漣くん、弥狐や紗雪たちは?」
「彼らなら、先に幽山(かすかやま)へ行かせました。この分だと、幽山へ着くのは暗くなってからになりそうなので、明るいうちに着けば登っていただけますが、暗くなると、獣たちが出てきたりしますからね。先に行かせて、山菜や木の実を採らせておこうと思いまして」
「え?まだこんなに明るいのに?ここにそんなに長い時間居なきゃいけない用事があるの?」
 瞳子は、空を指して不思議そうに尋ねた。
「あぁ、そうでした。昨日、渡幽されてから今朝までは、宿の中にいらしたから気づかれなかったんですね。此処、幽世は、明るいか?暗いか?のどちらかなんです」
「え?陽が昇って、沈んでいくっていう流れはないの?夕焼けとか、朝焼けとか…」
「現世と違い、朝昼夕夜っていう感覚はありません。明るくなったら、それは『昼』。暗くなったら、『夜』。陽は、沈みません。黄龍様がいらっしゃる限り」
 漣の話によると、幽世では、朝昼夕夜の概念がなく、黄龍が陽を司る。陽は沈むことなく、適切な頃合いになると、黄龍が自身の鱗で作られた『黄龍の扇』を扇ぎ、雲を呼び寄せて隠す。
すると、蒼龍が『蒼龍の鏡』を掲げ、夜の訪れとともに月を呼ぶ。月は幽世でも満ち欠けするため、住人たちは『月齢暦』で暮らしている。
また、天候を司るのは青龍であり、天に『青龍の剣』を掲げ、振るうことで気象を操る。しかし、それだけではなく、青龍の心が天候にも影響を及ぼすという。
卯兎を失ったあの日——青龍の怒りが雷鳴を轟かせ、その悲しみが雨嵐を降らせた。
事情を知る幽世の住人たちは、雨を恨まず、ただ青龍の心が和らぐよう祈っていた。
幽世の天候とともに、季節もまた龍神たちによって定められている。
月の丘は常春、鬼ヶ園のある鬼界は常夏、鬼界ヶ原は冬。
そして、瞳子たちが滞在する幽玄館 龍別邸から幽山にかけては、秋の気候が広がっていた。

 街なかで、ウインドウショッピングしつつ、瞳子は気になった食器をいくつか選んだ。
「瞳子さま、とりあえず、調達はこんなところですかね?あ。幽山での食材もございますが」
 漣の言葉に、瞳子は手にしたメモを見つつ、ため息をついた。
「どうなさいました?なにかまだ足りないものが?」
「う〜ん…足りないっていうか…。姫龍様の、鬼桃の酒はたぶん…コレ!っていうのがあるんだけど、肝心の黄龍様の、『卵のツルンの熱々』っていうのがねぇ…なんだろ?」
「あぁ、そのことでございますか。それなら、蒼龍・青龍様たちに伺えば…。あ、いまは花嫁の浄めの祈祷の時間ですね。う〜ん…」

 瞳子が立ち止まってしまったので、一行は皆、そこで歩みを止めてしまった。
 瞳子たちの前を口ゲンカ!?戯れ合い!?ながら歩く、兎士郎と刑を除いては。二人とも、後ろを振り返ることもなくドンドン前へ前へと進んでいる。
「月影さーん!烏頭さーん!」
 呼び止めようとする雪兎を制したの漣だった。
「放っておきましょう。そのうち気づくでしょ」
「え?そんな雑な扱いでいいんですか?幽世の首相と警視総監でしょ?」
「いいんです!」
 漣の目がギラリと光った…かに見えて、雪兎は、それ以上は口を噤んでしまった。
そんな雪兎をよそに、漣は、またこめかみに指を充てて、誰かと念話とやらを始めている。
こめかみに充てていた指を離しながら、瞳子を振り返った漣は、大きなため息をついた。
「瞳子様すみません。やはり、蒼龍様も青龍様もご祈祷中らしく…。今日のところは、諦めて、今宵の夕餉の席ででもお尋ねしましょう。さて、もうこちらでの御用がなければ、幽山の方へ戻りますか。まだ、この時間なら登れるかもしれません」
「・・・そうね。考えてもわからなさそうだし、そうしましょうか」
 瞳子たちが歩を進め始めたところで、後ろから声が聞こえてきた。
「おや、一龍齋様、瞳子様ご夫婦、まだこんなところに、いらしたんですかい?もう、とうに宿に戻られてるのかと…」
 さっき鬼ヶ園で会った、鬼灯だった。
「鬼灯さん、お買い物ですか?」
「いえ、ちょっと実家へ、ね。ほら、あなたの、瞳子様の『雅楪衣(あちゃい)』のことを親に相談にね。仕立帳も生地見本もわっちのこの目で確かめてからお持ちしようと思いんして」
「あぁ、早速ありがとうございます」
「なにおっしゃってるんです。わっちの亭主の親分、われらが鬼の本家筋の祝言に関われるんです。こんな光栄なことがあるかね?」
 相変わらず、伝法な物言いだが、その表情には自信と自慢と自尊に満ちている。
「景子に代わっても御礼を申し上げないといけないですね。幸せ者です。景子は。知らない土地で、こんなにも歓待されてお嫁にゆけるなんて…」
「知らない土地もなにも、あの子は幼いと…」
 鬼灯の言葉が止まったのは、瞳子の後ろから漣が恐ろしい目つきをしながら、口の前で指をバッテンにしていたからだ。
「あぁ・・・そうだ。そうだ!実家から買い物頼まれてたの忘れちまうとこでした。じゃ、またのちほど」
 慌てて、モゴモゴと話を切り上げて、立ち去ろうとする鬼灯を瞳子が呼び止めた。
「鬼灯さん!」
 ビクリ!としながら振り向いた鬼灯に、まだ漣の氷の刃のような視線が突き刺さっている。
「な…なんでござんしょ?」
「鬼灯さん、お料理得意でしょ?」
「得意っていうか、好きですよ」
「あぁ、じゃ『卵のツルンの熱々』って料理知らない?」
「卵・・・ツルン、の、熱々?そりゃ、なんです?」
 漣は、鬼灯にコトの経緯を話して聞かせた。
「ふ~ん・・・黄龍様がご所望の、『卵のツルンの熱々』…あのときの、『上弦の月の宴』で供された…」
 鬼灯は、腕組みでしばし考えていたが、「ん?そういやぁ・・・」ポンッと手を打って、ドンッと漣の背を叩いた。
「な、何するんですか!」
「いやいや、一龍齋様も、肝心なことをお忘れでないかえ?」
「肝心なこと・・・?」
「あの、『上弦の月の宴』の席にはいなかったけれど、あのときの饗食を召しあがった方がいっらしゃるでしょうよ。蒼龍様、青龍様以外にも…。そして、ココ幽世の祝言で、ほとんど準備も何もなく、お暇な方が!」
「え?あ?・・・あぁ、鬼丸っ!あぁ・・・いや、鬼堂様!!」
「そういうことで。わっちは、これで…」
 いつもの調子に戻って、言い放つと、鬼灯は去って行った。鬼灯の背を見送りながら、漣は、鬼堂・鬼丸と念話を始めた。
しばらくして、漣は満面の笑みを浮かべて、瞳子たちに向き直った。
「瞳子様、『卵のツルンの熱々』の正体がわかりました!あの夜の特別な料理と言うよりは、卯兎の得意料理で、山鳥の卵が手に入るとよく作っていたそうです。黄龍様だけでなく、蒼龍様、青龍様、そして鬼堂様、『めし処』へ来る皆が好きだったそうです」
「そうなの?じゃ、黄龍様だけじゃなく、ご出席の皆さまに喜んでいただけそうね?で?それは、作り方は?」
「あ?え?いや・・・あ~・・・作り方は・・・」
「まさか、聞いてないの?」・・・「つっ使えないヤツ・・・」
 最後は小声で呟いた瞳子だが、漣は聞き逃さなかった。
「なっ・・・!?使えないって!?だいたい鬼丸も晦も朔だって食べただけで作り方は知らないんですからね!」
 怒りに我を忘れた漣は、すっかり素に戻って、龍神・鬼神の皆を幼名で呼びつけてしまっている。
「はいはい、わかった、漣くんは悪くない。でも結局どうするの?」
「まぁまぁ、瞳子さん。どんな料理か聞けば、何か思いつくかもしれないじゃないか。ねぇ?漣くん?さすがにどんな感じの料理だったかは聞いたよね?」
 見るに見かねて、雪兎が助け舟を出した。
「もちろんです!黄龍様のおっしゃる通り『卵のツルンの熱々』だったそうでございます」
「え?それじゃ何の手がかりにもならないじゃん・・・」
 雪兎もつい、口走ってしまった。
「いや、まだあります!まだありますから!!」 
 二人に「使えない」呼ばわりされて、漣は必死に『卵のツルンの熱々』について、説明を始めた。
 溶いた卵に、木の実や魚などいろいろ入れて、それを小さな椀に次ぎ分けて、蒸したものらしいと。そして、かの宴の際には、その器は、太めの竹を切った竹筒だったことを鬼堂・鬼丸から聞き出したらしい。
『え?それって、茶わん蒸しじゃん!』
 瞳子夫婦が声を揃えて叫んだ。
「瞳子さん、茶わん蒸しなら瞳子さんの得意料理じゃないか!僕、瞳子さんの茶わん蒸し、大好きだよ!」
「そうね。茶わん蒸しなら、大得意よ!」
「そうなんですね!良かった。お役に立てましたか?」
「もちろん!」と答える瞳子に、いつものクールな漣に戻って胸を張っている。
「でも、違ったら・・・。そうだ!ねぇ、漣くん、今夜、厨房をお借りできるかしら?もちろん、他にお泊りの方のご迷惑にはならない時間で良いんだけど・・・」
「いまは、安全面を考えて、お泊りは瞳子様たちご夫妻だけでございますから、問題ないかと・・・」
「へぇ、あんな大きな建物に、僕たち二人だけが客なの?もったいない」
「いえ、もともと、幽玄館 龍別邸は、龍神様、特に青龍様専用みたいなところがありますからね。大きな神事があれば、各龍神様とその神薙たちが泊まるのでにぎやかですが」
「じゃ、厨房をお借りできるのね。今夜、お試しで作ってみて、蒼龍さん、青龍さん、鬼堂さんに召し上がっていただいて、確認しましょう」
 今度こそ、瞳子たちが歩き始めたところで、通りの遥か向こうから、小さい人影が何かを叫びながら、こっちへ向かってきている。その姿を認めると、漣はすばやく瞳子の腕を引いて、すぐ近くの角を曲がって路地へ入った。
「あ、あれ?月影さんと烏頭さんじゃないの?待ってあげなくていいの?」
「いいんですよ!参りましょう!」
 瞳子たちが初めて来たときとは違う路地だが、突き当りは幽玄館の前の通りらしい。この路地は両脇に小さな店が並んでいて、さながら市場の様相だ。
 瞳子と雪兎は、物珍しい食材などに目を取られているが、漣はサクサクと進もうとする。
「漣くん、ちょっと待ってよ!ここにも面白い食材がありそうじゃない?」
「あぁ、現世の方には珍しいものが多いでしょうね。少し、何か買い物しますか?」
 ようやくゆっくりと歩きだした漣に、あれやこれや説明を聞きながら、店を見て回り、良さげな器と山鳥の卵を買って、通りにでると、ちょうどあやかしの子らが、幽山で採ってきた山菜や木の実を川で洗っているところだった。
「あ~トーコ!!」
 目ざとく瞳子たちを見つけて走ってきたのは、弥狐。後ろから、沙雪と小虎が追いかけ、その後ろを他の子らが続いて来た。
全員が幽玄館の前に集まったときには、すでに周りは暗くなっていた。
「あれ?ホントに知らない間に、夜になってる!」
 瞳子の驚きの声を、あやかしの子らは不思議そうに見ている。
「ね?夕焼けとかって、見たことない?」
 瞳子の素朴な疑問は、彼らを恐怖の表情に変えた。
「瞳子さま!先ほどもご説明しましたが、昼と夜以外は、黄龍様になにごとかあったときなのです。『夕焼け』は、黄龍様の御身が危うい兆しですから…」
「え?そういうことなの?ごめんなさいね。知らなかったのよ」
 瞳子は近くにいたあやかしの子の頭を撫でながら言ったが、皆の表情はこわばったままだ。瞳子は、周りを見回して、恐怖に慄く子らの顔を見て、思案を巡らせていた。
「そうだ!お詫びに、みんなにも『卵のツルンの熱々』を今夜、ごちそうするわ。それでどう?許してくれる?」
「トーコ、卯兎のあの料理、作れるの?ここ何十年、何百年誰も作ったことないよ?」
「う~ん…卯兎さんが作ったのと同じかどうか?わからないけどね。鬼堂様に召し上がっていただけば、同じかどうか?わかるかな?あのときのお料理を召しあがったのって、黄龍様と姫龍様を除けば、私の知ってるなかでは蒼龍様、青龍様、鬼堂様だからね」
「弥狐も知ってる。食べた。沙雪も、小虎も、ポンタも、竹暁も…みんな食べたよ」
「え?そうなの?みんな、あの宴に出てたの?」
「弥狐たちは、宴に出られない。でも、手伝った。そいで…お料理は、皆の分も卯兎が作ってくれた」
「灯台、下暗しってこのことね!」
 瞳子は、漣に向き直って、睨むようにしながら、言った。
「え?いや、私はあのとき、天界へ修行に行ってまして、事の顛末も戻ってから、鬼丸や兎士郎殿から伺ったわけで・・・えー・・・」
「いいわよ。いいわよ。でも、良かった。心強いわ。あの宴を知ってる子らがここにいれば、いろいろとヒントをもらえそうよ」
 幽世を慌ただしく巡った一日が終わり、その日の夕食を軽く終え、蒼・青の双子龍と鬼堂・鬼丸、あやかしの子ら皆、「めし処」に集まっていた。
「さぁ、みんなお待たせ!」
 瞳子と雪兎が運んできた蓋つきの小鉢を皆の前に並べた。
「さあ、どうぞ。蓋を開けて、召し上がれ!熱いから気をつけて」
 皆、恐る恐る蓋を取ると、湯気とともに現れたぷるぷるの茶わん蒸しに、ため息が漏れた。
 青龍・朔が木匙で掬いあげて口へ運ぶのを息を飲んで見つめる面々。朔は目を閉じて口に流し込むと大きく息を吐いて、一筋の涙を流した。
「あー青龍様、泣いてる~」
「泣いてはおらん!熱かったのだ!いいから、皆も食え!熱いぞ!熱々だぞ、プルンだぞ」
  小虎に言われて、大きくかぶりを振って睨み返しつつ答えた青龍の声は少し震えていた。
 それぞれが木匙を取り、口へ運んでは大きく息を吐き、そして、「ふうふう」という息の音と「かちゃかちゃ」と木匙が茶わんに当たる音だけが響く沈黙が続いた。
「ふぁあ~美味しかったぁ~」
 最初に沈黙を破ったのは弥狐。その後、食べ終えたあやかしの子らが次々に感想を口にし始めた。
「どう?どうだった?」
瞳子が皆の顔を見回しながら不安げに尋ねる。
「あぁ・・・瞳子。これだ。父の・・・黄龍様の言う「卵のツルンの熱々」は。見事に、あのときの、あの夜の味だよ」
 蒼龍・晦もどうやら泣いているらしく、涙声で答えた。鬼堂・鬼丸もうんうん、と頷いている。どうやらこちらも泣いているらしい。
「やったね!これで黄龍様のリクエストもクリアだわ。じゃ、茶わん蒸しはメニューに入れるとして・・・」
 瞳子が確信を得て、他のメニューとの組み合わせを頭で巡らしていると、あやかしの子らの話が耳に入った。
「これ、卯兎のと同じだね」
「うん。また、上弦の月の宴やるのかな?」
「おいらたち、またお手伝いできる?」
「笹と竹、幽山で採ってくれば良かったかな」
「ねぇねぇ、お手伝いしたら、またこれ食べられる?」
 急に話を振られて、すぐに応えられずにいる瞳子に雪兎が肩を叩いて振り向かせた。
「どうかしたかい?瞳子さん?」
「えっ?あぁ・・・ごめん。なに?なに?」
「鬼堂様と結卯様の御祝言の宴のお手伝いしたら、またおいらたちも宴の膳を食べさせてくれる?」
「小虎、今回の祝言は、鬼堂様と景子。結卯ってひとじゃないのよ。あ!小虎が聞きたいのは、こっちよね。宴の膳を食べられかどうか?ふふふっ。もちろん、お手伝いしてくれたら、みんなの分もあるわよ」
 大喜びで他の子らの輪に戻っていった小虎を見ながら、また瞳子は考えを巡らせていた。
「瞳子さん、さっきからどうしたんだよ?体調悪いのかい?」
「雪兎、今度の日曜日って何日だっけ?」
 雪兎は、少し考えてから手を打って答えた。
「7月7日。七夕だ!景子ちゃん、七夕婚だなんて、急だったけど、いい日を選んだよね」
 それを聞いて、瞳子はハッとして蒼・青の双子龍のもとへ行った。
「ねぇ、月を司どってるのは、どちらでした?」
「私だよ」蒼龍・晦。
「景子と鬼堂さんの祝言の日の月は、なに?」
「あぁ・・・えーっと昨日が新月だったから、祝言の日は上弦ですね」
「そう・・・上弦の月・・・」
 瞳子は、そう呟くと左薬指の指輪にそっと触れた。まるで、何かを確かめるように。