「瞳子様、雪兎様、お目覚めでしょうか?朝餉の用意ができております。座敷でお召し上がりになりますか?それともこちらへ?」
瞳子の係の仲居の声で目覚めた瞳子。慌てて身なりを整えて、雪兎を起こしながら、戸口へ行こうとしたとき、奥の部屋の方から声がした。
「瞳子と雪兎の分もこちらへ」
青龍・朔が仲居に命じると、仲居は「かしこまりました」と去っていく足音が聞こえた。
「瞳子、雪兎も、ゆっくり準備して俺の部屋で朝餉にしよう。湯にでも浸かってきたらどうだ?」
瞳子は大声で礼を言って、青龍の勧めに甘えて、雪兎と湯に向かった。
湯のなかで、瞳子は昨夜の夢を思い返していたが、起きてしまうとところどころがぼんやりとしてきて、思い出そうとしてた何かがわからなくなってしまった。
ザブンと頭まで湯に潜って、夢のことは忘れることにした。
忘れることにしたと言いつつも、まだ頭の隅で夢がもやもやしていたが、湯から戻って、雪兎と話しているうちに、本当に忘れてしまっていた。
雪兎が戸を開けると、朝食の膳がきれいに並べられていた。
青龍・朔がくつろいでいる隣に、蒼龍・晦が座り、景子も一緒にいた。
「おはようございます、蒼龍さん、景子ちゃん」
『おはようございます』
瞳子が席につこうとすると、ふと景子の姿を見て、首をかしげた。
「あれ?景子、ご主人は?」
すると景子は、にっこり笑いながら、軽く手を振ってみせた。
「幽世のしきたりで、花嫁は祝言までの五日間は、誰とも会えないんですよ。婿殿とは七日間会うことはできません。今日、この後から花嫁の支度に入るので、式までに瞳子たちに会えるのもこれが最後だと思って、朝餉に誘ったのです」
蒼龍・晦が景子である結卯に代わって答えた。
「へぇ、そんなしきたりが?でも、式まで一人でどうするの?」
「誰とも会えないとは言ったが、神薙や神子は別だ。五日間の間、神薙による祓いをうけるのだ。コイツの場合は、相手が鬼堂という神族のひとりだからの、我ら八龍の祓いも受けるのだ。それは、祝言の前夜のことだがな」
青龍・朔が食べながら、続きを説明した。
「朔、行儀悪いよ!」
蒼龍・晦が兄らしく窘めると、朔は、口を尖らせて「ハイハイ」とわかりやすくグレた態度を取った。
そんな様子に、瞳子たちが失笑していると、
「早く食わねば、出かけるんだろう?」
青龍・朔に促されて、二人も食事を始めた。
景子とも一日ぶりの話をしながら、笑いながらの食事の時間はあっという間に過ぎた。
「皆さん、食後のコーヒーはいかがですか?」
雪兎がいつの間に用意したのか、コーヒーのセットを手にしている。
「わぁ、雪兎さんのコーヒーがここでも飲めるなんて!飲みます!飲みます!いただきます!」
景子が嬉しそうに答えると、青龍・朔もそれに続いた。蒼龍・晦は、おずおずと「私は、例のアレを…」とカフェオレをオーダー。
それぞれの顔を見回して、雪兎はコーヒー豆の缶から人数分の豆をミルに入れると、豆を挽き始めた。
「雪兎さん、それ、セットで全部持ってきたんですか?さすが、コーヒー通ですね」
景子が褒めるのと裏腹に、瞳子は呆れ顔で笑っている。
「もうね、こうなると、中毒ね。ま、どこへ行ってもおいしいコーヒーが飲めるからいいけど」
「ところで、雪兎、それは何をやってるんだ?」
青龍・朔は興味津々にミルに顔を近づけた。
「おぉ、良い香りがするな」
「そうでしょ?これは豆を粉にしているんです。これに湯を注いで、コーヒーを作るんですよ」
「そうなのか?俺にもできるか?」
雪兎は黙ってうなずくと、青龍の前にミルを差し出して、やり方を教えて、ミルを青龍に任せて、自分はフィルターのセットを始めた。
そして、キャンプ用のシングルバーナーを取り出し、青龍に尋ねた。
「こちらで、火を使っても?」
「かまわんが、湯なら、後ろの炉に沸いておるだろう?」
「カフェオレ用のミルクを温めたいんです」
「みるく・・・」
「あぁ、牛の乳ですね」
「牛の・・・乳・・・」
話をしながら、てきぱきとセットを整えていく雪兎を青龍も蒼龍もすでに憧れの目で見始めていた。
コーヒーを落としながら、小鍋でミルクを温め、温まったミルクにコーヒーを適量入れると、もってきたカップに注ぎ分けた。
「はい。蒼龍さん、瞳子さん、カフェオレです。砂糖はお好みでこちらをどうぞ」
コーヒーシュガーの角砂糖の入った缶を蒼龍の前に置いた。
雪兎が青龍のコーヒーを出そうとしたとき、襖の向こうから声がした。
「青龍様、おはようございます。漣です。天目漣にございます。皆さん、こちらにお揃いと伺い、お迎えに参りました」
「おう漣、入れ!いま、コーヒーを飲むところだ」
青龍の声に応えて、漣が部屋へ入ってきた。
「これは、また芳しき薫り・・・」
「漣クンも飲むかい?熱いのが苦手だったら、ここに少し冷めたミルクがあるから、これでカフェオレにすればいいけど、どうする?」
「それは、蒼龍様が美味しいとおっしゃっていた、アレですな。いただきます」
「えー?漣も?俺もカフェオレが良い」
青龍がわがままなことを言い始めると、蒼龍が宥め、青龍が言い返す。軽い兄弟げんかの様相だが、雪兎が「大丈夫ですよ」と引き受けたことで、一件落着。
大丈夫だろうか?この龍神たち。確か、神だったはずだけど・・・。と、その場の誰もが思ったに違いない。
朝のコーヒータイムが終わり、出かけることになった。
「瞳子様、今日は、軽い山登りもありますので、それなりの恰好が良いかと思われます」
『え?山登り?』
答えたのは、雪兎と景子だった。
「ウコさんは、」
「瞳子さんは、」
『心臓悪いって言ってあったでしょ!』
二人の勢いに一瞬、怯んで後ずさった漣だったが、すぐに体勢を立て直して、いつものクールな感じに戻って答えた。
「ですから!渡幽する前にも申し上げた通り、ここでは、肉体に大きな意味はありません!ですから、瞳子様の心臓に負担を掛けることにはならないかと…」
「大丈夫、大丈夫!しんどかったら、登らないから」
当の瞳子はあっけらかんとしている。
「じゃ、そういうことで。私は、太鼓橋のところでお待ちしておりますので、準備ができたらおいでください」
身なりをアウトドア仕様にして表に出ると、漣とともに、何人かのあやかしたちも待っていた、
「トーコ、行こう!」
昨日、『めし処』の厨を案内してくれた狐耳の少女が瞳子の腕を取る。呆気に取られていると白髪の少女が逆の手を取った。
「弥狐だけ、ずるいよ」
「弥狐、ずるくない。トーコ迎えにきた。一緒に行く」
瞳子の頭が高速回転で、昨日のことを思い出す・・・
(こっちが弥狐って、ことは・・・この白髪の子は確か雪女のあやかしで、名前は・・・)
「紗雪、お前は雪兎様の先立ちを頼む」
漣が、あやかしそれぞれの役割を発表したところで、ようやく出発となった。
「幽玄館 龍別邸」の前の太鼓橋を渡ったところの通りはガス灯などもあり、明治か?大正か?っていう感じが残っているが、「幽玄館 龍別邸」のある通りは瞳子たちが昨日、最初に見た大通りからは、ひと昔、ふた昔遡ったような、街そのものが時の流れを止めているかのような風情でさえある。
そのいにしえの通りに沿って、小川が流れている。昔、瞳子の住んでいた田舎でも山へ行かないとこんなきれいな流れの小川はなかったなと瞳子が見ていると、弥狐がトコトコと小川へ降りていった。
「トーコ、これ、食べる?」
弥狐の手には、川エビが掌に山盛りになっている。
「え?弥狐、いま、捕ったの?それ!すごいね!うん。食べるよ」
弥狐は嬉しそうにエビを持ってきた籠に入れた。
「弥狐、それは帰りに持って帰れるよう、川のなかで隠しておきなさい」
漣は、弥狐に指示をして、皆を先へと促した。
最初に着いたのは、「幽玄館 龍別邸」の前の通りをずっとまっすぐに来た、突き当りの丘。
「瞳子様、雪兎様、ここは「月の丘」と呼ばれる丘で、この丘の一番上にあるのが、蒼龍様のお屋敷でございます。『月丘(げっきゅう)の蒼邸(そうてい)』と呼ばれております。「月の丘」は、その名の通り、月の夜はこの辺りは、薄く蒼く輝いているようで、きれいなんですよ」
「へぇ、そうなの。で?ここでは何を?」
「こちらでは、現世で『春野菜』と呼ばれるものが少々と春の山菜、果実が採れます。もう少し上へ上りますが、よろしいですか?」
「えぇ、まだ大丈夫よ・・・ひゃぁ!」
瞳子が答え終わる前に、ヒョイっと瞳子の体が浮いたと思ったら、関取のような体格のあやかしが瞳子を抱き上げた。
「オイラが運んでやるよ」
このあやかしも昨日、厨にいたなかのひとりだ。
「あ、ありがとう。でも、いまはまだ大丈夫だから、疲れたらお願いするわ」
瞳子の言葉に、残念そうに瞳子を下した。
一行は、「月の丘」で瞳子と雪兎の指示で、山菜と野菜、木の実や果実を採ると、丘を降りた。
「月の丘」からさらに北へ向かうと、金色の綿毛のような草原の広がる場所へやってきた。
「あぁ、ここは・・・」
「瞳子様!何か、思い出されましたか?」
勢い込んで、漣が瞳子に顔を寄せた。
「漣クン、近い、近い!んーっとね。ここ、『鬼界ヶ原』ね!」
「そうです。その通りです。思い出されたか??」
漣は、ポケットからハンカチを取り出して、涙を拭っている。
「そりゃ、昨日、見たばかりだもの。昨日、青龍さんたちの幻視で見せてもらったなかにでてきたのよ。ねぇ、雪兎?」
「あ・・・さようでしたか・・・」
あきらかに、色を失った声で単調に答えた漣。気を取り直すように、説明を始めた。
「ここ、鬼界ヶ原は、鬼界の端に位置します。この奥には、昨日、瞳子様たちがご覧になったように、『虹の橋』がございます。『虹の橋』を渡れば天界です。現世の生者であられる瞳子様と雪兎様は、こちらの『鬼界ヶ原』にいま、入ることはできません。今日は、あちらの鬼界の町のなかの鬼ヶ園(おにがその)の方へまいりましょう」
そこからまた少し歩いたところに威厳というよりも威圧的という感じのする黒い門が立っている。その門の脇で、漣はこめかみに手を充てて、ぼそぼそとつぶやくと、大柄な男たちがぞろぞろと現れた。
全員が瞳子たちに深々と頭を下げ、ルビーのような赤い髪を無造作に纏めたヘアスタイルのひとりが代表して挨拶を始めた。
「この度は、我らが大将・鬼堂様の祝言にあたり、奥方側の立会人をお務めいただくと伺っております。それから、祝言の饗の膳もご用意いただけるとか…。誠にありがとうございます。鬼堂様の手下(てか)一堂、心より御礼申しあげる。今日は、瞳子様、雪兎様お二方の侍衛を我らで務めさせていただく。安心して、心より愉しまれよ」
時代掛かった大仰な物言いに、ちょっと引き気味の瞳子夫妻だったが、悪気はなさそうなので、ありがたくお受けすると伝えると、男たちはどこかのマスゲームのごとくきれいな歩幅でスルスルと体系を整えた。
「ちょっと!漣クン、いくらなんでも大げさよ。なんとかならないの?」
「皆、鬼堂様のご婚礼がうれしいのでございますよ。少々、ゆき過ぎな感は否めませんが、これも『祝い』と、おつきあいくださいませ」
『祝い』だと言われてしまえば、瞳子も雪兎も反論で疵、現世なら、ハリウッド俳優か、どこかの国賓か⁉というボディガードたちの様相。しかも、鬼の一族を引き連れての鬼界訪問となった。
鬼界という恐ろし気な名とは裏腹に、グアムやハワイを思わせるような南国の陽気な雰囲気に満ちている。ハイビスカスやブーゲンビリアに似た花が咲き乱れ、陽射しは強い感じがするが、風はさわやかで、まさに南国の風情。
「漣クン、ここってもしかして、夏の果物や野菜が?」
「お気づきに?ここは、現世でいうところの夏の実りが得られます。特にこちらでのお薦めは、果実です。鬼界で採れる果実は、瑞々しく甘く幽世の評判のモノばかりでございます」
「そうなのね。それは、楽しみだわ。デザートやケーキに使えそうね」
「あ。そうそう、姫龍様が仰っていた『鬼桃の酒』。あれは、紗雪に酒を凍らせて、ここ鬼界の鬼桃を潰したのを混ぜたような酒だったそうです。酒も幽玄界のものではなく、鬼界の 『卯児(うーじ)』という甘味を引き出すための植物から作られる強い酒を使っていたとか…」
「『うーじ』…聞いたことない植物ね。強い酒なら、凍りきらないから、できたのね」
「瞳子さん、『うーじ』ってサトウキビみたいなものじゃないかな?それなら、それから作られる酒は『ラム酒』と似てるんじゃないかい?そうなると、瞳子さんも好きな、アレが作れるよ。ま、その果物の実にもよるけど…」
雪兎の言葉に、瞳子の顔色が輝いた。
「あぁ、ラム酒で凍った酒といえば、『フローズンダイキリ』ね!あれなら、景子も好きだし…。姫龍様のリクエストは、これでなんとかなりそうね」
二人の会話を聞いて、満足げに笑みを見せながら、漣はこめかみに二本の指を充てて、なにやらブツブツ言っている。
「ねぇ漣クン、さっきから何をつぶやいてるの?あっちの門のところでもやってたわよね?」
瞳子に問われて慌ててこめかみから指を離し、身構えるようにしつつ瞳子に向き直って答えた。
「瞳子様たちの『スマホ』と同じでございますよ。我ら神族とその眷属、そして上生(じょうしょう)のあやかしたちは、こうして念話することができるのです。あやかしも上生でなくとも同等のあやかし同士なら、簡単な念話はできますよ」
「へぇ…便利なものね。で?誰と念話してたの?」
「あぁ…それは、次に行く場所の者へ、連絡ですよ。先ほどの鬼族を呼んだように、次の準備を…」
「えぇ。いいわよ。こんな大層なことしてくれなくても」
「あぁ、ここは特別です。ここには、天狗堂からの沙汰を待つ者もいる街ですから。天狗堂と申しますのは、かの烏頭(うとう)刑(ぎょう)様がトップを務めておられる、ま、現世で申しますところの、警視庁ですね。あぁ、凶悪な者はちゃんと牢に入れてますよ。軽微な罪の者は、鬼界の鬼たち監視の下、鬼界内なら自由に出歩けます。しかし軽微とは言え、罪びとですから、瞳子様たち大切なお客様、しかも「ひと」など見かけたら、何の悪さを思いついて、仕掛けてくるやもしれませんからね」
その言葉を聞いて、瞳子と雪兎はゾッとした顔を見合わせたが、漣はそんなことはお構いなしに、ツアコンさながら、鬼界ヶ園の説明をつらつらと続けた。
「さて、瞳子様、雪兎様、こちら鬼界ヶ園には、鬼界にあるほとんどの作物、果実が手に入ります。簡単なお食事もできますから、少し早いですが、こちらで昼餉になさいますか?このあと、街中を通って『幽玄館 龍別邸』の方へ戻りますので、その途中の街なかでどこか食事処か、レストランで昼食でもよろしいですが…」
「そうなの…今朝、随分豪勢な朝食を戴いたから、そんなにお腹も空いてないけど…」
瞳子がそう答えかけたとき、雪兎が瞳子の袖を引いた。
「え?雪兎、お腹空いた?」
「いや、僕はいいけど…」
雪兎が言い淀んで、自分たちの周りに視線を巡らせた、
「『鬼界が園』で昼食」と聞いて、一緒に付いてきたあやかしたちが、ワクワクした視線を瞳子たちに向けている。
「あぁ。そういうことね。じゃ、ここで軽く何か食べましょう」
あやかしたちが喝采で応えた・
「こらこら、お前たちのためじゃないぞ。お前たちは、あくまでも瞳子様と雪兎様のご相伴だからな!いいな!」
あやかしたちは、念を押されたが、首が捥げるんじゃないかと思うほど、ブンブンと首を振ってうなずいている。
瞳子は、園内で見つけた使えそうな夏野菜と果実を選んで、漣に伝えた。
「ねぇ、漣クン、さっきの月の丘でもここでも、お願いした材料はどこにあるの?見たところ、皆、手ぶらだし…」
「そのことなら、御心配には及びません。月の丘のモノは、丘の民が。こちらのモノは、鬼界の鬼たちが『幽玄館 龍別邸』へ運んでおります。我々が帰り着くころには、すべて揃っておりますよ」
「そうなの?ありがたいけど、皆さんに申し訳ないようね…」
「いえいえ、申し訳ないどころか、鬼堂様の祝言の準備に携われると、皆、大喜びですよ」
瞳子たちが思う以上に、鬼堂・鬼丸と結卯・景子の結婚は、幽世の者たちに歓迎されているようだ。
ひと通り園内を見終わり、自分の持ってきたメモと照らし合わせて、ひとりうなずいていると、クイックイッとシャツの裾を引っ張られた。振り返ると、弥狐が訴えかけるような目線をくれている。
「あぁ。ゴメン、ゴメン!そうだね。お昼にしようか」
その言葉に、あやかしたちは、またもや首がもげるほど頷いている。
「漣クン、お昼にしましょ。皆さんもお疲れでしょ。少し休みましょう」
侍衛の鬼たちにも声を掛けて、休む場所を探すが、頃合いの場所が見つからず瞳子がキョロキョロしていると、侍衛のリーダーがどこからか大きなパラソルを持ってきて、園内を見渡せる小高い場所に立てている。
「瞳子様、雪兎様、こちらへ」
招かれるままに近づくと、いつの間に用意されたのか⁉美しい柄の織物が敷かれ、そこには数種の果物と薄切りにしたバケットのようなもの。そしていくつかの色とりどりのコンフィチュールやスプレッドが並べられている。
「まぁオシャレね。フルーツタルティーヌ?」
「料理の名前まで覚えておりませんが、私の妻が一龍斎様のお伴で現世に伺った際に習い覚えてきたものです。ありがたいことに、いまでは、この鬼界ヶ園の名物とまで言われております」
侍衛のリーダーは、少し照れながら、かなり自慢げに説明した。
「鬼界ヶ園の名物…それで、みんなコレが食べてみたかったのね?さては…みんな、今日、お供に付いてきたのはコレが目当てね?」
からかうように意地悪な口調で言って、瞳子はあやかし皆の顔を見渡した。
「違う!違う!弥狐…お手伝いしたい。トーコとユキトのお手伝いする」
泣きそうな目をして瞳子に縋りついた弥狐の頭を撫でながら雪兎が皆に声を掛ける。
「みんな、気にしなくてイイんだよ。瞳子さんも僕も、みんなの気持ちはわかってる。ちょっとからかっただけなんだよ。あんな意地悪を言う瞳子さんは、いけない子だから、オアズケだな」
「ダメ!ダメ!トーコも。トーコも食べるの!」
ますます泣きそうになる弥狐に、瞳子夫婦は「ゴメンね」と謝りながら弥狐を抱きしめた。
「お二人には、不思議とひともあやかしも惹きつけてしまうようなチカラがおありのようですね」
漣は、微笑ましそうに見ながら、念話の続きを始めた。
瞳子は、ふんわりと焼かれたパンをひと切れ手に取り、赤いコンフィチュールをたっぷり塗った。
その上に、瑞々しいフルーツを2,3切れ、彩りよく載せる。仕上げに、ふわりとクリームを掛け、ナッツを散らした。
弥狐に持たせると、小さな狐火がポッと灯る。
「ほんの少しだけ焙って。クリームが焦げないようにね」
弥狐は慎重に火を操り、クリームの表面がうっすらと焼き色を帯びる。
途端に、甘く芳ばしい香りがふわりと立ち上り、一同が思わず息をのんだ。
「うわぁ!おいしい!」
弥狐が目を輝かせてかぶりつくと、周りもソワソワし始める。
「どんな?どんな?」
「アタシも食べたい!」
「おいら、もう我慢できねぇ!」
皆が大騒ぎするなか、瞳子は次々と同じようなタルティーヌを作って、空いている皿に並べている。
「ほら、みんなも食べて!弥狐、焙ってあげて」
見ていた侍衛の鬼たちも喉を鳴らしている。
「侍衛の皆さんも一緒に食べましょうよ」
雪兎の言葉に、鬼たちの顔が緩むが、『シャンッ!』錫杖の輪が鳴り響くと、鬼たちは直立不動に変わった。
その音の方に目をやると、侍衛のリーダーが錫杖を手に仁王立ちして睨んでいる。
「漣クン、あのひとの名前、何て言うの?」
ひと通り話し終え、瞳子たちのランチの席に加わった漣に瞳子が侍衛のリーダーの名を尋ねた。
「あれは、斗鬼(とき)と申しまして、古くから鬼堂殿の家・百目家に仕える一族の長男ですよ」
漣の言葉が終わらないうちに、瞳子は斗鬼に声を掛けた。
「斗鬼さん、こちらで一緒に召しあがりません?皆さんもご一緒に」
「ありがたきお言葉ではございますが、我らは、お二人をお守りするのが今日の仕事。皆で食事をしていて、何かあって対応できなかったでは、鬼堂様に顔向けできませんゆえ・・・」
「そうなの?じゃ、いいわよ。鬼堂さんに、斗鬼さんに鬼堂さんに顔向けできないから私と一緒には食事できないっていわれたから、私と一緒に食事できない人がいらっしゃる以上、祝言のお料理を私が用意するのはムリですねって言うから」
「そ、そんなことは言っておりません。まいったな・・・」
「斗鬼、良いではないか。半々のメンバーで交代で食べれば。お言葉に甘えろ!」
漣の後押しがあって、ようやく斗鬼は、侍衛のメンバーを集め、半分づつのグループに分けて、「先にお前たちが行け」とグループの半分を瞳子たちの近くへ向かわせた。
当の斗鬼は少し離れたところに、錫杖を持って立っているままだ。
「ねぇ!まず、あなたが来なきゃ、みんな食べづらいわよ!」
瞳子の言葉に、先に瞳子たちのもとへ集まったメンバーが頷いている。
斗鬼は、後発メンバーのなかのひとりに錫杖を預けると、先発隊に加わって、皆を見回しながらリーダーらしく声を掛けた。。
「私は、妻がコレを作る練習中にたくさん食べさせられたから、味は、わかってる。皆、好きなものを選んで載せて食べると良いぞ」
そんな斗鬼に、弥狐が皿を持ってきた。
「コレ、食べて。コレ、トーコの味」
弥狐から皿を受け取って、戸惑う斗鬼を部下の鬼たちが羨ましそうに見つめている。いたたまれず、皿のタルティーヌを口へ放り込んだ。
「おぉ!これは!ウマイ!瞳子殿。コレの作り方を伝授いただけぬか?ウチへ帰って、妻にも食べさせてやりたいのです。いや、私が作って、驚かせてやりたいのです」
「もちろん!・・・あ。火を使うんだけど・・・」
「火なら、我ら鬼族も扱えますぞ!」
斗鬼は、軽く握った手をパッと広げて見せると、そこには野球ボールくらいの火玉が現れた。
「焙る程度だから、そんな大きな火はいらないんですけどぉ・・・ま、やってみる?」
瞳子は、皿にタルティーヌを作って乗せ、斗鬼に渡した。
斗鬼は、得意げに「火」を作り出し、タルティーヌに向けて放つと、無残な黒焦げタルティーヌが出来上がった。大きなカラダがひと回りもふた回りも小さくなったかのように落ち込む斗鬼に雪兎が助け舟を出した。
「そのうち、火の加減がご自分でわかるようになると思いますが、それまではこうやって作ってはいかがです?瞳子さん、タルティーヌ二つ作って!」
言われるままに二つ作って乗せた皿を雪兎に渡すと、雪兎はパンの下に敷いていたバナナの葉のような大きな葉をその皿に被せ、斗鬼にその上から「火」を当てるように指示した。葉がワンクッションとなり、タルティーヌにうまく焦げが付いた。
「はぁ・・・出来た!雪兎殿、ありがとうございます。おぉ、そうだ、おい、みんなも作ってみよ」
斗鬼の声がけで、たくさんの焼きタルティーヌが出来上がり、あやかしも鬼たちももちろん、瞳子たちもたくさん食べた。
あやかしたちも鬼たちも満足そうだ。
瞳子は、フルーツを盛り付けていた大皿から3分の1ほどのフルーツを別皿に取り、大皿に残ったフルーツにクリームを掛け、料理と共に供されたシャンパンに似た飲み物を混ぜ合わせて、紗雪を呼んだ。
「紗雪、コレを凍らせてくれる?緩めにね」
紗雪はニッコリ笑うと両手を皿に翳した。一瞬にして凍り付いた皿の上のクリームとフルーツ。瞳子はあやかしたちを見回して、先ほど「月の丘」で瞳子を抱き上げたあやかしを手招きして呼んだ。
さっきは、勢いよく瞳子を持ちあげたのに、いまはモジモジと恥ずかしそうに瞳子に近寄ってきた。
「お名前は?」
「おいら?小虎」
いかつい体つきに似合わぬ幼い声が返ってきた。
「小虎?いい名前ね。じゃ、小虎、キミにお願い。このフォークでこの山をガリガリしてくれる?」
「おいらもやりたい!」
「私も」
名乗りを上げたあやかしたちにもフォークを持たせてガリガリと掻かせて、瞳子はその掻きだされて細かくなったのをスプーンで小さくまとめては、小皿に乗せていく。
それを見ていた雪兎は、我が意を得たりとばかりに、瞳子の隣に並んで、瞳子が作った小皿に残りのフルーツやナッツ、コンフィチュールなどを掛けていく。
「弥狐もやる!」
弥狐が雪兎の隣で、雪兎の見様見真似の飾りつけをしている。
「お!弥狐、上手いぞ!センスあるな」
雪兎に褒められて、満面の笑みを見せる弥狐に「なんだ。弥狐ばっかり!」と、紗雪はかなり不満げだ。
「なに言ってるの。紗雪がいなければ、コレはできなかったのよ。紗雪のおかげ!」
瞳子に持ち上げられて、紗雪は照れ臭そうに、ふくれっ面を引っ込めた。
「さぁ、みんなに配って!みんなも自分のを取ってね」
配られた皿を手に、皆、矯めつ眇めつ不思議そうにしている。
「瞳子殿。これは、なんという・・・」
斗鬼の質問に、瞳子の答えを遮って、漣が自慢げに答える。
「これは、わたくし、現世でいただいたことがございますよ!『アイスクリーム』というものですよね!」
「う~ん・・・。当たらずとも遠からずかな?」
瞳子が皿の上のフルーツを指で摘まみあげて、口に入れながら答えた。
「え?違うのですか?」
「アイスクリームは、ミルクがもっと入っていて、もっとなめらかな口当たりでしょ?これは、凍らせたフルーツなんかを砕いて、混ぜあわせてるから、『シャーベット』とか『ソルベ』って言われるモノなのよ。少しお酒を入れたから『ソルベ』って言った方がいいかな?」
「『そるべ』ですか・・・」
瞳子の言葉を聞いて、斗鬼が懐から出した何かに書きつけている。
「正式には、もっと手間を掛けて作るけど、ここではすぐにみんなが食べられるよう、カンタンに作ったけどね。そして、景子たちの結婚式の食事の中休みの口直しやデザートにどうかと思って試作したんだけどね」
「さすが、瞳子様。発想が豊かで柔軟でございますね」
漣は瞳子をほめそやしながら、また誰かと念話で話し始めた。
「瞳子殿、これは、我が家でも作れるだろうか?」
斗鬼は、さっき『そるべ』と書きつけた紙を持ったまま熱い目で瞳子に尋ねた。
「斗鬼さん、コレも奥様に食べさせてあげたいのね。できなくはないと思うわ。凍らせる方法があればね」
「鬼は、『火』も『冷気』も操れるから、それは大丈夫だ!・・・加減が必要なんだろうが・・・」
先刻の黒焦げタルティーヌが頭を過ったのか?声が尻すぼみになった。
「そうね。コレも、タルティーヌもコツを掴めば大丈夫よ!私が帰る前に、レシピにまとめて、渡せるようにしておくわ」
「れ・・しぴ?」
「そう。レシピ。作り方よ」
「おぉ!それはありがたい!」
「その代わりと言ってはなんだけど、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど・・・」
「その代わりでなくとも、瞳子殿の頼みとあらば、断わろうことなどあるはずござらん。なんなりと」
瞳子はうれしそうに頷くと、斗鬼の服を指して尋ねた。
「この衣装は、鬼の皆さんの衣装なの?」
斗鬼たち侍衛のメンバーは、薄手の布地で仕立てられたスタンドカラーの裾の長い上着に幅広のパンツという出で立ち。ちょうどベトナムのアオザイのようなカタチをしている上着には、それぞれ異なる刺繍が施されている。
街ゆく女性たちも同じような格好をしていて、女性の方は上着というより、ロングワンピースという丈。両サイドには、ウエスト辺りまでの深いスリットが入っており、それに合わせたボトムスは、ストレートのロングスカート、フレアのワイドパンツ、ピッタリ貼りつくようなスキニー、ハーレムパンツのような幅広のパンツの裾が絞られたタイプと男性に比べて合わせ方はいろいろだ。そして、こちらも上着にはどれも個性的で見事な刺繍が施されている。
「コレは、"鬼の"というより、鬼界の、この辺りの昔ながらの装束ですから、種族に関係なくこの辺りに暮らす者が着ていますかね…『雅な』『楪(ゆずりは)の』『衣(ころも)』(」)と書いて(かいて)、『雅楪衣(あちゃい)』といいます。現世(うつしよ)の「ユズリハ」と言われる樹によく似た『楪(ちゃ)』という樹木の繊維で昔は生地が作られていたそうです」
「そうなの?なら、私や雪兎が着ても、皆さんに不快な思いをさせない?」
「不快?とんでもない!光栄なことでございます。最近は幽玄界から来た者も土産にと持ち帰る者もおりますし…。あちらの鬼界の土産を扱う処に土産用の手軽な『雅楪衣』がございますよ。柄も色も豊富に揃っておりますから、きっとお気に召すものが見つかるかと…」
「あぁ…そうじゃなくってネ、その『雅楪衣』は、お祝いの場で着られるものもあるかしら?」
「もちろんです!宴の場や祝言の・・・あ?え?もしかして、鬼堂様の祝言に?」
「えぇ。失礼じゃなければ、着てみたいなって。こんなことになるとは思ってなかったから、着物もドレスも持ってきていないし。漣クンは、着物ならどんなものでも揃えられるって言ってくれたんだけどね。お料理も引き受けてしまったから、着物だと着るのも動くのも大変だなぁって思ってたの。でも、『雅楪衣』なら華やかなのに、皆さん動きやすそうだし。それに、『雅楪衣』ってアオザイに似てるじゃない?一度アオザイを着てみたいと思ってたから…いいなぁって見てたの。花嫁の立会人が着るには向かないかしら?」
瞳子が『雅楪衣』への思いを熱く語る脇で、斗鬼は、こめかみに手を当てて俯いてる。
「ねェ‼!聞いてた?」
瞳子に顔を覗き込まれて、斗鬼は慌てて、こめかみから手を離して、瞳子に向き直った。
「あぁ。すみません!聞いてました。お祝い事、しかも鬼堂様の祝言に花嫁様の立会人が我らの衣装を身に着けてくださるとは、私たちもうれしいですが、百目家の皆さんがなによりお喜びになると思います」
「そう??じゃ、お祝いに着て行ける『雅楪衣』を扱ってるところを・・・」
斗鬼は、瞳子の唇の前に、人差し指を立てて言葉を遮って自分が話し始めた。
「そうおっしゃると思って、いま、念話で鬼灯(ほおずき)・・・あ、妻ですが、を、呼びました。鬼灯の実家は、古くから龍籍以上の身分の皆さま用に、『雅楪衣』の素材を取り揃え、仕立てまでをやってきた家なのです。たぶん、一龍齋様が本日お召しの襯衣(しんい)も鬼灯の実家・九鬼の仕立てのものかと・・・」
自分の名前を耳にして、皆とソルベを愉しんでいた漣がなにごとか?と近寄ってきた。
「私になにか?」
「い、いえ。『雅楪衣』に興味を持たれて、祝言でお召しになりたいとおっしゃるので、鬼灯の実家・九鬼家をご紹介しようかと・・・。九鬼なら、神族であらせられる一龍齋様もお召しになられるものを扱っているので、安心だという話を・・・」
「え?『雅楪衣』を?留袖の新調はよろしいので?」
「新調って、そんな時間ないし、お料理を引き受けちゃったでしょ?着物じゃ、何かと動疵らいかと思って…」
「お時間だけのことなら、問題ございませんよ。なにせ、ここは幽世なのですから。最初に、小袖、十二単から留袖、振袖。紬、小紋、付け下げ、友禅と、各種揃えておりますと申し上げたではありませんか」
漣は得意げに、そして自慢げに例の独特の笑い方を瞳子に向けた。
「え?あれって、貸衣装のことだったんじゃ・・・」
「まさか!百目家の花嫁様の立会人様に、御貸しするなど、ありえません。新調いたしますよ。『雅楪衣』にしても新調するために、九鬼家をご紹介いただくのでしょう?」
「え?そうなの?わざわざ仕立てるなんて、とんでもない!もったいないわよ。仕立て上がりのモノで充分よ」
「なにをおっしゃってるんです?百目家の花嫁様の立会人様ともあろう御方が。『雅楪衣』をお召しになるなら、九鬼にお任せいただきゃ、最上質の布と刺繍でもって、どこに出しても恥かかないようなものを新調させていただきますよ。ねぇ、あんた?」
突然、場の空気を切り裂くように、カラリと響く声がした。
「で、どんな雅楪衣がほしいんだい?」
振り向くと、赤いオーガンジーに桜色のシルクを重ねた華やかな衣を纏った、小柄な女性が立っていた。
その姿はまるで優雅な姫のようだが、その口調はまるで親分。斗鬼が慌てて紹介する前に、女性はずかずかと歩み寄る。
「わっちが「百鬼(なきり)斗鬼」が女房・鬼灯。以後、お見知りおきを。で?あんたが噂の瞳子さんだね?」
その堂々とした態度に、瞳子は思わず圧倒される。
「…はい、そうです」
「へぇ。悪くないね」
じろりと瞳子を値踏みするように見て、鬼灯は満足げにうなずいた。
「鬼堂様の祝言の花嫁の立会人なら、バッチリ決めなきゃね。ほら、何色がいい?柄の好みは?」
「こらこら、なんて口の利き方だよ。こちら、盈月(えいげつ)瞳子殿。鬼堂様の花嫁様の立会人で、祝言の饗の膳もご用意くださるんだぞ」
「そんなこと、知ってらぁね。でも、わっちの口は、誰に対してもこうなんだから、しょうがないだろ。ねぇ?一龍齋の旦那?」
どうやら漣は、鬼灯は苦手らしく。珍しく愛想笑いなんぞしながら、頷くばかりだ。そんなことはお構いなしに、鬼灯のひとり舞台は続く。
「採寸しなきゃいけないね。旦那さんはどうするね?まさか、旦那だけ着物っていうわけにはいくまい?男のモノは、そうそう種類があるわけじゃないからね。奥さんの方の色・柄が決まってからでいいか。で?旦那はどこにいるんだい?」
一気にまくしたてられてタジタジしつつ、後ろの方を指さす瞳子。
「へぇ。優しそうないい男だね。でも小柄だから、下履きはウチのひとみたいな幅広じゃない方が恰好がつきそうだね」
「お前、ホントに失礼だぞ!鬼堂様に叱られても知らんからな!」
「なに言ってんだい。鬼堂様だって、わっちの口の悪さはよくご存じだよ!」
現世から習ってきたフルーツタルティーヌを、ここまで豪華に支度をしてくれた斗鬼の妻は、さぞかし楚々とした女性だろうと思っていたし、小柄で華奢な感じがする外見はその想像を超えた美しさだった。その鬼灯から飛び出す伝法肌な言動。そのギャップにたじろいだ瞳子だが、瞳子とて気取って物を言うのは好きではないし、鬼灯の言動からは、キツい言葉の分だけ、腹には何もないと感じられて、却って信用できる気がしていた。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします。急なお願いで申し訳ないですけど」
「ほんっとに!鬼堂様も急すぎですよ。早くしないと花嫁様に逃げられちまうとでもおもったんですかねぇ・・・アッハッハッハ。急なのは、鬼堂様のご決断。瞳子様のせいじゃござんせんからねぇ。しょうがありませんよ」
「お前・・・ホント、勘弁してくれよぉ。俺が鬼堂様にどやされるわっ!」
「だ、か、ら、あんたがどやされることはあっても、あたしは大丈夫なのよ!」
「トキ、ホーズキに負けた。トキ、カラダ大きいのに弱いの?」
体は大きいが喋りと声が幼い小虎が無邪気に尋ねたことで、その場が笑いの渦と化した。
ひと通り笑いが鎮まったところで漣が侍衛の者たちに手を上げて合図を送った。
侍衛の鬼たちは、また最初のときのようにきれいに整列すると、マスゲームのような動きで体勢を作りながら、見事に昼食の後片付けをしていく。
瞳子も手伝おうとしたが、侍衛のひとりに制され、手を引っ込めた。
「瞳子さん、いいんですよ。ヤツらに任せておけば。瞳子さんとダンナ様はお客様なんだ。どーんと構えておいでなさい」
鬼灯は腕組みをして、鬼たちの片づけを見守りながら、何かしらやり残したことを見つけると、口を出すよりも先にサッと動いて片付けている。口だけじゃなく、やることもやる。だから、斗鬼も漣も鬼灯には頭が上がらないのだろう。
「瞳子様、それでは次へ参りましょうか」
「一龍齋様、次はどちらへ?」
斗鬼たちが隊列を整えて、漣に行先を確認した。
「うん。これから幽玄界の繁華街の方へ出て、そのあとは幽玄館の裏、幽山(かすかやま)へ登って、幽玄館へ戻る」
「侍衛に何人か付けますか?」
「いや、繁華街の方は天狗堂の者たちが各所で目を光らせている。大丈夫だろう。途中で刑様、兎士郎様とも合流するしな。何かあれば、念話で呼ぶ」
「承知しました。それでは」
斗鬼たちは、出迎えに来てくれた門とは違う、鬼界ヶ園の門まで送ってくれた
「繁華街には、九鬼の店がございます。『雅楪衣』のお仕立てをご所望なら、寄って行かれるとよろしかろう」
斗鬼が言い終わるが早いか、ズドンッという重い音とともに、鬼灯の拳が斗鬼のみぞおちにめり込んでいる。
その華奢な体のどこに、斗鬼のような大柄な男のみぞおちに拳を食い込ませるほどの力があるのか!?瞳子も雪兎も目を白黒させている。
「いててて・・・何しやがる」
「そりゃ、こっちのセリフだよ!鬼堂様と花嫁様の大切なお客人に、ご足労かけて店へ出向かせるなんて失礼な真似できるかね!ちゃんと準備整えて、こちらから宿の方へ伺わさせていただくわっ!」
まさに鬼の形相で斗鬼を叱りつけたと思ったら、瞳子たちへは美しい笑みを湛えた顔を向けた。
「瞳子様、慌ただしくて申し訳ござんせんが、今夜、お寛ぎの時間を見計らって、宿の方へ『雅楪衣』の生地と仕立帳を持参いたします。それでよろしゅうござんすね?」
先ほど、大男のみぞおちへの豪快なパンチを目の当たりにしたところだ。首を横に振ろうものなら、瞳子や雪兎ならあばらの数本粉々になるやも知れず・・・。二人は、機械仕掛けの人形の如く、首を小刻みに振ってうなずいた。
「じゃ、のちほど・・・」
美しい笑みとしぐさで、優雅に手を振る鬼灯に、引き攣る笑顔で手を振り返しつつ、一行は鬼ヶ園を後にした。
漣は首をすくめて、寒気を払うように両腕をさすりながら、ツアコンの使命を忘れてしまったかのように速足でドンドン進んでいる。
「漣くん、待ってよ。早いよ」
漣は、雪兎の声にハタと止まって、ようやく振り返った。
「あぁ。スミマセン。ちょっと恐ろしいモノを目に致しましたので、我を忘れておりました」
いつも通りのクールな漣に戻って、深々と頭を下げた。
「漣くんでも恐ろしいモノなんてあるのね」
ようやく追いついて、ケラケラと笑う瞳子に、ブンブンと首を横に振って、また自分で自分の両腕を擦る漣。
「瞳子様はご存知ないのです。鬼族の女の怖さを・・・。怒らせたら、鬼も龍もひとたまりもありませんよ。そして一人を怒らせると、共同戦線で向かってきますからね。ま、そうだからこそ、鬼界の平和が保たれているのだと黄龍様などはおっしゃいます。しかし黄龍様とて、奥方の姫龍様は鬼族。そしてご結婚なされている、いま。龍のチカラも手に入れられている。姫龍様に敵おうはずなどないのです」
瞳子の係の仲居の声で目覚めた瞳子。慌てて身なりを整えて、雪兎を起こしながら、戸口へ行こうとしたとき、奥の部屋の方から声がした。
「瞳子と雪兎の分もこちらへ」
青龍・朔が仲居に命じると、仲居は「かしこまりました」と去っていく足音が聞こえた。
「瞳子、雪兎も、ゆっくり準備して俺の部屋で朝餉にしよう。湯にでも浸かってきたらどうだ?」
瞳子は大声で礼を言って、青龍の勧めに甘えて、雪兎と湯に向かった。
湯のなかで、瞳子は昨夜の夢を思い返していたが、起きてしまうとところどころがぼんやりとしてきて、思い出そうとしてた何かがわからなくなってしまった。
ザブンと頭まで湯に潜って、夢のことは忘れることにした。
忘れることにしたと言いつつも、まだ頭の隅で夢がもやもやしていたが、湯から戻って、雪兎と話しているうちに、本当に忘れてしまっていた。
雪兎が戸を開けると、朝食の膳がきれいに並べられていた。
青龍・朔がくつろいでいる隣に、蒼龍・晦が座り、景子も一緒にいた。
「おはようございます、蒼龍さん、景子ちゃん」
『おはようございます』
瞳子が席につこうとすると、ふと景子の姿を見て、首をかしげた。
「あれ?景子、ご主人は?」
すると景子は、にっこり笑いながら、軽く手を振ってみせた。
「幽世のしきたりで、花嫁は祝言までの五日間は、誰とも会えないんですよ。婿殿とは七日間会うことはできません。今日、この後から花嫁の支度に入るので、式までに瞳子たちに会えるのもこれが最後だと思って、朝餉に誘ったのです」
蒼龍・晦が景子である結卯に代わって答えた。
「へぇ、そんなしきたりが?でも、式まで一人でどうするの?」
「誰とも会えないとは言ったが、神薙や神子は別だ。五日間の間、神薙による祓いをうけるのだ。コイツの場合は、相手が鬼堂という神族のひとりだからの、我ら八龍の祓いも受けるのだ。それは、祝言の前夜のことだがな」
青龍・朔が食べながら、続きを説明した。
「朔、行儀悪いよ!」
蒼龍・晦が兄らしく窘めると、朔は、口を尖らせて「ハイハイ」とわかりやすくグレた態度を取った。
そんな様子に、瞳子たちが失笑していると、
「早く食わねば、出かけるんだろう?」
青龍・朔に促されて、二人も食事を始めた。
景子とも一日ぶりの話をしながら、笑いながらの食事の時間はあっという間に過ぎた。
「皆さん、食後のコーヒーはいかがですか?」
雪兎がいつの間に用意したのか、コーヒーのセットを手にしている。
「わぁ、雪兎さんのコーヒーがここでも飲めるなんて!飲みます!飲みます!いただきます!」
景子が嬉しそうに答えると、青龍・朔もそれに続いた。蒼龍・晦は、おずおずと「私は、例のアレを…」とカフェオレをオーダー。
それぞれの顔を見回して、雪兎はコーヒー豆の缶から人数分の豆をミルに入れると、豆を挽き始めた。
「雪兎さん、それ、セットで全部持ってきたんですか?さすが、コーヒー通ですね」
景子が褒めるのと裏腹に、瞳子は呆れ顔で笑っている。
「もうね、こうなると、中毒ね。ま、どこへ行ってもおいしいコーヒーが飲めるからいいけど」
「ところで、雪兎、それは何をやってるんだ?」
青龍・朔は興味津々にミルに顔を近づけた。
「おぉ、良い香りがするな」
「そうでしょ?これは豆を粉にしているんです。これに湯を注いで、コーヒーを作るんですよ」
「そうなのか?俺にもできるか?」
雪兎は黙ってうなずくと、青龍の前にミルを差し出して、やり方を教えて、ミルを青龍に任せて、自分はフィルターのセットを始めた。
そして、キャンプ用のシングルバーナーを取り出し、青龍に尋ねた。
「こちらで、火を使っても?」
「かまわんが、湯なら、後ろの炉に沸いておるだろう?」
「カフェオレ用のミルクを温めたいんです」
「みるく・・・」
「あぁ、牛の乳ですね」
「牛の・・・乳・・・」
話をしながら、てきぱきとセットを整えていく雪兎を青龍も蒼龍もすでに憧れの目で見始めていた。
コーヒーを落としながら、小鍋でミルクを温め、温まったミルクにコーヒーを適量入れると、もってきたカップに注ぎ分けた。
「はい。蒼龍さん、瞳子さん、カフェオレです。砂糖はお好みでこちらをどうぞ」
コーヒーシュガーの角砂糖の入った缶を蒼龍の前に置いた。
雪兎が青龍のコーヒーを出そうとしたとき、襖の向こうから声がした。
「青龍様、おはようございます。漣です。天目漣にございます。皆さん、こちらにお揃いと伺い、お迎えに参りました」
「おう漣、入れ!いま、コーヒーを飲むところだ」
青龍の声に応えて、漣が部屋へ入ってきた。
「これは、また芳しき薫り・・・」
「漣クンも飲むかい?熱いのが苦手だったら、ここに少し冷めたミルクがあるから、これでカフェオレにすればいいけど、どうする?」
「それは、蒼龍様が美味しいとおっしゃっていた、アレですな。いただきます」
「えー?漣も?俺もカフェオレが良い」
青龍がわがままなことを言い始めると、蒼龍が宥め、青龍が言い返す。軽い兄弟げんかの様相だが、雪兎が「大丈夫ですよ」と引き受けたことで、一件落着。
大丈夫だろうか?この龍神たち。確か、神だったはずだけど・・・。と、その場の誰もが思ったに違いない。
朝のコーヒータイムが終わり、出かけることになった。
「瞳子様、今日は、軽い山登りもありますので、それなりの恰好が良いかと思われます」
『え?山登り?』
答えたのは、雪兎と景子だった。
「ウコさんは、」
「瞳子さんは、」
『心臓悪いって言ってあったでしょ!』
二人の勢いに一瞬、怯んで後ずさった漣だったが、すぐに体勢を立て直して、いつものクールな感じに戻って答えた。
「ですから!渡幽する前にも申し上げた通り、ここでは、肉体に大きな意味はありません!ですから、瞳子様の心臓に負担を掛けることにはならないかと…」
「大丈夫、大丈夫!しんどかったら、登らないから」
当の瞳子はあっけらかんとしている。
「じゃ、そういうことで。私は、太鼓橋のところでお待ちしておりますので、準備ができたらおいでください」
身なりをアウトドア仕様にして表に出ると、漣とともに、何人かのあやかしたちも待っていた、
「トーコ、行こう!」
昨日、『めし処』の厨を案内してくれた狐耳の少女が瞳子の腕を取る。呆気に取られていると白髪の少女が逆の手を取った。
「弥狐だけ、ずるいよ」
「弥狐、ずるくない。トーコ迎えにきた。一緒に行く」
瞳子の頭が高速回転で、昨日のことを思い出す・・・
(こっちが弥狐って、ことは・・・この白髪の子は確か雪女のあやかしで、名前は・・・)
「紗雪、お前は雪兎様の先立ちを頼む」
漣が、あやかしそれぞれの役割を発表したところで、ようやく出発となった。
「幽玄館 龍別邸」の前の太鼓橋を渡ったところの通りはガス灯などもあり、明治か?大正か?っていう感じが残っているが、「幽玄館 龍別邸」のある通りは瞳子たちが昨日、最初に見た大通りからは、ひと昔、ふた昔遡ったような、街そのものが時の流れを止めているかのような風情でさえある。
そのいにしえの通りに沿って、小川が流れている。昔、瞳子の住んでいた田舎でも山へ行かないとこんなきれいな流れの小川はなかったなと瞳子が見ていると、弥狐がトコトコと小川へ降りていった。
「トーコ、これ、食べる?」
弥狐の手には、川エビが掌に山盛りになっている。
「え?弥狐、いま、捕ったの?それ!すごいね!うん。食べるよ」
弥狐は嬉しそうにエビを持ってきた籠に入れた。
「弥狐、それは帰りに持って帰れるよう、川のなかで隠しておきなさい」
漣は、弥狐に指示をして、皆を先へと促した。
最初に着いたのは、「幽玄館 龍別邸」の前の通りをずっとまっすぐに来た、突き当りの丘。
「瞳子様、雪兎様、ここは「月の丘」と呼ばれる丘で、この丘の一番上にあるのが、蒼龍様のお屋敷でございます。『月丘(げっきゅう)の蒼邸(そうてい)』と呼ばれております。「月の丘」は、その名の通り、月の夜はこの辺りは、薄く蒼く輝いているようで、きれいなんですよ」
「へぇ、そうなの。で?ここでは何を?」
「こちらでは、現世で『春野菜』と呼ばれるものが少々と春の山菜、果実が採れます。もう少し上へ上りますが、よろしいですか?」
「えぇ、まだ大丈夫よ・・・ひゃぁ!」
瞳子が答え終わる前に、ヒョイっと瞳子の体が浮いたと思ったら、関取のような体格のあやかしが瞳子を抱き上げた。
「オイラが運んでやるよ」
このあやかしも昨日、厨にいたなかのひとりだ。
「あ、ありがとう。でも、いまはまだ大丈夫だから、疲れたらお願いするわ」
瞳子の言葉に、残念そうに瞳子を下した。
一行は、「月の丘」で瞳子と雪兎の指示で、山菜と野菜、木の実や果実を採ると、丘を降りた。
「月の丘」からさらに北へ向かうと、金色の綿毛のような草原の広がる場所へやってきた。
「あぁ、ここは・・・」
「瞳子様!何か、思い出されましたか?」
勢い込んで、漣が瞳子に顔を寄せた。
「漣クン、近い、近い!んーっとね。ここ、『鬼界ヶ原』ね!」
「そうです。その通りです。思い出されたか??」
漣は、ポケットからハンカチを取り出して、涙を拭っている。
「そりゃ、昨日、見たばかりだもの。昨日、青龍さんたちの幻視で見せてもらったなかにでてきたのよ。ねぇ、雪兎?」
「あ・・・さようでしたか・・・」
あきらかに、色を失った声で単調に答えた漣。気を取り直すように、説明を始めた。
「ここ、鬼界ヶ原は、鬼界の端に位置します。この奥には、昨日、瞳子様たちがご覧になったように、『虹の橋』がございます。『虹の橋』を渡れば天界です。現世の生者であられる瞳子様と雪兎様は、こちらの『鬼界ヶ原』にいま、入ることはできません。今日は、あちらの鬼界の町のなかの鬼ヶ園(おにがその)の方へまいりましょう」
そこからまた少し歩いたところに威厳というよりも威圧的という感じのする黒い門が立っている。その門の脇で、漣はこめかみに手を充てて、ぼそぼそとつぶやくと、大柄な男たちがぞろぞろと現れた。
全員が瞳子たちに深々と頭を下げ、ルビーのような赤い髪を無造作に纏めたヘアスタイルのひとりが代表して挨拶を始めた。
「この度は、我らが大将・鬼堂様の祝言にあたり、奥方側の立会人をお務めいただくと伺っております。それから、祝言の饗の膳もご用意いただけるとか…。誠にありがとうございます。鬼堂様の手下(てか)一堂、心より御礼申しあげる。今日は、瞳子様、雪兎様お二方の侍衛を我らで務めさせていただく。安心して、心より愉しまれよ」
時代掛かった大仰な物言いに、ちょっと引き気味の瞳子夫妻だったが、悪気はなさそうなので、ありがたくお受けすると伝えると、男たちはどこかのマスゲームのごとくきれいな歩幅でスルスルと体系を整えた。
「ちょっと!漣クン、いくらなんでも大げさよ。なんとかならないの?」
「皆、鬼堂様のご婚礼がうれしいのでございますよ。少々、ゆき過ぎな感は否めませんが、これも『祝い』と、おつきあいくださいませ」
『祝い』だと言われてしまえば、瞳子も雪兎も反論で疵、現世なら、ハリウッド俳優か、どこかの国賓か⁉というボディガードたちの様相。しかも、鬼の一族を引き連れての鬼界訪問となった。
鬼界という恐ろし気な名とは裏腹に、グアムやハワイを思わせるような南国の陽気な雰囲気に満ちている。ハイビスカスやブーゲンビリアに似た花が咲き乱れ、陽射しは強い感じがするが、風はさわやかで、まさに南国の風情。
「漣クン、ここってもしかして、夏の果物や野菜が?」
「お気づきに?ここは、現世でいうところの夏の実りが得られます。特にこちらでのお薦めは、果実です。鬼界で採れる果実は、瑞々しく甘く幽世の評判のモノばかりでございます」
「そうなのね。それは、楽しみだわ。デザートやケーキに使えそうね」
「あ。そうそう、姫龍様が仰っていた『鬼桃の酒』。あれは、紗雪に酒を凍らせて、ここ鬼界の鬼桃を潰したのを混ぜたような酒だったそうです。酒も幽玄界のものではなく、鬼界の 『卯児(うーじ)』という甘味を引き出すための植物から作られる強い酒を使っていたとか…」
「『うーじ』…聞いたことない植物ね。強い酒なら、凍りきらないから、できたのね」
「瞳子さん、『うーじ』ってサトウキビみたいなものじゃないかな?それなら、それから作られる酒は『ラム酒』と似てるんじゃないかい?そうなると、瞳子さんも好きな、アレが作れるよ。ま、その果物の実にもよるけど…」
雪兎の言葉に、瞳子の顔色が輝いた。
「あぁ、ラム酒で凍った酒といえば、『フローズンダイキリ』ね!あれなら、景子も好きだし…。姫龍様のリクエストは、これでなんとかなりそうね」
二人の会話を聞いて、満足げに笑みを見せながら、漣はこめかみに二本の指を充てて、なにやらブツブツ言っている。
「ねぇ漣クン、さっきから何をつぶやいてるの?あっちの門のところでもやってたわよね?」
瞳子に問われて慌ててこめかみから指を離し、身構えるようにしつつ瞳子に向き直って答えた。
「瞳子様たちの『スマホ』と同じでございますよ。我ら神族とその眷属、そして上生(じょうしょう)のあやかしたちは、こうして念話することができるのです。あやかしも上生でなくとも同等のあやかし同士なら、簡単な念話はできますよ」
「へぇ…便利なものね。で?誰と念話してたの?」
「あぁ…それは、次に行く場所の者へ、連絡ですよ。先ほどの鬼族を呼んだように、次の準備を…」
「えぇ。いいわよ。こんな大層なことしてくれなくても」
「あぁ、ここは特別です。ここには、天狗堂からの沙汰を待つ者もいる街ですから。天狗堂と申しますのは、かの烏頭(うとう)刑(ぎょう)様がトップを務めておられる、ま、現世で申しますところの、警視庁ですね。あぁ、凶悪な者はちゃんと牢に入れてますよ。軽微な罪の者は、鬼界の鬼たち監視の下、鬼界内なら自由に出歩けます。しかし軽微とは言え、罪びとですから、瞳子様たち大切なお客様、しかも「ひと」など見かけたら、何の悪さを思いついて、仕掛けてくるやもしれませんからね」
その言葉を聞いて、瞳子と雪兎はゾッとした顔を見合わせたが、漣はそんなことはお構いなしに、ツアコンさながら、鬼界ヶ園の説明をつらつらと続けた。
「さて、瞳子様、雪兎様、こちら鬼界ヶ園には、鬼界にあるほとんどの作物、果実が手に入ります。簡単なお食事もできますから、少し早いですが、こちらで昼餉になさいますか?このあと、街中を通って『幽玄館 龍別邸』の方へ戻りますので、その途中の街なかでどこか食事処か、レストランで昼食でもよろしいですが…」
「そうなの…今朝、随分豪勢な朝食を戴いたから、そんなにお腹も空いてないけど…」
瞳子がそう答えかけたとき、雪兎が瞳子の袖を引いた。
「え?雪兎、お腹空いた?」
「いや、僕はいいけど…」
雪兎が言い淀んで、自分たちの周りに視線を巡らせた、
「『鬼界が園』で昼食」と聞いて、一緒に付いてきたあやかしたちが、ワクワクした視線を瞳子たちに向けている。
「あぁ。そういうことね。じゃ、ここで軽く何か食べましょう」
あやかしたちが喝采で応えた・
「こらこら、お前たちのためじゃないぞ。お前たちは、あくまでも瞳子様と雪兎様のご相伴だからな!いいな!」
あやかしたちは、念を押されたが、首が捥げるんじゃないかと思うほど、ブンブンと首を振ってうなずいている。
瞳子は、園内で見つけた使えそうな夏野菜と果実を選んで、漣に伝えた。
「ねぇ、漣クン、さっきの月の丘でもここでも、お願いした材料はどこにあるの?見たところ、皆、手ぶらだし…」
「そのことなら、御心配には及びません。月の丘のモノは、丘の民が。こちらのモノは、鬼界の鬼たちが『幽玄館 龍別邸』へ運んでおります。我々が帰り着くころには、すべて揃っておりますよ」
「そうなの?ありがたいけど、皆さんに申し訳ないようね…」
「いえいえ、申し訳ないどころか、鬼堂様の祝言の準備に携われると、皆、大喜びですよ」
瞳子たちが思う以上に、鬼堂・鬼丸と結卯・景子の結婚は、幽世の者たちに歓迎されているようだ。
ひと通り園内を見終わり、自分の持ってきたメモと照らし合わせて、ひとりうなずいていると、クイックイッとシャツの裾を引っ張られた。振り返ると、弥狐が訴えかけるような目線をくれている。
「あぁ。ゴメン、ゴメン!そうだね。お昼にしようか」
その言葉に、あやかしたちは、またもや首がもげるほど頷いている。
「漣クン、お昼にしましょ。皆さんもお疲れでしょ。少し休みましょう」
侍衛の鬼たちにも声を掛けて、休む場所を探すが、頃合いの場所が見つからず瞳子がキョロキョロしていると、侍衛のリーダーがどこからか大きなパラソルを持ってきて、園内を見渡せる小高い場所に立てている。
「瞳子様、雪兎様、こちらへ」
招かれるままに近づくと、いつの間に用意されたのか⁉美しい柄の織物が敷かれ、そこには数種の果物と薄切りにしたバケットのようなもの。そしていくつかの色とりどりのコンフィチュールやスプレッドが並べられている。
「まぁオシャレね。フルーツタルティーヌ?」
「料理の名前まで覚えておりませんが、私の妻が一龍斎様のお伴で現世に伺った際に習い覚えてきたものです。ありがたいことに、いまでは、この鬼界ヶ園の名物とまで言われております」
侍衛のリーダーは、少し照れながら、かなり自慢げに説明した。
「鬼界ヶ園の名物…それで、みんなコレが食べてみたかったのね?さては…みんな、今日、お供に付いてきたのはコレが目当てね?」
からかうように意地悪な口調で言って、瞳子はあやかし皆の顔を見渡した。
「違う!違う!弥狐…お手伝いしたい。トーコとユキトのお手伝いする」
泣きそうな目をして瞳子に縋りついた弥狐の頭を撫でながら雪兎が皆に声を掛ける。
「みんな、気にしなくてイイんだよ。瞳子さんも僕も、みんなの気持ちはわかってる。ちょっとからかっただけなんだよ。あんな意地悪を言う瞳子さんは、いけない子だから、オアズケだな」
「ダメ!ダメ!トーコも。トーコも食べるの!」
ますます泣きそうになる弥狐に、瞳子夫婦は「ゴメンね」と謝りながら弥狐を抱きしめた。
「お二人には、不思議とひともあやかしも惹きつけてしまうようなチカラがおありのようですね」
漣は、微笑ましそうに見ながら、念話の続きを始めた。
瞳子は、ふんわりと焼かれたパンをひと切れ手に取り、赤いコンフィチュールをたっぷり塗った。
その上に、瑞々しいフルーツを2,3切れ、彩りよく載せる。仕上げに、ふわりとクリームを掛け、ナッツを散らした。
弥狐に持たせると、小さな狐火がポッと灯る。
「ほんの少しだけ焙って。クリームが焦げないようにね」
弥狐は慎重に火を操り、クリームの表面がうっすらと焼き色を帯びる。
途端に、甘く芳ばしい香りがふわりと立ち上り、一同が思わず息をのんだ。
「うわぁ!おいしい!」
弥狐が目を輝かせてかぶりつくと、周りもソワソワし始める。
「どんな?どんな?」
「アタシも食べたい!」
「おいら、もう我慢できねぇ!」
皆が大騒ぎするなか、瞳子は次々と同じようなタルティーヌを作って、空いている皿に並べている。
「ほら、みんなも食べて!弥狐、焙ってあげて」
見ていた侍衛の鬼たちも喉を鳴らしている。
「侍衛の皆さんも一緒に食べましょうよ」
雪兎の言葉に、鬼たちの顔が緩むが、『シャンッ!』錫杖の輪が鳴り響くと、鬼たちは直立不動に変わった。
その音の方に目をやると、侍衛のリーダーが錫杖を手に仁王立ちして睨んでいる。
「漣クン、あのひとの名前、何て言うの?」
ひと通り話し終え、瞳子たちのランチの席に加わった漣に瞳子が侍衛のリーダーの名を尋ねた。
「あれは、斗鬼(とき)と申しまして、古くから鬼堂殿の家・百目家に仕える一族の長男ですよ」
漣の言葉が終わらないうちに、瞳子は斗鬼に声を掛けた。
「斗鬼さん、こちらで一緒に召しあがりません?皆さんもご一緒に」
「ありがたきお言葉ではございますが、我らは、お二人をお守りするのが今日の仕事。皆で食事をしていて、何かあって対応できなかったでは、鬼堂様に顔向けできませんゆえ・・・」
「そうなの?じゃ、いいわよ。鬼堂さんに、斗鬼さんに鬼堂さんに顔向けできないから私と一緒には食事できないっていわれたから、私と一緒に食事できない人がいらっしゃる以上、祝言のお料理を私が用意するのはムリですねって言うから」
「そ、そんなことは言っておりません。まいったな・・・」
「斗鬼、良いではないか。半々のメンバーで交代で食べれば。お言葉に甘えろ!」
漣の後押しがあって、ようやく斗鬼は、侍衛のメンバーを集め、半分づつのグループに分けて、「先にお前たちが行け」とグループの半分を瞳子たちの近くへ向かわせた。
当の斗鬼は少し離れたところに、錫杖を持って立っているままだ。
「ねぇ!まず、あなたが来なきゃ、みんな食べづらいわよ!」
瞳子の言葉に、先に瞳子たちのもとへ集まったメンバーが頷いている。
斗鬼は、後発メンバーのなかのひとりに錫杖を預けると、先発隊に加わって、皆を見回しながらリーダーらしく声を掛けた。。
「私は、妻がコレを作る練習中にたくさん食べさせられたから、味は、わかってる。皆、好きなものを選んで載せて食べると良いぞ」
そんな斗鬼に、弥狐が皿を持ってきた。
「コレ、食べて。コレ、トーコの味」
弥狐から皿を受け取って、戸惑う斗鬼を部下の鬼たちが羨ましそうに見つめている。いたたまれず、皿のタルティーヌを口へ放り込んだ。
「おぉ!これは!ウマイ!瞳子殿。コレの作り方を伝授いただけぬか?ウチへ帰って、妻にも食べさせてやりたいのです。いや、私が作って、驚かせてやりたいのです」
「もちろん!・・・あ。火を使うんだけど・・・」
「火なら、我ら鬼族も扱えますぞ!」
斗鬼は、軽く握った手をパッと広げて見せると、そこには野球ボールくらいの火玉が現れた。
「焙る程度だから、そんな大きな火はいらないんですけどぉ・・・ま、やってみる?」
瞳子は、皿にタルティーヌを作って乗せ、斗鬼に渡した。
斗鬼は、得意げに「火」を作り出し、タルティーヌに向けて放つと、無残な黒焦げタルティーヌが出来上がった。大きなカラダがひと回りもふた回りも小さくなったかのように落ち込む斗鬼に雪兎が助け舟を出した。
「そのうち、火の加減がご自分でわかるようになると思いますが、それまではこうやって作ってはいかがです?瞳子さん、タルティーヌ二つ作って!」
言われるままに二つ作って乗せた皿を雪兎に渡すと、雪兎はパンの下に敷いていたバナナの葉のような大きな葉をその皿に被せ、斗鬼にその上から「火」を当てるように指示した。葉がワンクッションとなり、タルティーヌにうまく焦げが付いた。
「はぁ・・・出来た!雪兎殿、ありがとうございます。おぉ、そうだ、おい、みんなも作ってみよ」
斗鬼の声がけで、たくさんの焼きタルティーヌが出来上がり、あやかしも鬼たちももちろん、瞳子たちもたくさん食べた。
あやかしたちも鬼たちも満足そうだ。
瞳子は、フルーツを盛り付けていた大皿から3分の1ほどのフルーツを別皿に取り、大皿に残ったフルーツにクリームを掛け、料理と共に供されたシャンパンに似た飲み物を混ぜ合わせて、紗雪を呼んだ。
「紗雪、コレを凍らせてくれる?緩めにね」
紗雪はニッコリ笑うと両手を皿に翳した。一瞬にして凍り付いた皿の上のクリームとフルーツ。瞳子はあやかしたちを見回して、先ほど「月の丘」で瞳子を抱き上げたあやかしを手招きして呼んだ。
さっきは、勢いよく瞳子を持ちあげたのに、いまはモジモジと恥ずかしそうに瞳子に近寄ってきた。
「お名前は?」
「おいら?小虎」
いかつい体つきに似合わぬ幼い声が返ってきた。
「小虎?いい名前ね。じゃ、小虎、キミにお願い。このフォークでこの山をガリガリしてくれる?」
「おいらもやりたい!」
「私も」
名乗りを上げたあやかしたちにもフォークを持たせてガリガリと掻かせて、瞳子はその掻きだされて細かくなったのをスプーンで小さくまとめては、小皿に乗せていく。
それを見ていた雪兎は、我が意を得たりとばかりに、瞳子の隣に並んで、瞳子が作った小皿に残りのフルーツやナッツ、コンフィチュールなどを掛けていく。
「弥狐もやる!」
弥狐が雪兎の隣で、雪兎の見様見真似の飾りつけをしている。
「お!弥狐、上手いぞ!センスあるな」
雪兎に褒められて、満面の笑みを見せる弥狐に「なんだ。弥狐ばっかり!」と、紗雪はかなり不満げだ。
「なに言ってるの。紗雪がいなければ、コレはできなかったのよ。紗雪のおかげ!」
瞳子に持ち上げられて、紗雪は照れ臭そうに、ふくれっ面を引っ込めた。
「さぁ、みんなに配って!みんなも自分のを取ってね」
配られた皿を手に、皆、矯めつ眇めつ不思議そうにしている。
「瞳子殿。これは、なんという・・・」
斗鬼の質問に、瞳子の答えを遮って、漣が自慢げに答える。
「これは、わたくし、現世でいただいたことがございますよ!『アイスクリーム』というものですよね!」
「う~ん・・・。当たらずとも遠からずかな?」
瞳子が皿の上のフルーツを指で摘まみあげて、口に入れながら答えた。
「え?違うのですか?」
「アイスクリームは、ミルクがもっと入っていて、もっとなめらかな口当たりでしょ?これは、凍らせたフルーツなんかを砕いて、混ぜあわせてるから、『シャーベット』とか『ソルベ』って言われるモノなのよ。少しお酒を入れたから『ソルベ』って言った方がいいかな?」
「『そるべ』ですか・・・」
瞳子の言葉を聞いて、斗鬼が懐から出した何かに書きつけている。
「正式には、もっと手間を掛けて作るけど、ここではすぐにみんなが食べられるよう、カンタンに作ったけどね。そして、景子たちの結婚式の食事の中休みの口直しやデザートにどうかと思って試作したんだけどね」
「さすが、瞳子様。発想が豊かで柔軟でございますね」
漣は瞳子をほめそやしながら、また誰かと念話で話し始めた。
「瞳子殿、これは、我が家でも作れるだろうか?」
斗鬼は、さっき『そるべ』と書きつけた紙を持ったまま熱い目で瞳子に尋ねた。
「斗鬼さん、コレも奥様に食べさせてあげたいのね。できなくはないと思うわ。凍らせる方法があればね」
「鬼は、『火』も『冷気』も操れるから、それは大丈夫だ!・・・加減が必要なんだろうが・・・」
先刻の黒焦げタルティーヌが頭を過ったのか?声が尻すぼみになった。
「そうね。コレも、タルティーヌもコツを掴めば大丈夫よ!私が帰る前に、レシピにまとめて、渡せるようにしておくわ」
「れ・・しぴ?」
「そう。レシピ。作り方よ」
「おぉ!それはありがたい!」
「その代わりと言ってはなんだけど、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど・・・」
「その代わりでなくとも、瞳子殿の頼みとあらば、断わろうことなどあるはずござらん。なんなりと」
瞳子はうれしそうに頷くと、斗鬼の服を指して尋ねた。
「この衣装は、鬼の皆さんの衣装なの?」
斗鬼たち侍衛のメンバーは、薄手の布地で仕立てられたスタンドカラーの裾の長い上着に幅広のパンツという出で立ち。ちょうどベトナムのアオザイのようなカタチをしている上着には、それぞれ異なる刺繍が施されている。
街ゆく女性たちも同じような格好をしていて、女性の方は上着というより、ロングワンピースという丈。両サイドには、ウエスト辺りまでの深いスリットが入っており、それに合わせたボトムスは、ストレートのロングスカート、フレアのワイドパンツ、ピッタリ貼りつくようなスキニー、ハーレムパンツのような幅広のパンツの裾が絞られたタイプと男性に比べて合わせ方はいろいろだ。そして、こちらも上着にはどれも個性的で見事な刺繍が施されている。
「コレは、"鬼の"というより、鬼界の、この辺りの昔ながらの装束ですから、種族に関係なくこの辺りに暮らす者が着ていますかね…『雅な』『楪(ゆずりは)の』『衣(ころも)』(」)と書いて(かいて)、『雅楪衣(あちゃい)』といいます。現世(うつしよ)の「ユズリハ」と言われる樹によく似た『楪(ちゃ)』という樹木の繊維で昔は生地が作られていたそうです」
「そうなの?なら、私や雪兎が着ても、皆さんに不快な思いをさせない?」
「不快?とんでもない!光栄なことでございます。最近は幽玄界から来た者も土産にと持ち帰る者もおりますし…。あちらの鬼界の土産を扱う処に土産用の手軽な『雅楪衣』がございますよ。柄も色も豊富に揃っておりますから、きっとお気に召すものが見つかるかと…」
「あぁ…そうじゃなくってネ、その『雅楪衣』は、お祝いの場で着られるものもあるかしら?」
「もちろんです!宴の場や祝言の・・・あ?え?もしかして、鬼堂様の祝言に?」
「えぇ。失礼じゃなければ、着てみたいなって。こんなことになるとは思ってなかったから、着物もドレスも持ってきていないし。漣クンは、着物ならどんなものでも揃えられるって言ってくれたんだけどね。お料理も引き受けてしまったから、着物だと着るのも動くのも大変だなぁって思ってたの。でも、『雅楪衣』なら華やかなのに、皆さん動きやすそうだし。それに、『雅楪衣』ってアオザイに似てるじゃない?一度アオザイを着てみたいと思ってたから…いいなぁって見てたの。花嫁の立会人が着るには向かないかしら?」
瞳子が『雅楪衣』への思いを熱く語る脇で、斗鬼は、こめかみに手を当てて俯いてる。
「ねェ‼!聞いてた?」
瞳子に顔を覗き込まれて、斗鬼は慌てて、こめかみから手を離して、瞳子に向き直った。
「あぁ。すみません!聞いてました。お祝い事、しかも鬼堂様の祝言に花嫁様の立会人が我らの衣装を身に着けてくださるとは、私たちもうれしいですが、百目家の皆さんがなによりお喜びになると思います」
「そう??じゃ、お祝いに着て行ける『雅楪衣』を扱ってるところを・・・」
斗鬼は、瞳子の唇の前に、人差し指を立てて言葉を遮って自分が話し始めた。
「そうおっしゃると思って、いま、念話で鬼灯(ほおずき)・・・あ、妻ですが、を、呼びました。鬼灯の実家は、古くから龍籍以上の身分の皆さま用に、『雅楪衣』の素材を取り揃え、仕立てまでをやってきた家なのです。たぶん、一龍齋様が本日お召しの襯衣(しんい)も鬼灯の実家・九鬼の仕立てのものかと・・・」
自分の名前を耳にして、皆とソルベを愉しんでいた漣がなにごとか?と近寄ってきた。
「私になにか?」
「い、いえ。『雅楪衣』に興味を持たれて、祝言でお召しになりたいとおっしゃるので、鬼灯の実家・九鬼家をご紹介しようかと・・・。九鬼なら、神族であらせられる一龍齋様もお召しになられるものを扱っているので、安心だという話を・・・」
「え?『雅楪衣』を?留袖の新調はよろしいので?」
「新調って、そんな時間ないし、お料理を引き受けちゃったでしょ?着物じゃ、何かと動疵らいかと思って…」
「お時間だけのことなら、問題ございませんよ。なにせ、ここは幽世なのですから。最初に、小袖、十二単から留袖、振袖。紬、小紋、付け下げ、友禅と、各種揃えておりますと申し上げたではありませんか」
漣は得意げに、そして自慢げに例の独特の笑い方を瞳子に向けた。
「え?あれって、貸衣装のことだったんじゃ・・・」
「まさか!百目家の花嫁様の立会人様に、御貸しするなど、ありえません。新調いたしますよ。『雅楪衣』にしても新調するために、九鬼家をご紹介いただくのでしょう?」
「え?そうなの?わざわざ仕立てるなんて、とんでもない!もったいないわよ。仕立て上がりのモノで充分よ」
「なにをおっしゃってるんです?百目家の花嫁様の立会人様ともあろう御方が。『雅楪衣』をお召しになるなら、九鬼にお任せいただきゃ、最上質の布と刺繍でもって、どこに出しても恥かかないようなものを新調させていただきますよ。ねぇ、あんた?」
突然、場の空気を切り裂くように、カラリと響く声がした。
「で、どんな雅楪衣がほしいんだい?」
振り向くと、赤いオーガンジーに桜色のシルクを重ねた華やかな衣を纏った、小柄な女性が立っていた。
その姿はまるで優雅な姫のようだが、その口調はまるで親分。斗鬼が慌てて紹介する前に、女性はずかずかと歩み寄る。
「わっちが「百鬼(なきり)斗鬼」が女房・鬼灯。以後、お見知りおきを。で?あんたが噂の瞳子さんだね?」
その堂々とした態度に、瞳子は思わず圧倒される。
「…はい、そうです」
「へぇ。悪くないね」
じろりと瞳子を値踏みするように見て、鬼灯は満足げにうなずいた。
「鬼堂様の祝言の花嫁の立会人なら、バッチリ決めなきゃね。ほら、何色がいい?柄の好みは?」
「こらこら、なんて口の利き方だよ。こちら、盈月(えいげつ)瞳子殿。鬼堂様の花嫁様の立会人で、祝言の饗の膳もご用意くださるんだぞ」
「そんなこと、知ってらぁね。でも、わっちの口は、誰に対してもこうなんだから、しょうがないだろ。ねぇ?一龍齋の旦那?」
どうやら漣は、鬼灯は苦手らしく。珍しく愛想笑いなんぞしながら、頷くばかりだ。そんなことはお構いなしに、鬼灯のひとり舞台は続く。
「採寸しなきゃいけないね。旦那さんはどうするね?まさか、旦那だけ着物っていうわけにはいくまい?男のモノは、そうそう種類があるわけじゃないからね。奥さんの方の色・柄が決まってからでいいか。で?旦那はどこにいるんだい?」
一気にまくしたてられてタジタジしつつ、後ろの方を指さす瞳子。
「へぇ。優しそうないい男だね。でも小柄だから、下履きはウチのひとみたいな幅広じゃない方が恰好がつきそうだね」
「お前、ホントに失礼だぞ!鬼堂様に叱られても知らんからな!」
「なに言ってんだい。鬼堂様だって、わっちの口の悪さはよくご存じだよ!」
現世から習ってきたフルーツタルティーヌを、ここまで豪華に支度をしてくれた斗鬼の妻は、さぞかし楚々とした女性だろうと思っていたし、小柄で華奢な感じがする外見はその想像を超えた美しさだった。その鬼灯から飛び出す伝法肌な言動。そのギャップにたじろいだ瞳子だが、瞳子とて気取って物を言うのは好きではないし、鬼灯の言動からは、キツい言葉の分だけ、腹には何もないと感じられて、却って信用できる気がしていた。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします。急なお願いで申し訳ないですけど」
「ほんっとに!鬼堂様も急すぎですよ。早くしないと花嫁様に逃げられちまうとでもおもったんですかねぇ・・・アッハッハッハ。急なのは、鬼堂様のご決断。瞳子様のせいじゃござんせんからねぇ。しょうがありませんよ」
「お前・・・ホント、勘弁してくれよぉ。俺が鬼堂様にどやされるわっ!」
「だ、か、ら、あんたがどやされることはあっても、あたしは大丈夫なのよ!」
「トキ、ホーズキに負けた。トキ、カラダ大きいのに弱いの?」
体は大きいが喋りと声が幼い小虎が無邪気に尋ねたことで、その場が笑いの渦と化した。
ひと通り笑いが鎮まったところで漣が侍衛の者たちに手を上げて合図を送った。
侍衛の鬼たちは、また最初のときのようにきれいに整列すると、マスゲームのような動きで体勢を作りながら、見事に昼食の後片付けをしていく。
瞳子も手伝おうとしたが、侍衛のひとりに制され、手を引っ込めた。
「瞳子さん、いいんですよ。ヤツらに任せておけば。瞳子さんとダンナ様はお客様なんだ。どーんと構えておいでなさい」
鬼灯は腕組みをして、鬼たちの片づけを見守りながら、何かしらやり残したことを見つけると、口を出すよりも先にサッと動いて片付けている。口だけじゃなく、やることもやる。だから、斗鬼も漣も鬼灯には頭が上がらないのだろう。
「瞳子様、それでは次へ参りましょうか」
「一龍齋様、次はどちらへ?」
斗鬼たちが隊列を整えて、漣に行先を確認した。
「うん。これから幽玄界の繁華街の方へ出て、そのあとは幽玄館の裏、幽山(かすかやま)へ登って、幽玄館へ戻る」
「侍衛に何人か付けますか?」
「いや、繁華街の方は天狗堂の者たちが各所で目を光らせている。大丈夫だろう。途中で刑様、兎士郎様とも合流するしな。何かあれば、念話で呼ぶ」
「承知しました。それでは」
斗鬼たちは、出迎えに来てくれた門とは違う、鬼界ヶ園の門まで送ってくれた
「繁華街には、九鬼の店がございます。『雅楪衣』のお仕立てをご所望なら、寄って行かれるとよろしかろう」
斗鬼が言い終わるが早いか、ズドンッという重い音とともに、鬼灯の拳が斗鬼のみぞおちにめり込んでいる。
その華奢な体のどこに、斗鬼のような大柄な男のみぞおちに拳を食い込ませるほどの力があるのか!?瞳子も雪兎も目を白黒させている。
「いててて・・・何しやがる」
「そりゃ、こっちのセリフだよ!鬼堂様と花嫁様の大切なお客人に、ご足労かけて店へ出向かせるなんて失礼な真似できるかね!ちゃんと準備整えて、こちらから宿の方へ伺わさせていただくわっ!」
まさに鬼の形相で斗鬼を叱りつけたと思ったら、瞳子たちへは美しい笑みを湛えた顔を向けた。
「瞳子様、慌ただしくて申し訳ござんせんが、今夜、お寛ぎの時間を見計らって、宿の方へ『雅楪衣』の生地と仕立帳を持参いたします。それでよろしゅうござんすね?」
先ほど、大男のみぞおちへの豪快なパンチを目の当たりにしたところだ。首を横に振ろうものなら、瞳子や雪兎ならあばらの数本粉々になるやも知れず・・・。二人は、機械仕掛けの人形の如く、首を小刻みに振ってうなずいた。
「じゃ、のちほど・・・」
美しい笑みとしぐさで、優雅に手を振る鬼灯に、引き攣る笑顔で手を振り返しつつ、一行は鬼ヶ園を後にした。
漣は首をすくめて、寒気を払うように両腕をさすりながら、ツアコンの使命を忘れてしまったかのように速足でドンドン進んでいる。
「漣くん、待ってよ。早いよ」
漣は、雪兎の声にハタと止まって、ようやく振り返った。
「あぁ。スミマセン。ちょっと恐ろしいモノを目に致しましたので、我を忘れておりました」
いつも通りのクールな漣に戻って、深々と頭を下げた。
「漣くんでも恐ろしいモノなんてあるのね」
ようやく追いついて、ケラケラと笑う瞳子に、ブンブンと首を横に振って、また自分で自分の両腕を擦る漣。
「瞳子様はご存知ないのです。鬼族の女の怖さを・・・。怒らせたら、鬼も龍もひとたまりもありませんよ。そして一人を怒らせると、共同戦線で向かってきますからね。ま、そうだからこそ、鬼界の平和が保たれているのだと黄龍様などはおっしゃいます。しかし黄龍様とて、奥方の姫龍様は鬼族。そしてご結婚なされている、いま。龍のチカラも手に入れられている。姫龍様に敵おうはずなどないのです」
