上弦の月の淡い光が、湖面に波紋のように広がる。足元にはたんぽぽの綿毛のような金色の草が揺れ、風が吹くたびにふわりと舞い上がる。 見渡せば、どこまでも続く草原の先に、大きな樹が立っている。
「……ここは?」
自分の声が、静寂に溶けていく。 その瞬間、背後から優しいが強い声が響いた。
「お前は、ここに・・・・なのだ」
うまく聞き取れず、振り向こうとした瞬間。光の波が視界を包み込み、現実へと引き戻された。
________________________________________
「——ッ!?」
瞳子は息を詰め、跳ね起きた。
寝室のカーテンの隙間から、上弦の月の光が差し込んでいる。 隣で寝息を立てる夫の雪兎を気遣いながら、ゆっくりとベッドから抜け出した。
ふと、左手の薬指を撫でる。 そこには小さな★型の疵——生まれつきあったはずのものが、なぜかいまさらに火照っているような気がした。
(また……あの夢)
最近、何度も繰り返し見る。 まるで、何かを思い出せと言わんばかりに。
スマホの画面がうっすらと光る。
【景子(新着メッセージ)】 「ウコさん、起きてる? いや、起きてるでしょ? 絶対起きてるよね?」
(こんな時間に……?)
軽くため息をつきながら、メッセージを開く。 画面には、景子から送られてきたリンクが貼られていた。
【幽世ツアー 参加者募集中】
【参加条件】 ☑ 40歳以上の女性 ☑ 髪色:濃茶 ☑ 瞳色:鳶色 ☑ 生月:如月・満月 ☑ 左薬指に星の印を持つ者
この条件にあてはまる、魂の波長が幽世と共鳴する選ばれた方を幽世の老舗旅館『幽玄館 龍別邸』へ宿泊ご招待
「魂の波長が幽世と共鳴」・・・その言葉が、妙に心に引っかかった。
メッセージを見つつ、心にひっかかったそれを繙こうと思いめぐらしていると、スマホが振動した。突然の着信に危うくスマホを落とすところだった。
ドレッサーの椅子に置いていたカーディガンを羽織って、雪兎を起こさないように、そっと寝室から出て、電話に出た。
瞳子が応えるより早く、夜中とは思えないテンションの景子の声が飛び込んできた。
「ウコさん! びっくりした? いやいや、夜中だけど、すっごい面白い話見つけたんだって! これ、絶対ウコさん向き!でしょ?」
『ウコ』とは、瞳子の愛称だ。「とうこ」の「と」を省いてそう呼ばれている。
学生時代の仲間内での愛称だったのを、一度そのメンバーの飲み会に景子を連れて行ったら、その後すっかりその呼び名。景子が呼ぶせいで、同部署メンバーも皆が呼ぶようになってしまった。
「なにコレ?どこがアタシ向きなの?ま。ま、もう定年も近くなってきたことだし、40歳以下とはいわないけどサ。
だいたい幽世なんて行きたくないわよ。どうせ、そのうち死ぬときには寄ってかなきゃいけない場所なんでしょ?まだ行かなくて良くない⁉」
「何言ってるんですか!いま、『幽世ツアー』って流行ってるンですよッ。身上調査だ、なんだっていろいろ審査あって、ち、ちょっと金額も敷居も高いけどぉ…。でもそれが、『選ばれし者だけが行ける街』って感じで、人気あるんですよ。いま。それに!幽世って、現代と古代の融合した街で、それはそれは幻想的な世界が広がっていて…しかも‼しかもですよ!あやかしたちって、イケメン多いらしいンですよぉ〜。あはぁ〜。夢の街並みに、道行くイケメンッ」
もう幽世に行くことが決まっているかのごとく、熱に浮かされたように行ったこともない幽世を熱く語っている。もう心は幽世という景子に呆れながら、スマホは通話モードのままメッセージを開いて、再度さっきのメッセージを読んだ。
『☑ 髪色:濃茶 ☑ 瞳色:鳶色 ☑ 生月:如月・満月 ☑ 薬指に星の印を持つ者』
髪は生まれつき「烏の濡れ羽色」というよりは赤めで、高校時代など風紀の先生やヤンチャ系の先輩に捕まっては、染めてるんじゃないかと絡まれてたけど…。
瞳もカラコンを疑われるコトがあるくらいの茶目である。
もともと肌も色白な方で貧血がひどかったときなど、「青白い」と評されたくらいなので、カラダ全体の色素が薄い方なのだと思う。
「ウコさん?ウコさん?聞いてます?」
「ハイハイ。それにしても、コレのどこが、私なのよ。干支と年齢と性別だけなら、世界中に掃いて捨てるほどいるわよ?髪だって瞳だって、この程度ならどこにでもいるじゃない」
現に戻ってきた景子がさらに声を大にして反論する。
「ココですよッ!ココ!条件の一番最後!『左薬指に星』
ほら、ウコさん普段はその太めの指輪で隠してるけど、あるじゃないですか!星型っぽい、イボ!もう、これ見て、『キターーーーーー』って叫んじゃいましたよ」
「い、イボって、アンタ…もうちょい言葉選びなさいよッ!」
答えながら、目の前の画面を眺めつつ、無意識に右手で左薬指の指輪を触っていた。夢から覚めたとき火照ったような気がした疵。また少し熱を帯びてきた気がする。
瞳子の左薬指の付け根と第二関節のちょうど真ん中辺りに、5㎜ほどの星型の疵がある。
それは生まれつきで、大きくも小さくもならないまま今日に至る。気にしなければそんなに目立つ疵でもないが、やはり女の子の指。気にならないといえばウソになる。
でもそれをあまり表に出さないようにしていた。実は、本人よりもその疵を気にした祖母がお金を出してくれて、除去手術をしたことがある。しかも二度。どちらのときも、ホンの二週間ほどでまた疵が浮かび上がってきてしまった。
以来、学生時代は絆創膏を巻いて隠し、大人になってからはとっかえひっかえ太めの指輪をしていたが、ここ十数年はいまの夫・雪兎が初めて買ってくれた指輪をしている。
龍が二匹絡みあいながら、頭を突き合わせて、その口に疵が隠れるくらいの大きさの水晶玉を支え合うように咥えている。女性が着けるにはやや大ぶりと思える指輪だが、気になる疵は隠れるし、なんだか二匹の龍に守られている感じがあるし、なにより龍好きな瞳子のお気に入りだ。
左薬指のその指輪を右手で弄びながら、思い出しそうで思い出せないような、何か大切なことを忘れてしまっているような…そんな思いに瞳子は駆られていた。
*****************
淡い色の提灯が並ぶ古い町並み。
たんぽぽの綿毛のような草原。
そのところどころが、射し込む光にその姿を金色に変えながら風に靡いている。
遠目に見える青い丘に、空にぽっかりと口を開けたような黄色が鮮やかな半月。
*****************
ん?・・・・なんだろ?
いま、ちょっとアタマの中を過ぎったアレ…。
いつも見る夢?でも、どこか少し違うような・・・
「……ここは?」
自分の声が、静寂に溶けていく。 その瞬間、背後から優しいが強い声が響いた。
「お前は、ここに・・・・なのだ」
うまく聞き取れず、振り向こうとした瞬間。光の波が視界を包み込み、現実へと引き戻された。
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「——ッ!?」
瞳子は息を詰め、跳ね起きた。
寝室のカーテンの隙間から、上弦の月の光が差し込んでいる。 隣で寝息を立てる夫の雪兎を気遣いながら、ゆっくりとベッドから抜け出した。
ふと、左手の薬指を撫でる。 そこには小さな★型の疵——生まれつきあったはずのものが、なぜかいまさらに火照っているような気がした。
(また……あの夢)
最近、何度も繰り返し見る。 まるで、何かを思い出せと言わんばかりに。
スマホの画面がうっすらと光る。
【景子(新着メッセージ)】 「ウコさん、起きてる? いや、起きてるでしょ? 絶対起きてるよね?」
(こんな時間に……?)
軽くため息をつきながら、メッセージを開く。 画面には、景子から送られてきたリンクが貼られていた。
【幽世ツアー 参加者募集中】
【参加条件】 ☑ 40歳以上の女性 ☑ 髪色:濃茶 ☑ 瞳色:鳶色 ☑ 生月:如月・満月 ☑ 左薬指に星の印を持つ者
この条件にあてはまる、魂の波長が幽世と共鳴する選ばれた方を幽世の老舗旅館『幽玄館 龍別邸』へ宿泊ご招待
「魂の波長が幽世と共鳴」・・・その言葉が、妙に心に引っかかった。
メッセージを見つつ、心にひっかかったそれを繙こうと思いめぐらしていると、スマホが振動した。突然の着信に危うくスマホを落とすところだった。
ドレッサーの椅子に置いていたカーディガンを羽織って、雪兎を起こさないように、そっと寝室から出て、電話に出た。
瞳子が応えるより早く、夜中とは思えないテンションの景子の声が飛び込んできた。
「ウコさん! びっくりした? いやいや、夜中だけど、すっごい面白い話見つけたんだって! これ、絶対ウコさん向き!でしょ?」
『ウコ』とは、瞳子の愛称だ。「とうこ」の「と」を省いてそう呼ばれている。
学生時代の仲間内での愛称だったのを、一度そのメンバーの飲み会に景子を連れて行ったら、その後すっかりその呼び名。景子が呼ぶせいで、同部署メンバーも皆が呼ぶようになってしまった。
「なにコレ?どこがアタシ向きなの?ま。ま、もう定年も近くなってきたことだし、40歳以下とはいわないけどサ。
だいたい幽世なんて行きたくないわよ。どうせ、そのうち死ぬときには寄ってかなきゃいけない場所なんでしょ?まだ行かなくて良くない⁉」
「何言ってるんですか!いま、『幽世ツアー』って流行ってるンですよッ。身上調査だ、なんだっていろいろ審査あって、ち、ちょっと金額も敷居も高いけどぉ…。でもそれが、『選ばれし者だけが行ける街』って感じで、人気あるんですよ。いま。それに!幽世って、現代と古代の融合した街で、それはそれは幻想的な世界が広がっていて…しかも‼しかもですよ!あやかしたちって、イケメン多いらしいンですよぉ〜。あはぁ〜。夢の街並みに、道行くイケメンッ」
もう幽世に行くことが決まっているかのごとく、熱に浮かされたように行ったこともない幽世を熱く語っている。もう心は幽世という景子に呆れながら、スマホは通話モードのままメッセージを開いて、再度さっきのメッセージを読んだ。
『☑ 髪色:濃茶 ☑ 瞳色:鳶色 ☑ 生月:如月・満月 ☑ 薬指に星の印を持つ者』
髪は生まれつき「烏の濡れ羽色」というよりは赤めで、高校時代など風紀の先生やヤンチャ系の先輩に捕まっては、染めてるんじゃないかと絡まれてたけど…。
瞳もカラコンを疑われるコトがあるくらいの茶目である。
もともと肌も色白な方で貧血がひどかったときなど、「青白い」と評されたくらいなので、カラダ全体の色素が薄い方なのだと思う。
「ウコさん?ウコさん?聞いてます?」
「ハイハイ。それにしても、コレのどこが、私なのよ。干支と年齢と性別だけなら、世界中に掃いて捨てるほどいるわよ?髪だって瞳だって、この程度ならどこにでもいるじゃない」
現に戻ってきた景子がさらに声を大にして反論する。
「ココですよッ!ココ!条件の一番最後!『左薬指に星』
ほら、ウコさん普段はその太めの指輪で隠してるけど、あるじゃないですか!星型っぽい、イボ!もう、これ見て、『キターーーーーー』って叫んじゃいましたよ」
「い、イボって、アンタ…もうちょい言葉選びなさいよッ!」
答えながら、目の前の画面を眺めつつ、無意識に右手で左薬指の指輪を触っていた。夢から覚めたとき火照ったような気がした疵。また少し熱を帯びてきた気がする。
瞳子の左薬指の付け根と第二関節のちょうど真ん中辺りに、5㎜ほどの星型の疵がある。
それは生まれつきで、大きくも小さくもならないまま今日に至る。気にしなければそんなに目立つ疵でもないが、やはり女の子の指。気にならないといえばウソになる。
でもそれをあまり表に出さないようにしていた。実は、本人よりもその疵を気にした祖母がお金を出してくれて、除去手術をしたことがある。しかも二度。どちらのときも、ホンの二週間ほどでまた疵が浮かび上がってきてしまった。
以来、学生時代は絆創膏を巻いて隠し、大人になってからはとっかえひっかえ太めの指輪をしていたが、ここ十数年はいまの夫・雪兎が初めて買ってくれた指輪をしている。
龍が二匹絡みあいながら、頭を突き合わせて、その口に疵が隠れるくらいの大きさの水晶玉を支え合うように咥えている。女性が着けるにはやや大ぶりと思える指輪だが、気になる疵は隠れるし、なんだか二匹の龍に守られている感じがあるし、なにより龍好きな瞳子のお気に入りだ。
左薬指のその指輪を右手で弄びながら、思い出しそうで思い出せないような、何か大切なことを忘れてしまっているような…そんな思いに瞳子は駆られていた。
*****************
淡い色の提灯が並ぶ古い町並み。
たんぽぽの綿毛のような草原。
そのところどころが、射し込む光にその姿を金色に変えながら風に靡いている。
遠目に見える青い丘に、空にぽっかりと口を開けたような黄色が鮮やかな半月。
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ん?・・・・なんだろ?
いま、ちょっとアタマの中を過ぎったアレ…。
いつも見る夢?でも、どこか少し違うような・・・
