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 泣きながら土下座していた卯兎は、周囲が静かなことに気づくと、そっと頭を上げて周囲を見回した。
 そこには、四体の龍と鬼、ひとの子らしい女の子、異形の者たちが楽し気に笑いさざめきながら酒を酌み交わしている。
どこかで見たことあるけれど・・・?そして、そこにいる面々が何か話しているのに、その言葉はわからない。
ジッとみていると、青い龍がこちらにうねうねと近づいてきた。何か言っているけれど、意味が分からない。
ジリジリと近づいてくる龍。
 卯兎は、周囲を見回すと竹を切る用の手斧があった。龍から目を離さないように、注意深く手斧を手元に引き寄せると、しっかり両手で握って身構えた。
 戦闘態勢の卯兎にも構わず近づいてくる龍に向かって、叫びながら、手斧を振り回すと、スパーンっと龍の尾が切れた。切れた尾は、パタパタと別の生き物のように、動いている。
 それを見ていたら、ますます恐怖が募ってきて、目を瞑って、ブンブンと斧を振り回すと、断末魔の叫びが響くとともに、聞き覚えのある声がした。
「卯、兎・・・な・・んで・・・」
 我に返った卯兎が目にしたのは、青龍の姿に戻った朔だと気づいたときには、青い龍はぶつ切りにされて、息絶えている。結卯の闇を切り裂くような悲鳴。鬼丸の怒号。蒼龍や姫龍、黄龍の声。
 手にした斧を見ると、おどろおどろしいほどの血が滴り、汗か涙かわからないモノを手で拭うと、手にはベットリと血が…。我が身を顧みると桶で水を被ったくらいの、返り血を浴びている。
 もう動かなくなり、血だまりで息絶えている青龍。その他にも、弥狐や紗雪の白い髪も血で真っ赤に染まって、血だまりに倒れている。
 皆の声、返り血、それらが卯兎の目の前でクルクルと風車のように回る。
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「うあぁあぁぁぁ~~~~」

 突然、震えながら卯兎が自分の両手を見つめて、何か恐ろしいものを見たかのような叫び声をあげて後ずさった。
「卯兎、どうしたの?」
 卯兎の顔を覗き込んで尋ねた結卯の肩を突き飛ばすと、戸を開けて弾かれたように飛び出していった。
 卯兎の恐怖に震える叫声が廊下に響いていた。

 卯兎の後を追ってきた朔。確かに、めし処の方へ来たはずなのに、見つからない。
「卯兎、出てこい。いるんだろ?あれは、夢なんだ。な。俺を見ろよ。元気だ!手足もある。鱗一枚、剥がれてない」
 カタンっ・・・・。

 音に振り向くと、厨の棚の扉が小さく揺れて動いている。そーっと、その扉を開けると、膝を抱え、その膝の中に頭を埋め込むように丸まって震えている卯兎。
 青龍は、屈み込んで柔らかく卯兎の頭を撫でる。イヤイヤをするように(かぶり)を振る卯兎。そっと腕を差し入れて、卯兎を抱き上げて棚から引き出すと、そのまま座敷の方へ歩き始めた。
 翌日の座敷の準備をする宿の面々とすれ違っても、二人の姿を認めると黙礼して行き過ぎる。卯兎が仕切った『上弦の月の宴』の座敷を通り過ぎ、寝所のある三階へ上がり、自分の部屋に入り、卯兎を抱いたまま座る青龍。
 上弦の月に雲が掛かり、ひと雨来そうな空なのは、天気・気候を司る青龍の心がいまにも張り裂けそうなせいなのかもしれない。
「卯兎、卯兎…あれは、父さんの幻術の中での出来事だ。卯兎は、誰も傷つけてない。そんなこと、できるわけがない」
「私のなかに、邪悪なモノがあるから、あんな幻影を見た。清浄なモノが血に塗れるワケがない…」
 涙声で卯兎が答える。
「私はココにいると、いつか、ここの誰かを傷つけてしまう。 黄龍様のおっしゃるように、魂を磨く旅に出るべきなんだわ。 朔や晦、結卯や鬼丸や寅太、紗雪、弥狐…みんなを傷つけてしまう日が来てしまう。そうなる前に、私は此処を出ていく」

 ひととき涙に暮れていた卯兎は、意を決したように、青龍・朔の膝から降りて、朔に向き直った。
「朔、いままでありがとう。黄龍様の仰る通りだと、七たびの魂の旅を終えたら、また、此処へ戻ってこられるはず。それまで待っていてくれる?」
「当たり前だ。俺が待ってなくて、誰が待ってると思う?」
「ん?晦とか?鬼丸とか?結卯・・・弥狐・・・紗雪・・・あとは、・・・」
「あ~~‼もういい!俺が、俺だけが、絶対待ってる‼」
「アハハ・・・ありがとう」
 目を真っ赤にしながらも、大きな笑顔を見せて、卯兎が立ち上がった。
「じゃあね」
 卯兎は、戸を引き開けると青龍の寝所から走り去っていった。
「ま、待て!卯兎!」
 青龍・朔は慌てて、卯兎を追ったが、もうすでに姿が見えなくなっていた。
 青龍は、全身に力を込めると、龍の姿になり、大きくうねると、北の鬼界ヶ原を目指した。表へ出て、卯兎を探していた鬼堂・鬼丸がその青龍の姿を見て、後を追って走り出した。

 ようやくたどり着いた鬼界の端。鬼界ヶ原きかいがはら。光の湖うみのほとり。たんぽぽの綿毛のような花をつけた草が一面に広がり、月明かりに照らされて風に靡く様は、金色のじゅうたんのようだ。
 そこに茫然と立ち尽くす卯兎。
「卯兎…」
 遠慮がちに声を掛けたのは、青龍・朔。
 卯兎はその声に振り向きもせず、ジッと光の湖を見つめている。
「卯兎、危ないぞ。光の湖に落ちたら、地の底へ落ちて戻れなくなるぞ」
 鬼界を仕切る鬼堂・鬼丸が続けて声を掛ける。
「鬼丸…私、思い出したの…」
 朔と鬼丸に背を向けたまま卯兎が口を開く。
「私、ここへ来たの。お母さんと。いやお母さんになるはずだったひとと。お母さんが虹の橋を渡るのをここで見たの。ひとりになるのがイヤで、お母さんの後を追いかけて虹の橋に足を掛けたら、私の足元の虹が消えて、光の湖へ落ちた。深く深く落ちていくなか、光の糸が下りてきて私を引き上げてくれた…」
「光の湖へ落ちて、引き上げられた⁉そんなことがあるのか…それより、此処の鬼たちが卯兎に気づかなかったなんてことがあるのか??」
 長く鬼界を仕切る鬼丸は不審顔をしながら首をかしげている。
「鬼丸、それより此処、虹の橋のたもとのはずだろう?なぜ、虹の橋が架かってない?」
「上四龍の青龍様でも、それはご存知ないか?」
 鬼丸は片方だけ口角を引き上げて、笑いつつ横目で朔を見る。そして、左手で湖のほとりにある大きな鬼桃の樹を指して答えた。
「あの鬼桃の、すぐ向こうに虹の橋は架かる。ただし、渡る資格のない者が来ても橋はその姿を見せない」
「姿を見せないって…。じゃ、卯兎には渡る資格がないというのか?」
「ここまで来て…。なんでっ⁉」
 卯兎が鬼丸に駆け寄り、腕を掴んで鬼丸を揺さぶるようにして、何度も尋ねた。あまりに大きく揺するので、鬼丸の手にしている錫杖がシャラシャラと不規則な音を立てている。
「なんで?なんで、私だけ?あのときも。今日も!なんで、私は虹の橋を渡れないのっ!」
 鬼丸は左手で、自分の腕を握り締める卯兎の手を包み込んで、唇を噛み締めた。
 柔らかな風が吹き渡っているのに、鬼桃の大樹の向こう側だけはまるで無風状態のように、重く霧が立ち込めている。
「卯兎、前に虹の橋を渡れなかった理由は、俺にはわからん。だけど、今日は…今日は俺が必ず渡らせてやる!」
「朔、お前、そんな安請け合いして、また卯兎を泣かせるようなことになったら…」
「いや、大丈夫だ!理由はわからんが、父さんはこうなること、読んでいたようだ」
 青龍は、懐に入っているモノを確認するように胸に手を当てて、自信ありげに答えた。
「黄龍様が?こうなること…?卯兎が虹の橋を見つけられないってことを先読みされていたというのか?」
「あぁ。たぶんな」

 青龍・朔は、父・黄龍から預かってきた黄龍の髭と鱗で作られた「黄龍の証の扇」を懐から取り出すと天に向けて大きくひと扇ぎして、片膝をついて俯いて手を合わせた。
 並んで立っていた鬼丸も青龍に倣って手を合わせて俯いている。それを見ていた卯兎は、慌てて居住まいを正して正座し、青龍達に深く頭を下げた。
「天帝よ。いまひととき、我・青龍が黄龍の名代とし、この者に龍籍離籍を申し渡す。加えて七たびの魂の生を終えたのち、この者、再びこの地に戻りて龍籍を与え給うこと臥して願うものなり。是、黄龍とその八龍の総意なり」
 静かな鬼界ヶ原の綿毛の草原に強いが優しい一陣の風。穏やかな光が一筋降り注ぎ、卯兎を照らしだした。
 淡い黄色に照らし出された綿毛の草たちのなかにいる卯兎は、そのまま空に浮かぶ鮮やかな黄色に輝く上弦の月に召されていくかのように思えた。
「青龍よ、おのが欲にての願いを八龍の願いと偽れば、おのが命どころか、現・黄龍の命も危ういこと、わかっておるな?」
 静かに体に染み渡るような、それでいて身をすべてを預けてしまいたくなるような包容力のある声が響く。
「おのが欲がないとは申しますまい。しかし八龍の総意ということには、相違ございません。この者には、八龍それぞれが世話になり、それぞれがこの者に対する深い思いを持っております。此処に、八龍の連名書状も持ち参じました」
 青龍は、両手で書状を掲げ、深く頭を下げた。
 ふわりと青龍の手を離れた書状は宙に浮き、ハラハラとその紙が解かれると、空に橋を架けたように広がった。その刹那。ホウッと静かな音を立てて書状が金色こんじきの炎になり、スッと吸い込まれるように消えた。
「皆の思い、しかと受けとった。元々、龍籍の与奪は代々の黄龍の与り。好きにせよ。ただし、七たび後にこの地に戻りて暮らすか否かは、私も黄龍も与り知らぬ。その者の好きにさせよ。その者が望めば、そのように」
『ありがとうございます』
 青龍、鬼丸、卯兎の三人は、天を仰ぎ。手を合わせたのち、深く頭を下げた。
 卯兎が青龍達に何か言おうと口を開きかけたとき、一瞬、空が煌めいて再びの声が聞こえる。
「青龍よ。七たび目の生をこの者がどのように生きたか?それが決め手になるやもしれぬ。その如何によっては、八たび、九たびと生を重ねることになるやもな…あるいは、七たび目の生が閉じる前に、幽世を思い出せば…」
 言葉の最後は、煌めきとともに消えてしまった。
 暫しの静寂が広がり、風が止むのを待っていたように鬼丸が口を開いた。
「おいっ、朔、お言葉聞き取れたか?」
「い、いや・・・最後は・・・ともかく、七たび。七たびの生を受ければ、卯兎はひととしての魂の旅を終えられる。そして、我らの元に戻ってこられる」
「それはそうだが、最後のお言葉・・・『七たび目の生が閉じる前に、幽世を思い出せば』なんなんだ?それより思い出さなければどうなるんだよ?え?」
「俺が知るかよっ」
「私、きっと思い出すよ。ううん。忘れないよ。朔も晦も鬼丸のことも。結卯や紗雪、弥狐・・・それから兎士郎様に叱られたことも。忘れられるわけがない」
「だよな?鬼丸は、心配性すぎるんだ」
 鬼丸は、苛立たし気にシャンシャンシャンっと鳴らしながら、錫杖で地を突くと、地団駄を踏んで、二人に割って入った。
「わかってない!お前たち、二人とも。なーんにもわかってない‼」
 鬼丸が怒っている理由がわからず、青龍も卯兎もキョトンとしている。
「いいか?今生の記憶があるのは、虹の橋を渡るまでだ。そこから先、天界に入れば、魂の洗浄を受ける。今生で受けた魂の記憶は、天界の光によって洗い流される。わかるか?洗い流されるってことは、失くなるってことだ。天界の光が魂の修行となったと認められる経験だけが魂の奥底に残される。その残されたものは受け継がれていくが…。卯兎は、これが初めての魂の旅。一度も「ひと」として生きた経験がないのだから、ここでの日々が魂の経験として認められるとは思えん。まっさらな、純白の魂として、一度目の旅を始めさせるはずだ」
 一気に喋りきって、鬼丸は大きな息を吐いて、地べたに胡坐をかいた。
 卯兎は、さっきまでの泣き腫らした目をまた赤くして潤ませて、青龍を見上げている。当の青龍は両手で支えるようにこめかみを押さえて目を閉じている。
 ふわりとした風が3人を包んだかと思った瞬間。それまでの霧が晴れ、目の前に大きな虹が現れた。
「あれが、虹の橋…」
 赤くなった目を見開いて卯兎がつぶやく。
「さぁ、旅立ちの時間だ」
 鬼丸が錫杖を頼りに立ち上がると、虹のたもとにたわわに実をつけた鬼桃樹からひとつ実を捥いで卯兎に握らせた。
「ほれ、鬼界ヶ原の鬼桃だ。齧りながら行け。ひと口ごとに、いままでの思い出のなかでもお前のなかで飛び切り楽しかった思い出が蘇る。ひとりきりで渡る虹の橋だが、寂しい思いをせずに済む。そして、食べきって橋を渡り切る頃には、お前はいまの姿形を捨て、魂のみになっているはずだ。そして、魂の洗浄を受け、新しいお前に生まれ変わるのだ。来世を達者で生きろ!そして、必ず此処へ帰って来い」
 鬼桃を握らせた卯兎の手を両手で包むように握りながら、鬼丸は泣くまいと唇を噛み締めつつ、鬼界の鬼としての仕事である虹の橋への手引きをした。
 卯兎は、握りしめられた手を見つめながら「うん、うん」とうなずいている。
 青龍はまだ先ほどの姿勢のまま目を閉じている。
「朔、朔っ!早く別れをしてやれ。卯兎がいつまでも旅立てんではないか!これは、いわば卯兎の門出だ。祝いだ。笑って送ってやれ!」
 ドンッと青龍の背を叩き、鬼丸は洟を啜りあげている。
 その後もしばらく目を閉じていた青龍を見て、卯兎は諦めたように背を向けて虹の橋へと歩を進めた。
「卯兎っ!待て!まだ、私の咎めを受けてないぞ!どんな咎めでも受けると言っただろ!」
「おい、おい。朔…。いい加減にせんか。もうそのことは良いではないか。天帝様へのご挨拶も済ませて、こうやって虹の橋も姿を見せた。サッサと送ってやらねば、また卯兎は橋を渡れぬぞ」
「いや、良くない!今生の咎めは、今生受けて行け!」
 卯兎は、橋に足を掛ける手前でクルリと振り返った。
「朔、今生、最後の朔の頼み。聞いてあげるよ。なに?」
「ちっ。その物言いは気にくわんが、時間がない。手を出せ!」
 卯兎は、両手で包むように持っていた鬼桃を右手に持ち、左手を差し出した。
「はい。これでいい?」
 青龍は、卯兎そばへ走り寄ると、手のひらを上に向けて差し出されたの左手を両手で包み、甲が上になるように返すと、薬指を摘まみあげ、そこに唇を寄せた。
 ・・・・・・・・・

「いっ痛ぁ~い‼」

 鬼界中に響き渡るかと思う卯兎の叫び声が響いた。
「ちょっと、アンタ、何するのよ‼ひとの指を噛むとかありえないでしょっ‼」
「どんな咎めでも受けると言っただろ」
「言ったけどさ、アンタも『神』ならもうちょっとらしいこと、思いつかなかったの?噛むなんて、子どものすることだよ!ホント、痛いわぁ」
「『神』だから・・・だ‼『神』にしかできぬことだ。龍の犬歯の歯型は★になる。★型は魔除けとなろう。そして卯兎のその疵には、龍神の神気が宿った。しかも通常の数倍の念を込めておいたからな。何回、魂が洗浄を受けようとも、その疵は消せぬ。卯兎のこの先を魔除けとしてずっと守ってくれるだろう。そして万が一、卯兎が忘れてもその疵と神気で俺がお前を探し出す!」
「・・・・朔・・・・ありがと。いつの世の私もこの疵を見たら、きっと思い出すよ」
「達者でな。ひとの世の400年や500年は、神族やあやかしの幽世じゃ2~3か月と変わらん。すぐ逢える。またな!」
 卯兎は、虹の橋へ一歩踏み出した。
 卯兎が足を運ぶたびに、橋の色ひとつひとつがゆらゆらと揺らめくように輝きを放っている。二歩、三歩と進めていた足が止まり、肩が揺れている。
『卯兎、止まるな!振り返らず行け!』
 青龍と鬼丸は、涙声になりながら怒鳴っている。
 二人の声に、立ち止まり、俯いて、肩を震わせていた卯兎。
 肩で大きく息をして、鬼桃をガブリと齧って笑いだした。そして二人に背を向けたまま叫んだ。
「鬼丸ぅ、ホントだね。飛び切り楽しい思い出が目の前にあるよ。幽玄館の裏山でみんなで遊んだこと。大熊のあやかしに脅かされて、鬼丸がギャン泣きしてる。あははは!ビビった朔がおもらししてるぅ」
『卯兎、見えてる思い出をいちいち伝えてくれんでいい。自分だけで見ながら行け!笑い過ぎだ!足元、踏み外すなよ!』
 二人で卯兎の声をかき消すほどの大声で返したあと、青龍が苦々しそうに言う。
「鬼丸、鬼桃はもちょっとマシな思い出を見せられないのか!」
「俺も知らんわっ!」


『朔ぅ、鬼丸ぅ~。ありがとう!晦や結卯にもよろしくねぇ』
 背を向けたまま、齧りかけの鬼桃を手に、両手を大きく振る卯兎の姿がどんどん薄くなっていくのをもう堪えることを止めた龍と鬼が抱き合いながら声を出して泣いて見送っていた。
  体がグラリとしたと思うと、靄が消え、元の幽玄館 龍別邸の青龍の部屋に戻っていた。
 四人ともグジュグジュと洟を啜りながら、涙を拭いている。
「どうだ?卯兎。いや瞳子。何か思いだしたか?」
 着物の袖口で涙を拭いながら、青龍が尋ねた。
「思い出すって、卯兎さんのこと?」
「そうだ。自分が卯兎だと思いだしたか?」
「残念ながら、それはないわね。でもね、少しわかったことがあるわ」
『わかったこと?』 
 蒼・青二人の龍に加えて、雪兎も身を乗り出してきた。
「わかったことっていうか…。雪兎、ほら、私言ってたじゃない。発作のとき、フラッシュする景色が似てるって。この旅館の前の通りとか裏山とか…。ここの大きな提灯が揺れてる感じとか、どこかのお店で大勢が騒ぎ飲んでるみたいなところ。あれは、卯兎さんの記憶だったのよ。さっき見た幻視⁉アレでわかった。鬼界ヶ原のあの金色の草原も、夢のなかでとか、何かを思い出そうとするときとかに、フッと頭を過る風景のひとつだった。だから、私は瞳子で、卯兎さんではないけれど、でも100%卯兎さんじゃないって言えないなぁって。私のなかのどこかに、卯兎さんが息づいているのかもなぁって」
 瞳子は、バッグの中から手探りでハンカチを取り出しながら、さきほどの幻視の世界を思い出すかのような遠い目で答えた。
「それだけか?それだけなのか?」
 蒼龍・晦も青龍・朔もガックリ肩を落とした。

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