「さぁ、どうだ?そろそろ話がまとまったかい?」
晦が朔を見やると、朔はまだ頭を抱えたままのうえ、どうやら、泣いているようだ。
「朔?泣いてるのか?大丈夫?」
「泣いてないっ!大丈夫だっ!」
勢いの割には、声は鼻声で泣いているのは明白だ。
晦は、少しため息をつきながら、朔の背を叩いて一緒に俯いていたが、不安そうに見つめてる雪兎と瞳子の方を見て、大丈夫という風に頷いて見せた。
「ねぇ、朔。私も力を貸すから、どうかな?話すんじゃなくて、あの日のことを雪兎と瞳子に幻視で見せるっていうのは・・・。たぶん、私たちがあれこれ話すより伝わるよ。なにより、瞳子は卯兎なんだから」
その言葉に、ハッとして晦を見た朔は、大きく頷いて、朔の右手を握ると、左手を差し出した。晦は朔の差し出された左手に自分の左手を重ねて、二人で印を結ぶと、揃った声で厳かに詞を唱え始めた。
空間がグニャリと歪み、周囲が薄い黄色の靄に包まれた。その靄の向こうに、ぼんやりと映し出された映像は、まるで3Ⅾの映画を見ているような臨場感だ。
いや映像というより、そのときのその場に、瞳子も雪兎も入り込んでしまったという方が合っているかも知れない。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
「卯兎、さすがだな。よしっ。皆揃った。始めよう、懐かしの宴を!」
黄龍の一声で、皆、盃を持ったところで、卯兎が声を上げた。
「黄龍様、せっかくでございます。上の月見棚へ出てみませんか?今日は暖かいですし、夜風も気持ち良うございますよ。皆で上限の月を眺めながら…というのもよろしいでしょ?湯冷めせぬよう、何か羽織るものをお持ちしますので」
月見棚は、幽玄館本館の二階の広間からせり出た板場で、その名の通り、満月の際にはそこで月見をしたり、神事のあとの宴の際の余興などで芝居や踊りを披露する舞台代わりにも使われたりする場所である。とは言え、普段、卯兎たちが勝手に使えたりする場所ではなかったが、この日は身内の宴とはいえ、黄龍の宴。反対できる者などあろうはずがない。
「卯兎、それは良い。なに、御大のお召し物なら、ほれ、ここに。湯のあと、ここへ寄られるだろうとお持ちしているの」
最初に卯兎の提案に弾んだ声で応えたのは、黄龍の妻で、蒼・青の双子龍の母、姫龍だった。
「姫は、よく気が回るのぅ。じゃ。『上限の月の宴』の続きとまいろうか」
黄龍の声に、全員が腰を上げた。
「あ。盃はご自分のをお持ちになって棚へお上がりください。後のものは、私たちが運びますので」
卯兎は、鬼堂・鬼丸に腕を絡みつけてしなだれている結卯に目くばせをする。
卯兎に目くばせされて、唇を尖らせながら、未練たっぷりに鬼丸に絡みつけていた腕を解いて、卓上に並べられていた皿や料理を盆に載せ始めた。
「私も手伝うよ」
蒼龍・晦が、結卯に続いて手際よく盆に皿や料理を載せると立ち上がって運び始めた。
月見棚に全員が揃い、腰を落ち着けたのを見計らって、黄龍が再び声を掛けた。
「さぁ、今度こそ始められるな。ん?皆、良いか?」
黄龍が皆の顔を見回して、盃を上げる。それに倣って、姫龍、蒼龍・晦、青龍・朔、鬼堂・鬼丸、結卯、そして卯兎。それぞれが顔を見回して、黄龍に向けて盃を上げた。
ひととき、昔話に花が咲き、笑い、泣き、また笑って時間を過ごした。
「ところで父さん、何か私たちにお話があったのではないのですか?」
話がひと通り盛り上がりを終えたところで、晦が口を開いた。
「うむ…そのことなのだがな…」
口ごもり、考え込むような様子の黄龍。
「あ。ご家族のお話でしたら、私たちはお暇を…ホレ!」
鬼丸が結卯を急き立てて立たせると、卯兎にも顎を振って、下がるように指示した。
「いや、鬼丸、座ってくれ。お前たちにも居てもらった方がいいだろう。その方が卯兎も心強かろうて」
「え?私?私のお話でございますか?黄龍様直々に?」
『卯兎のこと?なんです?』
双子龍が声を揃えて、黄龍に顔を寄せて迫ると、それを遮るように姫龍が二人の頭を撫でた。
「母さん、いきなりなにするんです?」
「なにするんだよ。いきなり。ガキじゃないぞ!」
「二人とも、卯兎のこと好きなのね。じゃ、お父様の話をしっかり聞いて。そして、考えて。卯兎のために。あなた方のために」
「卯兎、もう一杯くれぬか?」
卯兎が黄龍の盃に酒を満たすと、黄龍はそれをひと舐めして話を始めた。
「卯兎、お前、どうして此処・幽世へ来たか覚えているか?」
卯兎は、俯いて正座した膝に拳をギュッと握りしめたまま、首を横に振る。
「結卯、お前はどうだ?」
「私…かなり昔だから…」
「でも、覚えておるだろう?」
「・・・・あの、私・・・あたしんちは貧乏で、兄ちゃん二人は父ちゃん母ちゃんの仕事を手伝ってて…姉ちゃんは村でも評判の美人。だから綺麗な着物着て、おいしい御飯が食べられる御大尽のところへ行けるって。そのうえに、父ちゃんたちもお銭貰えるって。姉ちゃんと私の間にいたもう一人の兄ちゃんは死んじゃって…。それから…それから弟が生まれて。可愛い子で、あたしがいつもおんぶして面倒みてたんだぁ・・・弟が一歳ひとつになって間もなく飢饉続きで、一家七人、食うや食わずやの日が何日も続いて・・・。姉ちゃんがお大尽の家へ行くのが決まった日。父ちゃん、母ちゃんと握り飯持って山へ・・・。麦や稗だったけど、でも久しぶりの大きな握り飯。うれしかったなぁ。そう、姉ちゃんが十日後に家を出るって決まったから、姉ちゃんに家で染めた布で御守袋作って持たせるのに、その布を染めるのに、槐の蕾や桑の葉や山桃の樹皮なんかを採りにね。父ちゃんと母ちゃんとあたし。握り飯持ってね。・・・いっぱい採れて、『疲れたろう?握り飯おあがり』って母ちゃんが…。あたし、うれしくって。3つ持ってった握り飯、全部食べていいって。うれしかったけど、信に…弟に持って帰ってやろうってひとつは、食べずに懐にしまっといたんだぁ。でも、あたしが握り飯食べてる間に、父ちゃんも母ちゃんもいなくなってて、泣いて叫んだけど、見つからなくて・・・」
結卯はだんだんと涙声になり、声が詰まり話せなくなった。
「結卯、もういいよ。もう思い出さなくていい」
卯兎がそんな結卯の肩を抱き、背を撫でてやりながら、黄龍を睨みつけた。
「いくら黄龍様でもひどすぎます!結卯の辛い思い出をわざわざ掘り返さなくてもいいじゃないですか!それと、私の話。何の関係がっ?」
「悪かったな。悪かった、結卯。そんなつもりはなかったんだ。許してくれ。な?」
「黄龍様、もったいないことでございます。疾うの昔のこと。私も忘れてしまっておりました」
「そうじゃの。忘れてても思い出すことはあるものだ。じゃが、卯兎はどうじゃ?」
「あ、私は・・・。気づいたら、鬼界ヶ原の端にいて、結卯が泣いてて・・・」
「それ以前のことは思い出せないのだな?あ。いや、責めとるわけではないぞ。仕方のないことなのじゃ。でも、もし覚えておったら・・・とな」
『仕方のないこと?』
双子龍、鬼丸、結卯、卯兎が声を揃えて聞き返した。
― うむ。
いま聞いた通り、結卯はいわゆる口減らし…すまんな結卯…で、幽世との境に置き去られた。飢えて、命が尽きる寸前で鬼界ヶ原にたどり着いたところを兎士郎と刑に見つけられて、幽玄館へ来た。
そのとき一緒にいた卯兎も連れて来たんじゃ。姉妹かと思っての。だが、結卯に尋ねても知らぬという。肝心の卯兎は、喋ることができぬ状態じゃった。
卯兎は、どこから来たのか?なぜ来たのか?誰にもわからなかったのじゃ。
現世のひとが、様々な理由で子を幽世との境へ置き去ることが多かった。いまもまだ、あるがの…。悲しいことに。その子らは、飢えて死んだり、獣に食われたりで死んでしまえば、鬼界ヶ原へ来る。その後は鬼界ヶ原の鬼たちが虹の橋まで導いてやる。来世は幸せな人生であることを願いながらの。生きて幽世に迷い込んだ者は、兎士郎や刑が保護して、幽世各所の神殿や宿で引き取ってやっていた。
そして引き取るには、黄龍である私の許可が必要だった。だから、いろいろ調べたのだが、私にもわからん。あやかしの子ではなく、ひとの子だとはわかっていた。だが、死んで鬼界ヶ原へ来たのか?結卯のように死にかけて鬼界ヶ原へ来たのか?生きて迷い込んだのか?なにより、卯兎は肉体を持たずに此処へ来たようだった。
わからぬことだらけの子を引き取るべきか?どうするべきなのか?だから私は、天帝にお伺いを立てた。
天帝からのお答えは、一言。「お前に任せる」とのことだった。そこで、我らで育ててやることになったのだ。
見つけられたときに一緒だったせいか?卯兎は、結卯とは心通じてるようで、喋らない卯兎のことを結卯が一番理解しておったからの。別々の神殿や宿で預かるより、同じところがよかろう。そして卯兎の素性がわからん以上は、兎士郎に、私に近い幽玄館 龍別邸が良かろうということになった。
そこから後は、皆も知っての通りだ。
喋れなかった卯兎が神子の仕事もソツなく熟すようになり、龍籍を得て、もうかなりの年月が過ぎたな。―
「信じられないな。卯兎が喋れなかったなんてな」
青龍・朔が、おどけた表情で真っ青な顔で震えている卯兎の顔を覗きこんだ。
「いまじゃ、祭主とそれが仕える神まで、木べらひとつで動かすくらいになった」
蒼龍も笑顔で卯兎の顔を覗きこんだ。
卯兎は、震えながらもコクコクと首を振り、大丈夫だという風に手を振った。その姿を見て、青龍が黄龍に続けて尋ねた。
「で?父さん、その卯兎の生い立ち?いや、此処へ来た経緯と今夜の話は何が・・・?」
― そうだな。ここからが本題だ。―
「前置き長過ぎだろ!」
「朔、いいから続きを聞こう」
「なんだよ。晦は、いつもいい子だな」
双子のそんなやりとりを微笑みながら聞いていた姫龍が口を開いた。
「御大、お疲れでしょう?少し、お飲みになったら?続きは私がお話ししましょう」
― 御大…現・黄龍様が遠からず引退なさることは、皆さんご存知よね?
黄龍が交代するということは、その黄龍の代に職に就いていた者、龍籍に入った者は、一旦、その身分を解かれる。
兎士郎や秋菟は、神薙としてこの神殿に残るだろうから、龍籍も職もそのままだと思うけど、卯兎や結卯、鬼界ヶ原の珠鬼なんかの、幽世で保護されて育った子らは、一旦、その職を解かれて、龍籍も返上となるわね。あぁ、兎朱は別ね。あの子は、御大から龍籍をいただいたけれど、いまは鳳一族だから。その籍の責務は鳳にありますからね。
問題は、その龍籍から抜けた後のことなのよ。
新たな黄龍がその籍に就いて、天帝から御赦しをいただいて、黄龍としての職権を揮えるようになるまでの時間。私たち神族やあやかしにとっては、そんなに長い時間ではないけれど、龍籍を失った「ひと」にとっては、十分すぎるくらい長い時間かもしれない。
その長い時間の中で、結卯や珠鬼は歳をとっていくだけだろうけれど・・・。
さっきの話の中で、御大は、ハッキリ言うのを避けたのだけど・・・。
卯兎、ごめんなさいね。ハッキリ言うわね?
卯兎は、ひととして現世で生を受けることのないまま、幽世へやってきたのよ。―
「ひととして・・・現世で・・・生を受けてない・・・。私・・・ひとじゃないの?あやかしでもないなら、バケモノ??」
卯兎は、ガクガクと震えながら、尋ねた。
「うーん・・・バケモノだなんて、そんな言い方・・・。違うのよ。違うの。確かに、子どものまま『生成り』になりかけてはいたんだけど、そうならずに済んだ。ひととして現世に生まれられなかっただけなのよ」
姫龍は卯兎を我が子を慈しむように抱きしめた。
「『生成り』って・・・?」
結卯の問いに姫龍が答えようとするのを遮って、黄龍が口を開いた。
「姫、言いづらいことを言わせて悪かったな。ありがとう。ここからは、私が引き継ごう」
黄龍は、手元の盃をじっと見つめ、ひとつ息をついてから、ゆっくりと語り始めた。その瞳の奥には、後悔とも哀しみとも呼べそうな苦渋の思いに揺れていた。
― 本来、『生成り』は、執念や怨念に取りつかれ、般若にも成れぬ、「ひと」にも戻れぬという者がなるのだがな。
卯兎の場合、すでに「ひと」でもなく「あやかし」でもない存在だったからな。でも、「ひと」になるはずだったその魂は、現世に生まれなくとも、現世への、いや現世の何者かへの?なにかへの強い執念や怨念を抱いたまま幽世へ来た。
その暗い思いが強すぎたのか?虹の橋を渡れずに幾年か過ごした頃、瀕死の魂で現れた結卯と出会ったことで、『生成り』にならずに済んだ。
そして、そのまま今日まで来てしまった。その『「ひと」でもなく「あやかし」でもない存在』の者に、私が龍籍を与えた。が、知っての通り、私は黄龍の任を解かれる身。私が黄龍でなくなれば、私が龍籍を与えた者たちは、龍籍を離脱することになる。新しい黄龍の就任後、また龍籍を得られる者もいれば、得られない者もいる。―
「ちょっとお待ちください。龍籍の与奪権は『ときの黄龍』のモノではないのですか?父さんの次は、朔という天啓が示されたのですから、朔がそうと決めれば、与えられるのでは?」
「大抵の者は、時を過ごしても、また龍籍を得られるだろう。だがな、晦。卯兎は龍籍を離れれば依り代を失う。そうなったら、卯兎がどうなってしまうのか?私にもわからん」
「わからんって、卯兎は、卯兎はどうなるんだよ!何か方法があるだろ‼」
掴みかからんばかりの青龍・朔を抱きとめたのは、当の卯兎より涙を流している鬼丸だった。
「朔、やめろ!黄龍様だって、お辛いのだ」
「卯兎が消えることも、生成りになることもなく、再び私たちと会える方法がひとつだけある」
卯兎の背を撫でながら、黄龍も涙にくれている。
『なんですっ?そのひとつって!』
双子龍と鬼丸が声を揃えて、黄龍に向き直った。
「それはな…、魂の旅をすることだ」
「魂の、旅・・・?」
泣き腫らした目で黄龍を見上げる卯兎に今度は姫龍が続ける。
「虹の橋を渡り、魂の洗浄を受け、新しい魂で現世へ降りるのです。そして、ひととしての人生を終えて、此処へ戻ってくるのです」
「母さん、それは・・・それは・・・それは、いまの卯兎に死ねと言っているのですか?」
「晦、そうじゃないの。生まれ直しをしたら、此処へ戻れるのよ」
「でも、卯兎は、いまの卯兎はいなくなってしまうじゃないか!」
「朔、卯兎は、卯兎ですよ。生まれ直しても、魂の本質は変わらない。何度生まれ直しても、卯兎は卯兎なんですよ」
「何度?何度って、どういうことです?一度じゃないんですか?」
「あら?言わなかったかしら??ホホホホ・・・」
取り繕うように笑う姫龍の手を両手で包み、頷きながら皆を見回した黄龍。
「七度じゃ。七度の魂の旅を終えたら、幽世の住人となることが許されるはずじゃ」
『七?七度?』
「魂は一度の生まれ直しでは、天界から幽世に降りることは許されん。現世で大きな貢献を果たし、幽世で暮らしておるひとでも、最低でも三度は生まれ直しておる。ましてや卯兎は、一度も現世を生きておらん。七度は必要だろう。七度の魂の旅を終えたのち、天界で魂の洗浄を受けたのち、また現世に戻るか?幽世に降りて暮らすか?選べるはずじゃ」
「もし、それをしなかったら・・・もし生まれ直しを選ばず、朔が黄龍様になるのを待つとしたら…そしたら、私は、私はどうなるんでしょう?」
「卯兎は生まれ直すのが嫌なのか?怖いのか?」
「黄龍様、私を今日まで育てていただいて、心から感謝しています。私がここで真っ当に暮らしてこられたのは、黄龍様のおかげだとわかっています。でも、私がこのままだとどうなるか?黄龍様にもおわかりにならないんですよね?私、このまま朔の黄龍様を待っていても、変わらずいられるかも知れないんですよね?もし、私がバケモノに変わってしまうようなことがあれば、そのときは迷わず成敗してくださって結構ですから。私、このままではいけませんか?お願いします」
卯兎は、板に頭をこすりつけるようにして泣きながら土下座している。
黄龍は、腕組み、顰めた顔を斜め上に向けたまま、軽く握った片手を口元に添えて、なにやらブツブツとつぶやいた。
晦が朔を見やると、朔はまだ頭を抱えたままのうえ、どうやら、泣いているようだ。
「朔?泣いてるのか?大丈夫?」
「泣いてないっ!大丈夫だっ!」
勢いの割には、声は鼻声で泣いているのは明白だ。
晦は、少しため息をつきながら、朔の背を叩いて一緒に俯いていたが、不安そうに見つめてる雪兎と瞳子の方を見て、大丈夫という風に頷いて見せた。
「ねぇ、朔。私も力を貸すから、どうかな?話すんじゃなくて、あの日のことを雪兎と瞳子に幻視で見せるっていうのは・・・。たぶん、私たちがあれこれ話すより伝わるよ。なにより、瞳子は卯兎なんだから」
その言葉に、ハッとして晦を見た朔は、大きく頷いて、朔の右手を握ると、左手を差し出した。晦は朔の差し出された左手に自分の左手を重ねて、二人で印を結ぶと、揃った声で厳かに詞を唱え始めた。
空間がグニャリと歪み、周囲が薄い黄色の靄に包まれた。その靄の向こうに、ぼんやりと映し出された映像は、まるで3Ⅾの映画を見ているような臨場感だ。
いや映像というより、そのときのその場に、瞳子も雪兎も入り込んでしまったという方が合っているかも知れない。
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「卯兎、さすがだな。よしっ。皆揃った。始めよう、懐かしの宴を!」
黄龍の一声で、皆、盃を持ったところで、卯兎が声を上げた。
「黄龍様、せっかくでございます。上の月見棚へ出てみませんか?今日は暖かいですし、夜風も気持ち良うございますよ。皆で上限の月を眺めながら…というのもよろしいでしょ?湯冷めせぬよう、何か羽織るものをお持ちしますので」
月見棚は、幽玄館本館の二階の広間からせり出た板場で、その名の通り、満月の際にはそこで月見をしたり、神事のあとの宴の際の余興などで芝居や踊りを披露する舞台代わりにも使われたりする場所である。とは言え、普段、卯兎たちが勝手に使えたりする場所ではなかったが、この日は身内の宴とはいえ、黄龍の宴。反対できる者などあろうはずがない。
「卯兎、それは良い。なに、御大のお召し物なら、ほれ、ここに。湯のあと、ここへ寄られるだろうとお持ちしているの」
最初に卯兎の提案に弾んだ声で応えたのは、黄龍の妻で、蒼・青の双子龍の母、姫龍だった。
「姫は、よく気が回るのぅ。じゃ。『上限の月の宴』の続きとまいろうか」
黄龍の声に、全員が腰を上げた。
「あ。盃はご自分のをお持ちになって棚へお上がりください。後のものは、私たちが運びますので」
卯兎は、鬼堂・鬼丸に腕を絡みつけてしなだれている結卯に目くばせをする。
卯兎に目くばせされて、唇を尖らせながら、未練たっぷりに鬼丸に絡みつけていた腕を解いて、卓上に並べられていた皿や料理を盆に載せ始めた。
「私も手伝うよ」
蒼龍・晦が、結卯に続いて手際よく盆に皿や料理を載せると立ち上がって運び始めた。
月見棚に全員が揃い、腰を落ち着けたのを見計らって、黄龍が再び声を掛けた。
「さぁ、今度こそ始められるな。ん?皆、良いか?」
黄龍が皆の顔を見回して、盃を上げる。それに倣って、姫龍、蒼龍・晦、青龍・朔、鬼堂・鬼丸、結卯、そして卯兎。それぞれが顔を見回して、黄龍に向けて盃を上げた。
ひととき、昔話に花が咲き、笑い、泣き、また笑って時間を過ごした。
「ところで父さん、何か私たちにお話があったのではないのですか?」
話がひと通り盛り上がりを終えたところで、晦が口を開いた。
「うむ…そのことなのだがな…」
口ごもり、考え込むような様子の黄龍。
「あ。ご家族のお話でしたら、私たちはお暇を…ホレ!」
鬼丸が結卯を急き立てて立たせると、卯兎にも顎を振って、下がるように指示した。
「いや、鬼丸、座ってくれ。お前たちにも居てもらった方がいいだろう。その方が卯兎も心強かろうて」
「え?私?私のお話でございますか?黄龍様直々に?」
『卯兎のこと?なんです?』
双子龍が声を揃えて、黄龍に顔を寄せて迫ると、それを遮るように姫龍が二人の頭を撫でた。
「母さん、いきなりなにするんです?」
「なにするんだよ。いきなり。ガキじゃないぞ!」
「二人とも、卯兎のこと好きなのね。じゃ、お父様の話をしっかり聞いて。そして、考えて。卯兎のために。あなた方のために」
「卯兎、もう一杯くれぬか?」
卯兎が黄龍の盃に酒を満たすと、黄龍はそれをひと舐めして話を始めた。
「卯兎、お前、どうして此処・幽世へ来たか覚えているか?」
卯兎は、俯いて正座した膝に拳をギュッと握りしめたまま、首を横に振る。
「結卯、お前はどうだ?」
「私…かなり昔だから…」
「でも、覚えておるだろう?」
「・・・・あの、私・・・あたしんちは貧乏で、兄ちゃん二人は父ちゃん母ちゃんの仕事を手伝ってて…姉ちゃんは村でも評判の美人。だから綺麗な着物着て、おいしい御飯が食べられる御大尽のところへ行けるって。そのうえに、父ちゃんたちもお銭貰えるって。姉ちゃんと私の間にいたもう一人の兄ちゃんは死んじゃって…。それから…それから弟が生まれて。可愛い子で、あたしがいつもおんぶして面倒みてたんだぁ・・・弟が一歳ひとつになって間もなく飢饉続きで、一家七人、食うや食わずやの日が何日も続いて・・・。姉ちゃんがお大尽の家へ行くのが決まった日。父ちゃん、母ちゃんと握り飯持って山へ・・・。麦や稗だったけど、でも久しぶりの大きな握り飯。うれしかったなぁ。そう、姉ちゃんが十日後に家を出るって決まったから、姉ちゃんに家で染めた布で御守袋作って持たせるのに、その布を染めるのに、槐の蕾や桑の葉や山桃の樹皮なんかを採りにね。父ちゃんと母ちゃんとあたし。握り飯持ってね。・・・いっぱい採れて、『疲れたろう?握り飯おあがり』って母ちゃんが…。あたし、うれしくって。3つ持ってった握り飯、全部食べていいって。うれしかったけど、信に…弟に持って帰ってやろうってひとつは、食べずに懐にしまっといたんだぁ。でも、あたしが握り飯食べてる間に、父ちゃんも母ちゃんもいなくなってて、泣いて叫んだけど、見つからなくて・・・」
結卯はだんだんと涙声になり、声が詰まり話せなくなった。
「結卯、もういいよ。もう思い出さなくていい」
卯兎がそんな結卯の肩を抱き、背を撫でてやりながら、黄龍を睨みつけた。
「いくら黄龍様でもひどすぎます!結卯の辛い思い出をわざわざ掘り返さなくてもいいじゃないですか!それと、私の話。何の関係がっ?」
「悪かったな。悪かった、結卯。そんなつもりはなかったんだ。許してくれ。な?」
「黄龍様、もったいないことでございます。疾うの昔のこと。私も忘れてしまっておりました」
「そうじゃの。忘れてても思い出すことはあるものだ。じゃが、卯兎はどうじゃ?」
「あ、私は・・・。気づいたら、鬼界ヶ原の端にいて、結卯が泣いてて・・・」
「それ以前のことは思い出せないのだな?あ。いや、責めとるわけではないぞ。仕方のないことなのじゃ。でも、もし覚えておったら・・・とな」
『仕方のないこと?』
双子龍、鬼丸、結卯、卯兎が声を揃えて聞き返した。
― うむ。
いま聞いた通り、結卯はいわゆる口減らし…すまんな結卯…で、幽世との境に置き去られた。飢えて、命が尽きる寸前で鬼界ヶ原にたどり着いたところを兎士郎と刑に見つけられて、幽玄館へ来た。
そのとき一緒にいた卯兎も連れて来たんじゃ。姉妹かと思っての。だが、結卯に尋ねても知らぬという。肝心の卯兎は、喋ることができぬ状態じゃった。
卯兎は、どこから来たのか?なぜ来たのか?誰にもわからなかったのじゃ。
現世のひとが、様々な理由で子を幽世との境へ置き去ることが多かった。いまもまだ、あるがの…。悲しいことに。その子らは、飢えて死んだり、獣に食われたりで死んでしまえば、鬼界ヶ原へ来る。その後は鬼界ヶ原の鬼たちが虹の橋まで導いてやる。来世は幸せな人生であることを願いながらの。生きて幽世に迷い込んだ者は、兎士郎や刑が保護して、幽世各所の神殿や宿で引き取ってやっていた。
そして引き取るには、黄龍である私の許可が必要だった。だから、いろいろ調べたのだが、私にもわからん。あやかしの子ではなく、ひとの子だとはわかっていた。だが、死んで鬼界ヶ原へ来たのか?結卯のように死にかけて鬼界ヶ原へ来たのか?生きて迷い込んだのか?なにより、卯兎は肉体を持たずに此処へ来たようだった。
わからぬことだらけの子を引き取るべきか?どうするべきなのか?だから私は、天帝にお伺いを立てた。
天帝からのお答えは、一言。「お前に任せる」とのことだった。そこで、我らで育ててやることになったのだ。
見つけられたときに一緒だったせいか?卯兎は、結卯とは心通じてるようで、喋らない卯兎のことを結卯が一番理解しておったからの。別々の神殿や宿で預かるより、同じところがよかろう。そして卯兎の素性がわからん以上は、兎士郎に、私に近い幽玄館 龍別邸が良かろうということになった。
そこから後は、皆も知っての通りだ。
喋れなかった卯兎が神子の仕事もソツなく熟すようになり、龍籍を得て、もうかなりの年月が過ぎたな。―
「信じられないな。卯兎が喋れなかったなんてな」
青龍・朔が、おどけた表情で真っ青な顔で震えている卯兎の顔を覗きこんだ。
「いまじゃ、祭主とそれが仕える神まで、木べらひとつで動かすくらいになった」
蒼龍も笑顔で卯兎の顔を覗きこんだ。
卯兎は、震えながらもコクコクと首を振り、大丈夫だという風に手を振った。その姿を見て、青龍が黄龍に続けて尋ねた。
「で?父さん、その卯兎の生い立ち?いや、此処へ来た経緯と今夜の話は何が・・・?」
― そうだな。ここからが本題だ。―
「前置き長過ぎだろ!」
「朔、いいから続きを聞こう」
「なんだよ。晦は、いつもいい子だな」
双子のそんなやりとりを微笑みながら聞いていた姫龍が口を開いた。
「御大、お疲れでしょう?少し、お飲みになったら?続きは私がお話ししましょう」
― 御大…現・黄龍様が遠からず引退なさることは、皆さんご存知よね?
黄龍が交代するということは、その黄龍の代に職に就いていた者、龍籍に入った者は、一旦、その身分を解かれる。
兎士郎や秋菟は、神薙としてこの神殿に残るだろうから、龍籍も職もそのままだと思うけど、卯兎や結卯、鬼界ヶ原の珠鬼なんかの、幽世で保護されて育った子らは、一旦、その職を解かれて、龍籍も返上となるわね。あぁ、兎朱は別ね。あの子は、御大から龍籍をいただいたけれど、いまは鳳一族だから。その籍の責務は鳳にありますからね。
問題は、その龍籍から抜けた後のことなのよ。
新たな黄龍がその籍に就いて、天帝から御赦しをいただいて、黄龍としての職権を揮えるようになるまでの時間。私たち神族やあやかしにとっては、そんなに長い時間ではないけれど、龍籍を失った「ひと」にとっては、十分すぎるくらい長い時間かもしれない。
その長い時間の中で、結卯や珠鬼は歳をとっていくだけだろうけれど・・・。
さっきの話の中で、御大は、ハッキリ言うのを避けたのだけど・・・。
卯兎、ごめんなさいね。ハッキリ言うわね?
卯兎は、ひととして現世で生を受けることのないまま、幽世へやってきたのよ。―
「ひととして・・・現世で・・・生を受けてない・・・。私・・・ひとじゃないの?あやかしでもないなら、バケモノ??」
卯兎は、ガクガクと震えながら、尋ねた。
「うーん・・・バケモノだなんて、そんな言い方・・・。違うのよ。違うの。確かに、子どものまま『生成り』になりかけてはいたんだけど、そうならずに済んだ。ひととして現世に生まれられなかっただけなのよ」
姫龍は卯兎を我が子を慈しむように抱きしめた。
「『生成り』って・・・?」
結卯の問いに姫龍が答えようとするのを遮って、黄龍が口を開いた。
「姫、言いづらいことを言わせて悪かったな。ありがとう。ここからは、私が引き継ごう」
黄龍は、手元の盃をじっと見つめ、ひとつ息をついてから、ゆっくりと語り始めた。その瞳の奥には、後悔とも哀しみとも呼べそうな苦渋の思いに揺れていた。
― 本来、『生成り』は、執念や怨念に取りつかれ、般若にも成れぬ、「ひと」にも戻れぬという者がなるのだがな。
卯兎の場合、すでに「ひと」でもなく「あやかし」でもない存在だったからな。でも、「ひと」になるはずだったその魂は、現世に生まれなくとも、現世への、いや現世の何者かへの?なにかへの強い執念や怨念を抱いたまま幽世へ来た。
その暗い思いが強すぎたのか?虹の橋を渡れずに幾年か過ごした頃、瀕死の魂で現れた結卯と出会ったことで、『生成り』にならずに済んだ。
そして、そのまま今日まで来てしまった。その『「ひと」でもなく「あやかし」でもない存在』の者に、私が龍籍を与えた。が、知っての通り、私は黄龍の任を解かれる身。私が黄龍でなくなれば、私が龍籍を与えた者たちは、龍籍を離脱することになる。新しい黄龍の就任後、また龍籍を得られる者もいれば、得られない者もいる。―
「ちょっとお待ちください。龍籍の与奪権は『ときの黄龍』のモノではないのですか?父さんの次は、朔という天啓が示されたのですから、朔がそうと決めれば、与えられるのでは?」
「大抵の者は、時を過ごしても、また龍籍を得られるだろう。だがな、晦。卯兎は龍籍を離れれば依り代を失う。そうなったら、卯兎がどうなってしまうのか?私にもわからん」
「わからんって、卯兎は、卯兎はどうなるんだよ!何か方法があるだろ‼」
掴みかからんばかりの青龍・朔を抱きとめたのは、当の卯兎より涙を流している鬼丸だった。
「朔、やめろ!黄龍様だって、お辛いのだ」
「卯兎が消えることも、生成りになることもなく、再び私たちと会える方法がひとつだけある」
卯兎の背を撫でながら、黄龍も涙にくれている。
『なんですっ?そのひとつって!』
双子龍と鬼丸が声を揃えて、黄龍に向き直った。
「それはな…、魂の旅をすることだ」
「魂の、旅・・・?」
泣き腫らした目で黄龍を見上げる卯兎に今度は姫龍が続ける。
「虹の橋を渡り、魂の洗浄を受け、新しい魂で現世へ降りるのです。そして、ひととしての人生を終えて、此処へ戻ってくるのです」
「母さん、それは・・・それは・・・それは、いまの卯兎に死ねと言っているのですか?」
「晦、そうじゃないの。生まれ直しをしたら、此処へ戻れるのよ」
「でも、卯兎は、いまの卯兎はいなくなってしまうじゃないか!」
「朔、卯兎は、卯兎ですよ。生まれ直しても、魂の本質は変わらない。何度生まれ直しても、卯兎は卯兎なんですよ」
「何度?何度って、どういうことです?一度じゃないんですか?」
「あら?言わなかったかしら??ホホホホ・・・」
取り繕うように笑う姫龍の手を両手で包み、頷きながら皆を見回した黄龍。
「七度じゃ。七度の魂の旅を終えたら、幽世の住人となることが許されるはずじゃ」
『七?七度?』
「魂は一度の生まれ直しでは、天界から幽世に降りることは許されん。現世で大きな貢献を果たし、幽世で暮らしておるひとでも、最低でも三度は生まれ直しておる。ましてや卯兎は、一度も現世を生きておらん。七度は必要だろう。七度の魂の旅を終えたのち、天界で魂の洗浄を受けたのち、また現世に戻るか?幽世に降りて暮らすか?選べるはずじゃ」
「もし、それをしなかったら・・・もし生まれ直しを選ばず、朔が黄龍様になるのを待つとしたら…そしたら、私は、私はどうなるんでしょう?」
「卯兎は生まれ直すのが嫌なのか?怖いのか?」
「黄龍様、私を今日まで育てていただいて、心から感謝しています。私がここで真っ当に暮らしてこられたのは、黄龍様のおかげだとわかっています。でも、私がこのままだとどうなるか?黄龍様にもおわかりにならないんですよね?私、このまま朔の黄龍様を待っていても、変わらずいられるかも知れないんですよね?もし、私がバケモノに変わってしまうようなことがあれば、そのときは迷わず成敗してくださって結構ですから。私、このままではいけませんか?お願いします」
卯兎は、板に頭をこすりつけるようにして泣きながら土下座している。
黄龍は、腕組み、顰めた顔を斜め上に向けたまま、軽く握った片手を口元に添えて、なにやらブツブツとつぶやいた。
