そうは言いつつも、晦・蒼龍も瞳子になんと説明すべきか⁉考えあぐねている様子。
青・蒼、二人の龍は、背中合わせに胡坐を組んだ姿勢のまま、同時に口元に拳を充て、同時にため息をついたかと思えば、また同時に上を向いてなにやら呟いている。
全く同時に、同じポーズをとる二人を見ていると、二人の背中の間に鏡があるのではないかと思うほどだ。
しばらくそうしていたが、先に動いたのは蒼龍・晦だった。
瞳子の方に向き直り、いま一度、天を仰ぎ、青龍・朔に目を向けた。目が合った朔は、「お先にどうぞ」というふうに、仰向けた手のひらを横へ滑らせた。
それを見た晦は、大きくうなずくと瞳子に話しかけた。
「瞳子、雪兎が持ってる盃の中には何が入ってる?」
「お酒でしょ?種類まではわかんないけど…」
「雪兎、私にも一杯くれるかな?」
雪兎は、朔との間に置いていた酒や酒器の載せられたお盆を引き寄せると、徳利から酒を注いで晦に差し出した。
「瞳子さんも飲むかい?」
「日本酒でしょ?私はいいや」
「でも、コレ、瞳子さんの好きな白ワインっぽくて日本酒じゃないみたいだよ?」
「そうなの?じゃ、ちょっとだけもらおうかな?」
雪兎は、薄いピンクの桜の柄のぐい呑みに酒を注いで瞳子に渡し、続けて朔の盃、自分の盃に酒を満たして、朔の前に朔の盃を差し出してから、晦に向き直った。
「お待たせしました。さあ、どうぞ」
「あはははは…伝え聞いてはいたが、瞳子と雪兎は仲が良いのだな。そして雪兎は優しいのだな。さすが、風菟の子孫だな」
「ふ、う、と…?僕の高祖父ですか?ご存知なんですか?」
雪兎は高祖父の名を聞いて、グッと身を乗り出した。
その思わぬ反応に晦は、未だ背を向けたままの朔に助けを求めた。
「あ…え?いや…わ、どうしよう。朔ぅ〜」
呼びかけに横目でチラリと晦を見やって、大げさにため息をついて見せる朔に、晦はますます困惑の様相だ。
「ったく…言ってあっただろ。風兎の話は、今回はナシだって」
「そうだった?あの件を話さなきゃ問題ないのかと思ってたよ」
「あの件?あの件ってなんです?」
雪兎がさらに身を乗り出して、晦に迫る。
晦は、後ろ手で後退りながら、慄いて答える。
「そ、それは…刑に。刑に聞けば詳しくわかる。刑に聞いてくれ」
「また、烏頭さん…ですか…」
雪兎はがっくりと肩を落としてしまった。
「雪兎、後で青龍さんが烏頭さんを呼んでくれるって言ってたじゃない。ね?後で烏頭さんに聞こう。雪兎の高祖父様の話。ね?」
「ん?俺?俺、そんな約束したか?」
「え?え?言ったでしょッ‼俺が呼べばすぐに来るからって‼」
「呼べば、来るとは言ったが、呼ぶとは言っとらん‼」
「あら?神様がウソついていいの?」
「あのなぁー…」
躍起になって言い争いを始めた青龍と瞳子を見つつ、蒼龍は涙ぐんでいる。
「あぁ…何年ぶり…何十年、何百年ぶりだろうな。朔と卯兎の『ジャレあい』を見るのは…」
『ジャレあって、ナイッ‼』
瞳子と青龍・朔に噛みつかれて、その勢いに思わず雪兎の背に隠れる蒼龍・晦。
「まぁまぁ二人とも。僕が悪かったよ。僕のコトは、瞳子さんの話が終わって落ち着いたら、考えてもらうよ。コレじゃ話が進まない。ね?青龍さん?瞳子さんも」
雪兎が割って入り、二人はとりあえず言い合うのを止めたが、目線ではバチバチとヤリ合う気満々。でもそれは、本当にヤリ合う同士のモノではなく、確かに蒼龍のいう『ジャレあい』の域だ。
「話、始めて良いかな?」
『ハイッ』
夫婦して居住まいを正して蒼龍・晦に向き直った。
「もう一度聞くよ。この中身は何?」
瞳子・雪兎夫婦の顔を交互に見つめ、徐に持っていた盃を目の高さまで持ち上げて、晦が尋ねる。
瞳子と雪兎は、顔を見合わせつつ、自信なさげに2人で声を合わせて応える。
『酒・・・ですよね・・・?』
晦は黙ってうなずくと、今度は盆の上の徳利を手にした。
「じゃ、この中身は?」
『酒・・・です・・・』
先ほどと同じく自信なさげに声を揃える2人。
またしても、黙ってうなずき、今度は徳利の酒を赤い切子硝子のグラスに注ぎ、瞳子の前に置いた。
「じゃ、瞳子。コレは?」
「お酒でしょ?徳利の中身がすり替えられてなければ!」
「そんなことするわけないでしょ。する必要もない。なんなら飲んでみる?」
「い、いいわよ」
慌てて遠慮する瞳子を上目遣いに見ながら、晦は自分の盃、グラス、徳利を前に並べた。
「さあ、この中で違うモノは何?」
瞳子は、手品師がするような手つきで両手を広げる晦を訝しげに見ながら首を傾げている。
「何をしたいの?マジック?お酒を何かに変えるとか?なに?」
「瞳子、私は卯兎の話をしたいんだよ。手妻を披露したいわけじゃない。素直に答えてくれていいんだよ」
「お酒が卯兎さんと関係あるの?う〜ん…」
ますます訝しげな表情の瞳子だが、意を決したように口を開いた。
「素直に答えろというのなら、『器』が違うだけよね?盃、グラス、徳利。どれも中身はお酒でしょ?」
「そう!そうだ。『器』が違っても、中身は『酒』なのだ」
「それと卯兎さんに何の関係があるって言うの?」
― ここで言う『酒』は、精魂。
『器』は、肉体だ。だから、『器』が変わっても中身は変わらない。
わかるかい?変わっているのは『器』だけ。そして、ココ・幽世では『器』…いわゆる肉体に大きな意味はないのだ。
『精魂』…これは現世に生きるモノも幽世に生きるモノも変わらず、生あるものに宿るもの。幽世ではこれがしっかりしていれば、肉体という『器』は必要ないのだ。
しかし現世では、肉体という『器』がないことには誰にも認識してもらえない。だから卯兎は何度か器を変えながら現世を生きて、七度目のいま。卯兎は、瞳子という器にいるのだ。
それから幽世の住人である私も朔も、いわゆる肉体はない。いま瞳子たちが見えているのは、私たちの魂のカタチなのだ。―
『え〜〜‼だって…ほら…え〜〜‼!』
腰を抜かさんばかりに驚いて、口をパクパクさせながら、晦と朔を指差しつつのけぞる瞳子夫婦。
― 落ち着け!落ち着くのだ、瞳子よ。雪兎よ。
最近の現世では、『魂』とか『精』よりも肉体が随分大切にされているようだが、昔は現世でも『魂』とか『精』が大切に考えられていたんだ。
個々の持つ『魂』は、『精』の持つ核みたいなモノ。『精』は『魂』を象るものとでもいうかな。もうちょっとカンタンな言い方をすると、『魂』が持っている特徴を表わすのが、『精』。
その『精』が姿形を成して、視覚的に見えていると言えば、わかるかな? ―
「で、でも肉体がないと、モノを持ったり、動かしたりできないでしょ?それに、お酒飲んだり、食事したりできてるのはなんで?」
「現世でも神様や仏様にお供えしたりするだろう?あれって、お供え物を置いておいて、そのお供えはどうなってる?」
「お供えして、ある程度時間が経つと、とりあえず下げるわね。放っておくと腐らせたりするから、食べ物だと『お下がり』として、私たちが戴くかな」
「神様や仏様が召し上がった形跡はあったかい?」
「アハハハ~。あるわけないじゃない」
― ここでさっきの話に戻るよ。『精魂』の話。
『精』はなんにでもある。『水の精』とか『木の精』とか言うだろ?モノにも思いを込めれば、『魂』が宿る。そこに『精』も生まれる。
お供えは、神様や仏様への思いを込めて供えられている。お供えをもらった方は、その思い=『精魂』を戴くのだ。だから、カタチはそのままでもちゃんとお供えを戴いているということだ。
そのものの真髄である『精魂』を頂いているのだから、ちゃんと味も味わってる。わかるかな⁉ ―
「ますますわからないわぁ・・・」
瞳子は、首を振りながら盃を手に取って、眇めている。
「なんとなく、食べたり飲んだりっていうことができるのはわかったけど…モノを持ったり、動かしたりって、肉体がないのにどうして⁉」
「それは、元の話に戻るが、ココ・幽世や天界では肉体は必要ないからさ」
蒼龍・晦は、周りをキョロキョロと見回すと、先ほど秋菟が瞳子たちに茶を淹れたときに使った茶さじを見つけて、瞳子の前に置いた。
「ここでなら、瞳子にもできるはずだよ。この茶さじを手を使わずに持ち上げてごらん」
「はぁ???できるわけないでしょ。ユリ・ゲラーでもあるまいし。ユリ・ゲラーだってスプーンは曲げても手を使わずに持ち上げるなんてできないわよ」
「ゆり?花の精か?花の精ならできるだろうな」
「違うわよ!ユリ・ゲラーっていうのはね、」
「瞳子さん、瞳子さん、見て!できた!僕、できたよ」
さっきまで瞳子の目の前にあった茶さじが雪兎の前に移動している。
「うっそぉ。ホントに?私が見てない間に動かしたでしょ?」
瞳子は疑いの目を向けている。
「ホントだって!もう一回やってみるよ?」
そう言うと、雪兎は茶さじに手を翳して、「ウンッ」と気合を込めた。
茶さじは、プルプルと震えたかと思うと、スーッと滑って瞳子の前へ。
「え?え?なんで?すごいじゃない!超能力?いつの間にそんなチカラ身に着けたの?雪兎ったら!」
「超能力じゃない。なんていうのかな・・・ちゃんと自分で瞳子さんの前に茶さじを滑らせた感覚が手にあるんだ。瞳子さんもやってみてよ。僕にできたんだから、きっと、瞳子さんも…」
雪兎に促され、瞳子は自分の前にある茶さじに、雪兎と同じように手を翳して気合を込めた。…が、茶さじはピクリとも動かない。「ダメだ」という顔で雪兎を見ると、蒼龍・晦が口を挟んだ。
「瞳子、動かしてやる!と思うんじゃなくて、自分で茶さじを取ろうと思ってごらん。普通に手に取るときのように」
「そんなこと言われても、普段、いちいち『茶さじを取りましょう』なんて考えて手をうごかすことなんかないもの・・・」
文句を言いつつも、もう一度茶さじに向き直って、手を翳す瞳子。今度は、目を閉じて、静かに呼吸しつつ、掌を上にして手を翳している。
そうして数十秒。
「瞳子さん、瞳子さんすごいよ!え?信じられない」
雪兎の大声で、目を開けた瞳子。雪兎の指さすところを見ると、瞳子の掌に茶さじが載っている。
「え?なんで?雪兎が置いた?蒼龍さん、あなた?」
瞳子は信じられないという風に、二人の顔を見るも、二人とも静かに首を横に振っている。
「私たちが瞳子の掌に茶さじを載せたか?どうか?それは、瞳子が一番よくわかってるんじゃないのかい?」
「そう言われれば、私、茶さじの感触が手にある。摘まみ上げた感じが指先に・・・」
「ん。そうだ。それが肉体がなくともモノを動かしたり、料理ができたりってコトにつながるんだ。わかってもらえたかい?」
蒼龍・晦が、優しい笑みを湛えながら、瞳子の目を覗き込んだ。
「ま、まぁ、そういうことができるってことはわかったわ。でも、いちいちこんなに集中しなきゃいけないってひとつ物を動かすのに、すごい労力がいるわよ?」
「瞳子、さっき、茶さじを動かす前、なんて言ったかな?『いちいち『茶さじを取りましょう』なんて考えて手をうごかすことなんかない』って言ったな?いまの瞳子たちは、肉体があることに頼って暮らしているから、集中しないと動かせないっていうけれど、私たちにとっては、もう当たり前のことで、いちいち考えて動かすことなんかないんだよ。瞳子たちが無意識に手足を動かすのと同じだ」
「うーん・・・完全に理解するには、まだもう少し時間が必要かもね。まだ、右から左へ『はい、そうですか』って納得はできないけど、なんとなくは、わかったわ」
「それでいいのだ。なにもかもすべてをいますぐわからなくても。少しづつ思い出せばいい」
蒼龍・晦は、満足げに笑うと、持っていた盃の酒を飲み干した。
青・蒼、二人の龍は、背中合わせに胡坐を組んだ姿勢のまま、同時に口元に拳を充て、同時にため息をついたかと思えば、また同時に上を向いてなにやら呟いている。
全く同時に、同じポーズをとる二人を見ていると、二人の背中の間に鏡があるのではないかと思うほどだ。
しばらくそうしていたが、先に動いたのは蒼龍・晦だった。
瞳子の方に向き直り、いま一度、天を仰ぎ、青龍・朔に目を向けた。目が合った朔は、「お先にどうぞ」というふうに、仰向けた手のひらを横へ滑らせた。
それを見た晦は、大きくうなずくと瞳子に話しかけた。
「瞳子、雪兎が持ってる盃の中には何が入ってる?」
「お酒でしょ?種類まではわかんないけど…」
「雪兎、私にも一杯くれるかな?」
雪兎は、朔との間に置いていた酒や酒器の載せられたお盆を引き寄せると、徳利から酒を注いで晦に差し出した。
「瞳子さんも飲むかい?」
「日本酒でしょ?私はいいや」
「でも、コレ、瞳子さんの好きな白ワインっぽくて日本酒じゃないみたいだよ?」
「そうなの?じゃ、ちょっとだけもらおうかな?」
雪兎は、薄いピンクの桜の柄のぐい呑みに酒を注いで瞳子に渡し、続けて朔の盃、自分の盃に酒を満たして、朔の前に朔の盃を差し出してから、晦に向き直った。
「お待たせしました。さあ、どうぞ」
「あはははは…伝え聞いてはいたが、瞳子と雪兎は仲が良いのだな。そして雪兎は優しいのだな。さすが、風菟の子孫だな」
「ふ、う、と…?僕の高祖父ですか?ご存知なんですか?」
雪兎は高祖父の名を聞いて、グッと身を乗り出した。
その思わぬ反応に晦は、未だ背を向けたままの朔に助けを求めた。
「あ…え?いや…わ、どうしよう。朔ぅ〜」
呼びかけに横目でチラリと晦を見やって、大げさにため息をついて見せる朔に、晦はますます困惑の様相だ。
「ったく…言ってあっただろ。風兎の話は、今回はナシだって」
「そうだった?あの件を話さなきゃ問題ないのかと思ってたよ」
「あの件?あの件ってなんです?」
雪兎がさらに身を乗り出して、晦に迫る。
晦は、後ろ手で後退りながら、慄いて答える。
「そ、それは…刑に。刑に聞けば詳しくわかる。刑に聞いてくれ」
「また、烏頭さん…ですか…」
雪兎はがっくりと肩を落としてしまった。
「雪兎、後で青龍さんが烏頭さんを呼んでくれるって言ってたじゃない。ね?後で烏頭さんに聞こう。雪兎の高祖父様の話。ね?」
「ん?俺?俺、そんな約束したか?」
「え?え?言ったでしょッ‼俺が呼べばすぐに来るからって‼」
「呼べば、来るとは言ったが、呼ぶとは言っとらん‼」
「あら?神様がウソついていいの?」
「あのなぁー…」
躍起になって言い争いを始めた青龍と瞳子を見つつ、蒼龍は涙ぐんでいる。
「あぁ…何年ぶり…何十年、何百年ぶりだろうな。朔と卯兎の『ジャレあい』を見るのは…」
『ジャレあって、ナイッ‼』
瞳子と青龍・朔に噛みつかれて、その勢いに思わず雪兎の背に隠れる蒼龍・晦。
「まぁまぁ二人とも。僕が悪かったよ。僕のコトは、瞳子さんの話が終わって落ち着いたら、考えてもらうよ。コレじゃ話が進まない。ね?青龍さん?瞳子さんも」
雪兎が割って入り、二人はとりあえず言い合うのを止めたが、目線ではバチバチとヤリ合う気満々。でもそれは、本当にヤリ合う同士のモノではなく、確かに蒼龍のいう『ジャレあい』の域だ。
「話、始めて良いかな?」
『ハイッ』
夫婦して居住まいを正して蒼龍・晦に向き直った。
「もう一度聞くよ。この中身は何?」
瞳子・雪兎夫婦の顔を交互に見つめ、徐に持っていた盃を目の高さまで持ち上げて、晦が尋ねる。
瞳子と雪兎は、顔を見合わせつつ、自信なさげに2人で声を合わせて応える。
『酒・・・ですよね・・・?』
晦は黙ってうなずくと、今度は盆の上の徳利を手にした。
「じゃ、この中身は?」
『酒・・・です・・・』
先ほどと同じく自信なさげに声を揃える2人。
またしても、黙ってうなずき、今度は徳利の酒を赤い切子硝子のグラスに注ぎ、瞳子の前に置いた。
「じゃ、瞳子。コレは?」
「お酒でしょ?徳利の中身がすり替えられてなければ!」
「そんなことするわけないでしょ。する必要もない。なんなら飲んでみる?」
「い、いいわよ」
慌てて遠慮する瞳子を上目遣いに見ながら、晦は自分の盃、グラス、徳利を前に並べた。
「さあ、この中で違うモノは何?」
瞳子は、手品師がするような手つきで両手を広げる晦を訝しげに見ながら首を傾げている。
「何をしたいの?マジック?お酒を何かに変えるとか?なに?」
「瞳子、私は卯兎の話をしたいんだよ。手妻を披露したいわけじゃない。素直に答えてくれていいんだよ」
「お酒が卯兎さんと関係あるの?う〜ん…」
ますます訝しげな表情の瞳子だが、意を決したように口を開いた。
「素直に答えろというのなら、『器』が違うだけよね?盃、グラス、徳利。どれも中身はお酒でしょ?」
「そう!そうだ。『器』が違っても、中身は『酒』なのだ」
「それと卯兎さんに何の関係があるって言うの?」
― ここで言う『酒』は、精魂。
『器』は、肉体だ。だから、『器』が変わっても中身は変わらない。
わかるかい?変わっているのは『器』だけ。そして、ココ・幽世では『器』…いわゆる肉体に大きな意味はないのだ。
『精魂』…これは現世に生きるモノも幽世に生きるモノも変わらず、生あるものに宿るもの。幽世ではこれがしっかりしていれば、肉体という『器』は必要ないのだ。
しかし現世では、肉体という『器』がないことには誰にも認識してもらえない。だから卯兎は何度か器を変えながら現世を生きて、七度目のいま。卯兎は、瞳子という器にいるのだ。
それから幽世の住人である私も朔も、いわゆる肉体はない。いま瞳子たちが見えているのは、私たちの魂のカタチなのだ。―
『え〜〜‼だって…ほら…え〜〜‼!』
腰を抜かさんばかりに驚いて、口をパクパクさせながら、晦と朔を指差しつつのけぞる瞳子夫婦。
― 落ち着け!落ち着くのだ、瞳子よ。雪兎よ。
最近の現世では、『魂』とか『精』よりも肉体が随分大切にされているようだが、昔は現世でも『魂』とか『精』が大切に考えられていたんだ。
個々の持つ『魂』は、『精』の持つ核みたいなモノ。『精』は『魂』を象るものとでもいうかな。もうちょっとカンタンな言い方をすると、『魂』が持っている特徴を表わすのが、『精』。
その『精』が姿形を成して、視覚的に見えていると言えば、わかるかな? ―
「で、でも肉体がないと、モノを持ったり、動かしたりできないでしょ?それに、お酒飲んだり、食事したりできてるのはなんで?」
「現世でも神様や仏様にお供えしたりするだろう?あれって、お供え物を置いておいて、そのお供えはどうなってる?」
「お供えして、ある程度時間が経つと、とりあえず下げるわね。放っておくと腐らせたりするから、食べ物だと『お下がり』として、私たちが戴くかな」
「神様や仏様が召し上がった形跡はあったかい?」
「アハハハ~。あるわけないじゃない」
― ここでさっきの話に戻るよ。『精魂』の話。
『精』はなんにでもある。『水の精』とか『木の精』とか言うだろ?モノにも思いを込めれば、『魂』が宿る。そこに『精』も生まれる。
お供えは、神様や仏様への思いを込めて供えられている。お供えをもらった方は、その思い=『精魂』を戴くのだ。だから、カタチはそのままでもちゃんとお供えを戴いているということだ。
そのものの真髄である『精魂』を頂いているのだから、ちゃんと味も味わってる。わかるかな⁉ ―
「ますますわからないわぁ・・・」
瞳子は、首を振りながら盃を手に取って、眇めている。
「なんとなく、食べたり飲んだりっていうことができるのはわかったけど…モノを持ったり、動かしたりって、肉体がないのにどうして⁉」
「それは、元の話に戻るが、ココ・幽世や天界では肉体は必要ないからさ」
蒼龍・晦は、周りをキョロキョロと見回すと、先ほど秋菟が瞳子たちに茶を淹れたときに使った茶さじを見つけて、瞳子の前に置いた。
「ここでなら、瞳子にもできるはずだよ。この茶さじを手を使わずに持ち上げてごらん」
「はぁ???できるわけないでしょ。ユリ・ゲラーでもあるまいし。ユリ・ゲラーだってスプーンは曲げても手を使わずに持ち上げるなんてできないわよ」
「ゆり?花の精か?花の精ならできるだろうな」
「違うわよ!ユリ・ゲラーっていうのはね、」
「瞳子さん、瞳子さん、見て!できた!僕、できたよ」
さっきまで瞳子の目の前にあった茶さじが雪兎の前に移動している。
「うっそぉ。ホントに?私が見てない間に動かしたでしょ?」
瞳子は疑いの目を向けている。
「ホントだって!もう一回やってみるよ?」
そう言うと、雪兎は茶さじに手を翳して、「ウンッ」と気合を込めた。
茶さじは、プルプルと震えたかと思うと、スーッと滑って瞳子の前へ。
「え?え?なんで?すごいじゃない!超能力?いつの間にそんなチカラ身に着けたの?雪兎ったら!」
「超能力じゃない。なんていうのかな・・・ちゃんと自分で瞳子さんの前に茶さじを滑らせた感覚が手にあるんだ。瞳子さんもやってみてよ。僕にできたんだから、きっと、瞳子さんも…」
雪兎に促され、瞳子は自分の前にある茶さじに、雪兎と同じように手を翳して気合を込めた。…が、茶さじはピクリとも動かない。「ダメだ」という顔で雪兎を見ると、蒼龍・晦が口を挟んだ。
「瞳子、動かしてやる!と思うんじゃなくて、自分で茶さじを取ろうと思ってごらん。普通に手に取るときのように」
「そんなこと言われても、普段、いちいち『茶さじを取りましょう』なんて考えて手をうごかすことなんかないもの・・・」
文句を言いつつも、もう一度茶さじに向き直って、手を翳す瞳子。今度は、目を閉じて、静かに呼吸しつつ、掌を上にして手を翳している。
そうして数十秒。
「瞳子さん、瞳子さんすごいよ!え?信じられない」
雪兎の大声で、目を開けた瞳子。雪兎の指さすところを見ると、瞳子の掌に茶さじが載っている。
「え?なんで?雪兎が置いた?蒼龍さん、あなた?」
瞳子は信じられないという風に、二人の顔を見るも、二人とも静かに首を横に振っている。
「私たちが瞳子の掌に茶さじを載せたか?どうか?それは、瞳子が一番よくわかってるんじゃないのかい?」
「そう言われれば、私、茶さじの感触が手にある。摘まみ上げた感じが指先に・・・」
「ん。そうだ。それが肉体がなくともモノを動かしたり、料理ができたりってコトにつながるんだ。わかってもらえたかい?」
蒼龍・晦が、優しい笑みを湛えながら、瞳子の目を覗き込んだ。
「ま、まぁ、そういうことができるってことはわかったわ。でも、いちいちこんなに集中しなきゃいけないってひとつ物を動かすのに、すごい労力がいるわよ?」
「瞳子、さっき、茶さじを動かす前、なんて言ったかな?『いちいち『茶さじを取りましょう』なんて考えて手をうごかすことなんかない』って言ったな?いまの瞳子たちは、肉体があることに頼って暮らしているから、集中しないと動かせないっていうけれど、私たちにとっては、もう当たり前のことで、いちいち考えて動かすことなんかないんだよ。瞳子たちが無意識に手足を動かすのと同じだ」
「うーん・・・完全に理解するには、まだもう少し時間が必要かもね。まだ、右から左へ『はい、そうですか』って納得はできないけど、なんとなくは、わかったわ」
「それでいいのだ。なにもかもすべてをいますぐわからなくても。少しづつ思い出せばいい」
蒼龍・晦は、満足げに笑うと、持っていた盃の酒を飲み干した。
