瞳子が目を覚まして身を起こすと、銀髪の長い髪の若い男性と雪兎が酒を酌み交わしている。
「ゆ、雪兎?」
「瞳子さんッ‼目が覚めたかい?」
「なに?私、どうしたの?」
ハッキリしない意識のなか、キョロキョロと自分の身の回りや体を見回す瞳子の目に、『サルバトール・ムンディ』が…。
「さ、さ、サルバトール・ムンディ‼」
また意識を失いそうになった瞳子をすかさず支えたのは、雪兎ではなく件の「サルバトール・ムンディ」だった。
「誰が、猿なのだ?私は龍であって、猿ではないっ‼」
「青龍さん、さっき説明したじゃないですか。猿じゃなくて、“サルバトール・ムンディ“ですって。西洋の神様の、しかも肖像画なんですよ」
「ふんっ。そうだったな。しかし、なんでそいつが出てくると、死ぬのだ?」
「それもさっき説明しましたよね?」
「そうだったか?」
「少し酔われましたか?」
「そうかもな。アハハハハ」
『サルバトール・ムンディ』とすっかり打ち解けた雰囲気の雪兎を見て、瞳子は意識がハッキリするごとになんだか腹が立ってきた。
「何よ!私が死にそうになってるときに、よくお酒なんか呑んでられるわねっ‼」
「おっと、瞳子さん。ホントに死にそうだったら、酒なんか呑めるわけがないじゃないか。無事なのがわかって、そしてただ気を失っただけだってわかったから、目が覚めるまでの間、おしゃべりしながら少し呑んだだけだよ」
ニッコリとほほえんで、瞳子の頭をポンポンっとする雪兎に、もうそれ以上怒る気がしなくなった。
「それより、いつまで青龍さんの腕のなかにいるつもりだい?」
瞳子は雪兎に言われて初めて、青龍に抱きとめられたままだったコトに改めて気づき、慌てて離れると、パタパタと自分の身を払って、慌てて雪兎の背に身を寄せた。
「ずいぶん嫌われてるモノだな…」
『青龍』と雪兎に呼ばれていたサルバトール・ムンディは、口角の片側だけを上げて自嘲するように笑って呟いた。
「そんなことはないと思いますよ。まだサルバトール・ムンディを引きずっているだけで…ねぇ、瞳子さん?」
雪兎は、瞳子の肩を抱き寄せて自分の隣に引き寄せた。
「こちらは、青龍さん。瞳子さんのサルバトール・ムンディではないよ。こちらの世の神様のおひとりだそうだよ。そして、今回、僕らがココへ来ることになったツアーの主催者だ」
「…そ、そうなの?…は、はじめまして。瞳子です」
「はじめまして…か。そうだな。『瞳子』としては、はじめましてなんだな」
またしても自嘲するような笑みを見せる青龍。その笑みは、悪いことはしてないはずなのに、瞳子に何か悪いことをしてしまったような気持ちを抱かせる。
「あのぅ・・・セイリュウさん?ちょっとお伺いしても・・・?」
瞳子が恐る恐る口を開いた。
改めて瞳子の方へ向き直って座り直した青龍が「どうぞ」という風に掌を水平に滑らせて、瞳子を見つめた。
「あの、漣クンとか、月影さんから聞いたんだけど、お探しの方がいるとか・・・?あ。私じゃなくて。神子の方・・・」
「あぁ。そうだ。だが、その質問に答える前に、ちょっと待て。『漣クン』と言ったな。漣とはずいぶん親しげだな」
拗ねたような目で瞳子を睨む姿は、まるで子どもだ。
「親しいってわけじゃないですけど、こちらへ来る前に何度かお会いしてるし、そのうちにはケンカになったこともあったり・・・。あ。もちろん、和解してますよ。キチンと。それに、ここまでも案内してくれたし。だから、何となく近しい感じがして、私も雪兎も『漣クン』と呼ばせてもらってますけど・・・いけなかったですか?」
「ふんっ!漣っていうのは、幼名でな。ヤツも『一龍齋』という立派な名を賜っている神族のひとりだ」
『えぇ‼神様なんですか?漣クン・・・いや、天目さん・・・』
いまさらながらに、驚く瞳子と雪兎。
「そういえば最初にウチへみえたときに、景子ちゃんが「あやかしですか?」って尋ねたら、烏頭さんは、天狗のあやかしだけど、自分は神族だって言ってたような気がする・・・」
「うっそぉ。私、神様相手にケンカ吹っ掛けちゃったってこと?雪兎ぉ、どうしよう・・・ホントは漣クンすごい怒ってて、バチ当たったりしない?」
「大丈夫だよ。漣クンだって、そこまで子どもじゃないさ。神さまなんだもの、きっと広い心を持ってるよ。それでも、ま。後先考えずに突っ走るのが瞳子さんの悪いところだけど、誰に対しても表裏がないっていうのは、すごくいいところだと思うよ」
「雪兎がそう言ってくれるから、私はやっていける・・・ありがとね」
「僕の方こそ、瞳子さんに救われてることばかりだよ」
「おいっ!そこのふたりっ!そろそろ二人きりの世界から戻ってこい!」
声を掛けられて、ハッとして青龍に向き直る2人。
「聞いてはいたが、ほんとに仲が良いのだな」
そういう青龍は、また何とも言えない寂し気な笑い方をする。(俺と卯兎もあぁやって笑いあえてた日があったのにな…)
「で?さっきの質問の件ですけど…?」
瞳子は俯き加減の青龍の瞳めを覗き込むようにして、尋ねた。
「あ。なんだったかな・・・あぁ。私が探してた神子のことか・・・あれは、幼馴染で…俺の嫁になるはずだった」
― 卯兎と言うのだ。
父さん…あ。父は黄龍といって、この幽世を取りまとめる幽世の長だ。―
青龍は、幽世のなかでの龍の地位とその龍のなかで『黄龍の八龍』がいること、黄龍や八龍は世襲制ではなく天啓が下ることなどを話して聞かせた。
「へぇ…青龍さんってエラいのね。まだお若く見えるのに…」
― 卯兎は、聞いている通り神子だった。龍神付の。
だからココに住んで、神事の際は神子として務め、普段はこの宿の一階にある『めし処』で働いていた。働いていたというか、営んでいたというか・・・。
ひとの世界と違って、商売でやっていたわけじゃないから、営んでいたっていうのも少し違うな。
卯兎は、働くのが好きでな。神事のないときにジッとしているのがイヤだと、宿の厨房の隣にあった食糧庫の一部を改装して、『めし処』を始めて、あやかしたちや神薙、そして俺たちに得意の料理を振舞っていたんだ。―
「商売じゃないのに、店??なんだか不思議な感じだね」
「まぁ、ある種、集会所の様相だったな。気ままに来て、食って、飲んで、話して…」
青龍は遠い目をしながら続けた。
― 卯兎の料理の腕は宿の厨人も舌を巻くほどだった。饗食ではないけれど、誰もが食べてホッとするような、食べただけで気持ちが和むようなそんな料理だった。
それから卯兎は、聞き上手でな。
あやかしも、ひとである神薙も、腹がくちくなって、酒も進めば、口が緩くなる。愚痴だったり、悩みだったりいろいろと出てくるひとつひとつに耳を傾けてくれて、ひとりひとりの心に寄り添ってくれる。そんなヤツだった。だから、神薙たちからもあやかしたちからも、私たち神族からも卯兎は好かれていた。
「めし処」には、卯兎の旨い飯を食いに行くというより、卯兎と話がしたくて、話を聞いてもらいたくて行く者が多かったんだ。卯兎の存在に皆、救われていた。なにより俺が一番救われていたんだと思う。―
「そんな卯兎さんが、なぜいなくなったの?なんでも『龍籍』とかいう籍に入ってたから、あなた方と同じように不老不死だったのを捨ててまでいなくなったのはなぜ?」
青龍は、拳を握りしめて俯いていたが、洟を啜り上げるようにして頭かぶりを振りながら、上を向いて大きくひと息ついた。
「・・・卯兎は、本当の卯兎になりたかったんだ」
『本当の…卯兎さん??』
瞳子夫婦が声を揃えて尋ねたが、青龍は、それには答えず、手にしていた盃を一息に煽って、大きく息を吐き出した。
「ゆ、雪兎?」
「瞳子さんッ‼目が覚めたかい?」
「なに?私、どうしたの?」
ハッキリしない意識のなか、キョロキョロと自分の身の回りや体を見回す瞳子の目に、『サルバトール・ムンディ』が…。
「さ、さ、サルバトール・ムンディ‼」
また意識を失いそうになった瞳子をすかさず支えたのは、雪兎ではなく件の「サルバトール・ムンディ」だった。
「誰が、猿なのだ?私は龍であって、猿ではないっ‼」
「青龍さん、さっき説明したじゃないですか。猿じゃなくて、“サルバトール・ムンディ“ですって。西洋の神様の、しかも肖像画なんですよ」
「ふんっ。そうだったな。しかし、なんでそいつが出てくると、死ぬのだ?」
「それもさっき説明しましたよね?」
「そうだったか?」
「少し酔われましたか?」
「そうかもな。アハハハハ」
『サルバトール・ムンディ』とすっかり打ち解けた雰囲気の雪兎を見て、瞳子は意識がハッキリするごとになんだか腹が立ってきた。
「何よ!私が死にそうになってるときに、よくお酒なんか呑んでられるわねっ‼」
「おっと、瞳子さん。ホントに死にそうだったら、酒なんか呑めるわけがないじゃないか。無事なのがわかって、そしてただ気を失っただけだってわかったから、目が覚めるまでの間、おしゃべりしながら少し呑んだだけだよ」
ニッコリとほほえんで、瞳子の頭をポンポンっとする雪兎に、もうそれ以上怒る気がしなくなった。
「それより、いつまで青龍さんの腕のなかにいるつもりだい?」
瞳子は雪兎に言われて初めて、青龍に抱きとめられたままだったコトに改めて気づき、慌てて離れると、パタパタと自分の身を払って、慌てて雪兎の背に身を寄せた。
「ずいぶん嫌われてるモノだな…」
『青龍』と雪兎に呼ばれていたサルバトール・ムンディは、口角の片側だけを上げて自嘲するように笑って呟いた。
「そんなことはないと思いますよ。まだサルバトール・ムンディを引きずっているだけで…ねぇ、瞳子さん?」
雪兎は、瞳子の肩を抱き寄せて自分の隣に引き寄せた。
「こちらは、青龍さん。瞳子さんのサルバトール・ムンディではないよ。こちらの世の神様のおひとりだそうだよ。そして、今回、僕らがココへ来ることになったツアーの主催者だ」
「…そ、そうなの?…は、はじめまして。瞳子です」
「はじめまして…か。そうだな。『瞳子』としては、はじめましてなんだな」
またしても自嘲するような笑みを見せる青龍。その笑みは、悪いことはしてないはずなのに、瞳子に何か悪いことをしてしまったような気持ちを抱かせる。
「あのぅ・・・セイリュウさん?ちょっとお伺いしても・・・?」
瞳子が恐る恐る口を開いた。
改めて瞳子の方へ向き直って座り直した青龍が「どうぞ」という風に掌を水平に滑らせて、瞳子を見つめた。
「あの、漣クンとか、月影さんから聞いたんだけど、お探しの方がいるとか・・・?あ。私じゃなくて。神子の方・・・」
「あぁ。そうだ。だが、その質問に答える前に、ちょっと待て。『漣クン』と言ったな。漣とはずいぶん親しげだな」
拗ねたような目で瞳子を睨む姿は、まるで子どもだ。
「親しいってわけじゃないですけど、こちらへ来る前に何度かお会いしてるし、そのうちにはケンカになったこともあったり・・・。あ。もちろん、和解してますよ。キチンと。それに、ここまでも案内してくれたし。だから、何となく近しい感じがして、私も雪兎も『漣クン』と呼ばせてもらってますけど・・・いけなかったですか?」
「ふんっ!漣っていうのは、幼名でな。ヤツも『一龍齋』という立派な名を賜っている神族のひとりだ」
『えぇ‼神様なんですか?漣クン・・・いや、天目さん・・・』
いまさらながらに、驚く瞳子と雪兎。
「そういえば最初にウチへみえたときに、景子ちゃんが「あやかしですか?」って尋ねたら、烏頭さんは、天狗のあやかしだけど、自分は神族だって言ってたような気がする・・・」
「うっそぉ。私、神様相手にケンカ吹っ掛けちゃったってこと?雪兎ぉ、どうしよう・・・ホントは漣クンすごい怒ってて、バチ当たったりしない?」
「大丈夫だよ。漣クンだって、そこまで子どもじゃないさ。神さまなんだもの、きっと広い心を持ってるよ。それでも、ま。後先考えずに突っ走るのが瞳子さんの悪いところだけど、誰に対しても表裏がないっていうのは、すごくいいところだと思うよ」
「雪兎がそう言ってくれるから、私はやっていける・・・ありがとね」
「僕の方こそ、瞳子さんに救われてることばかりだよ」
「おいっ!そこのふたりっ!そろそろ二人きりの世界から戻ってこい!」
声を掛けられて、ハッとして青龍に向き直る2人。
「聞いてはいたが、ほんとに仲が良いのだな」
そういう青龍は、また何とも言えない寂し気な笑い方をする。(俺と卯兎もあぁやって笑いあえてた日があったのにな…)
「で?さっきの質問の件ですけど…?」
瞳子は俯き加減の青龍の瞳めを覗き込むようにして、尋ねた。
「あ。なんだったかな・・・あぁ。私が探してた神子のことか・・・あれは、幼馴染で…俺の嫁になるはずだった」
― 卯兎と言うのだ。
父さん…あ。父は黄龍といって、この幽世を取りまとめる幽世の長だ。―
青龍は、幽世のなかでの龍の地位とその龍のなかで『黄龍の八龍』がいること、黄龍や八龍は世襲制ではなく天啓が下ることなどを話して聞かせた。
「へぇ…青龍さんってエラいのね。まだお若く見えるのに…」
― 卯兎は、聞いている通り神子だった。龍神付の。
だからココに住んで、神事の際は神子として務め、普段はこの宿の一階にある『めし処』で働いていた。働いていたというか、営んでいたというか・・・。
ひとの世界と違って、商売でやっていたわけじゃないから、営んでいたっていうのも少し違うな。
卯兎は、働くのが好きでな。神事のないときにジッとしているのがイヤだと、宿の厨房の隣にあった食糧庫の一部を改装して、『めし処』を始めて、あやかしたちや神薙、そして俺たちに得意の料理を振舞っていたんだ。―
「商売じゃないのに、店??なんだか不思議な感じだね」
「まぁ、ある種、集会所の様相だったな。気ままに来て、食って、飲んで、話して…」
青龍は遠い目をしながら続けた。
― 卯兎の料理の腕は宿の厨人も舌を巻くほどだった。饗食ではないけれど、誰もが食べてホッとするような、食べただけで気持ちが和むようなそんな料理だった。
それから卯兎は、聞き上手でな。
あやかしも、ひとである神薙も、腹がくちくなって、酒も進めば、口が緩くなる。愚痴だったり、悩みだったりいろいろと出てくるひとつひとつに耳を傾けてくれて、ひとりひとりの心に寄り添ってくれる。そんなヤツだった。だから、神薙たちからもあやかしたちからも、私たち神族からも卯兎は好かれていた。
「めし処」には、卯兎の旨い飯を食いに行くというより、卯兎と話がしたくて、話を聞いてもらいたくて行く者が多かったんだ。卯兎の存在に皆、救われていた。なにより俺が一番救われていたんだと思う。―
「そんな卯兎さんが、なぜいなくなったの?なんでも『龍籍』とかいう籍に入ってたから、あなた方と同じように不老不死だったのを捨ててまでいなくなったのはなぜ?」
青龍は、拳を握りしめて俯いていたが、洟を啜り上げるようにして頭かぶりを振りながら、上を向いて大きくひと息ついた。
「・・・卯兎は、本当の卯兎になりたかったんだ」
『本当の…卯兎さん??』
瞳子夫婦が声を揃えて尋ねたが、青龍は、それには答えず、手にしていた盃を一息に煽って、大きく息を吐き出した。
