幽玄館 龍別邸の一階。めし処。
 異形の者たちに囲まれ、混乱して、震えながら頭を抱えている景子の様子を見て、色白の白髪の少女と狐耳の少女が抱きついてきた。

『私たちのこと、忘れちゃったのぉ??』
 泣きながら抱きついてきた二人を振り払うこともできず、かと言って受け入れることもできないまま、景子は目線で漣に助けを求めた。

「これでもダメか・・・」
 漣は景子の目線に応えることなく、刑と兎士郎に耳打ちをしている。

「荒療治だが、仕方ないか…でも、そうなると現世での『景子』はどうするんじゃ?」
 なにか不穏なことが起きそうな気配の刑の発言に、景子は声も出せず、口をパクパクしている。
 そんな景子に構うことなく漣が刑の言葉に被せるように答える。

「刑様、そこのところは、ぬかりなく・・・」
 語尾に続く言葉は聞こえない。

「しかし、元々、神事で粗相するわ、大事な御勤めの御印(みしるし)を失くしたうえに、我をも失くしてしまうヤツにそのような器用な真似ができようか?のう?」
 兎士郎が刑に問いかける。
「うむ。心配なのは、そこじゃなぁ…」
「卯兎様さえお目覚めくだされば…」

 ものすごく残念なモノをみるように3人は景子を見つめている。
 異形の少女2人に抱きしめられていた景子は、ようやく二人を振りほどき、立ち上がった。
「なんだかわかりませんけど、帰ります!ウコさぁ~ん!雪兎さぁ~~ん‼」

 荷物を持って、一歩踏み出そうとしたとき、グラリと体が傾いた。
 漣が腕を差し出し、受け止めて小上がりに改めて横に寝かせた。

 (あぁ…漣さんの腕のなかぁ…幸せ♡)などと、脳天気な景子であったが、意識が遠のく寸前に先ほどの抱きついてきた少女2人が細い針のようなモノを手にしていたコトを知って、自分の身の上に何かとんでもないことが起ころうとしていることだけはわかった。
 しかし、意識が薄れゆくこの状態では、為す術なく、成り行きに身を任せるしかない。
  そんな景子に、二人の少女が耳元で静かに囁いた。

「もう大丈夫だよ…結卯…」

 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

 手を胸元で組ませ、寝かせた景子の周りを兎士郎と手下てかの神薙たち、刑、そして漣が囲むように座っている。
 そこへ先ほど景子に抱きついた二人の少女が恭しく龍の蒔絵が施された衣装盆を掲げて、兎士郎に差しだした。
 衣装盆の上に左手を添え、右掌で天を支えるかのように腕を強く突き上げて伸ばすと、目を閉じた。小さな老体から出されたとは思えない威圧感と威厳のある低い声で、祈りの詞ことばを発し、その最後に突き上げていた右手を気合と共に左手に重ねた。
 その刹那。盆からふわりと衣が浮いて、また盆の中に落ちた。
 兎士郎は少女たちから衣装盆を受け取り、刑ぎょうの前に差し出すと、手は盆を掲げたまま跪いて頭こうべを垂れた。
 刑は、跪く兎士郎の肩に右手を添え、「えぇいっ!」大声で一喝したかと思うと大きな烏天狗に姿を変えた。

『うわっ!』

 小さな異形のモノ=幽世のあやかしたちは、その迫力に腰を抜かす者も、泣き出す者も…。いずれも小さき者たちは震えあがっている。
 衣装盆を兎士郎に引き渡したあと、脇に控えて頭を垂れて神妙にしていた少女二人が刑を見上げると、静かに頷いている。それを見て、少女たちは足早に怖がる者たちの隣に歩み寄り、寄り添った。そして優しく抱き包みながら、また静かに頭を垂れた。震えていた者たちも安心したかのように少女たちに身を預けながら、彼女たちに倣って頭を垂れた。
 その様子を下目に見ていた刑は、皆が落ち着くのを確認すると、左手に持った羽団扇を衣装盆に翳し、右手の錫杖を大きく『シャンッ』と鳴らした。
 その場にピリリとした空気が張りつめ、唱えられる祈りの詞の合間に響く錫杖の音。刑の低く唸るような詞が空間を包み込むように響き渡り、錫杖の音の合間合間に、小さな稲妻が盆の上に幾筋も走る。
 しばらくして、羽団扇を衣装盆の上に翳したまま、祈りを続けながら体の向きを漣に向ける。
 漣は、それまで伏せていた顔を上げるとクワッと目を見開いて、全身に力を込めた。
 その場の空気が一層清涼で清浄な緊張に包まれたと同時に、黒鋼のように輝く胴体とまさしく黒鋼の眼帯を左目に付けた龍が一体、空くうに姿を現した。
 刑の重々しい祈りと錫杖の音が響き渡るなか、龍は一度、二度と弧を描きつつ、空を上下したかと思うと大きく頭かぶりを振って、眼帯を振り落とした。
  コンっ・・・カラカラカラ・・・
 静粛ななかに乾いた音が響き渡る。神薙のひとりが中腰のまま、眼帯を拾いに走り、懐の袱紗に包み、掲げながら元の位置に戻った。
 眼帯の取れた左目は閉じられていたが、刑の一層大きな祈りの声を受けて、見開かれた。その目は燃え盛る炎のように赫かった。その赫い瞳が一層の輝きを放ったと同時に、周囲を赫く染め、次にはまばゆく白い光がすべてを包み込んだ。
 そこにいた者たちがまばゆさに目を閉じて、開けた次の瞬間には、刑の祈りも止み、漣も最初からそうしていたかのように、刑の傍らに頭を垂れて座っていた。当の刑もまた、普段の小柄な老人に戻っていた。

「さて、目覚めてもらうぞ」
 兎士郎はそういうと、神薙たちが掲げた衣装盆から取り出した龍の紋の千早を広げ、改めて刑と漣に向って掲げ、一礼し、景子に掛けた。そして徐に、衣装盆の隅にあった小さな紅い玉を指で摘まみあげ、景子の口に含ませた。ここまでを終えて兎士郎が半歩下がると、神薙たちが進み出て景子の上半身を持ち上げ、御神酒を含ませて、その赤い玉を飲み込ませた。
 景子の周りを囲む兎士郎と神薙たち、刑、漣が揃って、手を合わせると、二度大きな柏手を打った。
 その音に、建物がビリビリと震える。柏手の残響がぐわわわ~んっと部屋全体からそれぞれの耳に吸い込まれて静寂が戻った。

「・・・・・あれ?ここ・・・・『めし処』?え?私って、どうしたの?」

 体を起こしてキョロキョロする景子に、二人の少女が駆け寄った。

結卯(ゆう)ぅ~』
紗雪(さゆき)に、弥狐(やこ)じゃない!なんだか不思議と懐かしい気分だよ!」
「結卯、もう!心配したよ!」
 白髪の少女・雪女のあやかし紗雪が景子の手を握り締めた。
「結卯、弥狐のことわからなかった。忘れた思った。寂しい。でも、いまうれしい」
 狐耳の少女・妖狐の弥狐が涙を拭きながら景子にしがみついた。
 三人は、あぁでもないこうでもないと、箸が転がってもおかしい年頃でもあるまいに、キャーキャーと再会を喜び抱き合っていた。

 ウォーッホンっ!

 大きな咳払いにビクッとして離れた三人。
 景子が恐る恐る、咳の聞こえた方へ首を向けた
「あ~~‼兎士郎様ぁ~!やっだぁ、お元気そうじゃないですかぁ。あ。兎士郎様は龍籍に上がられたから、老けないんでしたっけ?あはははは」
 言うが早いか、景子は立ち上がって兎士郎に抱きついた。
「こ、これっ!よさんか!まったくお前は、何度転生しても魂は成長しとらんようぢゃの」
「転生・・・?え?私、死んだの?・・・どういうこと?なに?え?え?」
「お、お前・・・やはり御印を失くして、我を失くすだけあるな・・・すっかり御勤めの意義を忘れてしまっとるな」

「予想以上の大戯おおたわけだったようぢゃの、兎士郎殿」
 刑が呆れ果てたという体ていで、結卯を見つめる。
 刑の声に振り返り、刑の隣に漣を見つけると、大慌てで居住まいを正し、正座で漣に向き直ると深く頭を下げた。
「一龍齋様。いらっしゃると気づかず、大変失礼いたしました」
「ほう。一応、幽世での礼儀は忘れてなかったみたいだな」
 漣が薄い唇の口角を上げて、皮肉な笑いを浮かべた。
「わ、私は、なかなか物覚えが良い方でございますよっ」
「ほう。ならば、お前のこの度の務めの目的を申してみよ」
「えーっと・・・務め・・・あ!『望月の神事』の神子ですよね!え?でも神事の主を一龍齋様がお務めに?上四龍どころか八龍に入ってもないのに?」
「こ、これ。結卯!失礼な物言いをするでない!」
 脳天気な結卯の発言に、兎士郎は気が気ではない。
「兎士郎様、かまいませんよ。子ウサギの戯言など、痒くもございません」
 漣は笑って軽くいなしているが、目が笑っていないのを見て、兎士郎は胃の辺りを押さえつつ、愛想笑いで返している。
「一龍齋様へのご挨拶は大事だがな、兎士郎殿の隣にいる儂への挨拶を飛ばしておろうが!」
 無視されたカタチになった烏頭刑は、面白くない。
「あぁ。刑様、いらしたんですね。兎士郎様と重なって見えて、気づきませんでした」
 テへへと笑う結卯に、二人の老人が食って掛かる。
『一緒にするな‼』
 揃って出た言葉にお互いに顔を見合わせ、にらみ合う兎士郎と刑。
『どういう意味だ?』
『こっちが聞いておるのだ!』
『え?どういう意味なのだ?』
 一卵性双生児のように、いつまでも言葉が揃って、埒が明かない。
「お二人とも、いい加減にしてください!いま、そんな細かいコトどうでもいいでしょ」
『細かい?』
『どうでもいい?・・・どうでもよくない!』
 はたまた2人そろって反論するも、漣が足を一つ踏み鳴らし、一瞥しただけでモゴモゴと口を閉じた。
「さて、結卯。お前、やはりきれいさっぱり忘れてしまっておるようだの?」
 ヒヤリとするような一瞥をくれる漣の視線に耐えきれず、結卯はキョロキョロと紗雪や弥狐を見るが、二人とも気まずそうに視線を逸してしまった。
 兎士郎と刑は、ギロリと睨んでいる。
「儀式は失敗だったのか⁉コヤツ、今度は現世のコトを忘れておるではないか…」
 刑は苦々しそうに、兎士郎と漣にいうと、結卯の瞳の奥を覗き込んだ。
「いや…儀式は成功だったから、結卯が目覚めた。しかし…景子の記憶がないのはどうしたことじゃろのぅ…」
 兎士郎も刑の隣に顔を並べて、同じく結卯の瞳を覗きこんだ。
「な、な、なんですよ!刑さまも兎士郎さまも!やめてくださいよぉ」
 結卯は、両手で顔を覆い俯いてしまった。