瞳子と雪兎が仲居二人に案内されて、だらだら坂のような段差の少ない階段を上ってやってきたのは、宿の三階だった。
 顔が映りそうなほど見事に磨き上げられた板廊下は、ずっと奥まで続いているが、ちょうど真ん中辺りに韓流・ラブコメ両イケメンくんたちが、廊下の左右に立っている。

「瞳子様、こちらのお部屋でございます」

 向かって右に立っていた韓流くんが、右の襖を掌で示している。
 同じように逆側に立っていたラブコメくんは、左の襖を。

「えっ?ちょっと待って。雪兎と同じ部屋じゃないの?」

『こちらの()では、男女同衾はお控えいただいております。神様のお膝元のお部屋でございますので』

 仲居二人が見事なユニゾンで答えながら、それぞれの部屋の前に正座し、襖を開け、頭を下げている。
 イケメン二人もそれぞれの仲居の後ろで同じように頭を下げている。

「夫婦なのよ?同衾もなにも・・・」
「瞳子さん、『同衾』しなければいいんだ。寝るとき以外は、どちらかの部屋で一緒にいてもいい。そういうことだろ?」

 雪兎は、瞳子に言い聞かせるようにしながら、四人の案内人を見回した。
「そ、それは、私たちではお答えいたしかねます」
 顔を上げて答えたのは、瞳子の部屋の前にいる仲居だった。
「ふーん・・・。じゃ、漣くんを呼んでくれるかな?漣くんに聞いてみよう」

「れ、漣って、一龍齋様・・・天目の漣様でございますか?」

 漣の名前を聞いて、四人はさらに深く頭を下げて、凍り付いてしまった。
「どうしたの?さっき、ここまで案内してくれた、天目漣さんを呼んできて」

 被せて瞳子がいうと、四人は頭を下げたまま(かぶり)を振った。
 この対応に瞳子と雪兎は顔を見合わせて、ため息をついた。

 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
 その頃、幽玄館 龍別邸の一階。
 内側に「めし処」の古い暖簾が掛かっている。

 その小上がりに、月影兎士郎、烏頭刑、天目漣そして景子の姿があった。

「して、お前、ここまで来ても何も感じぬのか?」
 兎士郎が景子の顔を覗き込む。

「感じるって、何をですか!だいたい、ウコさんたちに付いてきただけなのに、なんで私だけこんな扱いなんです?そりゃ、私が一番幽世とは縁がない立場だからって、ずいぶんな扱いじゃないですか‼」
「…本当に、何も思い出さぬのか?」と兎士郎がぽつりと呟く。
「うぬ~・・・ここまでとは・・・のぅ」刑も腕組みをして唸って俯いてしまった。
 二人の落ち込みを横目に、淡々とした口調で漣が厨の奥へ声を掛ける。その声に応えて、大小数体の異形のモノたちがぞろぞろと景子の前に並んだ。

「ひ、ひ、ひぃ~~~~~っ・・・食べないで!殺さないでぇ~」

『・・・?』

 異形のモノたちが何か言いたげなのを堪えた様子で、悲しげな目を向ける。なんとも言えない重く悲しげな空気に、頭を抱え込んで俯いていた景子が、そっと顔を上げて見回す。どの顔を見ても景子の知るはずのない顔が並んでいる。
 景子はますます混乱して、震えながら頭を抱えてまた俯いてしまった。

 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

 凍りついたように正座のまま頭を下げる4人と顔を見合わせて途方にくれている瞳子・雪兎夫婦。

 時が止まったかのような幽玄館 龍別邸三階に、足早にこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
 古めかしいような神薙の衣装を纏った若い男性が瞳子たち六人の前で足を止め、宿の四人を後ろに引かせると、瞳子の前に正座して頭を下げた。
盈月(えいげつ) 瞳子様とご主人様・雪兎様でいらっしゃいますね。これから青龍様がお出ましになります。青龍様がお2人には、青龍様のお部屋の方へお出向きいただきたいとのこと。諸々、よろしければ、わたくし神薙の繊月 秋菟(せんげつ しゅうと)がこれからご案内いたします」

「繊月さん、大変申しわけないんだが、少し瞳子さんを休ませたいんだ。漣くんには話をしてあったんだけど、瞳子さんは心臓が悪くてね。こちらへ着いてから随分歩いたから少し疲れもあるだろうし…。薬も飲ませたいし」
「わかりました。一旦あちらのお部屋へ向かわれて、青龍様のお出ましまでに少し時間がございますから、あちらで少し休まれてはいかがでしょうか。何かお飲み物もご用意いたしますし」
「ここでは、なんとしてもこちらの言うことは聞いてくれないのね」
 瞳子が少し苛立った調子で答えた。
「申し訳ございません。瞳子様。こちらでは…特に此方では、龍神様のご意向が最優先でございますので…」

 本当に体が小さくなったかと思うような縮こまり方で謝る秋菟に、半ば呆れながらついていくことになった。

 秋菟は、瞳子たちが案内された部屋の次の部屋に入ると、その部屋の奥にある螺鈿細工が見事な黒い扉を引き開けた。
「あら、驚いた!箪笥か何かかと思ってたら、ドアになってるのね」
「へぇ・・・立派なもんだね。建築関係に身を置くものとしては、じっくり見学させてもらいたい造りだなぁ」

 その言葉を受けて、秋菟は自慢げに振り返ると
「幽玄館 龍別邸は、古い建物ですが、龍別邸といわれるだけあって、そこかしこに立派な細工がございます。よろしければ、ご逗留中のお時間あるときにご案内いたしましょう」
「ほう。それはありがたい。楽しみだよ」
「雪兎!もぉ、建築のことになると私より優先なんだから!」
「そんなことないよ。僕の一番は、瞳子さん。それから、コーヒー、建築かな?」
「コーヒーといえば、先日、兎士郎様がお持ち帰りになったコーヒーは雪兎様のモノとか…私も少し飲ませていただきましたが、大変、おいしゅうございました」
「へぇ、兎士郎さんがあなたに分けてくれたの?ウチから持って帰るときには、誰にも触らせない勢いだったのに、やっぱりご自分の下の方にはお優しいのね」
「・・・え、いえ、分けていただいというより、ひと舐めさせていただいたというか・・・」
「あら、ま。ケチねぇ」
「舐めた程度じゃ、そんなに味はわからなかっただろう?もしよければ、建物を案内してくれる御礼に、後で僕が1杯ごちそうしますよ」
「本当でございますか!ありがとうございますっ‼きっと、きっと館内を隅々までご案内いたしますよ!」
 秋菟は、飛び上がらんばかりの喜びようで答えた。

「こちらでございます」

 彩りは鮮やかでないものの、静寂の美しさを湛えた絵が描かれた襖を引き開けて、部屋の中央に置かれた座布団を勧めた。

 秋菟は、一旦、部屋を後にすると、カラカラとこれまた見事な螺鈿のワゴンを押して部屋に戻ってきた。小柄な秋菟が螺鈿のワゴンを押してくる様は、江戸時代のからくり人形を彷彿とさせて、瞳子はつい、吹き出してしまった。

「なにかございましたか?」
「いいえ。ごめんなさい。なんでもないのよ、ちょっと思い出し笑い」
「女人が思い出し笑いなぞ、いただけませんな!・・・と、兎士郎様なら仰います。でも、ありますよね。急に思い出しておかしくなること」
 自分のことを笑われてるなどと露とも思っていない秋菟は、せっせとお茶の用意をしながら調子を合わせてくれている。

「とりあえず、お茶を入れましたが、こちらにお酒もお水もございますので、お好きになさってください」
「神様の御前になるまえに、お酒なんていいのかい?」
「はい。いつもならもってのほか!で、ございますが、本日は青龍様からのお許しがございましたので」
「なんでも、青龍様のおっしゃる通りなのね」
 足を寛げて、出されたお茶を啜りながら、瞳子がイヤミたっぷりに返すも、秋菟は意に介することなく淡々と自分の仕事を続けている。

「瞳子さん、いくらゆっくりしてくれていいって言われてるからって、そのカッコはくつろぎ過ぎじゃないかい?」
「男のひとはいいわよ。正座じゃなきゃ胡坐かけばいいんだから。でも私たちは、足でも伸ばさないとゆっくりした気分になれないわよ」
 ほっぺたを膨らませて、雪兎を軽く睨む瞳子。

「お二人、仲がよろしいんですね」

 秋菟は微笑ましそうに二人を見やって、
「それでは、そちらの御簾から青龍様がおいでになりますので、それまではお二人でごゆっくり」
 深々と頭を下げて出て行った。

「ねぇ、雪兎。ホントに来て良かったのかな?」
「なんか不満なことでもある?」
「景子はどっかへ連れていかれるし、なんだか何もかも押し付けられてるみたいでさ」
「そうだね。景子ちゃんのことは心配だし、あとで聞いてみよう。押しつけっていうか、しきたりみたいなものなんだろうけど、ちょっと窮屈な感じするね。ま、1週間って予定だけど、イヤなら明日でも明後日でも切り上げて帰ればいいさ。会社にはお休みって言ってるんだから、帰ってもどこかへ出かければいいんだしさ」
「そうよね?明日帰ってもいいんだもんね。帰っても、他に遊びにいくところはいろいろあるしね」
「そうそう。ま、大人の修学旅行と思って、この窮屈さも楽しむさ」

「・・・・」
「ん?ほかにもまだ、なんかあるのかい?」
「んー。雪兎、帰るときには必ず私も連れて帰ってね」
「なんだよ急に」
「私が発作起こしたときに見る景色があるって言ったこと覚えてる?」
「あぁ。サルバトール・ムンディの?」
「あぁ、それはいいのよ。キリスト様が日本の神様のところに来るわけないから」
「その前に、フツーに信者でもないひとのところに現れないと思うけどね」
「え?何?なんか言った?」
「いやいやいや…で?その風景が?」

「ココのさぁ、この旅館の前の通りとか裏山とか似てるのよ。発作のとき、フラッシュする景色が。ここの大きな提灯が揺れてる感じとか、どこかのお店で大勢が騒ぎ飲んでるみたいなところとか・・・」

「卯兎、思い出したのか?」

 雪兎の声じゃない声がした方を振り返ると、銀髪のような長髪のひと房だけが金髪に青いメッシュを入れたような色をしている、青い衣を身に纏った男性が水晶玉を片手に立っていた。

「う、う、ウソ・・・さ、サルバトール・ムンディ~~??お、お、お、お迎え??そ・・・そういえば、此処のあの提灯も、向こうに見えた山も・・・」

 後は言葉にならず・・・。瞳子はのけ反って、いまにも発作を起こしそうな引き攣り方をしている。
 片手で胸をわしづかみにして、苦しそうな息の下で、雪兎に訴えかける。
「ゆ、雪、兎・・・サルバトール・ムンディ。やっ・・・ぱり、ここだった。私の最期・・・つ、連れて帰ってね。おうちに。雪兎のところに・・・」

 発作を起こさなかったものの、瞳子は気を失ってしまった