日に日に太陽の威力が増していき、半袖のシャツでも耐えられなくなってきた。

暑さの強まる正午。日直の仕事で立ち寄った職員室は、文明の利器できんきんに冷やされ、退出をはばかられた。昼休みをここで過ごすのも悪くない。そう思いながらも、俺の体は勝手に進んでいく。

教室の前を通りかかると、ちょうど他クラスの女子が教室に入っていった。



「ニアくーん。って、あれ? 今日もいないの?」



聞こえてきた名前に、俺は歩みを止めた。

比較的落ち着いた教室内では、大熊のいない席に数名が群がっていた。



「最近、昼休みになると、いつの間にかいなくなってるよな」

「どこにいるんだろう」

「一緒にごはん食べたいのにぃー!」

「告白とかされてんじゃね?」

「あーね。毎日されてるもんね」

「あんなかっこいい人いたら好きになっちゃうよ」

「まじ王子様!」

「顔面国宝。最初アイドルかと思ったぜ」

「顔だけじゃないよ! いつもにこにこでやさしいし、何においてもスマートで頼りがいあって、とにかく完璧なの! 最強なの!」

「なんでもできるのに鼻にかけず、謙虚なところもいいよね」

「いいやつだよな、ほんと」

「聞き上手すぎて、あたしいつもいっぱい話しかけちゃう。でもいやな顔せず聞いてくれるから、好き~ってなる。もうずるいっ」

「大熊と同い年って思えなくね?」

「わかる。すげえ大人に見える」

「もしかして人生二周目?」

「前世はたぶんリアル王子だよ!」



和気あいあいとした会話はずっと、その話題で持ちきりだ。よくそれだけを話していられるな、半分感心する。

彼ら以外にも、校内のあちこちで似たような噂がささやかれているだろう。


みんなに頼られ、愛される、唯一神。

そんなふうになりたいと思っていた時期が、俺にもあった。

ただ、俺には向いていなかった。だからやめた。

それだけのことだ。



俺は笑いの絶えない教室から遠ざかっていく。

突き当たりを曲がり、しばらく歩くと、つぶれた上履きの足音しかしなくなる。

目にやさしい薄暗さに紛れるようにたたずむ、がたついた扉に手をかけた。


俺の居場所(ホーム)、第一図書室。
自然を浸した独特の匂いにまざり、糖度の高い香りがふわりと漂った。



「あ、犬飼くん! 日直お疲れさま!」



菓子パンを食べていた大熊は、俺を見た瞬間、両手をぶんぶん振った。砂糖でコーティングされた菓子パンの欠片が、テーブルの上に散らかっていく。



「あ、あ、やば」

「落ち着けって」



でかい図体を小さく縮ませ、あたふたとカスをかき集める光景に、俺は呆れ半分に喉を鳴らした。

卓上の掃除を軽く手伝ってやる。虫には寄ってきてほしくない。



「そういやさっき、大熊のこと探してるやついたけど、ここにいていいのか?」

「あー……うん、大丈夫。僕は犬飼くんといたいから」

「……はぁ」



こいつはまた恥ずかしげもなく……。

頭を抱える俺とは対照的に、大熊は何もわかっていなさそうにきょとんとしている。むかついたから、足を踏んでやった。



昼食を取ったあとは、いつもの読書タイム。

小鳥のさえずりをBGMに、活字の川を流れていく。

滞りなく下流まで行きつき、俺は一度意識を浮上させた。背筋を反らし、肩を回す。

大熊の進捗を見やると、規則的な寝息が聞こえた。

分厚い自己啓発本を枕に、気持ちよさそうに眠っている。


……だから今日は、ちょっかいをかけられなかったのか。


大熊は小さくうめきながら、首の向きを変える。買ったばかりのダテメガネが、ずれ落ちた。

俺も片腕を支えに、テーブルに突っ伏した。

至近距離で寝顔と向かい合う。

隅々までよく見えた。


長いまつげ。高い鼻。薄い唇。
夏を知らずに生きてきたような肌に、やわらかな木漏れ日のような髪が落ちる。


なんてきれいな顔。

何もがんばらなくても、万人に愛される価値がある。妬むのもおこがましいほど、格がちがう。


生まれた星が、ちがった。

俺とこいつは、同じ人間じゃない。

ずっとそう思っていた。


でも、今は。



『まじ王子様!』
『いつもにこにこでやさしいし、何においてもスマートで頼りがいあって、とにかく完璧なの!』
『聞き上手すぎて、あたしいつもいっぱい話しかけちゃう』
『もしかして人生二周目?』



いったい誰の話をしているのか。

こいつはこんなにもわがままで、あどけなくて、弱々しいのに。


手を伸ばせば、簡単に触れられる。
すぐそばで息をしている。
泣いたり、笑ったりする。


俺と同じ、年相応の子どもだ。

今は、そう思える。


まつげにかかる金糸を、そっと指先でどかしてやる。

目尻をやさしくなぞると、くすぐったそうにこわばった。

ふっと笑みがこぼれた。

と同時に、淡い光を閉じこめた瞳がおもむろに開かれていく。



「起きたか、寝坊助」

「……っ」



たちまち瞳が丸くなった。

今の今までのんきに寝ていた顔が、急激に冴え、燦々と燃えていく。

濃厚接触範囲内。その熱はたやすく俺も染め上げた。



「て、照れるなよ。つられるだろ」

「ご、ごめん……!」



大熊は勢いよく立ち上がった。



「ぼ、僕……き、今日はちょっと先に戻る! またね!」

「え? あ、おいっ」



俺のほうを見ることなく早口でまくしたてると、まだチャイムは鳴っていないのに、あわただしく出て行ってしまった。



「な、何なんだよ……」



あっけにとられた俺の頬には、いまだに微熱がじんわり残る。

わずかに脈拍が乱れつつあった。